レムルス王国聖騎士団の事件簿〜黒い狐と金の猫(4) |
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(4)敢然と先へと進むだろう さわさわと、梢が風にそよぐ音にライラは顔を上げた。平常な心理状態であるならば心地よく聞こえるであろうその音は、今はライラの焦燥を煽るばかりで、多少急ぎ足と言った程度の速度で先行するツァイトに八つ当たり気味な苛立ちを覚えた。かすかな木と風の音の他には、周囲に音はなかった――比較的近くで繰り広げられているはずの戦闘の気配ももう感じない。 ……サージェンは大丈夫かしら。 ライラは胸の前でぎゅっと手を握り締めた。 敵は中々のやり手の様だった。いくらなんでもあのサージェンが一介の使用人に対して遅れを取るとは思えないが、サージェン自身が武器を抜いて対応することが必要と判断するだけの腕前を持った相手であったことも事実である。決して侮ることは出来ない。 とはいえそれをツァイトに問えば、お前に心配されるほどサージェンは落ちぶれちゃいねーと一蹴されるだけだろうと容易に想像がつき、何だかそれは自分一人だけがサージェンのことを信頼していないように自分でも思えたので、ライラは少し言い方を考えて懸念を口にした。 「もっと急がなくていいの?」 可能な限り早急にディルト王子を救出し、サージェンの加勢に行きたい。いや、ディルト王子を救出すればその時点でサージェンとあの執事が戦闘を続行する意味もなくなるだろうか。ともあれ、今はこちらで出来ることを迅速に行う事が、何よりもサージェンの為となるだろう。 しかしツァイトは振り返りもせず素っ気無く答えてくる。 「これでも相当急いでるんだがな。俺にはサージェンほど超性能な索敵機能はついてねえんだ、こんな見通しの悪い場所でそう気楽にスタスタ行けねえよ」 ツァイトの存外に冷静な返答に対し何も言うことが出来ずにライラは押し黙った。自分でも焦り過ぎだということは分かっている。無意味に逸る感情をどうにか堪えようとぐっと地面を睨むライラをツァイトは一瞬だけちらりと見、小さな嘆息を漏らした。 「まあ、さっさとことを済ませちまいたい気持ちは俺も同じだけどな。……全く、一体何の冗談なんだか。そもそも人的余裕がこっちよりも上だっつーのにいちいち一人ずつ順番に掛かってくるとかいうのがおかしいじゃねえか。どこのアホな英雄譚だよ。小出しにせずに一気に投入してくりゃあ簡単なものを分断だの何だのと訳の分からん手管を」 ライラに触発されたらしく溜まった鬱憤を晴らさんとばかりに滑らかに文句を連ね始めたツァイトが唐突に言葉と足を止める。慣性でそのまま進みそうになったライラを腕を横に出して止めて、道の先を見つめていたツァイトはついと顎を上げた。その口の端に、にやりとした笑みも浮かんでいる。 「へっへっへ。漸く同時に来たなァ。これで手間も省けるってもんだ」 ツァイトの声に答えるようにして、目の前と――背後に、人影が躍り出た。その数、各々二人ずつ、四人。ライラはぱっとツァイトと背中合わせになる格好で、背後の敵に向き合った。 が、次の瞬間その背中に、しゃっという鞘走りの音を聞き、ライラは目を剥いて再び振り返る羽目となる。 「ええっ!? 剣抜くの!?」 あれだけ渋っていた剣を何の躊躇いもなく抜き放っているツァイトに驚愕の声を上げると、何を言っているんだと言わんばかりの視線が向けられる。 「あ? もうサージェンの奴に許可出しちまったんだから書類の手間は一緒だろ」 「も、問題はそこなのね」 ライラは少し躊躇してから、しかしやはり同じように剣を抜いた。二人を囲む輪――やはり今回も、兵士などではなく簡素な服装に身を包んだいかにもごく普通の使用人っぽい集団の輪が、ざざっと怯んだ様に広がった。怯んだ様に、というか、全員の顔つきが明らかに怯んでいる。