レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ホーンテッド・キャッスル(7) |
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(7)魔女とメイドと剣士と騎士と 「よくもやってくれたねえ……」 魔女は、腕を胸の前で組んで溜息のようにそう洩らした。明確な怒りよりも呆れに似た困惑が先に立つ口調に、しかしサージェンもライラも気を緩めることはなく、戦闘態勢を取ったまま魔女を核とする包囲網に警戒の視線を送った。もっとも既に網と言い切るにはその目は随分と大きいものになってしまってはいたが。士官学校の一クラス分程度の数はいた人形たちは丁度片手で数え切れる数に人員を減じ、主たる魔女を護るように左右に展開している。 「誉めても何も出ないわよ」 「誉めてないっての」 ライラが敢えて発した軽口に、魔女は苦々しくながらも平静に返答した。先程はやや興奮状態にあった魔女ではあるが、ここは年の功なのか、二階から下まで階段を降りてくる間に既に平常心を取り戻していたようだった。ライラはこっそりと舌を打った。相手が興奮していればそれなりに付け入る隙はあったかもしれなかったのに。 しかし、それは元々あるのならあった方がよいという程度の付加的要素である。ないからとて文句をつける気は毛頭無い。 この人数ならば、勝機はある。 無表情な人形たちの顔を睨み付けつつ、ライラはそう判断した。この人形たちは武器も携帯しておらず、体術の技量もライラと同等程度かそれ以下。サージェンにとっては訳の無い相手であろう。 但しそれは、魔女の力を戦力から除外して考えれば――だが。 サージェンをも翻弄した強力な攻撃の魔術をかの魔女は操るという。人形たちと連係を取り、その力を降り注いで来たとしたらかなり危険なことになるに違いない。部屋で戦闘を開始してからこれまで、魔女は自らの手で攻撃を下して来なかったが、それは恐らく人形を魔術で動かすのに手一杯であったからなのだろう。だがその大半を失った今ならば、もしかしたらその分の余裕を攻撃魔術に回してこれるかもしれない。ライラは魔術に関する知識は殆ど持っていなかったが、楽観出来る状況ではないことは理解していた。 (さてと……) どうしようか、とサージェンに声をかけようかと思ったライラは、その時、魔女の視線が何かに気付いたように動かされたのに気がついた。 「来たね」 ライラたちの方を向いたまま――否、その彼女らの背後に向けて、声が投げかけられる。魔女の警戒はサージェンに任せ、ライラが肩越しに振り向くと、 「……うっ」 そこにはいつの間にか、魔女に仕えるメイドの少女、メリーがぽつりと佇んでいた。 ――手に、大振りな斧状の刃のついた槍を携えて。 メリーは人形たちと同じような感情の薄い表情のまま、二メートル程もある長大な槍斧を細い腕で軽やかに旋回させて、ぴたりと穂先をライラへと向けた。槍捌きの一つを見ただけで相手の腕前を正確に測ることなど出来はしないが、それでも、ある程度以上には彼女がそのごつい武器を扱い慣れていることは窺えた。 (何でメイドが……) あまりの不条理さに文句を言いたい気分は一杯だが、言っていても始まらない。背後を目視してすぐ魔女と人形たちに意識を戻すつもりでいたライラはそれを断念して、サージェンに背中を預ける形でメリーと向かい合った。 魔女が、声をかけてくる。 「あんたたちみたいな若造風情がここまでやるとは思わなかったよ。……けど、ちょっとおいたが過ぎたね。あたしの可愛い人形たちに酷すぎじゃないかい」 「それをけしかけた本人がよく言うわ。可愛いなら割れ物注意の札でも貼りつけて倉庫にしまっときなさいよ」 魔女に背を向けたまま、ライラは言い放った。あの目で睨まれると少し怖いが、背中を向けていれば――そしてその背中をサージェンが護っていてくれるとなれば、何とでも言える。 