レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ヴァレンディ特殊作戦(8)

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 作戦その(8)・決着?



(僕はどうするべきなんだろう、これは)
 強力な守護者の背に守られて目の前で繰り広げられる戦いを見つめたまま、ヴァレンディア王太子ウィルザードは動くに動けなかった。敵が魔術装備を発動するのが見て取れた。あれは恐らく防御用の装備であろうが、これで防がれながら別の魔術武器によって強力な攻撃を打ち込まれればいかな彼の師たるリュートといえども危険があるかもしれない。
 敵が魔術道具を発動したことである種の均衡状態となった現状を崩すべく、加勢したいのは山々ではあったのだが、しかし迂闊に自分よりも力量の勝る人間同士の戦いに横から手を出せば助けになるどころか足を引っ張ることになる公算が大きい。また逆に戦闘の邪魔にならぬようこの場から退避しようにも、敵の標的はリュートではなく自分なのだ。彼の手の届く場所から離れて新手に襲われてしまっては本末転倒である。ゆえに、ウィルザードにはその場で立ち尽くす以外に取る術がなかったのだった。

 場の均衡を打破したい、とこの時ヴァレンディアの王太子が考えていたことを当然ツァイトは知る由もなかったが、それはツァイトにとっても同じことであった。魔術士の青年が一歩後退して呼吸を僅かに変える――恐らくは魔術を使おうとする前触れであろうそんな挙動を過敏なまでに素早く察知して、魔術道具で防御した身体ごと突進してその呼吸を乱す。そんな力ずくのやりとりをもう何回繰り返しただろうか。相手が攻めあぐねて待ちの姿勢に入り、こちらも積極的に攻勢には出ず相手の隙を窺い続けている為、戦闘は完全な拮抗状態に陥っていた。これはツァイトにとってみれば当初よりはいくらか状況が改善したということではあるのだが、だからと言って均衡状態を延々と続けていても意味がないことである。早急に、次の段階に移らなくてはならない。
 その為にツァイトが狙っているのは、別のとある魔術道具を発動する機、ただその一瞬だった。
 その魔術道具の存在を気取られる訳には行かないので実際には視線も動かさず、意識だけをそれを仕込む袖の内側に傾ける。一定の角度で腕を振れば手元に落ちてくるように仕掛けてあるそれは、小ぶりな卵程の大きさの滑らかな石の形状をした物体だった。この道具の効能について王妃は、割れた鏡の欠片のような霧をあたり一面に噴霧し、敵の視界を撹乱するものです、と説明したが正直ツァイトにはそれがどんなものであるのかはいまいち具体的には想像できなかった。が、これはかの王妃が相手の目を盗んで王太子を攫うだけの隙を作るならばこの道具が最適だと太鼓判を押したものである。効果の程についてはツァイトも何ら疑いを持ってはいない。
 ただ問題なのは、この魔術士の青年もツァイトが何かを狙っていることに気付いているらしいことであった。ツァイトが青年の一挙一動に神経を研ぎ澄ましているのと同等に青年もまたツァイトの挙動に深く注意を払っている。どれだけ優秀な魔術道具でもこうも警戒されていては使うことすらままならない……
(いや、それを利用するか)
 じっと自分に注がれる青い瞳を黒い覆面の奥から見返して、ツァイトは意志を固めた。

