レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ヴァレンディ特殊作戦(7)

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 作戦その(7)・再戦



 「あら。本当にいらっしゃった」
 箱の中にいるうちに撃たれるよりは、と、蓋をせいぜい派手にとぶち破って飛び出したツァイトは、呆れたように投げかけられた青年の第一声を耳にして、そのまま頭から地面に墜落しそうになった。
 カマかけかよ!? 滅茶苦茶ダセェじゃねえか俺!!
 絶叫したい心境に駆られるが、ツァイトはそれを必死に自制した。恥の上塗りは何としてでも避けたい。
 青年と少年、二人の敵手から距離を取るように気持ち後ろ向きに跳んで、柔らかい絨毯の上に(頭から墜落することなく)着地したツァイトは今迄十分に目視出来なかった室内の様子をざっと確認した。室内にいるのはやはり二人のみ。青年は部屋の窓も扉もない壁の隅を背にし、背後に王太子を庇っている。これならばもし襲撃者に仲間がいたとしても簡単には護衛対象に危害を加えさせることはないだろう。カマかけなどという真似をしてきた割には油断も隙もない。
 対してツァイトの背後には城内の廊下に続く扉がある。これは最悪の場合の逃走ルートにはなるが、城の内部に逃げ込むというのは――しかも警戒も著しい王族の居住空間に逃げ込むというのはそれは果たして逃げたうちに入るのだろうか甚だ疑問である。
 と、ツァイトが一通りの観察を終えるのを待ったようなタイミングで、青年がすいと一歩歩を進めた。
「白昼堂々おいでになるとはびっくりしました。……敢えて他の護衛を遠ざける時間を設けてみたのですけれども、本当に来られるとは。いやはや豪胆ですねえ」
「えーっ!?」
 もしかしてこれって罠って奴ですかー!
 悲鳴が喉から出掛かった……が、最初の「えーっ」を叫んだのはツァイトではなく王太子の方である。少年は傍らの長身を見上げ、抗議の声を高らかに上げていた。
「わざわざ暗殺者をおびき寄せてどうするのさ!」
「いつ来るかも分からないものを延々待つのなんて疲れるじゃないですか。来るのならさっさと来て頂いた方が楽というものです」
 さも当然な顔で青年は言い返すのを見てツァイトは自分と自分の主人の命を餌にして敵を招き入れるアンタほど豪胆じゃねーよ、等と思うがやはり残念ながら突っ込めない。その代わりに足を軽く前後に開いて握った拳を胸の前に構えた。敵を目前にして明確な戦闘態勢を取っていなかった青年も、遅れて緩やかにこちらに半身を向ける。
「王子はそこにいてください」
 青年が幼い主人にそう告げ終わったのと同時に、ツァイトは一歩を強く踏み出した。
 魔術士との戦闘の極意はただひとつ――先手必勝である。
 魔術士が生み出す攻撃の威力は、強力なものであれば攻城戦級の兵器にすら匹敵する。受け手もまた魔術士であればそれを防御する技も持ち合わせてはいるが、そうでないただの人間が生身でその威力を防ぐことなど到底不可能、重装鎧の装甲でさえその前では紙同然である。魔術士の攻撃能力とはそれほどまでに凄まじい。
 ただ、そんな超人とも言える魔術士の唯一にして最大の弱点は、その威力を捻出するのに多大な時間を要するということである。敵城に石弾を放つ投石機も、仕掛けに石を込め、大掛かりな仕組みを作動させて力を加えて一発投擲するのに相当な時間を要するが、魔術にもそれに似た一撃ごとに重大な隙となる準備動作が必要となるのである。魔術の威力を下げれば相応に隙も少なくなりはするが、それでも魔術の発動には呪文を唱えるという最も時間がかかるプロセスが外せないため、ある程度以上の間合いにまで接近してしまいさえすれば直接的な打撃攻撃の方が有利に働く。
 ゆえに、魔術士を封じるには――
(圧倒的な力の前に身を晒す恐怖に竦むことなく……ただ迅速に攻めるのみ)
