レムルス王国聖騎士団の事件簿〜黒い狐と金の猫(2)

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 (2)蒼古たる森を進み行く



 第一王妃グロリアの住まう城館は、このレムルス王城の広大な城郭の一角にある小さな森の奥にある、という。
 ……表現がやや曖昧なのは、ライラたち三人の中に実際にその第一王妃の館を目にしたことがある者がいなかったからである。第一王妃の森は小さいながらも鬱蒼としていて、宮殿から眺めても館の屋根すら確認することが出来ない。そもそも、隠遁する王妃の私邸という、ある意味王宮で最も秘されていると言ってもいい場所に一介の騎士風情が探りを入れることなど許されるはずもなかったしするつもりも今の今迄さっぱりなかった場所である。
 ルシーダ妃の許可を得て、宮殿の北側に位置する普段は王族のみしか入ることを許されない庭園に立ち入った三人は、今、その庭の最も奥まった場所にある森への入り口の前に立っていた。
 入り口から、苔むした石畳が敷かれた小路が一本作られているが、緩やかにカーブするその通路はすぐさま低木と高木が混在する濃い緑の中に溶け込んで、その先を見通す事は出来なかった。既にこの庭園自体が一般には禁じられた場所になるので兵などは置かれていなかったが、庭園とは明らかに趣の異なる年を経た雰囲気の森の木々は、許可なき者の立ち入りはまかりならぬと立ちはだかる屈強な衛兵のように感じられてライラは進入を躊躇した。
「これ、何か入ったら怒られそうな感じがするんだけど……」
 我ながら何を子供のようなことを言ってるんだろうと思わなくもなかったが、森の雰囲気と、レムルスの民が持つごく一般的な感情として王族に無礼を働くことへの心理的な忌避感からライラは素直にそう口にした。ツァイトが呆れたようにライラを見てから、気だるそうに肩を竦める。
「まあ、あのルシーダ様の口振りじゃ、第一王妃と第二王妃は相当仲悪いようだから快く歓迎はしてもらえねーだろうな。でも命令したのはルシーダ様だし。何らかの罰を受けるんだとしたらあっちだろ」
「でも、第一王妃殿下のお住まいに直接足を踏み入れたりしたら私たちの責も免れないと思うわ。宮殿で取次ぎを頼むのが筋じゃないかしら……」
「なんて取り次いでもらう気だよ。ていうか、もし万が一ディルト様を攫ったのが本当だったら断られるに決まってるじゃねーか。意味ねーだろーが」
「まあそれはそうなんだけど……」
 ライラとて、その程度の事が分からない訳ではないのだ。もごもごと口中で呟きながら彼女は、一歩下がった位置で黙していたサージェンを振り返って見上げた。班員の総意を確認する為にか、ツァイトも同じようにしてサージェンを振り返っている。
 サージェンの結論は既に出ていたようで、二人の視線に特に悩んだ素振りも見せずに彼は口を開いた。
「俺は当初の予定通り行くべきだと思う。ルシーダ様の言うことは、常々何とも表現し難い不可解な部分を含むが、全くの無根拠であることはあまりない。今回も、何らかの形で第一王妃がディルト様の失踪に関係している可能性は低くは無いと思う。……それにもし責を問われそうになっても、俺やライラは班長の命令で動いたことになるわけだし」
「てめ……」
 自分が言ったのと同じ事の筈だが、自分が責任を負わされる側で言われることは不服らしい。しかしツァイトは、じゃあやめようとは言い出さず、くるりと二人に背を向けるとすたすたと森へと歩き出した。続くサージェンを、慌ててライラも追いかけた。

