レムルス王国聖騎士団の事件簿〜ホーンテッド・キャッスル(1)

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第2話 ホーンテッド・キャッスル
 (1) 魔女の住まう城



 ひおぉぉぉ……
 広大なる暗がりに響き渡る風の音は、物悲しさを通り越して悲痛な絶叫のようですらあった。
 切り立った崖の足元からは、黒々とした荒波が、その頂にひとつ取り残されるようにして建つ城館を舐め取ろうと貪欲に舌を伸ばしてくる。海鳴りは、闇に棲む獰猛な獣の息遣いに似ていた。
 大地を打つ激しい雨音は、その猛獣の迫り来る足音。
 それらの例に倣って表現するのであれば、厚い雲に覆われて光を失った空に走る雷光の、天を切り裂く大音声は、悲鳴の主に襲いかかる獣の咆哮と言った所であろうか。
 あるいは、捕らえた獲物の肉を貪り食う音であるのかもしれない……
「……怖い……」
 騒乱の宴の真っ只中で、少女は、普段は血色の良い頬を青ざめさせて呟いた。年齢は十代の半ばほど。厚手ではあったが洗練されたデザインの白いコートに細い身体を包み、風雨の中に立ち尽くすその姿は、何とも儚げに見えた。ともすれば風に煽られいずこかに連れ去られていきそうになる彼女を奪略者から護るべく、彼女のやや後方にいた青年は少し移動して、彼女の風上側に立った。こちらの青年は少女から見れば見上げるほどの長身で、たとえ嵐が来たとしてもびくともしないのではないかと思われる体格をしていた。神話の英雄を象るブロンズ像の如き、非の打ち所のない肉体。それを少女の盾として立つ青年は、さながらこの悪夢の情景から彼女を護る、守護神のようであった。
 その青年も少女と同じように、視線の先にある、蔦に覆われた古びた館をじっと見つめていた。



 これより一刻ほど前に話は遡る。
 王都から来た男女二人の旅行者は、とある街の宿屋で宿泊の手続きを行っていた。
 宿帳に書いた名前は、
『サージェン・ランフォード』
『ライラ・アクティ』
 紛れもなく本名である。偽名を名乗る理由など彼らは持ち合わせていなかった。ここのような王都の近郊の、ある程度の賑わいがある街でなら、もしかしたらアクティという姓が、中央の有力貴族のものであると気付く者もいるかもしれないが、別にそれが知られた所で問題が生じるという訳でもない。彼女、ライラ・アクティは確かにその氏姓が示す通り、血筋の上では貴族の姫君に間違い無かったが、そんな彼女がたった一人しか同行者を持たずこのような場所にいる理由は、貴族の子女のお忍びの旅行と表現されるものとは少々ニュアンスが違っていた。
 この二人の間には、主従という関係はない。彼女と共にいるサージェン・ランフォードは彼女に仕える家僕ではなく職場の同僚であった。職場の先輩と後輩に当たる関係のこの二人は、先日の過酷な任務に対する褒美として与えられた休暇を利用して、特に何と言った名物がある訳ではないが数日の日程で無理なく往復出来る近間のこの街に、バカンスを楽しみに来たごくごく一般的な観光客でしかなかった。
「……バカンス、って言っても、本当に何にもないのよね。ここ」
 チェックインを済ませて、まず彼女らは食事を取る事にした。午前中に出発してから日が陰るまで馬車に乗り詰めで、あまり大したものを食べていなかったのだ。宿の一階に設えられたレストランと呼ぶには一枚格が落ちる作りの食堂で、あさりのクリームソースパスタをくるくるとフォークに巻き取りながらライラは呟いていた。それを見て、目の前の席でホタテとマグロの海鮮サラダをつつきながら、サージェンが穏やかに苦笑する。
「静かで良い所だ。海も近い」
「海って言っても、泳げる訳でもないしー」
 子供を宥めるようにな彼の言葉にもライラは唇を尖らせるのみだった。目の前の同僚に当たっても仕方のない事だが――しかも、旅行先をここと決めたのは実はライラの方だった――、愚痴の一つも漏らしたくなってくる事情が彼女にはあった。陰鬱に窓の外を眺める。既に外は暗くなりかけているのだが、それは、時間の所為ではなく垂れ込める暗雲に因る物だった。本来ならばまだ夕刻といった時間であるというのに、分厚い雲が嫌がらせのように日照を妨げている。どうやら嵐が近づいているようであったのだ。折角のバカンスだと言うのに私が何をしたってのよ、と先程からぶつぶつとライラは呟き続けているのだった。
