レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ホーンテッド・キャッスル(6) |
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(6)魔女の恐ろしきしもべ 暗黒の筒の中のような廊下を、ライラとサージェンは慎重に歩みを進める。目指すは夕食前に訪れた魔女の居室だった。いかんせん、城内はどこもかしこも似たような景色であった為分かり難い事この上ないが、上の階に向かって進み入念に調べれば、いつかは発見出来るであろう事は間違い無い。今現在二人で歩いているこの廊下すらも夢の続きであったりしなければ、だが。 廊下を弱々しく照らす灯りが空気の微弱な流れを受けてゆらゆらと揺らめき、不動のはずの闇を胎動させる様はいかにも魔女の館らしき不気味さを醸し出していて、ライラはいっそのこと端から全部灯りを吹き消してしまいたいとさえ思った。 しかしながらこの光と闇の脈動に関する部分の不気味さだけは、魔女の意図によるものではないのかもしれなかった。ライラたちがこの館に訪れる前はこの館の住人は窓のない廊下にも明りを点すことなく過ごしていた。ということは、魔女が己の居城として本来望んでいたのは、大小に伸びる影が不規則に躍る光景ではなく静謐な真の暗闇に支配された空間であったと言えるだろう。空間を満たす不動の暗黒こそがこのひたすらに黒色を愛する主にとっての最高の室内装飾であり、今蠢いているおぞましき闇は魔女らにとっても不本意であるのかもしれない。 (……どっちにしろあまりいい趣味とは感じないけれどね) もっとも、魔女の美的感覚についてあれこれ口を挟むつもりはない。そんな事よりも大切なのは、早急に魔女を絞め上げ本件の真意について問い正す事である。魔女の元へ向かう道すがら、二人はお互いに自分の受けた状況をざっと説明しあった。ライラの方は、気がついたら夢の世界らしき場所にいたというだけなのだが、サージェンは明確な攻撃を受けたという。先程はサージェンに殆ど口からでまかせの勢いで聖騎士団の正義を説いたのだったが、日常的に来訪者に対しこのような対応をしていたとあれば、本格的に彼女ら王国騎士団が職務として取り締まる対象になりうる。 (なんかよく分かんないけど、人の……過去?まで勝手に他の人に見せちゃうんだものね。プライバシーの侵害よ。重大な犯罪だわ。……しかもよりにもよってサージェンにあんなのを……) 結局サージェンは、自分の見た夢の正体については気付かなかったようだったが……二人の状況を統合して考えれば、解には自ずと行き着いた。 ライラが見た若いサージェン――そしてサージェンが見たというかなり聞き覚えのある幼い子供たちの日々。そういえば等とわざわざ回顧するまでもなく、幼なじみの某班長を彼の妹と結託してそうやって苛め抜いた、もとい、鍛え抜いた記憶がある。むしろ日常茶飯事だった。ちなみに余談だが彼は今もまだ爬虫類関係は苦手なようだ。……しかしだからといってあんなシーンをよりにもよってサージェンに見せるなんて酷いと思う。もう少し、貴族の姫らしく可愛らしい格好をしてお淑やかにしている機会だってなかった訳ではないのに。 ――ともあれ、あの夢の正体は、それほどに正確な過去の投影であった。恐らくは、サージェンの方もそうであるのだろう。自分の方をあまり突っ込まれたくないので尋ねてはいないのだが。 (にしても、格好よかったなぁ、サージェン……♪) 先ほど見た情景を回想し、うっとりと思う。敵に対して微塵の躊躇も無い刃は、ほんの少しだけ恐怖も感じたが、彼に対する憧憬と崇敬の念が上回った。