レムルス王国聖騎士団の事件簿〜いんたーみっしょん・3 |
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いんたーみっしょん・3 ヴァレンディ王城の一角、王族の居住区画にある広間の一つに、低く落ち着いた弦楽の音が緩やかに流れている。普段ならば王家の者以外が立ち入ることのないそのごく私的な広間では今、宴が開かれていた。宴といっても、そこに集うのは主催者と、楽師と給仕を除けば僅か十人ほどの客人のみ。王宮で執り行われる宴にしてはあまりにもささやかな規模ではあったが、しかし招かれているのは、聖誕祭に臨席した数多の貴賓の中でも特段の要人――五大国と称される、大陸最大規模の五国の王族のみであった。 「今回の大祭は素晴らしいもので御座いましたな」 慎ましやかな宴があまりお気に召さない様子であった派手好きのフレドリック王を酒と肴でもてなしてどうにか機嫌を取り、ふぅとこっそり息をついていた主催者の少年は、丁度そんな折に声をかけられて、慌てて背筋を伸ばした。一瞬たりとも気が抜けたものではない――ただでさえ年若く、侮られやすい立場にあることを自覚する彼、聖王国ヴァレンディア王太子ウィルザードは、公式な場において極力隙を見せぬことが国王の名代としての自分に課せられた最も根幹にある義務と考えている。聖王国の王太子は、瞬間的に表情と意識を取り繕って声の主に向き直った。 「これはレムルス王。お褒めの言葉、恐悦至極に御座います。前々回のレムルスでの祭礼が大変素晴らしいものだったと聞き、大いに参考にさせて頂きました」 彼に声をかけてきたのは東の大国、レムルスの王だった。ヴァレンディア王国とは長らく良好な間柄にあり、幼い頃から親睦がある温和な王の顔に少年は安堵を覚えつつ、しかし社交的な――自らが思うに、妙に凝り固まった笑顔は崩さずに応対する。レムルス王は、その年不相応に大人びている王太子が年相応の子供らしい一面も持つことを知る、さほど多くはない人間のうちの一人であったのだが、王太子の健気とも表現できる努力に付き合うように言葉を続けた。 「思えばもう十年もの昔となりますが、我が国で祭典が催されたあの折の苦労は今でも覚えておりますぞ。我が国は東国連合での騎士団合同演習を恒例としていますゆえ、各国と連携して催しを執り行うことには手馴れているつもりでしたが、いやはやそれとは訳が違いました。ですから、此度の王太子殿下がどれ程お働きになったかというのもようく存じております。……こんなにも立派な王子がおられて、アルフォンス殿も鼻が高いですな」 「恐縮です」 レムルス王の賛辞に頭を下げ、ウィルザードは目の前の王から視線を外したまま、先日リュートから報告を受けた件について思考を巡らせた。あの日、白昼堂々侵入してきた賊は、リュートの判断によるとレムルスの手の者である可能性もあるとのことであったが、ウィルザードにはどうしてもこの温厚な王を疑う要素を見出せなかった。レムルスとは何代も前の王の時代より友好関係にあり、現状互いに不利益を齎しえない間柄にある。地理的にも、陸路でも隣接しておらず、海路を使っても相当な距離がある上教会直轄領の海域を通らねばならない位置関係にある為、万が一何かあっても直接侵攻することは不可能に近く、聖王国の王族に害を成してもレムルスが何かしらの利益を得ることになる条件が見当たらないのだ。尤もそういった諸々が分かっているからこそ、リュートも可能性、と曖昧な言い方をするに留まったのであるが。 そのような失礼にも当たる少年の思索を知って知らずか、レムルス王は変わらぬ笑顔で続ける。 「国民の目が輝いておりました。皆、幸せそうでした」 レムルス王の声を聞いて、ウィルザードは少し、肩の力を抜く。我がことのように喜ばしげに、穏やかに皺を寄せて目を細める王の瞳は、ウィルザードには信じても良いと直感的に思えた。 「ところで次の開催は、アウザールでしたな。そういえば、アウザール皇帝陛下のお姿が見えませぬが、どうかされたのですかな」 心持ち、声の調子を変えて――具体的には子供の内緒話のような口調に変えて尋ねてくるレムルス王に、ウィルザードは言葉を選びつつ答える。 「お忙しいようで、式典が終わられて早々にお帰りになられました。この機に隣国同士、親睦を深められればと考えていたのですが、残念です」 「なんと。あの若造は昔から人付き合いが悪くていけませんな。前々回もそうだった。宴の準備をしておったのにさっさと帰りよってのう」 若造と言っても現皇帝は四十を過ぎている。尤も、初老のレムルス王から見れば確かに若造と言える年齢かも知れないが。しかしなんにしろより歳若いウィルザードは、他国の王の悪口を堂々と言える立場も度胸もないことを自認していたので苦笑するより他にない。 「アウザールと言えば、例の皇子は来ておりませんでしたかな。自慢の息子の顔を一度拝見したかったのですが」 「ルドルフ皇子ですか。残念ながら、今回はお見えにならなかったようです」 庶子であり、母親であった平民の娘が亡くなってから引き取られたというかの皇子の名は、最近になってとみに人の口に上ることが多くなってきた。大きな声で言えることではないが、皇帝も最初は疎んじていたものの、その皇子があまりにも有能であった為、出来のあまりよくない嫡子を見限り近頃重用しているというもっぱらの噂である。列国の中でも特に身分階級を重んじる風潮のあるアウザールでは、庶民の出自である彼が実際に帝位を継ぐことは余程のことがない限り起こり得ない筈だが、逆にそのような立場でありながらもその手腕を買われるという皇子には、ウィルザードも少なからず興味を抱いていた。 だが、レムルス王の覚える興味はそういった部分に対してではないようであった。 「彼は中々の美丈夫だと聞きます。我が妃のルシーダは美しいものに目が無いので、見られなかったのを残念がっておるのですよ。ルシーダが悲しいと言うと私も悲しくて悲しくて……」 心底残念そうな表情で言うレムルス王を見つめつつ、ウィルザードは、 (よそのカッコいい男が見られなくて残念がる妻を見て夫としてその反応でいいんだ……? 大人ってよくわかんないや……) などと思うがやはり社交的な笑顔を浮かべたまま口には出さない。 「まあ何はともあれ、無事に済んでよう御座いましたな」 「あ、ええ」 しょぼんとした顔をしていたレムルス王が、唐突に温和な王の顔を取り戻して元の話題に戻る様にほんの少し面食らいつつ、ウィルザードは話を合わせて居住まいを正した。レムルス王は手近にいた給仕を呼び寄せて、涼やかな気泡の立つグラスを二つ手に取る。その片方をウィルザードに渡しつつ(え、それお酒、まあいいか小うるさいのも今いないしと少年にちょっとした躊躇を与えつつ)、レムルス王もまた聖王国の王太子を前に襟を正した。 「大祭が成功裏に終わりますと、王国も繁栄すると言われております。聖王国にも慣わし通り、女神のご加護が齎されんことを」 初老の王と次期国王の少年は向き合ってグラスを掲げる。穏やかな照明に暖かく輝く液体を見つめながら、二人は唱和した。 「我らが女神の大陸に、幸あれ」 |
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