レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ヴァレンディ特殊作戦(1)

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第3話 ヴァレンディ特殊作戦
 作戦その(1)・往訪



 宮廷画家が風景画に描き出すような何処までも澄み渡る空に、形も優美に浮かぶ砂糖菓子のような白い雲。そしてその青く透明な天井を力強く支える柱の如き重厚な煉瓦造りの建物が、真っ直ぐに伸びる大通りの遥か彼方にまで整然と連なって佇立している。そんな、普段であれば大都市でありながらも粛然たる空気を持つと想像させる古都の風情を纏う街並みは、しかし今は、千々に乱れ舞う幾千幾万の色鮮やかな紙吹雪と、それを撒き散らし小旗を振る人々の大歓声という分厚く派手な外套を羽織り、尋常ならざる熱気を帯びていた。
(すげー……)
 というのが、大観衆に見守られて大通りを行進する一団の中の一人である、レムルス王国聖騎士ツァイトの端的な感想であった。とにかくすげー。音量がすげー。人ごみがすげー。ひっくるめてとにかくすげー。
 視界の中には余りにも自己を主張する存在が多すぎて、どこを注視すればよいかツァイトは非常に迷ったが、ここであまりきょろきょろとするとこの晴天に老人の一喝という雷が落ちかねないことを彼は経験上知っていたので、とりあえず隊列の向かう先、大通りの終着点ににてこの街の中心に聳え立つ、尖塔を頂く白亜の建物を眺めていた。まるで静かな湖に一羽密やかに立つ白鷺の如き優美さと清廉さを備える城は、この熱狂的な空気の中にあっても唯一それに浮かされることなく凛として佇んでいる。
(あれが、かの有名な……)
 と考えかけた矢先、無意識に開いていたらしい口の中に紙吹雪の一片が飛び込んできて、あまつさえ喉の奥にまで吸い込んでしまってツァイトは噎せ返った。
 なにをやっとるか、と声には出さないまでも明らかにそんな言葉を宿した渋面を、隊列の同じ並びの二つ内側で馬を進めている聖騎士団長からちらりと向けられて、ツァイトは口元を覆いつつそそくさと紙を吐き出した。下品に吐き捨てたら雷が降ることは疑うべくもないので出来る限り見苦しくないように事態を処理したつもりだがこれで霹靂は回避できたであろうかと横目でその上官の顔色の変化を窺ったそのとき、老騎士団長の立つ位置よりも更にひとつ内側、彼ら騎馬隊が護る隊列の中央に位置する馬車の車窓から、外の様子を柔和な笑顔を浮かべて眺めていた華やかな装束の貴婦人が、それによく似た雰囲気を持つ端正な顔立ちの男児と共に、明らかにこちらの様子を見てくすりと笑うのが見えた。
(ああ、くそ……)
 ツァイトはその貴人達を守る騎士の姿勢は崩さないまま胸中のみで毒づいて、馬上で背筋を伸ばして進行方向に再び視線を送った。視界を遮るほどに盛大に撒かれた紙吹雪の向こうに聳えるつんと澄ました巨大な白鷺は、徐々にその大きさを増しつつあった。
 かの城の名は、ヴァレンディ城。ミナーヴァ大陸最大の王国である聖王国ヴァレンディアの栄華を象徴する、美しき宮殿である。