あの流麗な剣捌き。幼さを残しながらも精悍な顔付き。思い出すだけでもドキドキする。 「ライラ」 耳に心地よい彼の低い声。ああ、そう言えば、あのサージェン少年の声はどうだったのだろう? やはり今のように低い声だったのだろうか。あの成長期を迎えてしばしの時が経過したと思しき容姿ではその可能性は低そうではあるが、まだ声変わり前だったらどうしよう。それはそれできっと素敵に違いない。 と、乙女のときめきに耽溺し、呼びかけられたことに気がついていないライラの肩を、後ろからサージェンが軽く叩いた。 「ライラ。向こうだ」 「あ、う、うん」 はっと我に返り、身体を九十度反転させて十字路を曲がる。 危うくどこかの世界に旅立ってしまう所だった、とライラは額を手の甲で拭った(聞く者が聞けば「お前それもう遅い。今更。」等と返されそうではあるがライラは気付かない)。思考を切り替える為に、彼女はサージェンを見上げた。 「よく覚えてるわね、この館の構造なんて。私にはどこも同じようにしか見えないわ」 「勘」 「あ、そうなの……」 きっぱりと言うサージェンにほんの少しだけ答えに窮してライラは曖昧に呟いた。とはいえ、サージェンの勘という物は頼りになる。野生生物の如き直感力を備え持っている彼であるから、帰巣本能のような超感覚で見覚えの無い場所でも迷わず歩く事が出来たりしてもライラはそれほどは驚く気になれなかった。 そのままサージェンに導かれ袋小路に入ると、その最奥には立派なこしらえの扉が終着点とばかりに鎮座していた。この配置にはライラにも見覚えがあった。先程も訪れた魔女の私室前に相違ない。本当に、サージェンは勘だけで目的地に辿り着いたのだ。 ごくりと喉を鳴らすライラの前で、鞘走りの微かな音すら立てず、サージェンは剣を抜いた。流石と言うべきか、サージェンは剣を所持していた。ついでに剣帯も持っていた様子で、普段通りに腰に鞘が下げられている。元々寝間着の上に剣帯を着けて寝たのか金具に取り付けたまま外しておいたのを剣と一緒に持ってきたのかはわからないが、どちらにしろゆったりした寝間着に似合う格好ではない。――今はそのような事を言っている場合ではないが。 丸腰のライラを何歩か下がらせて、サージェンは、剣を構えたまま目の前の扉を蹴り開けた。 幸いにも鍵などはかかっていなかった様子で――簡単な鍵程度ならこの強烈な蹴りの前には弾け飛んでいそうだったが――勢いよくその口を開いた扉の奥に、サージェンとライラは迅速に突入した。もしこの場で戦闘が起きるとしたら不本意ながら現時点では戦力外にならざるを得ない事を自覚するライラは、サージェンの立ち回りの邪魔をせぬよう、室内よりもサージェンの動きに気を配る。 と、室内に向けられたサージェンの顔が、強張っていることに気がついた。 「……?」 一度来た場所だというのに、何に驚いて……? 不審に思いつつも、ライラも部屋の奥へと視線を転じる。そして、彼女もまたサージェンをして絶句せしめたそれを目にする事となる。 「んきゃああああああああああああああああッ!!?」 ライラの喉から、密林に響き渡る謎の野生生物の甲高い叫びが迸った。 ――そこにあったのは…… 壁を埋め尽くすほどにずらりと居並んで二人の訪客を出迎える、白い少女の顔をした生首の群れだった。 ……否。 生首、ではない。半べそを掻き膝頭をかくかくと震わせながらも、ライラは持てる勇気を全て振り絞って少女たちの群れと対峙して、己の間違いを是正した。生首。その誤解は先刻のメリーとかいうメイドに対して抱いたものと同じであった。少女たちは皆、黒い衣服を纏った胴を持っていた。