レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ホーンテッド・キャッスル(2)

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 (2)魔女の館の白い生首



 その怪奇の城の恐るべき威容は、間近に接近すると更にいや増してライラを圧倒した。
 天候の所為もあるのだろうが壁のどす黒く変色した煉瓦は何か忌まわしきまじないをかけられたようであったし、その壁面を縦横無尽に覆い尽くす植物の蔦は這い回る蛇を連想させた。暗い色の蛇の隙間は所々苔むして、人の侵入を拒絶する洞穴のようにも感じられる風情であった。館の周囲には柵も濠もなかったが、その代わりに入り口の、ライラの背丈の三倍くらいありそうな重厚な扉が寡黙に口を閉ざし続けている。
 まるで物言わぬ巨人のようだ。
 完全に気圧されて、ライラは足元から巨人の顔を窺うが如く、びくびくと城館を見上げた。厚いカーテンで閉ざされた窓の群れは、不用意に接近してきた獲物を見定める数十もの瞳のように見え、彼女は無意識にすぐ目の前にあったサージェンの上着の裾を握り締めた。不意に腰の後ろの辺りにぶらさがってきた重りに、サージェンは即座に気がつき肩越しに振り返ったが、一見してその正体を確認すると何も言わずすぐ前に向き直った。
 サージェンと、そのおまけのようにとぽとぽと付き従うライラは、もう少し歩を進めて玄関ポーチの中に入った。灰色がかった門柱は、もしかしたら建立当初は白色を呈していたのかもしれないが、もはや見る影もなく薄暗い嵐の色に沈んでいる。例の三倍の背丈の扉の前に立ち、ライラはこれもまたびくびくとしながら見上げた。
 扉には、真鍮の獅子の頭の形をしたドアノッカーがついており、サージェンは獅子が口に咥える取っ手に手を伸ばした。触れた瞬間、がぶり!と噛み付いてきたりしたらどうしよう。ライラは固唾を呑んで先輩の動きを見守っていた。
 けれども獅子は、ライラのそんな心配をよそにぴくりとも動き出さず、本来の、打ちつけられて高い声で鳴くという職務を忠実に全うした。
 かん、かん、と槌で釘を打つような音が、一時、風の吹きすさぶ音に勝って空気を貫く。
 サージェンはノッカーから手を離し、一歩下がってしばしの間待った。
 三十秒。……一分。
 ――反応はない。
 屋敷の規模を考慮に入れ、あと一分程待ったが、中からは足音の一つも聞こえては来なかった。
「サージェン……」
 嵐でもいいよ、帰ろうよ。そんな懇願を乗せて向けたライラの視線に、彼は、うむ、と鷹揚に頷いて見せた。
「大丈夫だライラ。聞こえなかったのかもしれない。今もう一度呼びかける」
 そして必ずやお前をきちんと休ませてやる、仮に不在であったとしても後で事情を話すなりして入らせてもらう。――恐らくそういったレベルに達しているのであろう決意が、普段はあまり感情を見せない瞳に煌々と点っていた。憧れる先輩に心から案じられている自分。本来ならば失神せんばかりのときめきを感じる場面なのだろう。このサージェン・ランフォードという男は十二分に美男子というべき顔立ちをした青年であった。別にライラはそれでこの彼に好意を抱いているわけではないが、そんな青年の熱意ある視線というのは客観的に見ても実に美しい。
 けれども――
「いやー……いやあああー……」
 ライラは玄関ポーチの手すりに縋りついて泣き声を垂れ流した。何だか今日は、やることなすこと裏目に出ているような気がした。
 普段ならば恐らく、さめざめと悲嘆に暮れるライラを気にかけて慰めてくれたであろうサージェンは、今は後輩の身を護るという使命感に駆られてか、彼女に背を向ける形で再度ドアの獅子に挑みかかっていた。
 かん。かん。かん。かん。かん。
 今度はたっぷり五回も鳴らす。気付かれたらどうするのよぅなどとライラが後ろでへたれているなどとは想像だにしていない様子である。
 ドアから身を引き、三十秒……一分、
 ――にはほんの少しだけ届かないだけの時間が経過したその時に。
「……はい……」
 不動の物と思われた扉は、ほんの僅か、開かれた。