 五年に一度ごとに、五大国と呼ばれるこのミナーヴァ大陸有数の国力を誇る五国において持ち回りで開催される行事がある。それは、全能神ミナーヴァが人界を守護する数多の神々に、全ての生命の運命を告げるために天界より降り立ったことを感謝する祭で、その名も由来そのままに降臨祭という。ファビュラス教最大の祭事であり、何よりもその「各国で持ち回りで開催する」という慣わしから、その主催国は他国に決して引けを取らぬようその威信をかけて全力で準備に望み、毎度、宗教行事の範疇を超えた大変な盛況を見せる催しとなる(儀式そのものは厳粛に昔から変わらない様式で執り行われるらしいが、ツァイトはそれ自体は立ち会ったこともなかった)。
 レムルスで行われたのは二回前に当たる十年もの昔で、ツァイトは当時十にもならない子供だったが、あの時期の王都の様子は今でも鮮明に覚えている。普段は一国の首都でありながらどこか田舎くさいレムンが、まるで世界の中心になったかのような活気に包まれていた。大陸全土から、鏡のように磨き上げられた鎧を身に着けた騎士と、輝かんばかりの金糸や銀糸や宝石を縫いとめた衣装を纏う王侯貴族たちが集う様を、あの時は、今とは逆に通りに居並ぶ民衆の側から見ていた。レムルスで生まれ育った少年ならば誰もがそうであるようにツァイトもあの頃は騎士という存在に純朴な憧憬の念を抱いていたものだったが、思うにあの時の騎士たちの美しくも勇ましい身なりと一糸乱れず行進する様によって、その憧れが本格的な志望にまで高められてしまったのかもしれない。
(だとしたら、相当罪作りだよな。あのときの騎士たちも、今の俺たちも)
 理想と現実の格差を知ってしまった今となってはついついそんなことを思ってしまう。そんな自分に何だか物凄くがっかりして、思わず肩を落としてしまいそうになったが、これが人が大人になるということなのかもしれない、と訳の分からない理屈で自分を無理矢理奮い立たせてツァイトは職務に意識を戻した。
 レムルス王国聖騎士団の此度の任務は、降臨祭に賓客として招かれた主君らを警護することにあった。招待に応じてヴァレンディアへ渡ったのは、レムルス国王ディラック・ニーズ・フォン・レムルス、病弱の第一王妃に代わり第二王妃ルシーダ・セリス・レムルス、そしてその子である王太子ディルト・エル・レムルスの三名。この三名の随員として全聖騎士団員のうち約四割に当たる五十名の聖騎士と、五十名の側仕えの者が同行する大所帯だが、これでも、降臨祭へ参列する王族の随員としては少ない部類となる。無類の派手好きと噂に聞くヴァレンディアの隣国、フレドリック竜王国の王などは、国から出ることを禁じられている数十人の妃の代わりに千人規模の随員を伴ってやって来ているという。
 そのような列国の要人たちが一同に集まり、今日から約半月の間このヴァレンディアでは毎夜豪勢なパーティーが催されることとなるのだ。正直それを警備しろというのは普段から王妃の無茶な任務に耐えているツァイトですら胃が痛くなるような話であった。
 五大国はどこもその国力の高さから治安はよいもので、中でも周辺諸国との関係も良好で国政も安定しているヴァレンディアは随一であると言えるほどだが、それでもどこを見回しても最重要人物だらけのこの場は何らかの悪意を持つ者にとっては最高の標的になり得る。無論その分警備体制も厳重ではあるが、自らの命に未練のない襲撃者というのはいかなる手段を用いてくるか分かったものではない。もし万が一にでもそのような襲撃者の手によって、国王と王妃と王太子の身に一度に何かが起こったら、国内外の混乱はもとより責任を取るという形でツァイトら聖騎士団員の生命すら怪しくなりかねない重大事であるわけで、いくらもういっそ王妃などテロリストに襲われてコロッといってくれたら楽になれるのに等と思っていても実際にそうさせることは断固としてならないのだった。