 森を貫く小路は左右を低木に囲まれ、上部はその奥から張り出した高い枝葉に遮られる緑のトンネルだった。低木と言ってもその樹高はサージェンの身長よりも高く、彼の広い視界にもライラと同様に曲がりくねる小路の先を見通すことは出来ないようである。
 城の正門から伸びる広々とした並木道のように整えられてもいない、噴水のある中央薔薇園のように几帳面に刈り込まれてもいない木々が繁る森は、手入れが行き届かなくなって久しい没落貴族宅の庭園のようにも見えた。まさか第一王妃の居館にそのような侘しい事情があるはずはない……と思うのだが、これは一体どうしたことだろうか。その原因について何とはなしに考えを巡らせていたライラは、天啓のようにある考えに思い至った。
(はっ……まさか、国王陛下は第一王妃殿下をあまり大切になさっておいでではないのでは……!?)
 王族方は婚姻されて分家なされない限り宮殿に住まわれるのが普通だと言うのにただ一人離れに暮らし、公の行事にも滅多に出ることの無いその理由が、ご病気の所為ではなく、国王陛下の寵を失ってしまい遠ざけられているからだとしたら?
 第一王妃は元は小国とはいえ一国の王女であったと聞く。まさかそれ程に身分のある者を離縁して生家に帰すなどということは、いかなレムルスの王であっても両国間の関係を考えれば出来ないに違いない。だから病気の静養を理由に離れを与えて顔を合わせぬようにした。夫婦仲が冷えたから第二王妃を娶ったのか、第二王妃を娶ったから夫婦仲が冷えたのかは分からないが、若くて美しく、何よりも待望の第一子を産んだルシーダ妃がいるとなればそちらをより寵愛するようになると言うのもある意味自然の成り行きと言えるだろう。時を経て溝が深まり、夫婦仲が憎悪すら感じる程に冷え切ったとすれば、第一王妃が国王陛下に薬を盛るという不可解と思われた行動の動機も説明がつく。何もかもの辻褄が合うではないか。
(な、何か恐ろしいことに気づいてしまった気がするわ……!)
 ぞくっと身震いをして、ライラは自分の両腕をさすった。そこまでの事情があるならば、第一王妃と第二王妃の関係があれ程に険悪であるのは最早当然であろう。否、もしルシーダの登場が夫婦仲に決定的な決裂を与えたのだとしたら、これまでに想像していたよりもずっと事態は深刻なのではないだろうか。もしかしたら……いまだかつて見たことが無かったくらいに語調の強かったルシーダ妃の表現が決してオーバーではない程に。
(……ディルト様……!!)
 幼い王子のあどけない顔が苦痛に歪んでいる様を不意に想像して、ライラは戦慄した。
 それと同時に――
 先を行くツァイトが、無言でその足を止めた。

 誰だ、とつい口にしようと息を吸ったが、誰何出来る立場ではなかったことを思い出してツァイトは寸前でそれを押しとどめた。代わりに足を止める――藪の中にわだかまる気配の十歩ほど手前で。
 咄嗟に視線だけ、左斜め後ろにあったサージェンへと向けたが流石に剣を抜いたりなどはしていなかった。こいつは不穏な気配を感じたらとりあえず剣を抜くような危ない癖のある奴だが、いくらなんでもこの場で抜剣はまずいと理性的に判断してくれたようだ。ただ、手の位置が柄に触れるぎりぎりにまで来ているので発作自体は出かけていたらしい。逆にそっちに冷や冷やする。
 一瞬だけで視線を前に戻し、前方からのアクションを待つ。待ち伏せが見破られたことを察してそのまま隠れているということもまさか無いだろう。
 果たして、二秒程の間を置いてから右脇の低木の間から人影が躍り出た。
 行く手を遮るその姿に、ツァイトは思わず一歩後ずさる。
 ここは王宮内であるから、第一王妃付きの騎士や兵士に呼び止められることは想定していたし、事情を知らない相手に曲者と判断されて出会い頭に武器を突きつけられることすら覚悟していた。だから、ツァイトを退かせたのはこちらに向けて突きつけられた柄の長い武器の先に取り付けられた鋭い刃ではなかった。
 聖騎士たるツァイトを後退せしめたのは、土埃に汚れた麻の胸当て付きのエプロンと分厚い手袋、首に汗拭きを装備した中年の男に立ちはだかられ、高い枝を切る為の柄の長いのこぎりを突きつけられたというその事実の方であった。新鮮な樹液が木漏れ日にぎらりと濡れ光るのこぎりの向こうから中年がおもむろに口を開く。
「ここはグロリア様が陛下より賜った敷地。許可なき者が立ち入ることはまかりならん。帰られよ」
 中々に貫禄のある声で発せられたその口上は、相手が普通に騎士であったならあらかじめ想定しており、返答も用意してある内容だったが、ツァイトの口は殆ど無意識に考えていたのとは全く異なる問いかけを発していた。
「えーと……庭師?」
「いかにも。しかし……」
 男は即座に鷹揚に頷いて見せた。ツァイトに突きつけられていた刃がついと引かれ、おやと思った次の瞬間に、男はその柄を大きく旋回させた。おいおいいきなり攻撃かよとぎょっとするツァイトの目の前で男はそれを叩き付けて来ることはなく、ぐるりぐるりと旗手が持つ旗のように鮮やかに振り回し、やがて横に払ってびしい!と腰を落としたポーズをつけた。
「庭師とは仮の姿! その実態はグロリア様にお仕えする召使い七人衆が一、護衛庭師ロレンスであるッ!」
「……結局庭師ではあるんだ」
「無論の事! 人呼んで王宮庭園管理部最強の庭師とは私の事だ!」
「庭師で最強でもなぁ……」
「問答無用! 王妃殿下のお住まいを汚す不届き者めが、成敗してくれる!」
 叫んで、庭師ロレンスとやらは上段に構えたのこぎりを手に突進してくる。
「ちょっ! ちょっと待っ、」
 ようやく自分が問いかけねばならなかったことをツァイトは思い出したが、ほんの少し、遅かった。のこぎりが威勢良く振り下ろされるのを後ろに飛んでかわす。避けるツァイトを追い縋って撃ち出される剣閃は目を見張るほどの速度であったがどうにか更に身を捻って避けた。
「小癪な……流石は聖騎士か」
 男の独白のような呟きに、ツァイトは思わず軽くつんのめりそうになった。
「おいこらおっさん、俺が聖騎士だと分かってて斬りかかって来たんか!」
「そんなもん、その制服を見りゃあこの国の者なら誰でも分かる」
 馬鹿なことを聞く奴だとばかりにふんと鼻を鳴らして見せる男に、ツァイトは頬を引きつらせて食いかかる。
「あのなー! この姿を見て侵入者の変装だとか疑わないんだったら、まずは何か事情があって来たんじゃないかとか考えろよ!」
「笑止ッ! 例え聖騎士とて、このグロリア様の森に無断で踏み入る者は全て曲者であるわ!」
「そりゃあそうだが、ええい、話くらい聞けっちゅーに」
 男を睨み付けながら呻きつつもツァイトは、背後のサージェンに顎先で指示を出すのを忘れなかった。無言で頷きを返してツァイトの横まで進み出てきたサージェンが小声で問いかけてくる。
「班長、抜剣は」
「あー……許可しない」
「了解」
 一体何を期待していたのか少し残念そうに呟いて、サージェンはゆったりとした歩みでツァイトから横方向に距離を取った。通路の道幅が狭い為、男を取り囲むことは出来ないが、ツァイトとサージェン双方に意識を向けざるを得なくなった男の視線の動きがにわかにせわしなくなる。男の視線がツァイトからサージェンに動き、しばしそれを観察して再びツァイトに戻されかけた瞬間。サージェンのいた場所に砂埃が舞った。
「!?」
 ツァイトを注視しながらも視界から外れていたわけではないサージェンに、男が驚愕の視線を向け――ようとしたが、その時にはサージェンは既にそこにはいなかった。音もなく、軽い砂埃だけを残して彼の姿はかき消えている……少なくとも、男にはそう見えたようだった。
 そして次の瞬間には――
「……っ」
 声を上げる暇もなく、庭師の男はぱったりとその場に倒れていた。
 その背後には静かにサージェンが立っていた。