 躊躇わずに――否、正直な所を言えば内心の葛藤は多大にあれどもそれを押し殺し――ツァイトは青年に踊りかかった。一歩を踏み出した以上立ち止まることは許されない。魔術士に対しては、攻撃こそが最大の防御。その基本に忠実に則ったツァイトの突進を確認して青年もまた構えを取る。魔術の構えではなく、素手での格闘術らしき構えだった。ヴァレンディアの王子が格闘術で応戦してきたことから考えれば、この青年がまた同じ方法で応戦してくることは想像通りである。
「ッ!」
 声にはせず、鋭い呼気だけを吐き出して、ツァイトは目の前の整った横面に向けて拳を繰り出した、が、青年は余裕の体でかわして見せる。ツァイトの、というかレムルス騎士団の格闘術は拳や足での打撃に特化したものだが、リュートというこの青年の、指を半ば開いた形での構えからは敵を掴んで捕らえる、または投げる技を使った体術を用いると見受けられた。ヴァレンディア式の格闘術がそういうものであるのか、この青年が独自に身に着けた技であるかは知らないが、掴み技に関しては相手の方が一日の長があるのは間違いはないだろう。掴まれたら負けだ。
 しかし青年は様子見のつもりか、反撃には移ってこなかった。ツァイトが続けざまに放った数度の打撃も最初と全く同じように青年に掠ることすらなく空を切り裂いた。
(だったら……こうだ!)
 ツァイトは一つ息を吸うと、全身の筋肉を撓め、それをばねのように弾かせて右腕で渾身の一打を繰り出した。全身全霊を込めて撃ち出したその拳は、強力な破壊力を秘めてはいたものの見た目にも隙だらけの大振りであった。青年の目はそれを見逃しはしなかった。身体を捌く方向を、これまでのように横にではなく、半歩前に移動する形にして攻撃に転じる――
 ――つもりであっただろう青年の脇腹に、ツァイトは右の拳を引き戻しざまに左の殴打を見舞う。
 が……っ!
 しかし、深々と急所をえぐる予定だった拳は、重心を落とした青年の上腕に阻まれて静止していた。
(……くそ、読みきられたか)
 即座に後方に跳び距離を取るツァイトに、青年はやはり追撃をかけてこなかった。
「ふむ、なるほど。確かにこれはまだ王子の手には余りますかね。対魔術士の戦闘方法をよく心得ている」
 痛みを覚えたということをわざわざアピールするかのように、片目を閉じて腕をさすりつつ呟くその口ぶりは、しかしありありと余裕を持ったものだった。口の端の笑みさえ消していない。女性のような細身なれども必要な筋肉はきちんと備えているということか、さしたるダメージを負った様子もない腕を、それでも一応は確かめるように肩からぐるりと回し、案の定異常がないことを確認してからツァイトに向き直った。
「うちの王子が単に油断したというわけではなかったようで安心しました。ご存知かもしれませんが、殿下の師匠は私です。先にお教えしておきますけど、私、少しばかり強いですよ」
 青年の、宝石のような綺麗な青い色をした瞳をすう、と細められる。それは紛れもなく笑顔だったが――
 今までの、激烈な聖騎士としての任務の中で培われてきた直感が告げる。少しばかりなどと言っているがあれは真っ赤な嘘。そんな生易しいものではない。こいつは多分、サージェンあたりを連れてこない限りどうにもならない手合いだ。
 とんっ、――と、青年の足が発した踏み出しの音は実に軽やかだった。軽やか過ぎて、幻のようですらあった。
 瞬く間に至近まで接近していた青年の気配と同様に。
(早っ……!)
 決して虚を突かれたというわけではなかったはずなのに、反応が明らかに青年に遅れている自分に舌打ちしたい気分で、ツァイトは薙ぐように繰り出されてくる青年の腕を見た。拳を握るのではなく四指を揃えた手刀による打撃攻撃は、ただでさえ手足の長いこの青年のリーチをより一層伸ばしてツァイトに襲い掛かる。
 それを咄嗟に腕で払おうとして、すんでの所で思いとどまった。掴まれたら拙い。
 ツァイトは腰を落として青年の足の腱を目掛けて足払いをかけた。――が、鋭いツァイトの蹴りは空しく空を切る。こちらに攻撃を繰り出していた――地を踏みしめていたはずの足は、いつの間にか高々と宙に浮いていた。そしてそのまま、青年の爪先がツァイトの側頭部に突き刺さる――
 ごっ!
