レムルス王国聖騎士団の事件簿〜レムルス王国聖騎士団(8)

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 (8) レムルス王国聖騎士団



 それらしき部屋を、二人の聖騎士団員が発見したのはそれから程なくの事だった。二人の行く手を阻み、へっぴり腰ながらも一人で廊下を塞いできた最後の男の勇気に免じ、ツァイトは彼に剣で切り倒すのではなく靴底で低い鼻を更にへこますにとどめるという寛大な処置を施して、サージェンと肩を並べ扉の前に走り寄った。
 別段、扉の枠が純金で出来ているとか『ボスの部屋』とかいうプレートがかかっているとかいった事はないのだが、建物の最も奥まった位置に静かに鎮座する黒塗りの扉は、この奥がひとまずの彼らの目的地であろう事を容易に予測させるものだった。無論、ライラたちが捕えられているとしたらここではないであろうことはツァイトも重々承知していた。彼らが目的としたのは、ここに住まう男たちの頭領だった。これだけの乱戦に持ち込まれている最中、子供や娘などという人質に意識は払われないだろう。その隙に、こちらも人質を手に入れようという算段である。人質の人数に違いがあるというのが難点といえば難点だが、その代わり、こちらは圧倒的な力の差を見せ付けた。その辺に転がっている男どもで、息のある者をおまけで人質にしてもいい。困難な交渉でもあるまい――相手に、己の劣勢を常識的に悟るだけの理解力があるのなら。
 それでも流石に幾ばくかの緊張を感じ、真鍮のドアノブに手を伸ばしたツァイトはごくりと喉を鳴らした。それが理由というわけではなかったのだろうが、ノブに手が触れる直前、サージェンはツァイトの腕を軽く掴んできた。
「やる」
 短く告げて、しかしサージェンはドアノブには触れようとせず、抜き身のままぶら下げていた剣を一振りした。刀身に纏わりついていた赤い水滴が、薄汚れた木の床に小さな花のように散る。
 ふゅ、と剣で空気に風を切る音を刻み、サージェンは一息に扉を両断した。
「ったく、いちいち斬らんでもいいっつーに」
 もっと分厚い入り口の扉を粉砕する技を見せられた後ではこの程度で驚嘆する気にもなれず、ツァイトは呆れた声を出した。
 二人は揃って失われた扉の奥へと視線を向ける。
 そこで待ち受けていたのは、一人の大柄な老人だった。頭髪も髭も真っ白だったが、引き締まった筋肉を組み上げて作ったような身体をしている。そんな、彼らの祖父ほどの年齢の男は、黙したまま、侵入者に視線だけを向けた。
「ほう」
 その超然たる態度にだろうか、サージェンが小さく声を上げる。
 部屋は老人の居室だったのだろう。丸テーブルや床にいくつもの酒瓶が転がっていて、それに相応しい臭いで充満している。奥にある、ベッドにも使えそうな大きなソファーにどっしりと一人、彼は座していた。
「何者だ」
 声は歳相応だった。だがそれは、枯れた声というわけではなく、年齢通りの風格と年輪のように積み重ねられた自信のある声だという事だ。立ち上がる動作は実にゆっくりとしていたが、それは決して老化によるものではないということは、物腰を見れば間違いない。この老人の肉体は加齢もアルコールすらも突っぱねて、頑健そのものであるようだった。
「官憲のようには見えんな。賞金稼ぎか? 何用で参ったかを聞いておこう」
「少年と、娘を返してもらいに来た」
 気圧されぬよう、ツァイトは対抗するように低い声で告げた。
「貴様らが、二人を誘拐したのは分かっている。僅かたりとも人間としての心があるのならば、人質を速やかに解放し、法の裁きの元に出ろ」
「ふむ……」
 白い顎鬚を撫でつけながら、老人はツァイトを見る目を眇めた。髭に埋もれる厚い唇が釣りあがる。肉食獣が牙を剥くような迫力だが、その表情は笑顔に属するものだった。