「どの道この季節では、嵐でなくとも泳いだりは出来んだろう」
「分かってるわよぉ、でも、海岸を歩いてみたりとか、したかったのにぃ」
 この街は特に観光地として整備されている訳ではなかったが、街の外れの延々と続く白い海岸線の風景は一目に値するということであるらしかった。もっとも、この自然豊かなレムルス王国内においてはそれは別段珍しくもなく、だからこそそれが主要な観光産業として成り立たなかったのであるが。
 しかし彼女、ライラは、何よりもそれを楽しみにしてここまで来ていたのだった。夕映えする美しい白浜で、波打ち際を裸足で歩き、緩やかな波の音と潮風身を任せてみたりして、砂に埋もれかけた貝殻を拾い上げ、耳にそっと当てるのだ。そこからは潮騒の響きが流れ出てきて、彼女はささやかな感動を胸に後ろを振り返る。そこには長身の青年が立っていて優しげに彼女を見守っていて少女が彼にこの巻き貝が歌う豊かな音楽を聞かせてあげようと傍に寄ると彼は彼女の手を引き寄せてぎゅっと胸に抱き寄せて――
「ひどいわ! この綿密かつ壮大な計画が丸つぶれよっ!」
「…………?」
 ばんっ、と激しくテーブルを手のひらで打ち鳴らすライラを、サージェンはきょとんとした眼差しで見つめた。近くの席にいた客の何人かも、何事かと彼女らの方に顔を向けたが、ライラもサージェンも自分らに視線が集まっている事に関心を向ける様子はなかったので、すぐに興味を失って自分の食卓に目を戻していた。
「……まあ、飯でも食って、ゆっくりしようじゃないか。そういう休暇もいいものだろう」
「折角こんな所まで来たのに?」
 戦士然とした見かけによらずインドア派でもあるサージェンの提案に、ライラが不服そうに頬を膨らませる。逆に彼女はどちらかと言うとアウトドア派だ。休日は決まって街に繰り出している。
「でなければ、室内で筋トレ」
「絶対イヤ」
 これはきっぱりと断る。
「何で休暇だっていうのにそんなことしなくちゃいけないのよ」
「ライラ。騎士たるもの、いついかなる時でも鍛練を怠ってはならぬものだぞ」
 膨れっ面の少女に、サージェンは学校の教官のような口調でとうとうと語ってみせる。ライラは殆ど無意識のうちに、隣の空いた椅子に引っかけてある自分のコートを見下ろした。それは彼女の職場――レムルス王国聖騎士団で支給される厚手の白いコートであった。この弱冠十五歳の少女が、この『騎士の国』レムルスの最高峰の騎士たる事を高らかに証明する、栄誉の証である。現在は休暇中であり、騎士の証明は不要といえば不要であったのだが、丈夫で防水加工なども万全に施してあるこのコートは栄誉云々を抜きにして実用品としてだけ考えても使い勝手がよく、非番であっても彼女はよくこれを使用していた。
 視線を転じる。目の前のサージェンの隣の席には、同じコートは置いてはいなかった。
 彼女もしばしば忘れがちな事ではあるのだが、目の前にいる先輩、サージェン・ランフォードは聖騎士団員でありながら、聖騎士団において唯一騎士の叙勲を受けていない男だった。理由は分からない。噂では聞いた事はあったが、そういえば、その理由を本人に問うてみたことはなかったと、彼女はふと思い出した。
(ま、どうでもいいか)
 特に口に出すのをはばかられる、という訳ではない。尋ねた事がなかったのはこのように、どうでもいいや、で流してしまえる程度の事であったからに過ぎなかった。
「でもサージェン、騎士として、休暇を取る事も職務のうちだと私は思うわ。だって働き過ぎて疲れてて、いざっていう時に戦えなかったりしたら大変だもの」
 とりあえず自分の中でのささやかな思索はその辺りに放っておくことにして、ライラは先のサージェンの問いかけに反論する形で答えた。
「身体の疲労もきちんと抜かなくちゃいけないけど、社会人として何より問題になるのは心の疲労よ。過労死とかストレスとか社会的な問題になっているのよ。特に聖騎士団は中でも過酷な部隊だもの、休める時に休んでおくのは、もはや義務だと思うわ私」
 言い切ってから、彼女は自分の両腕を抱きかかえるように交差させて、ぶるっと震えた。寒いという訳ではないだろう。食堂内はやや暑さを感じるほどに暖房が焚かれている。彼女は自分が口にした聖騎士団の『過酷な任務』を今まさに思い出しているのだ。
