レムルス王国聖騎士団の事件簿〜いんたーみっしょん・2

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 いんたーみっしょん・2



 レムルス王国レムン宮殿――
 レムルス王国の政治及び文化の集約地にして、国王、王妃を初めとする各王族が居を構える宮廷の絢爛豪華な回廊を、今、一人の若い騎士は歩いていた。何代か前の王に仕えた高名な芸術家の手による壮麗な天井画が細やかな彫刻を施した上金を鍍金された壁や柱に支えられて形成される広間に近い面積を持つ回廊は、そこを通る者に感動を通り越して威圧感すら与えてくると割と評判だったりするのだが、もう一年もこの王宮に勤めてこの風景を日常の物とし、また何故かそう見られないことが多いが一応は貴族の出自であるためにこういった類の室内装飾にはある程度の免疫のある彼は、別段緊張する様子もなくぶらぶらと、むしろ街を練り歩くチンピラの様な怠けた足取りで歩を進めていた。
 昨日はこの王都レムンも嵐に見舞われたが今日はその反動のように外は晴れ、回廊の片側に大きく設えられている窓からは庭園の露に濡れた草木が陽に輝いている様子が見て取れる。季節柄花の数は少ないが常緑の樹木も多く植えられている庭園はこの時期でも十分に鑑賞に値する景観を誇っていた。――が、この騎士はそういった芸術鑑賞などにいささかの興味も持たない性質であったので、そちらに視線を向けることすらなかった。彼の頭を今支配しているのは、早くこの巡回警備の任務が終わらないものかというただ一点のみだった。彼が班長を務める班の班員二人がいない所為で、いつもならば班長権限で下っ端に押し付ける、昼食を後ろ倒しにする嫌な時間帯のシフトに彼が入らなければならず、彼は大層不満であった。腹は減ったし俺だけ休暇貰えなかったし踏んだり蹴ったりだ畜生。そんなことを口の中だけで呟きながら、広い廊下を進み行く。
 ――と、唐突に。
「まあ、丁度よいところに。捜しておりましたのよ、ツァイト・スターシア」
 何の前触れもなく降り注いできた天災の如く、後頭部を直撃してきた恐るべき悪魔の声に――
 彼――聖騎士ツァイト・スターシアは騎士の義務よりも己の生存本能が発する命令に従った。
 即ち。全速前進、速やかに退避せよ。
 彼はこれまでのチンピラ然とした歩みは幻であったのかと思うほど瞬時に背筋を正し、日頃の訓練によって鍛え上げた瞬発力で背後から迫り来る災厄から脱兎の如く逃げ出した。
 何も知らぬ人間が聞けばかの声は、春の陽光に似た眠くなるほどの暖かさに満ちた声音に聞こえただろう。けれどもそれは精巧なイミテーションにして芸術的な欺瞞。安穏さ漂う声と天使の如き外観は敵を油断させその隙を突いて突いて突きまくる巧妙な罠で、その実体は紛れもなく残虐かつ無慈悲かつ横暴かつ破滅的な魔性の生命体なのであった。逃げねばならない。遥か彼方にまで逃げねばならない。地平の向こうにまで逃げねばならない。生きて明日の朝日を拝む為には何もかもを捨て去ってでも逃げ切らなければならない。
 幸いにも敵なるかの魔性は姿形だけならば手弱女であり、その上動作に不自由しそうなきついコルセットに裾の長いドレスを身につけている(今回は確認していないが、恐らくいつもの通りそうであろう)。彼が全力を賭して走ればどうにか逃げ切れるのではないかと思われた。直線距離で百メートル近くある回廊を、腕も髪も振り乱して全力を以って駆け抜ける。己の限界すら超えた無茶苦茶な走り方をしている為、視野は頭を掴まれて上下に激しく揺さ振られているようなぶれ方をしていたが、その中の目指す一点――回廊の終着点である次の間の入り口が輝く天国への扉のようにツァイトの目には映っている。あそこまで行けば。あそこまで辿り着けば逃げ切れる。……実際の所後ろの声の持ち主に城内での移動の制限が課されているはずはないのだからどこへ逃げようと追ってくることは可能だったのだが、とりあえず一瞬の現実逃避に近い形でツァイトはそのように信じ込んでいた。
 揺れる視界の中にゴールが徐々に大きくなって行く。あと二十歩……あと十歩……
 そして残り歩数のカウントがあと五歩まで減じた所でツァイトは高らかに手すら上げて己の勝利を祝福した。勝った、俺は勝った、あの悪魔に勝利した!!
