レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ヴァレンディ特殊作戦(2)

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 作戦その(2)・開宴



 歓迎の宴は晩餐会形式ではなく、舞踏会形式で行われていた。ツァイトは戦場での騎士の正装たる鎧兜ではなく式典での正装である窮屈な詰襟の丈の長い上着を着て、与えられた立ち位置である王妃の斜めすぐ後ろに立っていた。この立ち位置は王妃専属の身辺警護騎士の中で最も王妃の至近の位置となる。レムルス騎士団の最小構成単位である班は定数三名であるが、それが示す通りレムルスではいかなる行動も三人一組で役目を分担し動くことが原則となっている。警備体制もその原則に則り、周辺警備の者とは別に、一人の護衛対象に対し特に至近の位置に三人が近辺警護に当たる。万一の襲撃の際は、一人は襲撃者の確保に当たり、もう一人は周辺状況の把握及び確保の補助、最後の一人が護衛対象の最も至近に立ち、身を盾にして護衛対象を保護する任を負うのだ。ちなみに屋外で不特定多数が出入りするような特に危険の高い場所では三人ではなく三チームで分担して同様の役割を担うことになるが役割分担の方針は変わらない。……という騎士団の護衛方法はさておき、そのようなわけでツァイトは臣下で唯一、王妃の囁き声をも耳にできるほどの至近にいることを許されていたのだが、これはどう考えても仕組まれた罠にしか思えなかった。
 その罠を仕掛けたルシーダ妃はというと、しかし今はいつものようにツァイトを弄ぶでなく、王妃としての責務を完璧にこなしていた。夫であるレムルス国王に付き従い、数え切れぬほどの王侯貴族たちと、数え切れぬほど挨拶を、神々しい微笑と眩いばかりの美辞麗句で装飾された社交辞令をもって交わしている。それだけでも王妃の役割としては十分であったが、ルシーダ妃の仕事ぶりは十分を遥かに超えるものだった。
 驚くべきことに王妃は、王が誰かしらと接触する寸前にその相手の姓名と役職、それに雑談に適する趣味などを逐一、相手に悟られぬようさりげなく王に伝えていたのだ。無論カンニングペーパーに類するものなどなしでである。初対面であっても相手方の略歴や趣味を予め知識として仕入れておいて対面の際には最適な会話を提供するという技能は、己の社交能力のアピールのために貴族たちは大いに重要視するが、しかしそれはせいぜいが同国の貴族同志が集まる宴くらいの範囲において適用される話である。他国であるヴァレンディアの一地方領主の詳細な情報などを一体どういったルートを通じて仕入れられるというのだろうか。しかも、趣味やら役職などの伝聞で伝えることが可能な情報ならまだどうにか入手することは可能であるかもしれないが、顔貌まで正確に把握しているらしき所は正直驚愕を通り越して恐怖を覚えていい。
 しかし相手にとっては他国のとはいえ一国の王に名を覚え置いてもらえているということは至上の光栄であるらしく、その異常性に気づかぬままにただ感激に打ち震え、感涙に咽ぶものまでいるというその現実をつぶさに見てツァイトは思うのだった。
(ちょっとでも気に食わんことがあったらあっさり護衛の交代時間とかを調べ上げてサクッと刺客でも送り込めたりしそうだな……)
 尤も五大国の王がいちいち他国の一貴族風情に刺客を送る、という事態もあまり考え付かないが。

 唐突に、周囲の雑多な気配に今までとは違う空気が混じったことに、ツァイトは気がついた。護衛としての意識が身を緊張させる。あからさまにはならないよう留意しつつも周囲に警戒の視線を送ると、こちらに背を向けていた王妃がそれを制するように手に持っていた羽飾りのついた扇を軽く振って見せた。
「ホストが来られたようですわ」
 そう言う王妃の視線に倣って上座の方を見やると、人々の頭越しに広間の最も奥にある扉が大きく開かれているのが見えた。
「おお、これはご挨拶に参らねば」
 王妃の声で国王もそれに気づき、その方向につま先を向けると周囲の人垣は大国の王に道を譲って左右に分かれた。
(へぇ、ヴァレンディア王か。そういや聖王国の王様ってどんな人なんだろうな)
 聖王国ヴァレンディアの名は大陸の隅々にまで響き渡り、レムルスの山間部の農民ですらも知るところであるが、その王についてはツァイトは全くと言っていいほど知らなかった。他国の王族の顔を見る機会などそうそうあるものではなく、ましてやこのヴァレンディアはレムルスとは大陸の対岸同士というほどの距離がある。国王同士は流石に面識があるのだろうが、ツァイト程度の身分ではそれだけの人物であっても、せいぜい噂程度を知っているという程度でもいい方であった。
 レムルス王の向かう先、扉の奥に注目する。入場を知らせる声もファンファーレも特になく、大陸最大の王国聖王国ヴァレンディアの国王その人は静かに登場した――
「え?」
 ツァイトは小さくではあるが思わず声を上げて、直後その己の失態に気づいて慌てて口を噤んだ。他国の王を見てそんな声を上げたことを聞きとがめられでもしたらまたえらいことになりかねない。――例え声を上げるだけの理由があろうとも。
 その場に現れたのは、ディルト王子と同じくらいの年頃の幼い少年だった。
(あれが、ヴァレンディア王……?)