そのうちの、少々今の流行からすると野暮ったいが小奇麗な格好をした少年――多分王妃の御用を直接聞く小間使いだろう――が、泡を食ったようにこちらを指差してきた。 「ちょっ、たっ、ただの使用人に対して剣を抜くとか騎士として恥ずかしくないのかよ!?」 「うっせーよ、お前らだって光物抜いてやがんだろうが、寝ぼけたことをほざくな」 顎で四人のうちの一人、包丁を構えている男を差してツァイトが言い放った。武装らしい武装をしているのはその男のみではあるが、こちらが抜剣する理由にはなる。 「斬られたくなかったら人様を集団で取り囲むとか物騒な真似すんじゃねえ。家に帰ってションベンして寝てろ、このクソガキが」 騎士の品性も何もあったものではない台詞を吐くのをライラは顔をしかめながら聞いていた。冷静なように見えていた彼だったが、実は内心ではとっくにキレていたらしいことに漸く気がつく。そうだった、よく考えてみればこの男は昔からこうだったのだ。聖騎士団に入団して以降、アホで喧嘩っ早い幼馴染から実力のある先輩に認識を改めつつあったが、つい何ヶ月か前だって、城下でちょっかいかけてきたごろつきに一人でぶち切れて重傷を負わせていたじゃないか。アホで喧嘩っ早くて実力のある先輩と認識しておくべきだった。 「ああン? かかって来ないのか? 二人を四人で取り囲んでおいてそのざまか? 武器を抜かない相手ならやれるがこっちが応戦しようとした途端にその体たらくたァみっともねーなおい?」 「何でそう無駄に挑発するかしら……」 その下品さに辟易しつつもライラは油断なく周囲に目を配っていた。四人の襲撃者は安い挑発への怒りよりもやはり騎士の持つ剣への恐れが勝るようで、怖気づいたような表情を互いに見合わせていたが、それをも上回る任務への使命感からか、やがて意を決したように表情を改めた。 来る。 そう思った次の瞬間、戦闘の火蓋は静かに切って落とされた。二人の騎士を取り囲む四人が動き出す。一斉に、ではなく絶妙な時間差をつけて突進してくるその動きはやはりこれまでに登場した使用人たちと同様に、訓練された者のそれだ。 ツァイトはまず、白衣に白いエプロンをなびかせ先陣を切ってきた、包丁と麺棒の二刀流で武装した四十がらみのコックに向かい合った。麺棒という名の鈍器は中々に鮮やかな手並みで振り下ろされるがツァイトはそれを上回る手際で瞬時に奪い取り、逆にそれを自分の獲物として白い帽子の乗った頭を躊躇なく殴りつける。剣で一刀両断にしない所を見ると一応はまだ理性が残っていたということか。 「ひぎぃー!」 哀れな悲鳴を上げるコックをツァイトは全く容赦なくぼこすか殴り倒し、彼が取り落とした包丁は抜かりなく草むらに蹴り込んだ。 「よくも師匠を!」 瞬く間にコックを沈黙せしめたツァイトの真横から、そう叫んで飛び掛る影があった。コックと似たような長いエプロンをつけた青年で、その姿と発言からするとコック見習いだろうか。こちらはおたまとフライ返しの二刀流で武装している。 ツァイトの頭部に向けて鋭く繰り出されたおたまを、横合いから伸びたライラの剣がきいんと高らかな音を立てて弾いた。 包丁ならまだともかくおたまを剣で弾くのは何だか罪悪感を感じるが、そんな微妙な気分を押し殺してライラはコック見習いと対峙した。青年の襲撃に振り返りかけていたツァイトもそちらはライラに任せることにしたようで、ライラと背中合わせのポジションを取ったまま、残る二人と向き合った。 ライラと青年は互いの獲物を眼前に構えたまま睨み合っていた。青年の凄むような目つきと真正面から向き合い、睨み返す。聖騎士とはいえ年若い娘でしかないライラの眼光に、大の男を威圧する程の力があるとは思わないが、ライラだってコック見習い風情の眼光に尻込みしたりはしないのでここはお互い様だろう。 ライラが摺足でじりじりと間合いを計ろうとすると、青年もまた足を動かした。相対的な位置を変えないまま、ツァイトから少し離れる。