レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ヴァレンディ特殊作戦(6)

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 作戦その(6)・再訪



 決心を固めるには二日を要した。――否、ことの重大さを考えれば、ほんの二日しか要しなかった、という方が適切だろうか。ともあれ、ツァイトが作戦の決行日にと定めたのは最初の襲撃から数えて三日後の白昼だった。
 レムルス王族のヴァレンディア滞在期間はまだあと十日ほど残されており、王妃はあの後は任務を与えたことすら忘れてしまったかのような振る舞いを続け、全く急かしてくることはなかったが、この任務を一生やりたくないという気持ちと、早く何もかも終わらせてなかったことにしてしまいたいという気持ちに揺れるツァイトは、一度だけ王妃が調べて寄越したヴァレンディア王太子とその従者の行動予定の都合から判断するに最初の狙い目となるその時間帯を決行の時と決めた。子供がこなすには過密過ぎるスケジュールの中における数少ない休息の時間で、それを邪魔するというのは実に忍びなかったが、この二人の傍から他の人間が離れる時間というのは本当に僅かで、休憩時間か睡眠時間くらいしかなかったのである。出来ることならば王太子が単独でいる時間を狙いたかったのだが、それには手洗い中を襲撃するより他はない状態だったので断念した。睡眠時間でさえ、用心深いことに従者の青年は、襲撃の翌日に自分の寝床をドアを開けた一続きの部屋に移してしまっている。
 この二人との戦闘は、どう足掻いても避けられそうになかった。

「覚悟は、出来たようですね」
 黙々と数日前も袖を通した黒装束の帯を締め、各所の武装を丹念にチェックするツァイトに王妃が声をかけてきた。ここヴァレンディアに来て以降、自分の部屋に戻るのは就寝時だけというくらいに王妃の部屋に入り浸っているツァイトである。しかしだからと言って着替えまでをも王妃の部屋で行うのはいかがなものかと思わなくもないが、非正規の武装を隠しておくにはツァイトたち聖騎士に与えられた部屋より不可侵の王妃の部屋の方が都合が良いのだから仕方がない。
 王妃は別段若い男の着替えに動揺することもなく、黒い衣で包まれたツァイトの背中に向けて、穏やかに言葉を続けていた。
「あなたの強靭な精神に、このルシーダ、いたく感動しましたわ。それでこそ我がレムルスの騎士の鑑。わたくしはあなたのような若い騎士に、今のあなたのような、いかなる強敵にも怯まない心を持って頂きたかったのですよ」
 その言葉に、ツァイトは武装を整える手を止めてゆっくりと顔を上げ、後ろを振り向いた。女神の如く神々しいかんばせに、全てを慈しみ、包み込むかのような微笑を湛える王妃の、純粋に澄んだ瞳をそれとは対照的な暗く澱んだ目で見据えて、重たい唇を開く。
「取ってつけた嘘ですよねそれ。しかもあなた様の性格から推察するにもっともらしいことをなんとなく今唐突に言ってみたくなっただけですよねそれ」
 一介の騎士から投げつけられた隠そうともされていない非難に、高貴なる王妃はその目を丸くし、驚愕におののいて口元に手をあてがった。
「えー。ツァイトさん鋭すぎますわ」
「うわ否定もしないし」
「止む無き理由で死地に送らなければならない騎士へ私ができるのはせいぜいが心からっぽい餞の言葉を差し上げることだけだと思って今一生懸命考えましたのに」
「止む無き理由!? 止む無き理由って言いましたねあなた今、百パーセント自分の意図で命令してくださったことを! 最後だからはっきりと言いますけどね、今凄く泣きそうですよ俺! 何で俺こんな職場にいるんだろうって本気で思ってますよ俺は!?」
「最後なんて言わないで下さい。悲しいですわ」
「死地とも自分で言った癖にそう来ますか!?」
「冗談に決まっているではないですか。あなたを殺させたりなど絶対にさせません」
 唐突に、堅牢な自信を込めた力のある眼差しでそう断言され――虚を突かれたツァイトは絶句せざるを得なかった。うっかりと、その言葉の力強さと真摯な瞳に毒気を抜かれてしまってから、まだ自分にこの王妃の外面に騙されかける部分が残っていたのかと舌打ちする。
「だったらお願いしますよ。本音を言えばやっぱりまだ死にたくはないんですからね、俺だって」
 その言葉に根拠があるのかどうか。ツァイトには全く分からなかったが、どうせ他に縋る物もなく、またこれ以上事態が悪くなる余地もない。顔を背けながらぼやく調子でそう言うと、やはり王妃はしっかりと頷いて見せた。
「悪い結末にはしません。約束します」
「出来れば結末だけでなく、過程も悪いようにしないで欲しいんですが」
「うふ。」
 うわあうふで済ませやがりましたよこのアマ。
 先程は抑制が効かずつい漏らしてしまった王妃への暴言を、今度は抑えることに成功し、への字に唇を曲げた顔を向けるだけにしておく。王妃はそんなツァイトを何故か非常に嬉しそうな笑顔で見つめるのだった。