何重ものフリルがあしらわれた装飾過多な少女趣味の――けれども、漆黒の衣装。人形のように精緻な造作をした少女たちが、人形のように着飾って、人形のようにぴくりとも動かずその場に立ち尽くしているのだ。 「どうだい、あたしのコレクションは」 唐突に声を投げかけられて、ライラとサージェンは視線を、居並ぶ少女たちの一番端に即座に動かした。見落としていたのか、はたまた何らかの魔術で唐突にそこに現れたのか。少女たちに溶け込んで、魔女ヒラデルヒアがそこに立っていた。サージェンがつけたという傷は、やはり服にすら跡を残していなかった。全くの無傷の様子である。 「コ、レクション……?」 「ああ。良い出来だろう? あたしの人形たちは」 生唾を飲み落としながらのライラに、魔女は細めた目で少女たちをうっとりと眺めて指し示す。促されるままに、ライラはもう一度少女たちの方に視線を移した。 「に、人形……?」 ようやくそのことに気がついて、ライラは思わず目を丸くした。人形のような、ではなかった。そこにいたのは全て人間の娘ではなく、人形であった。恐ろしく精巧な、等身大の少女の人形。 生気の無い、百はありそうな数の瞳に、まばたきの一つもなく凝視され――ライラは思わず後退った。生きている敵でないのならば、この集団に直接的な攻撃を仕掛けられる事もないわけだが、それが分かっても恐怖はいささかも減じなかった。それどころか、より倍増している感さえある。血みどろの戦場や剣を持って向かい来る敵兵などよりもある意味遥かに怖い。 ――と。 その人形たちの頭が、出し抜けにゆらりと揺れた。 「!?」 ライラは勿論サージェンさえもが、ぎょっと目を見開く。 「ああそうそう……」 二人の反応を存分に楽しんでいる声音で、魔女は告げてくる。 「言うのを忘れていたけど、あたしの人形たちはね……生きてるから」 飾り物のように並んでいた人形たちが、かたかた、と首を回して目標を捕捉した直後。彼らは一斉に二人に躍り掛かってきた。 「きゃ……!」 悲鳴も半ばしか出せぬうちに、どん、と強く背後に突き飛ばされる。ライラをドアまで押しやり、彼女を庇う形でサージェンは一歩前に出た。 「サージェン!」 彼の丁度真上から数体の人形が飛び掛かってくる。人形は人形らしく、美麗な容貌を僅かたりとも変えぬままに。サージェンは、ライラの絶叫には答えず襲撃者を見据えながら鋭く息を吸う。そして、 「っはあッ!!」 一瞬の気合の燃焼。爆発するように吐き出した呼気と共に、サージェンは身体ごと腕を旋回させるようにして数度、剣を振るった。剣先が曳く光の尾が辛うじて見えるような速度の剣閃の前に、今にも彼に飛びつかんとしていた少女の人形は何の抵抗もないままに、見事なまでに粉砕される。 「!……何と、まあ」 少女たちの身体を形作っていた素材の欠片が音を立てて崩れ落ちる中、魔女が目を丸くして感嘆の声を洩らした。これだけの質量をあっさりと分断する偉力と、何体もの高速移動する標的をそれを遥かに上回る速度で狙い打つ技量とを兼ね備える敵手に、改めて賞賛の視線を送ってみせた。 「成る程成る程、やはりこの娘たちじゃあ押さえきれんか……お前たち! 女の方を先に始末おし!」 「させるかっ!」 魔女が指で指し示した通りに走り出す人形たちの行く手を阻む格好で、サージェンが立ちはだかる。蛮勇を振りかざす、というより恐怖という感情そのものが無いのであろう、何の躊躇もなく走り込んでくる人形たちの群れに、サージェンも微塵の躊躇も見せずに幾度も剣を振るった。少女の華奢な胴を薙ぎ、腕を落とし、脳天をかち割り……次々とサージェンは目の前にがらくたの山を築いていく。 