ライラの打てば響くような即答に、魔女がふっと笑う音を洩らした。 「言うじゃないか。……ふふ、さっきの作戦といい、馬鹿じゃあないようだね。詫びるよ騎士様。あんたをただの小娘と侮っていた」 「お詫びついでに武器も下ろしてくれると助かるんだけど」 「そうはいかない。あんたたちを帰すわけにはいかないこっちの事情は分かってもらえてるだろ?」 当たり前である。ここから脱出したら即、騎士団本部に連絡し一個中隊で包囲する予定である。魔女からしてみれば、このまま二人を逃がすことは己の城に自ら必殺の砲弾を打ち込むことに等しい。何があっても始末はここでつけなければならないだろう。 その意志を示すかの如く、メリーが摺り足で一歩接近してくる。 ライラは―― 「そっちの事情なんて知ったことじゃないけどねっ!」 一声叫んで、メイド少女に向けて一直線に走り出した。 その声を合図としてサージェンも動く。少々大回り気味に魔女の横手に走るが、魔女もまた横を取らせまいと人形を両翼に配する陣形を崩さずに身体の向きを変えた。しかし、約九十度陣形を旋回させた所で、サージェンの意図に気付いたらしく、小さく舌打ちをした。――サージェンはライラを魔女の攻撃の射線上から外す為に動いたのだった。サージェンはそのまま、回り込みつつ魔女率いる一団に接近し、一番手前に位置する人形に剣を振りかぶった。 「ちぃっ!」 魔女が、大きく舌打ちをしてサージェンの方に腕を突き出す。サージェンはその魔女の腕がその一瞬、蜃気楼のように揺らめくのを見た。 攻撃の魔術。サージェンは瞬間的に判断した。そこに宿る力の正体は掴みきれないが、見た所では無明の熱であるように見える。人形に攻撃を加えることは断念し、後ろに飛んで間合いを取る―― 直後、魔女の真っ正面に当たる壁の一部が、どんっ! と強烈な力で殴り付けられたような音を立てた。 「……ほんっと、平然と避けておくれだね、人が丹精込めて作り上げた術だってのに」 口惜しそうに呟く魔女に、サージェンは冷静に言ってのけた。 「もうその技は見た。一度見た技は見切られて当然だろう」 「どこの野生生物の社会の当然だよ、それは!」 その叫びを呪文の一文句とするように、魔女は魔女は腕を振り上げた。しかし魔女の腕からは先程の攻撃は放たれることはなく、その代わりにサージェンを取り囲むように広がっていた人形たちが、一斉に彼に対して飛び掛かった。 五体。一斉攻撃を仕掛けるには、少々多い。……が、同士討ちを辞さないのだとしたら有り得る戦法である。 腹に力を入れるように息を鋭く吐き出して、サージェンは剣を固く握り締めた。 ライラは、長大な槍を構えるメリーに向かって一直線に走り込んでいた。 武器のリーチは戦闘を有利に導く重要な要素だが、通常、武器が大きくなれば成る程それを扱うには修練を要するようになる。つまり、生半可な使い手にとっては大きな武器が必ずしも有利に働くとは限らない。 対してライラは騎士である。剣士であるサージェンに教えを受けている為か、彼女はどちらかといえば槍よりも剣の方が得意ではあるが、本来の騎士の戦法は馬上において槍を扱い敵に突撃するものである。当然、槍術の心得はあり、敵の槍への対処方法も身につけている。また、彼女は現在武器を持っていなかったが、これもまた今となってはあまり関係はなかった。槍に対し剣の一振りで立ち向かった所で何の優位性も得られないのだ。槍の力強い一撃を細身の剣で捌く事が出来るという訳ではなし(サージェンなら分からないが、普通は出来ない)、剣も基本的にはそのリーチでアドバンテージを得るべき武器であるにもかかわらず、敵の懐に入り込まねば攻撃が出来ないのであれば、あってもなくても同じであるということだ。どうやら見た所、相手もずぶの素人という訳ではなさそうだが、所詮は本業の異なる相手。