 人々の歓声の波は大通りの突き当たり、城を囲う濠の際までびっしりと続いていた。遠目に城門が見えはじめた辺りから緩やかに下ろされ始めていることが確認できた濠にかかる大きな跳ね橋は、隊列の先頭が歩みの速度を変えることなく橋へと差し掛かるちょうどそのときに準備が完了した。予め、そのままの通行が許可されていたので隊列は停止することなく城内へ進んだ。
 城門をくぐって暫くは城下の喧騒も届いてきてはいたものの、枝振りも立派な樹木を両脇に従える石畳の馬車道を進んでいくと、次第に熱気交じりの空気は温度を下げて行き、やがて高原の朝のような清らかな静寂に支配権を明け渡した。林道を抜けると、打って変わって開けた視界の中には、広大な正円形の池が中央に鎮座する美しい庭園が広がっていた。林から続く馬車道は緩やかに池を巡り、丁度半周回った向こう側に位置する宮殿の前へと辿りついていた。これらの庭園も建物も一般庶民から見れば目を丸くせんばかりの雄大な代物ではあったが、レムルス王城もこんな風ではあるのでツァイトは外の熱気ほどには度肝を抜かれずには済んだ。
 宮殿の正面に到着した一行は、まずは騎士たちが全馬を停止させ整列し、同じような隊列を作り最敬礼の姿勢で出迎えていたヴァレンディアの騎士たちにレムルス王国軍式の礼を返した。続いて、側仕えの文官が中央に止められた最もしつらえの良い馬車――言うまでもなくレムルス国王らの乗る馬車にしずしずと近寄り、下に踏み台を置いてからその扉を開けた。
 まず始めに扉をくぐって降りてきたのはレムルス国王だった。非常に立派な白髪白髭を有する王は、頭には純金の王冠を戴き、純白の布地に金糸の細やかな刺繍が施されたゆったりとした礼服に、毛皮で縁取りされた重量感のあるマントを羽織った、どこからどう見ても王様であると主張せんばかりのいでたちであった。その王は地に降り立つと自ら馬車に手を差し出し、次に降りてくる人物を気遣った。
 王の手を取って降りてきたのは王妃ルシーダだった。こちらもまた、王妃然としているといえばまさにそのように言える、何段にもフリルをあしらい丸く大きく広がるように仕立てられた薄桃色のドレスを身に纏っていた。ただ、老齢の王と並んでみると王と王妃というよりはその姫君であるようにも見えないこともない。一人息子の年齢を考えれば姫君という歳でもないはずだが、王妃の実年齢は仕えているツァイトでさえも知らなかった。
 最後に、二人の愛息子である王子ディルトが、振り返る両親二人に手を差し伸べられて馬車から降りた。活発な少年は両親の手助けがなくとも降車に不自由はしなさそうではあったが、両親の愛情をその小さな両手に一心に受け取るかのように満面の笑顔で二人の手を取り、段を降りた。
 三名の王族が揃い、改めてヴァレンディアの騎士たちを振り返る。それを待っていたかのように、ヴァレンディア騎士団の一角を占めていた鼓笛隊が歓迎のラッパと吹き鳴らした。
「レムルス王国国王ディラック様、王妃ルシーダ様、王太子ディルト様、ご到着ー!」
 三角の旗をつけた長槍を持つヴァレンディアの儀仗兵たちは、足を高々と上げた美しい姿勢での行進で瞬く間に方形の陣から宮殿内へと続く真紅の絨毯に沿った縦列に整列しなおし、流れるような所作で、同じ鋳型から作られた像のように槍の穂先を同じ角度で見事に揃えて掲げる。それらの一糸乱れぬ所作はこの聖王国の騎士たちの錬度の高さを伺わせ、これを見てまた口やかましい聖騎士団長が何か言い出すのではないかとツァイトは恐々として横目で確認したが、流石に今の所は何も言い出すつもりはないらしかった。後では分からないが。
 聖王国の騎士たちの歓迎を受けて入った宮殿の内装は、意外にもレムルスの宮殿ほどには絢爛豪華というわけではなかった。レムルスの城の内装は、ありとあらゆる壁や柱に芸術家の意地か執念かを感じるほどの緻密精細な細工が施されているのだが、聖王国の城の壁や柱はごく簡素に直線的な装飾が刻まれている程度でいっそ地味とさえ表現出来た。色身のある飾り気はせいぜいが、アーチ状の天井に施されている天使たちが多数舞い遊ぶ天井画くらいで、これは確かに目を瞠るものであったがそれもまた、荘厳ではあるのだがくすんだような色合いで派手さとは縁遠く見える。とはいえ、芸術に関しては貴族として落第点というほどに疎いツァイトにはその価値はよくわからないが、しかしそれでもどちらがより高級であるとかいう類のものではなく、文化の違いであるのだろうとは思えた。
 まずはレムルス王族一家が用意された客間に案内され、その後騎士団はその部屋のすぐそばにある、待機所にと提供された小さめの広間に通された。正面の演壇の前に整列し、漸く聖騎士団長は隊員たちに休めの命令を出した。
「長旅に疲労しているであろう諸君らを勿体無くも陛下は気遣われ、早々に休息を与えるよう仰せつかっている。従って、話は端的に短く行う」
 という前置きで聖騎士団長は話し始たその「端的で短い」話はその後たっぷり三十分続いた。尤も、この老害……もとい老騎士の話としては確かに短い方ではあるのだが。やはり案の定、聖王国の騎士たちの錬度の高さにちくちくと触れ、騎士の国と名高いはずのレムルスの騎士たるものうんたらかんたらという精神論が続き……詳細はツァイトは真面目な顔でいつもの如く聞き流していたが概ねいつも通りのことしか言っていない。
「そのようにして、レムルス王国聖騎士団の名を! 決して! 欠片たりとも! 砂粒ほども! 汚さぬようにッ!! 職務に当たるように! 以上ッ!」
 やはりなにやら思うところがあるらしい激しさで話は締めくくられ、ツァイトは漸く人心地つく事が出来た。別にここからすぐ休憩時間になるわけではないが、騎馬で民衆の耳目を集めて行進するよりは普通に足で立って警備に当たっていた方が遥かに疲労は少なくて済む。
 自分の今日のスケジュールを確認しようと、直接の上長である小隊長の所に他数名の隊員たちと足を向けたその時、
「スターシア」
 用は済んだはずの聖騎士団長直々に姓を呼ばれ、ツァイトは首をすくめて振り返った。ここにきてまでお小言かよ、もうなんかやったか俺。いやいやながらに仰ぎ見た騎士団長の顔はいつも通りのしかめ面で、これから何を怒られるのかが全く見当がつかない。
 しかし聖騎士団長の口から出たのは意外にもお小言ではない単なる連絡事項で、しかし、いっそお小言であったほうが万倍有難かった言葉であった。
「王妃殿下がお前を今宵の身辺警護にと御所望である。夕刻より開かれる歓迎の宴の際には同席し、その栄誉に浴したことを光栄に思いながら殿下をお護りする任を全力で果たすように」
「……え。」
 その甚大な絶望を伴う一言にツァイトは絶句しつつも――
 心のどこかで、やっぱり今回もそういうパターンだよなーと諦めに似た境地に至っていた。


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