個対個の戦力差は圧倒的だった。人形たちの動きも決して素人のものではなかったが、サージェンの前においては赤子のようなものだった。 (だけど) ライラは冷静にと自分に言い聞かせながら状況を観察した。サージェンは確かに強い。強過ぎる程に強い。が…… 「ちっ……」 サージェンが軽く舌を打ち、今迄死角であった背後を自身の攻撃範囲に入れるように身体の向きを変えた。その場所にいた、サージェンを無視してライラを狙い撃とうとしていた人形の一体が身体を横薙ぎにされて壁にまで弾き飛ぶ。 彼は強い。が、圧倒的な個体戦力差で押し切れるほどに敵もまた甘い相手ではないようだった。人形たちは、恐れを知らずに且つ的確に魔女の指示に従う優秀な兵士だった。このままではいかなサージェンといえども数の差で押し切られかねない。 (何か、何か、いっぺんに敵を倒せる方法は) サージェンの戦い振りと人形たち、そして魔女を見回して―― 「……っ」 瞬間、顔を歪める。が、それも束の間、ライラは唐突に踵を返し、廊下に向かって床を蹴った。 一瞬だけ、サージェンがライラの方を振り返る。少女の横顔をちらりとだけ見て、すぐに目の前の敵対者へと意識を戻した。 「おやおや! お嬢ちゃんは逃げてしまったよ! どうするかい、お姫様の守護騎士様は!?」 走り去るライラの背中に、魔女は面白がるような声を投げかけた。それはライラにとって耐えがたい屈辱だった。騎士にとって敵に背を向ける事ほど恥ずかしい事は、本来ない。 だが―― 次の瞬間、サージェンもまたライラに続いて、魔女とそのしもべたちに背を向けて遁走を開始したのだった。 「んな……っ?」 流石に間抜けな声を洩らして、魔女は二人が走り去る様を呆然と見送ってしまった。彼女は、レムルスの騎士という者は無意味なまでに融通の利かない、命と誇りを天秤にかけすらする馬鹿者の集まりだと記憶していたのだった。それが二人揃って敵に背中を向けるとは。若い女の方は仕方がないとしても、最低限男の方は最後まで意地を張るのではと思っていたというのに…… (罠か?) そうも考えた。だが、あの二人はこの魔女がこれだけの戦力を貯えていた事など知らなかったはず。わざわざこの場面において有効な罠など仕掛けていたはずはない。また、今の場において何らかの作戦を思いついた、というのもありえなかった。何らかの作戦を実行するという符丁など、今の二人の間では交されていなかった。仮に女の方が何か思いついたのだとてそれを男に伝える事は出来なかったはずだったし、またここを離れてから悠長に作戦会議が出来るともよもや思ってはいまい。館の周辺を魔女が見渡す能力を持っている事は先刻告げたが、少し想像力を働かせればその能力は屋敷内に対しても有効である事に気がつくだろう。 逃げたのだ。間違いない。 「つまらない真似を。……お前たち、腰抜けの餓鬼どもに灸を据えてやるよ」 霞が広がるかのように、魔女と人形の一団は二人を追って部屋を飛び出した。 サージェンは、ライラの斜め後ろに付き従うようにして走っていた。ライラの全力疾走など、サージェンの足でなら軽い小走りで、とは言い過ぎだがさほど無理せずに追いつく事が出来る。 彼女に何らかの考えがあるのだろう、とサージェンは信じて疑わなかったが、ライラは未だにその何らかの考えを話してくれていない。だが、策を打ち明けないというのは正しい判断だという事も彼は分かっていた。魔女に悟られる恐れがある。 「サージェン」 まるでライラはサージェンが追いかけてくる事を予期していたように驚くことなく、振り向きもせずに声をかけてくる。 「何だ」 「出口ってどっちだっけ」 ――逃げるのか? 