 感極まって涙すら出かけたその瞬間。
「のぐぉおおおおぉおッ!!?」
 平坦なはずの廊下で足を何かにひっかけて、彼は盛大に転倒した。
 ずざざざざァ!!
 走行のスピードと同じような勢いで、顔面と腹で大理石の床面を滑走する。冷たいはずの石の床は摩擦により痛みに燃え上がるような熱さを追加して彼を攻め立てきた。
「だめですわよ、ツァイトさん、廊下を走っては。危険でしょう?」
 ゴールまであと一歩を残し――と言っても前述の通り別にこの回廊を出たからといって何が違うということもないのだが――倒れたツァイトに、控えめな足音と共に子供を優しくたしなめる母親のような声が近づいてくる。ツァイトは見出しかけていた希望が駆け足で遠ざかっていくのを感じていた。
(ああ……俺の明日よさようなら……)
 観念して――むしろ絶望して、先程は切り捨てた騎士の義務を全うすべく、のろのろと起き上がろうとする……が、足元の自由が利かずそれが達成できないことに気がついて、ツァイトは怪訝な表情で自分の足首の辺りを見下ろした。
 そこには何やら丈夫そうな革紐がぐるぐると巻きついていた。よくよく観察してみるとその革紐の両端には重りらしき石が結わえてあった。これを背後から投擲して、ツァイトの足を絡め取ったのだろう。……確か、未開の地の蛮族が荒野で鳥でも落とすのにこういった道具を使っていたのではなかったかと彼はどうでもよさげな知識を頭の中に呼び起こしていた。
「わ……我が親愛なる王妃陛下におかれましては本日もご機嫌麗しゅう……」
 色々と突っ込みたいポイントは山と盛られていたがそんな気力ももはやなく、革紐を足から外してから膝をつき臣下の礼をとると、邪悪なる魔物――もとい、このレムルス王国の将来の国母たる第二王妃ルシーダ・セリス・レムルスは、首をちょこんと傾げる小鳥のような、いとも愛らしい姿で頷いて見せた。
「堅苦しい挨拶は宜しいですわよ。それよりも、折り入ってお願いが御座いましたの。よろしいかしら?」
「悲しいかな哀れな下僕には拒否権はありません」
「それはよいということですわよね? ……あのですね、お願いというのですはね、あなたの班員のサージェン・ランフォードとライラ・アクティなんですけれども、あの二人をしばらくの間わたくしに貸して頂きたいということなんですけれど」
 がばっ! と、ツァイトは顔を跳ね上げる。
「サージェン、と、ライラ……?」
「ええ。一ヶ月ほど。聖王国で行われる女神ミナーヴァの降臨祭に陛下とわたくし、そしてディルト様が出席する予定になっているのですけれども、その護衛団の中にどうしても彼女達を連れて行きたくて」
「俺じゃなくて……?」
 思わず呆けた様な声でそう問うと、王妃は心から済まなそうな顔をした。
「ええ……本当はあなたも連れて行ってあげたいのですけれど、軍規では処分期間中の者は国外任務につくことが出来ないという事になっていると騎士団長に聞きまして……。ほら、例の減給の件。減給は取り消しになっても処分期間の方は最初の決定から覆らないそうですの。本当にごめんなさいね、折角皆であの素敵なヴァレンディアに行ける機会だったというのに」
 そんな王妃の言葉に、ツァイトはただ感情のままに肩を震わせていた。
 俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない――!