 景気の良い音が鳴り響き、ツァイトの身体は鞠のように跳ね飛ばされた。
「……っ……」
 食いしばった歯の間から息が漏れる。軸足を地につけない体勢での蹴りであった上、寸前で攻撃を受け流す形で跳んでいたので吹っ飛ばされた派手さの割にダメージと言うほどのダメージはない、が――
(駄目だわこれ。なんかもー想像以上に勝ち目が見えん)
 内心では早くも敗北宣言を上げているツァイトであった。――弱音、ではなく冷静に判断した厳然たる事実として、この青年の力量は、魔術を抜きにしてさえツァイトよりも数段上であることは疑うべくもなかった。確固たる実力差というものは、その場での努力やちょっとした根性か何かで埋まるようなものではない。埋められる可能性があるとすれば……
(……しゃーねえか)
 意を決して、ツァイトは手首の辺りをまさぐった。離れた位置に立つ青年がツァイトの挙動を敏感に察して視線を鋭くするが、それを阻止する追撃は間に合わない。ツァイトは手首の内側に装着していた小型の魔術道具に指を直に触れさせ、これを起動させる短い句を一声、唱えた。
「理知の山より切り出されし見えざる岩壁の盾よ、現れよ」
 王妃から口伝えで教わった古代神聖言語によるその言葉の意味を、口にしたツァイト自身は理解してはいなかったが、相対する魔術士の青年にはそれが何を示すのかも含めて分からない道理はなかった。小さく呟く。
「魔術武器ですか」
(正確には防具だがね)
 王妃からは魔術を込められた強力な武器や防具を多数与えられたが、ツァイトが実際に装備してきたのは、攻撃能力のない防御・回避・逃走用の道具のみだった。魔術武器は魔術士が使う魔術のように自在に手加減が出来たりする器用さがない為いざ使えば必要以上のダメージを相手に与えかねないし、何よりもしツァイトが万が一捕らえられた場合、有効な武器を持っていない方がまだ言い訳が効く可能性があるからである。現在ツァイトの持つ殺傷力のある物品は唯一、聖騎士が全員常時携帯している自決用の毒薬くらいであるというのは笑えない洒落だったが。
 ツァイトが今呪文を唱えて発動したのも攻撃力皆無の魔術の盾だったが、その能力は折り紙つきで、実験では魔術士三名の攻撃魔術斉射にも十分耐え切る性能があったという。その尋常ならざる強度に加え、身体全体をすっぽり覆い隠せる大盾でありながら重量は魔力発生源の腕輪分のみという携行性も、普通の装備とは段違いである。出来ることならば是非とも騎士団の装備全てを魔術道具で揃えて欲しいものだが、残念ながらそれは無理な相談であった。魔術の武器や防具で身を固めたら、一人分の装備総額は王国主催の夜会に参加する貴婦人のそれを余裕で上回る。
 ともあれ、値段はさておき魔術道具とはそれほどまでに桁違いな性能を持つ為、いかなこの青年でもそれを出されては対応することは容易ではなくなる。故にこそ、
(こっちが魔術装備を発動させれば、こいつも魔術を使わざるを得なくなる)
 それが、この強力な装備の使用をツァイトに躊躇させた一因である。相手は、このツァイトの行動をいよいよ本格的な攻撃開始と見て取って、これまでのような余裕を捨て去り己の最大の武器――魔術で制しようとするだろう。
(だが、させねえ)
 ここからが本当の勝負所と言えた。これまで以上に、この青年に魔術を使わせる余地を与えてはいけない。強力な魔術の力同士をかち合わせる愚は避けたかったし――そもそも体術において既に差があるからその差を埋めるために魔術道具を持ち出したのだ。そこで相手に魔術を使わせては、結局その差は縮まらない。幸いにしてこちらのみが既に魔術を発動させた状態である。このまま相手の魔術を発動させる機会を奪い続け、アドバンテージを保つ。
 再び、ツァイトは床を蹴った。


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