「恐ろしい任務だったわ。たった三人で人身売買犯罪組織に乗り込んで、敵を捕縛せねばならなかっただなんて。今思い出してもぞっとするわ。でも一人前の騎士になる為にはこの恐怖に打ち勝たなければならないのね」
「……あの時もちょっと言った気がするが……それが通常の任務であるのだとしたら、俺とて少し首吊りたい気分になってくるのだが」
 サージェンまでもが鉄面皮と言って差し支えない顔をやや青ざめさせて呻く。彼は脳裏にとある女性の高笑いが聞こえてきた錯覚を覚え、我知らず身を震わせた。……それは宿の外で吹きすさぶ風の絶叫のが成した幻聴であったようだったが、冷えきった肝の熱は一向に戻りそうにない。
「……確かに少し、休んだ方が良いのかも知れんな」
 既に十分心身症に陥っているような気がする。
 陰鬱な感情を沸き起こしながらのサージェンの同意に、対してライラはぱっと目を輝かせた。
「でしょう? だから思いっきり遊びましょうね!」
「遊ぶと言ってもな」
 遊びようがないから困っている訳で。振り出しに戻った会話にサージェンがほんの少しだけ困って呟いた丁度その時、ウェイトレスが新たな料理を彼らのテーブルに運んできて、彼は反射的にそこで言葉を切った。観光が出来ない鬱憤を食事で晴らそうというのか、ライラはかなりの量を注文していたようだった。女性としてはありがちで、かつ恐らく禁じ手であろうストレス解消法である。けれどもライラはさほど躊躇する様子もなく新しい皿に手を伸ばし――ふと気がついたように、ウェイトレスに声をかけた。
「ねえ。ちょっと聞きたいんだけど、この辺りにどこか……そうね、面白い名所みたいな所はない?」
「名所……ですか?」
 地元民であろう娘は、ライラの問いに、少しだけ眉を上げて悩むそぶりを見せる。彼女は空になったトレイを抱えるようにしてしばらくの間考えを巡らし、やがて自信なさそうに首を傾げながら返答した。
「中心街に、博物館となからありますけど」
「博物館かぁ……」
 スプーンを口にくわえたままあまり気乗りしない声を上げるライラにウエイトレスの女はこくりと頷いた。
「ええ。この街に古くからいる魔女の秘跡を保存してあるんです」
「魔女?」
 続けられた言葉に、一転してライラはぴょこんと頭を上げる。
 一般に、通常の物理法則を何らかの形で歪め、本来なら起こり得ない現象を生じさせる術を魔術という。これは行使自体に特定の体質を必要とする、ある種の特殊能力ではあったが、もう既に学問として明確に体系づけられて久しい術であり、大陸で最先端の技術とも言うべきものであった。
 ――のだが、それは魔法文化が発展した国においての認識であった。『騎士の国』レムルス、又の名を『辺境の大国』レムルスと呼び習わされるこの王国は、地理的な問題かはたまた大らか過ぎる国民性に問題があるのか、どうにも『サイセンタンのギジュツ』とは無縁の国柄であった。発展し過ぎた科学は、それを理解出来ない者にとってはオカルトチックに見えるものである。そう、この国において魔術とは常人には理解し得ない悪魔や精霊との契約の成果であり、魔法使い、或いは魔女とはそれらを使役する魔性の賢者なのであった。レムルスの人々はただその偉大なる力を恐れ、また敬意を表していた。
 さすがに騎士として高等教育を受けたライラまでもが魔術に対して正しい知識を持っていなかったという訳ではないのだが、やはり後付けの知識よりも幼い頃から慣れ親しんだ御伽噺じみたイメージの方が優先される。今耳にした『魔女』という単語に彼女が抱いたのも、学術的な興味などではなく、無邪気な子供の怖いもの見たさに近い感覚であった。
「魔女なんて、この辺りにいたの?」
「ええ。……いた、というかいますよ、今も。ただ、人間嫌いで有名で、街外れの海を望む丘の城にずっと篭ってますけど」
 何という事もないような返答に、ライラは子供のように歓声を上げる。
「ねえねえ、魔女がいるんだって、サージェン」
「ああ。珍しいな」
 魔法学が未発達な所為もあるのだろうが、レムルスには魔術士はあまり存在しない。ライラの言葉に短く同意したサージェンは、やや首を傾げてライラの顔を覗き込むようにして見た。つぶらな彼女の瞳は何やら燦然たる輝きを放っているように見えた。