 ツァイトは魔術の盾で左半身を護りながら、青年の方へと足を踏み出した。盾を持つならば武器に剣の一つも握っていた方がつりあいが取れるものだが何も持ってはいないので、空手の拳を硬く握り締める。そのバランスの悪さは目の前の青年も当然訝ってはいるようで、恐らくは何かの策だと――開いた右手にいずれ魔術の武器を出現させるのだと警戒しているらしいことは、視線の動きから把握できる。そこであえてツァイトは大袈裟に右手を横に振って見せた。自然、青年の注意がそちらに行くが――
(まだだ)
 実際に魔術道具を装備している左手を振ろうとして、思いとどまる。まだこれでは魔術道具を使うに十分な隙というには弱い。これを使える機会は一度だけ――予備はあるが、ネタを隠したまま使える機会はただの一度だけだ。この青年に、僅か一瞬でも動揺と呼べる程の揺さぶりを与え、その一度きりの機会を最大限に利用したい。
 ツァイトはすっと視線を動かして、高速で流れる視界の中に映った少年に向けるように右腕を振り、一声上げた。
「捕らえろッ!!」
 叫んだツァイトの声に対する、青年の反応は想像以上に甚大だった。彼は一瞬の間も躊躇いも置かずに視線をツァイトから完全に離し、背後を振り返っていた。ツァイトの声が、彼の主を狙う新手への合図だと、魔術士の青年は即座に判断したのだ。
 だが、そこにいたのは目を丸くするばかりのヴァレンディアの王子ただ一人。
 たばかられたことに気付く青年が、再びツァイトに向き直るその前に、魔術道具を使う――
(けどその前に一発ぶっ叩かんと気が済まねーっ!)
 青年が再びツァイトの方を見たとき、ツァイトは青年の髪を両脇から両手で鷲掴みにしていた。その頭の真ん中へ、
「うおりゃあッ!!」
 掛け声も盛大に、自分の額を打ち付ける。
「っつ……!」
 今度の痛がりようには嘘はないようだった。眉間に皺を寄せ、秀麗な顔を盛大に歪ませる青年にしてやったりと思うのと同時に、ツァイトは左の腕を振る。狙い違わず手のひらに落ちてきた卵大の石をそのまま床に叩き付けると、音もなく、様々な色彩が乱雑に混ざり合った霧が広がった。
「!?」
 青年の息を呑む気配もすぐさま常ならぬ光景に覆い隠される。
 なるほどこれは割れた鏡という表現が適切だとツァイトは感心した。周囲の景色が砕かれた硝子のような鋭角の破片に切り取られて、辺り一面に出鱈目に散りばめられている。まるで無秩序なカレイドスコープの中に放り込まれたかのようだ。その万華鏡の中を、ツァイトは直前の記憶を頼りに王太子の方へと走った。驚愕の分の反応の遅延を差し引けば、青年よりも僅かに早く王太子の下に辿り付ける筈。
 唐突に万華鏡の中に、あらゆる角度から映された少年の姿が浮かび上がった。ヴァレンディア王国王太子ウィルザード。どれが実像でどれが虚像であるかは見分けがつきにくいが、ただひとつだけ真っ直ぐにツァイトを見ているそれが実像であるということに賭けて手を伸ばすと、手のひらに子供の手首の柔らかい感触を得た。
(よし! あとは)
 こいつを連れて逃げるだけ――。身体を反転させようとしたツァイトに向けて、
「王子ッ!!」
 絶叫に近い声が迸り。
 見えない何本もの刃のような、鋭利で凶悪な何かが縦横無尽に周囲を切り刻んだ。