ふりふりレースのスカートのメイドに負けたとあっては騎士の名が廃る。 メイド少女の動きを逐一観察しながら、全力で駆け寄る。槍を振りかぶる挙動を見せた瞬間に横に避ければ、連続攻撃に不向きな重い武器が第二撃を繰り出してくるよりも先に本人を押さえられるはずだ。ライラも体格的には市井の少女と大差ないが、彼女は大の男でも素手で取り押さえられるよう訓練を積んでいる。 メリーが槍を保持する腕を背後に引き下げた。 (今だっ!) ライラは即座に横に飛び、即座に突撃を再開出来るよう、横向きの慣性を踏み込んだ足で殺し―― 「のわあああああっ!!?」 横っ面に迫っていた菜切り包丁のような厚い刃に、絶叫した。 まさにそれを避けることが出来たと言うのは奇跡以外の何物でもなかった。たまたま殺しきれていなかった慣性に身を任せるようにして横転し、もみくちゃになるよう転げながら唖然として頭の上を通過する刃を見上げた。 メリーは一度は突き出した槍を躱されるや否や、すぐさま斧部分での斬撃に攻撃方法を切り替えたようだった。それは分かるし、予想もしていたことだった。だが、ライラの予想ではそういう行動に出ようとも、間に合う訳がなかったのだ。サージェンでもあるまいしあれだけの重量物を伸ばしきった腕で保持したままぶん回せる訳がない。 なのに、なのに。 目の前の少女は振り切った槍を右手――片腕に悠然と持ったまま、ライラを見下ろしていた。偶然とはいえ二撃を躱され、やや攻撃に間を置く事にしたようである。 ライラは床に尻をずりずりと這わせながら、メリーというか、その槍にぷるぷる震える指を突きつけた。 「ちょっ……!? なっ、なんっ、なにそれっ!? はぁ!? そんなのあり!? あんたそれ重いのよね!? 風船で出来てるって訳じゃないのよね!?」 と、メリーは自分が片手にそれこそ包丁を扱うかのように何気なく持っている槍斧に目をやって、ほんの少しだけ不思議そうな顔をした。ライラの狼狽の意味が全く分かっていないらしい。庭の草花の名前を尋ねられたかのような口調で、ごく自然に返してくる。 「重量は四十キロ程と聞いたことが御座いますが」 「いやあああっ!? そういう事を普通に答える相手に意気揚々と突撃した自分がいやあああ!」 全力で嘆くライラに対し、メリーは再度、槍を構え始める。 「メイドにどういう教育をしてるのよ、ここの屋敷はァ!?」 蛮勇は、騎士の矜持のうちに含まれない。ライラは身を翻してこれまでの進行方向とは百八十度正反対のエントランスホールの奥へと駆け出した。 「……何やってんのかしらね、あの子達は」 何故か広いホールの中でぐるぐると追いかけっこをし始めた騎士の少女とメリーを横目で見やって、魔女は嘆息した。ライラとかいうあの少女はなかなかにすばしこく、身体能力そのものでは優るのであろうが自分の体重に近い重量のある槍を抱えたメリーは追いつく事が出来ず、計ったように一定の距離を保ったまま後ろを追いかけている。魔術で手出しをしてやりたいのは山々だが、目の前の剣士に隙を見せる訳にも行かず、戦局を見守るのがせいぜいである。 がきんっ! 硬質な音が鳴り響き、彼女の手駒の最後の一人が今、その剣士の剣に打ち倒された事をヒラデルヒアは知った。 (……元々戦闘用に作っていた物じゃあなかったとはいえ、結構使えると自負してたんだがねえ……) 溜息を付く。何十年と魔女という名で人々の畏怖の視線を集めていた彼女の想像を遥かに超える目の前の剣士に、ただただ感服するしかなかった。五体の人形に一挙に仕掛けさせた時でさえ、この男は表情に恐怖の欠片を浮かべることもなく、逆にそのうちの一体に飛び掛かるようにして攻撃位置を崩し、撃破して見せた。勝機を掴む為とはいえ、何たる度胸か。己が実力という裏打ちがあってこそ実行した戦法であろうが、一瞬でもタイミングを見誤っていたならばがら空きの横腹を敵前に晒す事にもなりかねなかったのだ。