 ――何か考えがあるらしい。何だろうとしばらくその純粋な輝きを眺めながら思案したサージェンは、ふとある事に思い至った。
「天気が良くなったら、見物にでも行くか?」
 彼の提案に、ライラはにこりとした。が、まだ何かを訴えかける瞳は変化を起こさぬまま、サージェンを映し続けている。
 ……何だろう。
 ライラからちらりとだけ目を離し、彼は窓の外を見た。宵闇が訪れたかのような空。雲の流れと窓硝子をたたく音からかなり強い風が吹いている様子が窺える。雨はまだ降ってはいないが、それも時間の問題だろう。
 目の前の少女に視線を戻す。彼女は全くの無言で、けれども身悶えしかねないほどにうずうずとした様子で、先輩である彼の指示を待っていた。
「……今、行くのか?」
 にこー。と、満面の笑みというもののお手本のような笑顔で、ライラはサージェンの言葉が己の希望と合致した事を表した。



 かくして、彼らは今、断崖絶壁の上に雷光を背景にして立つ館を目の前にしている訳であった。
 石畳の上で台車を転がすような音が鳴り響き、サージェンは目の前の城館から目を離して天上を見上げた。この近隣には整備された街路はなく、そんな音が発生するとなればその発生源は視線より下ではなく、上であろうと考えられた。
 案の定、雲間に白い光が瞬時走り、またそのしばらく後に同様の音が続いてゆく。
「ライラ」
 吹き荒れる風にどうにかという様子で抗っている細い身体を、名前を呼んで引き寄せる。腕を引いた拍子に小さな悲鳴を上げて彼の厚い胸板に飛び込んできたライラは、泡を食った様子で頭上の彼の顔を見上げた。その顔を見て、サージェンは、む、と眉をしかめる。
「風邪でも引いたか、ライラ。顔が赤い」
「へっ!? あ、ううん、べっ、別に大丈夫よ!?」
「……やはり、雨が降り始めた時点で引き返していればよかったな。かなり強くなりそうだというのは分かりきっていたというのに」
 サージェンは唇を噛んで悔悟の表情を浮かべた。宿を発った時にはまだぎりぎりといった様子で始まっていなかった嵐は、ここに至るまでの一時間強の間に既に前奏を終了しようとしていた。ここから宿に戻るとするならば道半ばで最高潮を迎えねばならなくなることは想像に難くない。
「ごっ……ごめんなさい、私がわがままを言った所為で、サージェンまで大変な思いをしなくちゃならなくなって」
 恐らくここにライラにとって同じ班のもう一人の先輩であるツァイトがいれば、この風雨にも負けぬ勢いで彼女に罵倒の連打を浴びせているだろう。けれども サージェンはそんな真似はせず静かに首を振って見せた。件のツァイトが見たならば、「お前はいっつもライラには甘いんだからよ」等と文句をたれていたに違 いない。
「それは別に構わない。俺が高を括っていたというのもあることだからな。……ともあれ、今はそんなことを言っていても始まらない。あの館で、嵐が過ぎるまで雨宿りをさせてもらおう」
「うえええええ?」
「……何だその悲鳴は?」
 ふっくらとした唇を両端とも下方に引き下げた奇妙な顔で唸るライラを、サージェンは不思議そうに眺める。
「見物に来たかったのではなかったのか?」
「だっ、だってまさかここまで真っ向勝負にそれっぽい感じだとは思ってなかったんだもの! っていうか最初から、外から眺めるだけのつもりでいたんだし……! 魔女よ、あんなお城に、魔女がいるのよ!? 間違いなくホンモノじゃない!?」
「……とは言ってもな……」
 思わず顔を上げたサージェンは土砂降りの雨に洗顔されるはめになり、すぐさま下を向いて首を左右に振った。……焼け石に水という感は否めないが。
 手のひらで軽く顔を拭ってから鼻先を目の前のおどろおどろしい城に向けて、ごく平然とした口調で言った。
「別に取って食われるわけではあるまい。行くぞ」
「取って食われちゃいそうよおっ!? って待ってよ、サージェンーっ!? おいてかないでー!!」
 躊躇のない足運びですたすたと城の門扉に近づき始めたサージェンを、ライラは駆け足で追いかけた。


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