「知らんなどととぼけたりはせんよ。どの者のことを言っているかは分からんがな。仕事は今は手下どもに全て任せてあるし……そうでなくとも商品一つ一つの顔まで覚えておらん」
 ツァイトは舌打ちと口許の歪みとで、不快感をあらわにした。
「人買いか。くそ、こんな王都の目と鼻の先でそんな馬鹿やってる阿呆なんざ、いるとは思わなかったぜ」
 人買い――
 その名の通り、人身売買を生業とする者たちである。『商品』の入手方法はさまざまだ。食うに困った農家から子供を買い上げたり、街で浮浪する孤児を騙して捕らえたり。最も荒い手段を用いるのが、今回のように旅人を狙う集団だろう。この場合は、盗賊が人身売買も手がけている、と表現した方が適切であるが。どれにせよ、レムルス王国では固く禁じられている違法行為であり、それゆえ罪も重い。遠く離れた地方都市ではまだそんなこともあるというが、少なくともここ十年、王都のこれほど近くで摘発されたことのない犯罪である。
「王都の者は王都しか見ておらん。案外耳の遠いものよ。……もっともわしらも、住処をここに変えたのはほんの数ヶ月という所だがな……さて」
 二人の剣士からは目を離さず、老人はソファーの肘掛に立てかけてあった剣を片手で取り上げた。それは、目を見張るほど長大な剣であった。サージェンが扱うものと同程度の長さがあり、幅はそれよりもずっと広く作られている。未だ鞘に入ったままであったが、それを、斧を振るうようにして叩きつけてくる様を想像し、ツァイトは身体を緊張させた。
「随分と手下たちには手酷い目を見せてくれたようだが、この部屋ではそうもいかんだろう。この辺でおとなしくしてもらうとしようか」
 ツァイトは奥歯をきつく噛み締めて老人を睨んだ。
 この老人は、二人の快進撃のトリックを見破っている。――そしてここまでの長話は――
「そこまでだ、このガキどもがァ! 簡単に殺しやしねェぞ!」
 今しがた二人が入ってきた扉から、押し寄せてきた罵声をうんざりと聞きながら、ツァイトは自分たちが、老人の策略にはまり、先程に倍する人数の敵に取り囲まれたことを理解した。
「自分の子分を捨て石にするたぁ、たいした根性じゃねえか。むかつくけどな」
「これでもそんなクチを叩く貴様こそ、たいした根性だ」
 軽口の応酬に、老人は言葉通り感心したように笑って見せる。圧倒的な余裕のなせる技だ。
(くそったれ、盗賊風情と侮りすぎたか)
 手短に反省して、横のサージェンをちらりと見る。彼は頭領の方を向くツァイトの代わりに、ドアに視線をやってそこから入りこもうとしている手下たちを牽制していた。
「ツァイト」
「あ?」
「見せ場をくれてやる。雑魚は引き受けるからボスは任せた」
「雑魚だと!? テメエ!」
 ひそめるつもりのなかった声は、雑魚たち……もとい、手下たちにも聞こえたらしく、ツァイトが声を発するよりも先にそちらが沸き上がった。彼らの叫びとは全く違う声を上げそうになっていたツァイトだったが、男たちの興奮の所為で逆に彼の熱は冷めていた。
「……了解」
「思う存分やっちまえ、野郎ども!」
 その瞬間を待っていたように、老人は鋭く吼えた。

 サージェンは下手な気遣いをして見せたが、この役割の分担は実に順当なものだった。
 単純な能力の優劣。
 かの老人がどれだけの技量を持っているかは知れないが、仮にサージェンに匹敵する能力の持ち主だとしても、数十人の男たちを相手取るよりも遥かに現実的に対処できる。
 だから、能力の劣るツァイトが一人を相手にし、能力の勝るサージェンが残りを担当する。実に合理的である。
(……違うだろ、俺……)
 任された敵を睨みながら、ツァイトは胸中で呟いた。
 合理的、ではない。その理論は間違っていないが、実現できなければ、理論は関係がない。
 神速の剣士サージェン・ランフォードといえども、人の子である。人の子に、数十人もの人間を倒すすべなどありはしない。魔法でも使えない限り。
(自分が捨て石になろうってのかよ! 格好つけてんじゃねえぞ!?)