 ――そして――
 扉の隙間から半分だけ覗かせられたその顔を見た途端。
「いやあああああああああああああ――ッ!!?」
 ライラは腹の底から絶叫を解き放っていた。
 扉の奥に現れたのは、ライラと同じくらいの年齢の少女の生首であった。
 漆黒の虚空に浮かぶ生首が、ドアを開け、来客を出迎えてきたのだった。これで叫ばずにいられるくらいならば最初から意気揚々として魔女の屋敷を探索しようと試みている。
 さしものサージェンも相当驚いた様子で、最初の立ち位置より片足が一歩分も下がっている。――この大陸でも屈指の、事によれば随一と言ってもいい剣士を初撃で一歩でも退かせるとは並ならぬことである。
「なっなっなっなっなっなまっなま――っ!!?」
 ライラはがんじがらめに結び付けられたように自由の利かない舌を無理矢理動かして悲鳴を上げた。が、勢いがいいのは喉だけで、足腰は全く働かせることが出来ず、雨風の吹き込んでくる玄関ポーチにへたりと腰を落としている。……逃げて、サージェン、逃げて。ほんの二歩分だけ前にいる大切な先輩にライラはどうにかして呼びかけようとしていた。が、どれだけ己を叱咤しても、唇は全く意味を成さない悲鳴を続けるばかりで何の役にも立ってはくれなかった。
 サージェンが、動く。
 それでいい。動作を開始する気配を察したその瞬間、本心から彼女はそう思った。逃げて、力の限り。私なんて置いて行っちゃっていいから、あなただけでもお願い逃げて。
 けれども――やはり、今日という日は、全てが思う通りに行かない最悪の運勢の日なのだろう。
 サージェンはそこから逃げようともせず、逆に、一歩後ろに下げていた足を元の位置に戻していた。
「……私達は、そこの港町に観光に来た旅行者なのだが」
 そして彼は、あろう事か扉の中の生首に向かって話しかけたのだった。
「散歩がてらこの辺りを眺めに来たのだが、折からの嵐で宿に戻ることもままならず難儀している。不躾な願いだが、嵐が止むまで屋根を貸していただけないだろうか」
「それは……」
 しかし驚くべきことに、生首の方もそれに返答しているではないか。ライラはあんぐりと口を開けたまま目をしばたいた。
「……少々お待ち下さい。私の一存では決められかねますので、奥様にお伺いしてまいります」
 生首はそう答えて、扉を閉める。
 それから五分ほどが経ったか。再度、目の前の扉のちょうつがいが軋んだ音を立てた。――この時になってもライラはサージェンに立ち上がらせてもらってはいたものの、いまだ呆然としたままであった。
 今度は顔半分ほどの隙間ではなく、人一人が十分通れるだけの幅を開け、扉の室内側の取っ手を握る生首――胴体も腕もある生首が、静かに二人の客人を中へと促した。
「どうぞお入り下さい。お部屋をお貸しする準備が出来ました」