 ――部屋は、元の姿を取り戻していた。
 否……元通り、などではなかった。不可視の刃は幻影だけに留まらず、周囲にあったありとあらゆるものに破壊を撒いていたようだった。石の壁には幾筋もの太く鋭い切創が刻まれ、分厚いカーテンはすっぱりと分断され、壁沿いにある重厚な作りの家具なども深々とした傷を穿たれて、ちょっとした振動を与えたら今にも倒れてきてしまいそうな有様となっている。
「な、なんつー」
 顔に似合わず乱暴な。うっかり主人まで一緒に切り刻んだらどうすんだ。……ていうかよく無事だったな。
 当の主人も同様の感想を持ったのか、呆気に取られた表情で金髪の青年を見ている。
 こつ、という硬質な靴音が一歩近づいてくる。少年の腕を掴んだ状態でツァイトは、青い怜悧な瞳に計り知れない憤怒を孕むその青年を恐れを含んだ目で見上げた。人質を手元においている以上、状況は圧倒的にツァイト有利に傾いている筈だが、魔術士の青年の気配に圧倒され、身動きが取れない。
「王子を、返して頂きましょうか」
 告げられた言葉は酷く静かな口調ではあったが一も二もなく従ってしまいそうになる迫力が篭っていて、つい王太子を手放してしまいそうになった自分をツァイトは叱咤した。この人質を失って捕らえられたら最後、ツァイトの辿るべき運命は最早一つしか残らない。
 青年が更にまた一歩、近づいた、その時。
 唐突にドアがばたんと開いた。
 ツァイトと青年双方が予期していなかったその現象に、二人ともがぎょっとしてそちらを振り向く。そこから顔を現したのは、十歳くらいの小さな女の子だった。身に纏う上質なドレスからしてどこぞの貴族の子供だろうか。新たなる敵――とは、流石に思えない。
 その少女は青年にとっては見知った顔だったのか、警戒するのではなく、危険なこの場に立ち入らせないようにという雰囲気で口を開きかけた彼の表情が、突如強張った。
 子供の力とはいえ勢いよく開けられた扉は振動を生み、ぐらり、とドアのすぐ傍の壊れかけの戸棚を揺らしたのだった。そして数百キロはありそうな家具はそのままごく自然の成り行きとばかりに少女の方へ傾いでゆく――
「……っ!」
 少女の危機を察して、しかし青年は凍りついたように動かない――動けない。敵前にある主と少女を瞬間的に天秤にかけ、咄嗟に少女を選択することができなかったのだ。
「エルフィーナっ!!」
「……くそったれが!」
 ツァイトは、少女の名だろうか、一声叫んで動き出そうとした少年の身体を奥に突き飛ばして身体を反転させた。床に転げる少年の驚愕の視線を身に受けながら、倒れ行く巨大な棚と少女の間に身を滑り込ませる。
 ……ずずんっ……
 低く重い音が響き、埃が舞い上がった。
「エルフィーナっ……!」
 立ち上がり、再度同じ名を叫んで駆け寄ってきた王太子も視界を奪われて足を止める。少年と、主の傍らへ戻った従者の前で静かに埃は晴れてゆき――
 二人の視線の先に、魔術の盾をつっかえ棒にして棚を支えるツァイトと、その足元にしりもちをつく少女が現れた。
「……危ねー……」
 ぺたりと座り込んだまま目をぱちくりとする少女に傷一つないことを確認して、ツァイトは安堵の吐息を漏らした。――安堵している場合でもないが。
「……何故」
 ぽつりと呟く青年の声に、ツァイトはゆっくりと視線を向ける。並んでツァイトを見る青年の青い瞳と少年の濃茶色の瞳は驚愕と不可解さに満ちていた。まあ、標的を奪取する千載一遇の機会を放り投げて第三者の子供を助けに入った賊へ向ける視線としては、まず妥当なものだろう。――そんなことよりも、ツァイトにとっては棚を支えて身動きが取れない自分の身を案じる方が重要だった。とりあえず、しっしと手を振って女の子を棚の下から逃がしてから、手持ちの道具を頭の中に並べて作戦を検討する。
(残りは魔術の煙幕と、防御盾がもう一つ、高所からの落下速度を緩和するアイテム、ジャンプ力を上げるアイテム、見えないロープ、床に粘着力をつけたりつるつるにしたりするアホな逃走アイテム……あーくそ何の役にもたたねー。こんなことなら余計なことを考えないで標的を爆砕するとかいう攻撃の道具の一個でも持ってくるべきだったか)
 このまま捕らえられてしまえば厳罰は免れない。貴族の子供を一人助けたくらいでは聖王国の王太子への度重なる無礼が帳消しにされることはないだろう。具体的な策が立てられぬまま、いまだ困惑した視線で見つめてくる魔術士の青年と王太子を睨み返していると。
 何の前触れもなく、床が弾けた。
 ぱぱぱぱぱぱぱん!という、小気味よくもある小さな爆発音の連続に、魔術士の青年は何よりも護るべき主の保護を優先した。傍にいた少女も今度は共に、己の身を盾にする形で抱え込む。
 強烈な光が明滅しその場の全員の視界を眩ませる。
 ……やがて音と光が止み、青年らが顔を上げたその時には、既に目の前には誰の姿もなかった。