 それでも老剣士に二人揃って背中を晒すわけにはいかず――ツァイトには結局、言われた通りの相手と戦う他の道は、なかった。

「ぬんッ!」
 気迫の声と共に、老人は己の剣を振りかぶった。鞘から解き放たれた幅広の剣は片刃で、ツァイトがそう想像した通り、力で振り下ろし、敵を両断する為の武器であった。
「おおおっ!」
 ツァイトは自分の剣を刺突の構えに保持し、老熟の剣士に向かって疾走した。
 あれだけの獲物、あれだけの筋肉である。懐に飛び込まれては対処しきれないだろう。こうなった以上、出来る限り早くこちらを始末し、サージェンに加勢するより他はない。
 だがしかし――
 ツァイトが想像していたよりもずっと速い挙動で、老人の剣が唸った。
「おおっ!?」
 上げていた雄叫びの語尾が、我知らず上がる。豪快に振り抜かれた剣を前にして、ツァイトは足を止めざるを得なかった。そこへ、更にもう一撃が、来る。
 速い。
 再度、同じ言葉を認識する。振り下ろされた刃から跳び退って辛くも逃れ、ツァイトは頬を引きつらせた。
 剣の軌跡は、実に単純である。真横に振るか、縦に振るか。振り抜かない限り次撃には移ってこない。速度と大剣の重量を考えれば、当然のことだろう。だが、掠っただけでも腕を持っていかれそうなその威力と、こちらの刃など生身で止めてきそうなごつい筋肉を前にしては、ある程度の危険覚悟で飛び込むことも、安易には出来そうになかった。剣を剣で受け止めることも、難しいだろう。先程廊下でサージェンの剣を受けようとした男と同じ末路を辿ることになりそうなのは、想像に難くない。
 剣を閃かせながら、老人は髭面に、にやりとした表情を浮かべた。
「どうした。かかって来ぬのか?」
「うっせェな……」
 毒づいて、ツァイトは剣を握り直した。手のひらの汗を、軽く衣服で拭き取る。柄には滑り止めに布を巻き付けてあるので、まさかすっぽ抜けるという事はないだろうが、そんな事が万が一にも起きたら一巻の終わりだ。
「焦ってんじゃねえよ、やってやるよ!」
 破れかぶれのように叫んで、ツァイトは再び走り出す。

 自分が斬った人数を数える趣味はなかったが、それでももう十は斬っただろうなと頭の隅で思いつつ、サージェンは一瞬だけ意識を後方に向けた。
 見た所、あの老人はこんな場所で盗賊をさせておくのは勿体無いほどの腕をしているようだった。対するツァイトも、精鋭の集う聖騎士団で一、二を争う……とまでは行かないが、若手の中では五指に入る腕前を持っている。
 だがそれは、騎士と騎士が舞台上で行う模擬戦闘での事だ。あのような武器を持つ相手と剣を交わらせた事など、ある訳がない。勝負の行方は際どい所だろう……が、今は、それを気にかけている場合ではない。仲間の心配をする事は悪い事ではないが、心配をして自分の仕事がおろそかになるのは許されざる罪悪だ。ツァイトは、自分を信用して背中を預けている。だったら、自分も彼を信用して背中を預けるのが、仲間として当然ではないか。
 サージェンは、意識を目の前の敵に戻して剣を一閃させた。サージェンの一瞬の隙を感じ取って、仕掛けてきた男が剣を振り上げようとしていた所だった。
「がふっ……」
 息と鮮血を口から吐き出して、男は倒れる。まだ死んではいない。運が悪ければ死ぬだろう。運が良ければ死なないだろう。男の生死にはあまり興味がなかった。そんなものを気にしていては剣は握れない。ただ、足元に転がる敗残者の数が増える事は、鬱陶しくはあったが。
 扉の外から入ってくる男たちは、既に最初の勢いはどこへやら、と言った様子で、及び腰もいい所だったが、それでもなお懲りず、突っかかって来ようとする一人に溜め息をつきつつ、サージェンは足を――
「……っ」
 進めようとした瞬間。
 ぐっとその足を何者かに捕まれ、彼は思わずちらりと下を見やった。血まみれの男と目が合う。唇に、にやりとした笑みを浮かべるその男は、何番目に倒した敵かは分からなかったが、そこで転がっている以上、サージェンの剣を受けた者のうちの一人に間違いはなかろう。
 床を踏みしめる事もままならない体勢のまま、神速の剣士の目前に、敵手の剣が迫り来る。
「たあぁぁぁぁっ!!」
 無駄に威勢のいい声と共に。
 げし。
 剣で斬られる音ではなく、鈍器で殴られる音が響いた。