 不健康なまでに真っ白な頬、そしてぬばたまの髪、加えて真っ黒な服。おまけに真っ暗な室内。
 この四点セットが、目の前の、多分明るい場所で見れば何の変哲もない少女を恐ろしげな生首とした元凶であったようだった。
 二人を室内に通す直前に明かりを灯したのか、弧を描く二つの怪談が真正面に鎮座しているだだっ広い玄関ホールにはマッチを使った直後のリンの匂いが充満していた。
「な、何で明かりをつけてなかったんですか?」
「……燃料代も馬鹿になりませんから……もちろん、使っているお部屋は明かりをつけますけれど……廊下などは特に明かりがなくとも、困ることもありませんでしたので……」
 きょろきょろと周囲を見回しながら問うライラに、少女は陰気な口調でぽつりぽつりと答えた。
 この屋敷は、やはり中から見ても古い建屋だった。
 これだけの広さながら清掃の手は抜かりなく、どこもきちんと手入れが行き届いているようなのだが、いくら掃除した所でこの城館が積み重ねた時間は拭い去られることはなく、そこかしこに積もり積もっていた。もちろん古いという事が直接悪いという事には繋がらず、むしろ時代を重ねた風格に魅力を感じる貴族も多かったのだが、所々に灯された蝋燭の炎が音も立てず揺らめく中、侵入者をじっと額縁の中から見つめる貴婦人や壁際に居並んでいる鎧の群れに囲まれて、全く顔色を変えることなく「何とも素晴らしい、あれに見える絵画の風格たるやまた実に見事で……」などと吐ける者はそうそういないと彼女は推測した。
 中でも、極め付けなのはこの少女である。
 どうやら彼女はこの城に仕えるメイドであるらしかった。よくよく見れば彼女の纏う漆黒の服は魔女が儀式で身につけるようなローブなどではなく、膝丈のスカートにブラウス、エプロンといういわゆる一般的なメイド服だった。けれどもヘッドキャップや靴下まで含めそれらを全て真っ黒でコーディネイトするのはいかがなものかとライラは考える。最低限、エプロンくらいは白ではないのだろうか。少なくとも彼女自身の実家ではそうだった。そういえば何故メイドのエプロンは白なのだろうか。一番汚しやすいであろうエプロンが白では汚れが目立ってしまうのではないだろうか――
 そんな事を考えながらメイドの後を歩いているうちに、先程腰を抜かしてびっしょりと濡らしてしまったお尻の辺りが気になりはじめて来た。ただでさえ寒さを感じる季節であるというのに雨水に濡れた――雨水である。断じて失禁などはしていない――尻はすうすうとして気持ちが悪い。もし出来るのであれば可及的速やかに着替えたい気持ちでいっぱいだが、ホールを抜け階段を上がり、長い廊下を延々と直進してもまだ目的地には到達しないらしい。
「どこまで……行くのかしら」
 あわや喉元まで出かかった「どこまで連れて行かれるのかしら」という文句を理性で修正して、ライラは前を歩くサージェンにこっそりと囁きかけた。
「どこ、と言われても。……部屋だろう?」
 と、彼は少々訝しげに返してくる。自分が今置かれている状況にではなく、ライラの問い自体に疑問を持ったようだった。その心臓に生えている毛を二、三本分け与えて欲しい。
 敵地にて作戦行動中の兵士の如くさしたる音も立てずに歩み行く少女の姿は、正体が判明した今でも十分、亡霊のように見えた。袖口やスカートの裾から僅かに見える手足の白さは蝋燭の赤さにすら侵食されず、夜闇に浮かび上がっている。それが揺らめく様はあたかもたちの悪い夢のような非現実さで、距離感も時間感覚も曖昧になる。もしかしたらまだほんの十数秒、数十メートルほどしか歩いていないのかもしれないのだが、悪夢の中の行進はこのまま永遠に続くのではないかと少女騎士を恐怖させた。
 が――その行進は、廊下の端に行き当たった場所でようやく終了した。この屋敷が有限の世界に存在したことをライラは女神に感謝した。
「こちらの二部屋をお使い下さい。……それと、お疲れの所申し訳ありませんが、お荷物を置かれましたら再度ご足労をお願いします。奥様が、ご挨拶を希望されておりますので……」
 少女の言葉にサージェンが頷いた。
「勿論伺わせて頂く。こちらも、感謝の意を直接伝えたく思っていた」
「宜しければ、お着替えもクローゼットの中に入っていますので、使っていただいて結構です。……それでは、私はそこの先の廊下におります。準備が出来ましたらお声をかけてください」
 頭を下げて、少女は身を引いて二人の入室を促した。陰気ではあるが、躾自体は行き届いている。
 ライラとサージェンは、顔を見合わせてから、向かい合わせの部屋に分かれて入った。

 ドアを閉めるとまず第一に、部屋の奥に発見した据え付けのクローゼットに歩み寄り、両開きの扉を開けた。下着はどうしようもないにしろ、ズボンだけは取り替えておきたかった。
 ライラが両腕を横に広げた程もあるクローゼットを大きく開いてその中を一目見た瞬間。彼女は凍りつくようにして固まった。
 予め、予想しておくべきことであったのかもしれない。
 クローゼットの中は、黒一色であった。
 豪奢なフリルのあしらわれたドレスも黒。胸元が大きく開いたタイトなドレスも黒。薔薇の造花があしらわれた膝上のドレスも黒。何着か入っていた男性用の礼服も当然黒。黒。黒。
 もう少しで泣き出す所だったが何とか堪えて、ライラは目に留まった一着を取り出した。先述の薔薇の膝上のドレスである。男性物のズボンだけを借りようかとも考えたのだがサイズが合うわけがないし、他に一人で着れそうな衣装はそれくらいしか見当たらなかったからという結果の選択なのだが、恐る恐る手にとってよく見てみると、別段悪くないように感じられた。先程のメイドの服と同様に、ただ端から端まで真っ黒なだけでデザインそのものは全く問題ないのだ。ふわりと広がる夜の色のスカートに黒薔薇というのも、可憐さの中に大人っぽさを演出しているという感じでセンスがよいとさえ思う。
「これにしよっと」
 ライラはころっと機嫌を直して着替えに取り掛かった。
 もし仮に、この場にツァイトがいたならば、こう呟いて溜息をついたことだろう――女というのはとかく現金なものである。


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