「まあいつも思うことなんだけど、何かお前動きおかしくねえ?」
「不都合ある動きはしていないはずだが」
「そういう意味でおかしい訳じゃなくてなんつーかこう物理法則的に」
「不思議なことを言う」
 ツァイトは心の底から本心で不思議がったつもりだったのだが、サージェンは一種の冗談だと思ったようで軽く受け流された。尤も、ここで長々と引っ張ってもこの超常現象の原理は簡単には解決できるような気がしなかったのでツァイトもそれ以上言及するつもりもなかった。それよりもまずは当座の問題を解決しようと、駆け寄ってきたライラと三人で、足元に倒れるロレンスと名乗った庭師の男を見下ろした。
「どーする、これ」
「どうするって言っても。……このまま放っておくわけにも行かないんじゃない、まだ寒い季節だし」
 冬の最も寒い時期は過ぎたが、六十近いくらいの年齢の中年を気絶させたまま放置しておくにはまだ厳しい気候だ。とはいえ恐らく第一王妃直属の使用人であろう人間をどこに移送すればいいのか。騎士団の医務室くらいしか手当てが出来そうな心当たりは思いつかないが、それでいいものか少し悩む。
 ……が、その心配はする必要のないものであるようだった。
「ほう、ロレンスを倒したか」
 突如、森のいずこかから、朗々とした調子で感嘆の声が上がった。
 先の、庭師の男の潜む気配には気づいて見せたツァイトが今度は気づくことが出来ず、はっとして左右を見回した。が、木立の中に人影は見て取れなかった。しかしあちらからは戸惑うツァイトの様子が見て取れるようで、張りのある女の声が得意げな調子で続けて言う。
「だがそやつは我ら七人衆の中では一番の小物。持病の腰痛の為に王妃様の神聖なる森の手入れが追いつかなくなるような失態を晒す程度の男だ。そやつを倒したくらいでいい気になるなよ」
「誰か労わってやれよ、一人で手入れするにゃちょっと広いだろここ」
「いや私らも早めに弟子取ればって言ってるんだけど、ロレンスのおやっさんったらまだまだ現役だとか言い張っちゃってさー」
 唐突に砕けた声にいるよなあそういう頑固爺と共感を覚えつつ、ツァイトも負けじと声を張り上げた。今度は忘れないうちに、さっさと用件を伝えておくことにする。
「我らは第二王妃ルシーダ殿下の名代である。こちらにディルト殿下が来られている筈だ。無作法な訪問は謝罪するが、どうかお通し願おう。よもや第一王妃ともあろうお方が、子を母が迎えに来ることを拒むとは仰るまいな」
「…………」
 声の主は、息を飲むでもなくただ細い針のような鋭い沈黙を以ってツァイトの口上に答えた。


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