腕前も恐ろしいが、この男の何よりも驚嘆すべき点はその戦闘に対する覚悟だ。おそらくここまでの半生で培われてきたものであろう。これは――勝てない。 (残念だ。実に残念。……是非とも『食って』おきたかったのに) 先程の『味見』を思い出して、魔女は舌なめずりをした。あの少女のものもほんのりと甘く、それでいて少し塩味の効いた味わいで興味深かったが、この男の刺激的な味わいは格別だった。年齢を考えればもうさほど多く残っていない余生で今後、これほどの味を持つ男には出会えるかどうか。 (まこと惜しいが、引き際だね) 渋々とそう判断して、ヒラデルヒアはメリーの姿を探した。 (って、いないし。どこだよもう) 先程から激しくその位置を変えていた少女騎士とメリーが見当たらない。「あーもう」と、毒づきながら視線を巡らして、ようやくその姿を見つけた。 「ひーん! いやー! 来ないでー!」 先程崩壊した階段のなれの果てを背景とする位置に、二人は足を止めていた。走り方を間違えて逃げ場を失ったのか、メリーが泣き言を叫んでいる騎士を瓦礫の山の際に追いつめた格好になっている。 もう後がない少女騎士は必死な形相で足元に散らばった煉瓦の欠片や角材の破片やらを拾い上げ、メリーに向かって蹴りつけたり投げつけたりをし始めた。子供の喧嘩である。 そんな様子を思わずぽかんとして眺めていると――ちなみに剣士の方も、魔女が二人に意識を向けたのと同時にそちらに目をやって、どことなく呆気に取られた様子で眺めている――拳大の瓦礫がかなり正確にこちらの足元まで飛んできて、魔女は叫んだ。 「うわちょっと小、小娘! 何考えてんのさあんた!? 危ないだろうが!」 という台詞もよくよく考えれば何を考えているのだという感じではあるが魔女は、半泣きの少女に向かって非難の声を飛ばした。けれども追いつめられた彼女には全く聞こえていない様子で、そんな事を言っている間にも、でたらめな矢ぶすまのように瓦礫のつぶてが飛んでくる。味方である男の方にも無差別に、だ。……窮鼠猫を噛むというか逆ギレと言うか。追いつめられた人間の標本である。 かつんっ! 「……くっ」 そのうちの一つが偶然にも魔女の腕に当たって、彼女は悲鳴を上げた。はっとして、その部位を腕で押さえる。視線を周囲に走らせると、視界の中にこちらに顔を向けた剣士の男が映った。 まずい。 直感する。男は――気付いた様子だった。 魔女の腕がつぶてと衝突し、立てた硬い音に。 「ライラッ!!」 低い割によく通る声で青年が一喝すると、ようやく我に返ったか、びくっとした様子で少女が腕を振り上げたままその動きを止めた。 「あの魔女も人形だっ!」 剣士の男の声に応え、少女は、魔女に向かって瓦礫の投擲を再開した。先程と同じような行動であるが、目に灯る意志が全く違う。よくもまあそこまですぐさま切り替えられるものと感心すべきほどに、今度は確かな意図を持って、凶悪に尖った礫が飛来してくる。 しかし、これでメリーが完全に自由の身となる。 にやり、と魔女は笑みを零す――が、その笑みはすぐさま、凍り付くこととなった。 少女が魔女に標的を移したのと同時に、だろう。剣士の男はメリーに向かって走り出していた。何の合図もない、攻撃対象の転換。――何年共に訓練すればこの域まで達するものなのか。この二人の驚嘆すべき連係プレーの実行力を失念していた。 迫りくる剣士の気配を察し、メリーが槍を、一撃が繰り出せる位置に引き戻す。 が、少女にとっては対処しきれぬ速度の挙動も、男にとっては十分に対応可能であるようだった。 メリーが攻撃態勢を整えるのよりも早く、彼はその攻撃の間合いよりも更に内に滑り込み、ぴたり、と細い首筋に剣の切っ先を当てる。 「……もしや、こちらが本体……というオチか?」 静かな声で、剣士はメリーに囁きかけた。 |
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