「な……ん?」
 事態を把握しきれず呆然と呟く王太子の前で、床に膝をつき周辺を調べた青年が徐に言葉を発した。
「魔術道具ですね、これもまた。空間転移……は流石に無理でしょうから、高速移送だと思いますが、空間に作用する何らかの魔術の痕跡が見えます。……何とも大盤振る舞いなことで」
 呆れにも近くなったその語尾を耳にして、少年もまた改めて室内を見回した。少年もまた魔術士であるので、周囲に残る魔術の残滓を、青年ほど仔細に分析することは出来ずとも肌で感じることは出来る。大盤振る舞いとの言葉の通り、賊が使って行ったのは実に高度で多彩な魔術の数々だった。つまりそれにかかる費用は莫大なもので――仕事に失敗した賊の逃走の為などに使っていたら、どんな組織でも屋台骨がぐらついてこようと思うのだが……
 考え込んでいるうちに、背中にぽすんと体当たりをされたような感触を受けて振り返ると、小さな少女――エルフィーナが、少年にしがみついてにっこりとしていた。
「ねえねえ、殿下も一緒に遊ぼう!」
 わけもわからないままあんな目に出くわしていながら、もうとっくに普段通りの調子を取り戻している少女に少年は、しばし目を丸くしてから、ふっと吹き出した。その反応を、小鳥のようにきょとんと小首を傾げて見上げていた少女は、数秒で割り切ったのか、ぐいぐいと少年を急かす様に引っ張る。
「あのね、このおばちゃまに遊んでもらってたのー」
 そう言って少女が小さな手のひらで指し示した先に、いつの間にか思いがけない人物が佇んでいたことは、王太子とその臣下を僅かに驚愕させた。
「おば……エ、エルフィーナ、この方はレムルス王国の」
「ふふ、構いませんのよ。わたくしにはエルフィーナ姫よりも年上の息子がおりますもの、おばちゃまという呼称はとても親しみやすく感じますわ」
 そこにいたのは、レムルス王国のルシーダ妃であった。――傍らの従者がほんの微かに表情に警戒を表すが、王妃は全く気付かない様子で優雅に会釈した。その臣下の反応を王太子は少々訝しく思ったが、思考は少女の元気な声に遮られた。
「あのねっ、あのねっ、おばちゃまと一緒に、字の練習をしてたの。見て見て」
 幼い少女は、勢いのある筆致で大きく彼女自身の名前が書かれた紙を、胸を張って広げた。
「うん、上手に書けたね」
「ねえねえ、殿下も書いてっ」
 ぐいっと差し出された木炭と紙を反射的に受け取って、別にそれを拒否する理由もないので王太子も自分の名前をさらさらと書き記してみせると少女はいたく喜んだ。自分がして楽しかった経験を共有できたという気持ちなのだろう。
「殿下、おばちゃま、お外に行こうよっ」
 矢継ぎ早に遊びの誘いをかけてくる少女の声に王太子は、「あー、」と躊躇いの声を上げた。当座の問題について話し合っておかなければ拙いのではないだろうかと臣下の青年を振り返ったが、考え事をしている様子だった青年が視線に気付いて軽く頷くのを見て、少女に振り返った。 
「うん、じゃあ中庭に降りようか。中庭の薔薇園はルシーダ様もきっとお気に召すかと思います」
「まあ、薔薇! 薔薇の花はわたくし大好きですわ」
 うっかりすると少女がはしゃいで放り出しそうになる木炭や紙の手荷物を、母親がそうするように優しく受け取りながら、ルシーダ妃がにこやかに応じる。三人は母子のように連れ立って広い廊下を歩き出した。
「さっきの賊の動きは……恐らくはレムルスの……いや、しかしレムルスが我が国に仕掛ける理由など……どう考えてもあるはずが……」
 一人、いつまでもいつまでも不思議そうに――きっと永遠に解明しないであろう謎に首を傾げる背の高い青年を残して。


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