「聖王国ヴァレンディア王太子、ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ殿下にあらせられますわ」
 ツァイトの内心の声に答えるようにルシーダが告げてくる。国王はその事実を知っているようだったので、これは本当にツァイトに対して向けられたもののようだった。
「王太子殿下、ですか」
 となるとディルトと同格である。ツァイトはなんとなくほっとして視線をその王子に戻した。王族が幼い年齢で王位を継ぐということは決して珍しいことではないのだが、かの聖王国の王があんな幼い子供であったとしたらやはりそれは十二分に驚愕に値する事実である。
 しかし何であんな幼い王子が公の場に……、とツァイトは続けて呟こうとしたが、そのときには既にヴァレンディアの王太子の一団もこちらに気づき、近づいてきつつあったのでその疑問は胸にしまうことにした。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました、勇猛なる深緑の鷹レムルスのディラック国王陛下、並びにルシーダ妃殿下、ディルト王太子殿下。国王は生憎と体調が優れませぬ故、今宵の宴は私、ウィルザードがお持て成しさせて頂きます」
 手を胸に当て深々と頭を下げて慇懃に辞儀をする聖王国の王太子に、レムルス国王はにこりと豊かな髭を揺らして、背の低い王太子と頭の高さを合わせる様に深く礼をした。
「これはこれは、女神の寵愛を受けし永久の王国を継がれる方、ウィルザード王太子殿下。そのように頭を下げられましては、私の冠も転げ落ちてしまいますぞ」
「そのようなことになれば御冠は絹布に包んでお返し申し上げますが、どうぞその前にお顔をお上げになって頂きとう存じます。私の背丈では王のお頭に冠をお届けするのは至難です」
 貴族同士がよく好む、ツァイトには酷くまどろっこしさを感じる遊びの入った言い回しでの挨拶を交わし、両王族は同時に頭を上げた。
「ディラック陛下におかれましてはお変わりなくご健勝のようで、何よりです」
「ウィルザード殿下はまた少々身長が伸びられましたな。この調子なら、私の背丈を追い越すのも近いことでしょう。気が早い話ですが、次にお会いする機会が今から楽しみですぞ」
 目尻に鳥の足のような温和な皺を引いてレムルス国王が言う。愛息子であるディルトと歳が近いため、どうしても親の愛情に似た親しみを覚えるのだろう。
「本日はアルフォンス陛下のご尊顔を拝見できず残念です。陛下には、マーヴェラの工房で作らせた磁器をいくつかお届け致しました。鮮やかな花柄の皿や壷です。中々良い色に焼きあがっておりましたので、御寝所を飾る切花代わりにでもご覧下さいとお伝え願います」
「お心遣い感謝致します。しかしながら実を申しますと国王は、明日以降の式典に憂いなく出席する為、大事を取って休んでいるに過ぎないのです。どうかご心配召されぬよう」
「こんな立派な王子がおられれば、陛下も安心して身体を休められると言うものでしょうな」
 レムルス王とウィルザード王太子が親しげな歓談を始めると、穏やかに微笑んでそれを見守っていたルシーダが、視線の向きは変えないままにツァイトに話しかけてきた。
「ウィルザード様は御年十歳で、ディルト様よりひとつ年下でいらっしゃいますのよ。けれどもしっかりなさっておいででしょう? ディルト様に負けず劣らずで御座いますわ」
 それは流石に親の贔屓目があると思う。先ほどまで、レムルス国王に連れられ、おっかなびっくりと言った調子で異国の貴族たちと挨拶を交わしていたディルトの姿を思い出してツァイトはそう思った。ディルトも年齢よりは遥かにしっかりとした子供ではあるが、今は状況に圧倒されてかどこかびくついた小動物のような、普通の子供らしいとも言える挙動を見せている。が、ヴァレンディアの王子はそういった子供然とした態度は欠片たりとも見せることなく、数人の侍従を後ろに従えて堂々とこの城の主として振る舞っている。あの歳ながら相当場慣れしているのは誰の目から見ても明らかだった。ディルト王子と比べるべくもない。
 ……等とは当たり前だがおくびにも出さないツァイトを知ってか知らずか、王妃は心から感じ入っている口調で言った。