互いにフォローしあえる位置は保ちたいが、抜き身の剣を抜いている以上、余り接近して味方に切っ先を引っ掛けるような愚は避けたい。 ある程度の距離を開け、改めて相手と睨みあう―― 「はあっ!!」 気合の声を発し、青年が走り出してきた。 ひゅう、と風を切って迫るおたまに、ライラは剣を合わせた。鋭い音を立てて金属同士がかみ合う。その死角を狙うように迫ってくるフライ返しも、返す刃で受け止める。……今までの経験の中でも群を抜いて冗談のような戦闘絵図であるが、それに反して青年の力量の方は冗談と笑える程度ではないようだった。 だがしかし――ライラとて、聖騎士団入隊以降数ヶ月、遊び暮らしていたわけではない。二合、三合と撃ち交わし、ライラの目は敵手の一瞬の隙を見出す。 「せあぁッ!!」 気合一閃、全力を込めて振り抜いた剣の一撃が、おたまの細い柄を斬り、先を刎ねた。 「くっ……」 青年の痛恨の声が上がる。切り飛ばされたおたまは木漏れ日の間から差す陽光にきらきらときらめきつつ弧を描き、さくりと地面に刺さった。 「あなたでは私には敵わないわ。大人しく武器を捨て、投降なさい」 残る武器、フライ返しを正眼に構えようとした青年の機先を制してライラは告げる。ぎっと仇を見るような目でライラを睨んでいた青年だったが、不意にその口元を緩め、笑声を発し始めた。 「ふっふっふ……流石は女性ながらも聖騎士と言っておきましょうか。しかし、これで勝ったと思われては困ります。何故ならば……僕はまだ五十パーセントの力しか出していないからです!!」 「な、なんですって!?」 突然の宣言にライラはつられたように驚愕した。青年は徐にエプロンに手をかけつつ、続ける。 「コック見習いとは世を忍ぶかりそめの姿。僕の真の姿をその目に映し、驚愕するがいいでしょう! 来たれッ天空のパワーッ!! 変ッ身ッ!!」 「!?」 奇怪な叫びに戸惑うライラを他所に、青年はばさあと長エプロンを脱ぎ払った。その下の装いは―― 質素だが丈夫そうな長袖の上下であった。一言で言うと屋外用の作業着、だろうか。……しかし大別すれば他の人たちと同様の、至って普通の使用人の格好である。 「……ごめん何を表現したいのか全然わかんない!」 ライラが思わず率直な感想を述べるとしかし青年は気障な仕草で髪をかき上げて見せた。質素な格好にはあまり似合う仕草ではないが当人は別段気にも留めていないようだ。 「ふっ……聖騎士ともあろう者がその目は節穴のようですね。僕の仕事は厨房の隅っこでジャガイモや玉ねぎの皮を剥くばかりではないということですよ!」 言うなり青年は、しゃきーん!とでも音がしそうな鋭い挙動でポーズをつけた。思わず気圧されてライラは一歩下がるが青年は構わずに続ける。 「命令とあらば屋根へすら登って雨どいを修繕し、メイドの誰もが困難だと嘆くシャンデリアの掃除すらをも難なくこなす。毎日の館へ荷運びも僕にとっては児戯に等しいッ! そう、全ての雑用を司るッ! それがこの僕、雑用係ジェイムズだッ!!」 鮮やかに名乗りを上げ、びしい!とやっぱりそんな音がしそうな勢いでライラに指を突きつける。そんな所謂決めポーズを全力で見せ付けられたライラは、五秒ほどの時間をかけてその発言内容を咀嚼し、飲み込んだ。 「……つまり、なんかいいように使われる下っ端?」 いまだ決めポーズのままだった男、ジェイムズの指先がぴくりと震えた。 「何を言う! この館では銀食器を磨くのも僕の仕事なんですよ! 高価な銀食器を磨く仕事を任ぜられるのは最大の信頼を賜る使用人の証、その僕を下っ端と呼ばわるとは笑止千万!」 「いや知らないし……」 確かに、銀食器を任せられるのは普通は執事クラスの上級使用人であるのは本当だが。 「問答無用ッ!!」 いつの間にか、武器を金槌に改めた青年が走り出す。金槌、しかも釘抜き付はあまり洒落にならないのでライラの意識も自然に戦闘用へと切り替わった。 (何やってるんだあいつら……) 後ろで繰り広げられる漫才――否、戦闘がやや気にならないでもなかったが、ツァイトは己への攻撃者に無理矢理意識を戻した。ツァイトと対峙するのは二人の男女の子供だった。子供と言っても十三、四程度の、ライラとそう変わらないくらいの少年少女であったが。先程の小間使いの少年と、その横にいて先程は言葉を発しなかったメイドの服装をした少女の二人だが、双方ともレムルスでは珍しい異国風の、烏の羽のように真っ黒な黒髪を持っていて、顔立ちもよく似ていた。姉弟かもしれない。 とりあえず一目見た時点でその程度の事柄を認識したが、しかしその辺りのことは戦いに関係ないので頭の隅に追いやっておく。外見から把握できる事柄のうち差し当たり必要なのは敵の武装についてだが、二人が持つのは似て非なるブラシだった。少年のは靴磨き用らしきブラシで、少女のは恐らく婦人の髪を梳くブラシだ。 先程奪い取った麺棒で肩を二度ほど叩いてから、ツァイトは少しだけ首を傾げる。ライラと青年がじゃれている間もこの膠着は続いていた。当初は躍り掛かってこようとしていたが、初動の二人――特に一番最初の一人である、恐らくはこの四人の中ではリーダー格であったのであろうコックが苦もなくあしらわれる様を見て、二人がかりとはいえ不用意に撃ちかかるのは得策ではないと判断したのだろう。再度挑発して場を動かそうか、ともツァイトは考えたが、流石に立て続けにはそう効果もあるまい。さてどうしたものかと考えていた彼だったが、ふいと思い立ったように少年の方を向き、足を踏み出した。 「!!」 油断をしていたわけではないのであろうが、緩急の鋭いツァイトの挙動に対応できず、瞬く間に至近にまで迫った聖騎士に少年が出来たのは、子供らしいつぶらな瞳を丸くする事だけだった。 ずどん! 轟音と共に、見開いた目のまま倒れる少年は、恐らく今自分が何をされたかも気づかなかっただろう。種を明かせば軽く当身を入れただけだが、子供の体格にはきつい攻撃だったかもしれない。まあ、仕方がない。 ツァイトはくるりと少女の方を向き、唇を開いた。 「投降しろ。女子供に手を上げたかねーんだ」 「子供……」 呟いて少年に目を落としたのは今まさに子供に手を上げたことに対する非難のようだ。 「上げたかねえだけで上げねえとは言ってねえ。俺がお前に手ェ上げる前に武器?を捨てな」 武器と言っていいのかよく分からない物を目で指しながら言うと、存外にもあっさりと少女は勧告を受け入れ武器を捨てた。放り投げられたそれを拾い上げ、柄や裏側に入れられた見事な薔薇柄の図案を眺めてから、ツァイトは一息ついてライラを振り返った。 ライラと青年の戦闘は今まさに最終局面を迎えようとしているらしかった。 「行きますよ! 我がッ! 最!終!超!絶!秘!儀ィィィィ……ッ!」 何やら中身が色々出て来そうな程にきばっていた青年は、唐突に側頭部を横殴りに殴り倒され、首を持って放り投げられた人形のように不自然に身体を傾がせる。……こちらも自分が何をされたか分からぬままであったことだろう。 「へっ?」 素っ頓狂な声を上げてツァイトを振り向いたライラと、たった今青年に向けて薔薇柄のブラシを投擲した体勢のままのツァイトの目が合った。 べちょ、と力なく倒れる音にライラは再度青年の方を見やってから、改めて非難の視線でツァイトを睨んだ。 「何するのよツァイト! 敵の口上は最後まで聞く! それが騎士として当然の作法じゃない!」 「うっせえ」 言葉少なに吐き捨てて、ツァイトは尚もぴいぴい言い募るライラから視線を外し、メイドの少女を見据える。王妃の手勢でただ一人残った黒髪の少女は、観念するという程の表情の変化も見せず、ごく普通に職務をこなすメイドのように恭しく頭を下げた。 「ではお屋敷へご案内します」 |
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