 それを発したのは、サージェンの身体ではなく、今まさに彼に剣を振り下ろそうとしていた男の方だった。頭を足蹴りで突き刺されたらしい男は、そのまま前のめりに、ずべし、とばかりに倒れる。
「……!?」
 足元を捕まれたよりもよほどこちらの方に驚いて、サージェンが目を見張る。先の気合の声。そう言えば、その声には聞き覚えがあった。ありすぎるくらいに。
「ライラ!」
 男の頭を踏みつけて。
「助けに来てくれたのね! サージェン!」
 現れたライラは背中に薔薇の花を背負ったような満面の笑みを浮かべて、両手をうっとりと組み合わせていた。

「いや今の場合は一応は俺が助けられた形になるんだが」
「いやねうふふ。恥ずかしがらなくったっていーのよ」
 訳が分からん。
 基本的には常識的な娘だが、たまにとてつもなく突飛な所がある彼女の思考は、本日も上々の調子であるようだった。もしかしたら緊張の連続と戦闘の興奮で、どこかの筋を違えているのかもしれない。
 とはいえそんな所も彼女の可愛らしさの一つだという考えを持つサージェンは、全く気にすることなく残りの敵の姿を見回した。男たちは少女の突然の乱入に面食らってしばし呆然としていたが、彼女は彼らが立ち直るよりも早く、サージェンのすぐ横に並んで剣を構え直していた。
「ライラ、ディルト王子は?」
 これは他の男たちには聞き取れないよう、小声にして尋ねる。と、ライラもそれを察して同じ音量で答えてきた。
「あっちの方で吐いてる」
 無理もないだろう。
 薄暗く、狭い廊下は血糊と肉片で汚れ、そこらに死体とそれのなりかけが転がっているのだ。これは、二、三度は戦場を経験しないと慣れない。大の男でもそうなのだから、一国の王子たる少年が気分を悪くした所で誰も責められる事ではない。
 サージェンにとって意外なのはむしろライラが平然としていることだった。聖騎士団に来る前迄は学生だった上、本来は貴族の令嬢である彼女に、血まみれの死体などを見た経験があるとは思えないのだが。
 ともあれ、彼女が動けるというのはサージェンとしても有り難い事だった。一対一の剣術試合に近い形にさえ持ち込めれば、彼女は十分に戦力になる。
「こんな雑魚如き、さっさと片づけるぞ」
「もちろんよ!」
 再度サージェンが口にした雑魚という言葉に、抗弁してくる勇気を持ち合わせた者は最早いないらしい。圧されたように後退する男たちに向かい、師弟は揃って、剣を掲げて見せた。

「やりよるな、若造。その若さでかなりの覚えがあると見える」
 老人と青年、二人の剣士の戦いは、膠着状態に陥っていた。
 互いに、もう既に息は荒くなっている。老人らしからぬ恐るべき腕力で繰り出される剣は、訓練で幾度か受けた事のあるサージェンの剣と遜色ないほどに重 く、一合、二合受けるのでツァイトには精いっぱいだった。まったくもって驚嘆に値する。これほどの技量を持ちながら、犯罪集団の頭領風情に収まっていると いうのは、勿体無い。そう思う。
 だがそれは、ツァイトが腐っても貴族の端くれとしてある程度保証された生活を送ってきたからこそ言える言葉なのかもしれない。強い力を持つ者は、その力 を正しい事に使わなければならない。それは無垢な子供に教え説かれる理想論にすぎず、実際、層の底辺に生まれ、貧しい生活を余儀なくされてきた者に対して 言える言葉ではないのかもしれない。
(……まあ、ンなことはどうでもいいんだけどよ)
 結局の所は、相手の事情がどうであれ法を犯した者を捕えるが騎士の役目で、それは騎士になった以上は選択権のない使命なのだから。
 それ以前に。
(騎士だろうが犯罪者だろうが、武器を手にしている以上、屁理屈なんざいくらこねたって関係ねえ)
 武器を手にしている以上絶対の真理は斬るか斬られるか、ただそれのみだ。
「行くぜっ!」
 叫んで、ツァイトは目前の老人に向かって一気に駆け寄った。
 迎え討たんと、老人が剣を振り上げる。
 この老剣士の豪腕が繰り出す大振りの連続は、それ自体が攻撃手段であると同時に、対戦者に接近する隙を与えない為の防御の手段にもするものだった。無駄 に手数を多く取る為、並みの腕力ではこんな戦い振りを続ける事は不可能だ。恵まれた体格をもって作り上げた、天賦の戦術と言えよう。悪くない、しかし。
 その剣が垂直に振り下ろされた瞬間。
 がっ!