 作戦は、ツァイト一人で行うことにした。ディルトはその時間丁度公務に空きが出来ている王妃と居室で留守番をさせることにする。王妃はディルトも連れて行って欲しいと言って渋ったが、こればかりはツァイトも譲れなかった。今回は、昼間という襲撃時刻も二回目という襲撃回数も相対する敵の実力も、あらゆる条件において初回より困難が想定されるのだ。王妃の頼みと言っても足手纏いを許容できる余裕はない。辛抱強く説得すると最終的には王妃も折れてツァイト単独での行動を許可した。
(まあ、俺一人ならどうにかなるという自信があるわけでもねーんだけどな)
 コトコトという微かな振動に身を任せながらツァイトはそう独りごちた。ツァイトは今、台車に乗せられて運ばれていた。正確に言えば、台車に乗せられて運ばれる荷物の山――各国の王からヴァレンディア王に献上された貢物のうちの一つの大きな箱の中にいた。この侵入方法を準備したのは例によって王妃だが、これではその品物を用意した国がどこであるか等を調べれば足がついてしまうのではないかとツァイトは危惧し、その旨王妃に尋ねのだが、
「大丈夫ですわ。レムルス以外の国からの貢物のように偽装しますもの」
 こういうことには抜かりのない王妃はきっぱりとそう断言した。
「基本的にどこの国の仕業か分からないように仕組みましたが、よくよく調べるとうまいこと、アウザール帝国さんにほんのちょっぴり疑いの目が行くように仕立てました。これで万事問題ありません」
 ……なにゆえ痕跡を消すだけで済まさないでそんな第三者への嫌がらせをごく自然に含ませるのかが謎ではあるが。他人に迷惑かけるのが呼吸代わりかなんかなのかあの王妃は。
 別に恨みがあるわけではない山一つ超えた隣国の、名前も思い出せない皇帝にツァイトは心中で謝罪し、膝を抱えて座ったまま振動に揺られていた。
 この荷物の山はこの後国王の前に持ち込まれる前に一旦開封され、検閲を受けることになっている。別に二重になった箱の底に裏金やら何やらが隠されているとかいうわけではないらしいのだが、あまり大っぴらに各国からの貢物を並べて公開するわけにも行かないとのことで、検閲はまずはごく限られた者の手で行われるらしい。即ち――国王の代理たるヴァレンディアの王太子と、その従者の手で。
 その時がツァイトの狙う機であった。
(休憩時間って言っても結局やるべき仕事はあるんだな。王族サマってのは大変なこって)
 気を紛らわせるようにそんな関係のないことを考えているうちに、台車は静止した。
「失礼致します」
 箱の外から僅かに緊張した声が折り目正しいノックの後に響いた。緊張した、と言ってもこの荷物の運び手はヴァレンディア人で、荷物の中にツァイトが潜んでいることなどは露ほども知らない。単に、王族に対面する下働きの人間の自然な緊張であろう。ツァイトの耳には聞こえなかったが、室内からの返答があったらしく、再度台車はコトコトと前進を始めた。
「献上のお品物をお持ち致しました」
「ご苦労様です」
 若いながらも落ち着いた、聞き覚えのある声。あの従者の青年の声が、運び手の男に簡潔ながらも温かみのある口調で労いの言葉をかけた。声は聞こえないがかの王子もその場所か奥の間にいるのだろう。
 外の位置関係を把握しようと、目立たぬように開けてある覗き穴から外を窺ってみると、狭い視界の中で運び手の男が退室しようとしているのが見えた。……くそ、こちらが扉なら王子たちがいるのは逆側か。不審に思われることを嫌って逆側にも穴を開けておかなかったことを悔やみながら、この後どう出たものかと思案する。
「ああ、届いたんだ、お土産」
 と、幼い声がやや遠くから聞こえてきた。――王子だ。意識を凝らして視界の外の音や空気の動きを窺うが……他の気配は恐らくは、ない。ツァイトはサージェンのように、視界の外で息を殺している敵手の気配すらも目で見ているかの如き精度で捉える特殊技能は持ち合わせていないので感覚の上で絶対無いとは断言しにくいが、あの王妃が「この時なら作戦実行可能」と推してきたタイミングである。この場にはこの二人しかいない。そう信じてよいだろう。
 一枚の薄っぺらい木板の向こうに二人の魔術士がいる。ツァイトはいつの間にか手のひらに汗が滲んでいたのを感じて、そっと服の腹で拭いた。襲撃の開始は、二人がこの箱から意識を逸らし、別の品を検分している最中か、逆にこの箱の蓋に手がかけられたその瞬間かのどちらかを、状況に応じて選択することに決めていた。この状況での正解は、果たしてどちらであろうか。……正解なんてないんじゃね? という涙が出るような回答は今は忘れることにして、もう殆ど猶予は残されていない時間の中で、最大限に考える。
 己の心臓の音すら聞こえそうな緊張は、ツァイトの心身を強張らせることなく逆に研ぎ澄ませて行く。今ならば――サージェンに匹敵する程に、視界外の気配を感じることすら出来そうな、そんな気さえしてくる。こちらに視線を向けて立つ二人。そのうちの片方、青年の方が、唇をそっと開く気配を覚える。
「さあ、出てきたらどうです? ここには私と王子しかおられませんよ」
 その唇から発せられた笑みすら含んだ涼やかな声は、ツァイトの背筋に鋭く尖った氷を流し込んだ。


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