非難めいた感情ではなく、ただ純粋に不可解に思って、サージェンはその言葉を口にしようとした。が、先と同じ理由でそれを押し止めた。 それに、そんな事は問うまでもなくありえない。貴族の娘らしくプライドの高い彼女は、騎士の名誉を損なうような真似は何があっても行わないだろう。それだけ彼女は騎士である自分を誇っている。ゆえにサージェンは彼女の問いに余計な疑念を挟むことなく、可能な限り的確な答えで返した。 「多分だが、こっちだ」 ライラの行動をサージェンが無条件に信頼したのと同様に、ライラもまたサージェンの単なる勘に過ぎないはずのその返答の正当性に異議を唱えようとはしなかった。 ――二人は本当に逃げるつもりのようだ。 二人の会話を拾い聞いて、魔女は苦笑とも嘲笑とも取れる笑みを洩らした。どういう訳かあの男の指し示す道は屋敷の中央玄関への正確な最短ルートで、先回りをして道を塞ぐ事は不可能だったが、玄関の扉は魔女の魔力で閉ざしてある。例えあの男の物凄い威力の蹴りを浴びせ掛けられたとて開きはしない。 玄関ホールで始末をつけてやる、と魔女は考えた。吹き抜けにもなっているあの広いスペースでなら、人形たち全員を一挙に飛び掛からせる事が出来る。いかなあの剣士とてこれは避けられまい。ヒラデルヒアは紅を差した唇に、にい、と笑顔を浮かべた。たかだか数体とはいえ可愛い娘たちを打ち砕いたあの男には手厚く礼をせねばならない。 一路逃げに徹する二人の騎士を追跡する事しばらく。予測通り、魔女は彼らを玄関ホールに入った所で捕捉した。二階から、二本の階段が左右対称に弧を描き緩やかに一階へと伸びる吹き抜けのホール。階段を降りきった所で丁度飛び掛かって取り押さえられるか、と、魔女は猫のような瞳で獲物に狙いを定める。 が、廊下の真っ正面に当たる、階下を一望する回廊の柵まで追いつめた時、 「サージェンっ!」 先導する騎士の少女は唐突に走る速度を緩め、勢いで彼女を追い抜いてしまった相棒の男の広い背中に飛びついた。筋肉質な肩にぎゅっと腕を回して負ぶさる小柄な少女の姿はまるで母猿に必死にしがみつく子猿である。 「ん?」 彼は眉を上げて振り向いた。魔女の目にはどうという事もなさそうな表情に見えていたが、これでもサージェンは結構驚いている。 そんな彼の背で、少女は真っ直ぐに前方――柵の外側を真っ直ぐに指差して、今度はきっぱりと己の意図を告げた。 「じゃーんぷ!」 応えて―― 男は少女を負ぶったまま本当に何の躊躇もなく柵を飛び越え、闇たゆたう虚空に身を躍らせた。 「!!?」 ぎょっと目を瞠って、柵まで追いついた魔女はそこから身を乗り出すようにしてその様子をただ、眺めていた。 一階の床面から二階部分を取り巻く回廊までは、一階一階の天井を高く作ってある為、実質三階程度に相当する高さがある。しかもここは野外ではなく屋内で、下は固い床石が一面に敷き詰められており、下手に落ちればただでは済まない。けれども男はその現実の前に全く臆する所を見せず、冷静且つ器用に空中で背負った少女を横抱きに抱え直して態勢を整えて…… たんっ。 と、着地音も軽やかに跳躍を見事成功させてみせたのだった。 「大丈夫? サージェン」 「ああ」 そのまま何事もなかったかのようにすくりと立ち上がる男女を、魔女は少しの間呆気に取られて――本気で無事なのかよとか跳ぶか普通とか色々頭の中に飛び交っていたままで――見ていたが、はっと気がつき、自分に付き従ってきていた人形たちに指を差して指示を飛ばした。 「お、お前たち! 奴等を捕まえるんだ! 逃げんうちに早く!」 その声に従って、作り物の少女たちの一団は近い方の階段を次々と駆け下りてゆく。 