 ツァイトは、足元にあった物を、老人の剣めがけて強く蹴りつけていた。
 瞬間、使い手の意識がそれに向く。
 それは、彼自身が開けたのであろう酒瓶だった。だが、そんなものを蹴りつけられた所で揺らぐような威力の剣ではないし、身体に当たった所でもさしたるダメージにはならない。
 即時に意識をそれから離し、彼は目の前のツァイトに視線を戻そうとした。
 が――
「勝負あったな」
 ぽつりとしたサージェンの言葉が、老人の耳に入ったかどうかは定かではなかったが――
 みぞおちに強烈に拳を入れられ、そのまま彼は仰け反るようにして倒れていった。

「我流ってのは、大抵、攻撃の型が単調なものなんだ。たった一代限りの研究成果だからな」
 倒れた老人は完全に昏倒したという訳ではないらしく、うう、と苦しげな呻き声を時たま上げていたが、起き上がるだけの気力はないようだった。床に背中をつける対戦者に哀れみを込め、ツァイトは冷静な講釈を続けていた。
「古来から伝わる剣術だったら、どの流派のものも崩された体勢からの返しの手ってものが、いくつかはあるもんだ。いかなる場合においても対処できるよう に、既に戦闘術として完成されている。理屈は、だけどな。……だから騎士は皆、今でも古臭いレムルス剣術を習うもんなのさ。ついでに言やあ、あんたの腕前 のよさもよくなかったな。今迄、何回か剣を合わせただけで倒せるような相手としか、戦った経験がなかったんだろう」
 実際……
 白熱した勝負の結末は、非常に呆気ない物だった。瞬間的に老人が酒瓶に気を取られた隙に、それまで入りたくても入り込めなかった懐にツァイトは潜り込 み、一撃をお見舞いした……たったそれだけだ。もちろん、口にする程容易な事ではなく、ツァイトの技量があってこそ出来た事だが。
「ツァイト。お疲れ様」
 言葉を止めた先輩をライラがそうねぎらうと、その時初めて彼は、彼女の存在に気付いた。
「何だ、ライラ。いたのか。……他の敵は?」
「とうに片付いている」
 答えたのはライラではなく、サージェンだった。ちっ、と、ツァイトは舌を打った。
「んだよ、だったらこのジジイの頭を後ろからガツンと一発やってくれりゃいいのによ。その方がずっと楽に済んだんだ」
「まあ、いいだろう? 怪我もなかった事だしな。……それよりもこれからの事を話し合わなければなるまい。これだけの事件に遭遇したんだ、最初の予定通りに進む訳にもいかんだろう」
「……そーだな」
 ツァイトは同意して、足元の老人を始め、周囲を眺めた。最初の任務とは全くかけ離れた所で、こんな大事をやらかしてしまった。延々と、提出する報告書の 内容について考えていて正解だっただろう。王子にも危険な目を見させてしまった事もあるし、一旦王都に戻り、事態を報告せねばならない。報告書もそうだ が、何よりも一番、王妃の依頼を完遂していない事実の方が気が重い。ナルビー山麓に棲む悪魔を倒してこいとかいう無茶苦茶な依頼だったが、それでも、その 悪魔と同等程度にあの笑顔の女悪魔は怖いのだ。
「く……そぉ……」
 途切れ途切れの呻き声が、ツァイトの真剣な思考を邪魔する。改めて、彼は足元の老人を見下ろした。
「こんな……こんな所で……俺達……『ナルビーの悪魔』が……!」
 それが、限界だったようだ。ようやく、老人は苦痛に負け、昏倒した。
「…………。」
 沈黙。
「…………今、何て言った?」
 その問いに、答えを返せる者は、いない。



「サージェンさん、ツァイトさん、ライラさん! 良くぞ、悪しき悪魔どもを倒してきて下さいました! ディルト様も貴重な体験が出来、また一段男に磨きがかかって戻ってこられましたわ! ああ、本当にありがとうございました! このルシーダは、あなたがたの働きに大変満足しておりますわ!」
 ……そんな感じで、何よりも恐れていた悪魔の驚異は何事もなく過ぎ去ってくれた。
 それが、何よりも喜ばしい事だったと、聖騎士ツァイト・スターシアは瞳に涙を滲ませて語っていた……
「結局の所」
 行き付けのカフェのカウンター席で、ライラはパフェ用の長スプーンをぴこぴこと揺らしつつ、おもむろに呟いた。
「何かよくわからない勘違いとまぐれ当たりがもたらしたハッピーエンドってとこ?」
 ――『ナルビーの悪魔』――