「お父上であるヴァレンディア国王アルフォンス陛下が病床に臥されてもう随分と経ちますけれど、その間も殿下は、摂政を立てることなく御自ら国王代理としてのご公務をこなされておられますのよ。ご立派なことですわ」
「それは凄ぇ……」
 思わず素の、あまり騎士らしからぬ言葉で感嘆したツァイトだったが、王妃はそのくらいのことでは咎めもしなかった。
「しかし、何でまた。そりゃあの子……いや、殿下が第一位の王位継承者だからなんでしょうけど、それにしたって、他にも成人で王位継承権のある方はいらっしゃるでしょうに、どこからも文句は出なかったんですかね」
「次位以降の継承権所有者の方々は血縁の少し遠い方々ばかりで、かつ余り王位に執着がないとのことで、ウィルザード殿下がひとまず不都合無くご公務をこなされているのをよいことに国政にも参加されず地方の領地で半隠居されていらっしゃるそうですの」
「はぁ……また人様の国の内情をよくご存知で」
「情報収集はレディの嗜みでしてよ」
 ほほほ、と開いた扇で口元を隠しつつ笑う姿がなんかこう恐るべきというか何というかだが、今更ではある。続けてルシーダは視線をヴァレンディアの王子の後ろに向けて言った。
「それにウィルザード様は有能なご臣下をお持ちですので心配には及びませんわ。殿下の後ろに背が高くてお美しい殿方がいらっしゃるでしょう。あちらが教会魔術士にして宮廷魔術士であられるリュート・サードニクス殿。幼少時から殿下の教育係をなさっておられていて、今も非公式ではありますけれど殿下の補佐役のお立場でいらっしゃいますのよ」
 お美しい殿方という部分に微妙なウェイトがあったその解説に従い、ツァイトも王妃の視線の方向に目を向けて、示された男の顔を見た。王太子の取り巻きの中でもサージェン並の背丈であった為特に意識に残っていた金髪の男は、顔を見れば確かに女性的なかなりの美貌を備えた青年だった。ただ、体格はサージェンのように骨太ではなく、顔立ちと同じく非常に華奢で、いかにもか弱そうに見えた。幾分はひょろりと高い身長との比でそう見えるというのもあるのだろうが。
 しかしそれよりも気になったことがあったので問うておく。
「教育係、にしてはかなり若くないですか? 俺と大して変わんない……いや、俺より下くらいじゃないですか、あれ」
「確か十五歳でしたわね」
 王妃はさらりと言ったが、ツァイトは愕然とした。ライラと同い年かよ。正直その年代は若輩であるツァイトにとってもまだまだ子供に見える年頃である。あの青年(いや少年と言うべきか?)が何年前に教育係になったのかは分からないが、幼少の頃から、などという言い方から察するに一年二年という話でもないのだろう。いや、その幼少時という表現自体、殿下の方が幼少時、という意味でなくあの男が幼少時から教育係をしていたという意味で言ったのではないだろうか、言い回し的に。
「けれども、お年が若くても、その地位に相応しい力量を備えていらっしゃいますのよ。多数の論文を発表された優秀な魔術士であるばかりでなく、武芸にも秀でられ、ウィルザード様に武術の指南もされておられますの。本当に才能溢れる方で、出来ることでしたら是非ともレムルスに来て頂きたかった人材ですわ」
 ツァイトは今度こそ言葉もなく青年を見やった。先ほど一瞬胸中での呼称を少年にしようかとも思ったが、それはとんでもない事であるような気がして、青年と呼ぶ事を心に決める。武よりも学問や魔術を重んじるというヴァレンディアの場合がどうだかは知らないが、王族の武術指南役はレムルスであれば聖騎士団長の仕事である。どの道少なくとも生半な力量の者にその役を任せはしないだろう。
 じっとその見た目は若木のような青年を見つめるツァイトに、ルシーダはそっと微笑みかける。
「お二人のお顔、よーく覚えておいて下さいね、ツァイトさん。このヴァレンディアにおいて、とてもとても重要な方々ですから……」
 客観的な立場を持つ第三者がもし聞けば、周知の事実をごくごく当たり前に説明しているようにしか聞こえないはずの王妃の声は、しかしツァイトの耳には酷く意味深に響いて、
「……え?」
 とその真意を聞き返したが、王妃はただ黙って微笑んでいるのみだった。


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