 一旦は霞の如く消え去った生への希望が緩やかにけれども力強く蘇ってくる。ツァイトにとって同僚達が自分の代わりに受難するというのは実にささやかなことであった。悪魔、魔物と罵られようとも自分が死ヌより人が死ヌ方が何億倍もましだった。己を愛せずして人を愛することなど出来ようか。騎士道の重要な精神たる博愛を実践するためにはこれは実に止むを得ない考えなのであるそうに決まっている。
「謹んで献上致しましょう! 過剰包装なまでにリボンで包んで進呈致しましょう! 二人も王妃様のお役に立てるとあれば西塔のてっぺんから庭にダイブすることすら厭わないでありましょう!」
「まあまあ。その忠誠心、大変嬉しく思いますわ」
 感激したように手を組み合わせて、満足げに微笑む王妃。
「それでは、班長さんの許可も頂きましたことですし、本人達にもお話をしてきませんとね。……彼らは今、どこにいるのですか?」
「あ、いえ、今は……城にはおりませんが。休暇で旅行中です」
「あら……困ったわ。戻るのはいつになるのかしら?」
「休暇はあと二日のはずですから、明後日の夕には戻ってくると思いますが」
「あらあらあら、それはいけないわ。出発は明日だというのに……」
「えっ」
「困りましたわ、どうしましょう」
 どうするもこうするも、諦めるしかないだろうと思う。聖騎士などその辺を探せば他にも掃いて捨てるほどいるのだから白羽の矢はぶっ刺し放題である。……が、王妃はそれほどまでにサージェンとライラに心残りがあるのか、両頬に手を当てて、あらあらまあまあと繰り返している。
 ――まあなんにしろ、自分には関係がないことである。ツァイトはのんびりと王妃を眺めていた。この王妃は刀剣と同じようなもので、こちらに切っ先を向けているとなれば悪魔の如き凶悪な物体だが、素知らぬ方さえ向いていれば何ら害はない。
 と、その切っ先が、
「仕方ありませんわね、こうなったら最後の手段です。騎士団長に掛け合いましょう」
「は?」
 くるりとこちらを向いた。
「ツァイトさん。やはりあなたに同行して頂くことにしますわ。安心なさってね、あなたの処分は必ず解いてあげますから。一緒に楽しくヴァレンディアに参りましょう!」
「…………っ!?!?」
 青天の霹靂、というか頭上からようやっと過ぎ去ったと思った雷雲がいきなりダッシュで戻ってきてぶちかましてくれた霹靂に、ツァイトは悲鳴を上げることすら出来なかった。雷撃のショックの余り魂がどこかに飛び出た感じで身動きの一つ、まばたきの一つ出来ないツァイトをよそに、王妃はふわりとドレスの裾をたなびかせて、嬉しそうにくるりとその場で回る。
「ヴァレンディアはそれはそれは素敵な所ですのよ。あぁ、あぁ、今から楽しみですわ。皆で何をして遊ぼうかしら、ねえ、ツァイトさん?」
 一児の母であるというのにあどけなくも美しい王妃はまさに花のようだった。春になれば庭園いっぱいに咲き誇る、見事な花のようだった。見事な見事な……その美しさで蝶や蜂を誘惑し……騙し……己の生存の踏み台の一つにする……毒花のようだった。……皆で遊ぶ、というのは多分皆と一緒に遊ぶということではなくブランコで遊ぶとかと同じように皆を遊具にするつもりということなのだろう……そうとしか、ツァイトの耳には聞こえなかった……
「あ、は、は、は、は、は……」
 開いた唇から感情が干からびた笑い声を垂れ流すツァイトに、王妃は無垢な笑顔を浮かべた。何も知らない一般市民が彼女を心穏やかで純粋な王妃と信じ込みいつも見上げているあの笑顔。確かに彼女は純粋だった。純然たる黒、悪魔が完全なる悪であるような、曇りのない純粋さ。
「あなたも今から笑ってしまうほど楽しみなんですのね。それはよかったわ。うふふ、色々、ちゃあんと準備しませんと。お洋服は何を着ていきましょう。おやつは何を持って行きましょう。あっ、いけませんわ、バナナはおやつに入るのかどうか今のうちに確認しておきませんと」
「は、は、は、は、は、は、は、は、は、は、は、は、は、は……」
 王妃がドレスの裾を摘みあげて弾んだ足取りで回廊を走り去ったその後も、ツァイトは一人、膝をついたまま高く美しい天井に声をこだまさせ続けていたのだった……

 哀れなる若き聖騎士に、幸あれ。


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