 それは魔物でもなんでもなく、何のことはない、盗賊集団の団体名(?)であったらしかった。元々その名の通り、ナルビー地方で勢力を広げていた盗賊団 だったのだが、数ヶ月ほど前、その地方の騎士団に追われ、勢力圏から撤退する事を余儀なくされたのだという。だからといってこんな王都の近郊に次なる活動 拠点を求めなくてもいいような気はするが、それで、決死の魔物退治の旅路が一泊二日の盗賊退治の任務となったのだから、少しは喜ぶべきだったのかもしれな いが。
「三人……いや、四人か。四人で盗賊団殲滅も、そのまま命じられれば同じくらいショックな任務だったはずなのだがな。魔物退治と摩り替わったお陰であまりそういう意識もないな」
 彼女の隣で、プリンアラモードをスプーンですくって口に運ぶサージェンが淡々と返す。そう言えば、と思い直してライラは、腕を両手で押さえてひとつ身震いをした。
「危ない任務だったわよね。聖騎士団ってやっぱり大変なのね」
「……いつもこんな非人道的な任務を受けているとか思われるのも、聖騎士団員として非常に悲しい物があるのだが」
「ディルト様は、どうなさったかしら」
 気を取り直すように、ライラは自分の目の前に置かれた、背の高いチョコレートパフェにスプーンを突き立てた。口にしているのは心底心配そうな言葉だったが、彼女の視線と口元は、チョコレートとアイスクリームの甘い芳香に緩みきっている。結構切り替えが早い。
「どうもしていないらしい。城に戻るまではさすがに旅の疲れもあって参っていた様だったが、今は元気らしい。あの事件についても、こと細かく王妃に話して聞かせ、喜ばせたと人づてにだが聞いている」
「……喜ぶの? あれを聞いて……」
 さすがにパフェをかき混ぜるスプーンの手を止めたライラを見て、サージェンは眉を上げる。
「ライラは、大丈夫そうに見えたのだが」
「大丈夫じゃないわよ。吐いたのよ私も。一回吐いて楽になったけど」
 あの光景を思い出したのか、うぇ、と舌を出してからライラはそそくさとチョコレートパフェに視線を戻した。今日頼んだ品物が、イチゴパフェとかチェリーパイでなくてよかったと、きっと彼女は思っている事だろう。
 確かにサージェンとて、あんな光景は気分の良い物ではない。彼女のその気持ちはよく分かっている。小さく笑みを浮かべて、彼は話題を変えた。
「ともあれ、無事に戻れてよかった。王妃の計らいで、ツァイトも俸給全額カットは何とか免れたことだしな。俺らは代わりに特別褒賞と五日間の休暇までついたし……そうだ」
 こちらも唐突に思い付き、サージェンはライラの方に顔を向けた。
「折角だから、この休みの間、二人でどこかに遊びにでも行くか?」
「えっ…………!?」
 そんな何気ない一言に、何故かライラはびくん! と背筋を伸ばし全身を硬直させて彼の方を見た。その顔は心なしか……どころではなく思い切り、日焼けでもしたかのように真っ赤に火照っている。
「どうした? ライラ。嫌か?」
 右手にスプーン、左手にチョコパフェのカップを持ったまま、彼女はちぎれんばかりに首を横に振って否定してくる。まさかとは思ったが、嫌われている訳で はないのだな、良かった、と口には出さなかったがサージェンは安堵して、カラメルソースがかかったプリンをすくい上げた。
 今日のうちに計画を立てて、準備をして。明日から出かけよう。四日では大した所にはいけそうもないが、きっと彼女とならば面白いだろう。
 そんな楽しい空想に耽りつつ、彼女のように甘く、少しだけほろ苦いプリンを迎え入れようと口を開き……
「きゃああぁぁああぁぁぁぁぁぁっ!!」
 その瞬間、甲高い悲鳴が、人がごった返す表の通りに響き渡った。
「…………」
 二人並んで、自分のスプーンを口に運びかけた同じ体勢で、師弟は静止する。
 今日は、後ろからトレイで頭を引っぱたいてくる班長はこの場にはいなかったが……
 ……まあ、致し方ないだろう。
「行くか、ライラ」
「……そーね……」
 銀貨一枚をカウンターに置き、サージェンとライラ、若き聖騎士団員は王都の平和を守る為、雑踏の中へと駆けていった。


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