二人の騎士はまた再び追跡から逃れて玄関の方へ走っていく――かと思いきや、またしてもその予想を真っ向から裏切ってくる。少女は逃げることなく魔女の方を、きっ、と睨み付けていた。人形たちの降り来る階段を、ヒラデルヒアと同じような姿勢でびしっと指差し、少女は声を張り上げる。 「サージェン!」 「うむ」 ただ一言呼びかけられただけながら、男は少女の意志を完全に理解して、剣を構えて走り出していた。階段を降りてくる所を迎撃する気か、と魔女が思った瞬間、しかし男は跳ぶようにして進路を横に逸らす。 「何……?」 ヒラデルヒアは首を巡らしその動きを目で追った。剣士は人形たちの一団を完全に無視して階段の横を抜け、丁度人形たちの足元の下付近、階段の桁のあたりで足を止める。足を止める直前から彼は剣を大きく振りかぶっており、ここで魔女は電撃を浴びせ掛けられたように彼が成さんとしている事を察する。 「お前たち、引け! 戻れ!」 彼女が人形たちに向けた一声よりも、サージェンの剣の方が速かった。 人形たちが主の指示に気がついて階段を上まで戻るのよりも先に、サージェンの剣の切っ先は階段の桁を人参の乱切りの如く切り飛ばしていた。 ――後は、ただ呆然と眺める他にやりようがなかった。 支柱の一本をなくした階段は緩やかに傾いでゆく。崩壊が妙にゆったりとした速度に見えたのは階段自体の大きさゆえか若しくはショックの大きさゆえか。どちらにしろ、人形たちが為す術もなく崩落に飲み込まれていく様を見ると、実際はほんの数瞬の出来事であった事が窺えた。 優雅な曲線を描いていた屋敷の主お気に入りの階段が、自重に耐えかねばきばきべきべきと優雅さとは程遠い轟音を上げながら崩れてゆく。それに混じって、脆い人形たちが落下し、床や瓦礫と衝突して破砕してゆく音が高く鳴り響く。彼女らはビスクドール――肌を滑らかな磁器で作られた人形たちだった。その肌は固いが、脆弱である。耳をつんざく甲高さのそれは彼女らの悲鳴のようですらあった。 やがて落下すべきものが何もなくなり元の通りの静寂が周囲を支配したが、その分逆により一層惨状が際立って見える。 階段は丸々一つ、くず建築材の山と化し、全く使い物にならなくなっていた。修復すらも無理だろう。完全に、跡形もない。 瓦礫の山の中に白い破片が見える。艶やかな磁器の欠片――それは彼女の可愛いしもべたちのなれの果てだ。もう少し状態がよく残っている物は山の間から折り取れた腕を突き出していたり顔の半分だけを残して転がっていたりしている。 「まるで墓場ね……」 うへぇ、と言わんばかりの心底嫌そうな顔で騎士の少女はぽつりと呟いた。 「……そうだな。いや、どれほど業突く張りな墓荒らしとてここまではやるまい」 皮肉を込めて魔女が言うと、少女騎士は皮肉部分の声色には全く気付かず純粋に頷いてみせた。 「本当。悲惨ねー」 「お前が言うなッ!」 「……ノリツッコミ?」 「訳の分からん事も言うな!」 きょとんとした物言いをする少女に、図らずしも魔女はぜいぜいと肩で息をする羽目となった。全く本当に、調子の狂う悪餓鬼である。 ぎろりと階下を睨み据え、さすがにその視線には恐怖した様子でささっと男の陰に隠れる娘を見て、ほんの少しだけ溜飲を下げた。深く息を吐いて、ごく僅か二階部分に残っていた人形たちに顎で残りの階段から降りるよう指示を出す。 さすがに同じ手を二度も繰り出す気にはならなかったか、先ほどの二の舞いにはならず、人形たちと魔女は玄関ホールにて二人の騎士と対峙した。 |
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