レムルス王国聖騎士団の事件簿〜レムルス王国聖騎士団(6)

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 (6) 反撃の王子と騎士と、哀れな男(たち)



 ライラの目の前に現れたのは、三人の男だった。
 そのいずれもが、中年と呼ぶよりは青年と呼ぶべきであろう年齢であるようだったが、間違っても青年などという言葉が持つ爽やかなイメージを思い浮かべてはいけない――そんな印象の男たちだった。がっしりとした筋肉質、迄なら一向に構わないのだが、それにむさ苦しく絡まり合いながら伸びた髪や、一体何日水を浴びていないのか想像するだけで恐ろしい体臭が付加されてはまったくもっていただけたものではない。特に体臭は、先程あいまみえた時は屋外だったのでよくは分からなかったのだが、この狭い密室の中では、あたかも小さな水槽の中に立つ細波のように、壁面に寄せては返し、打ち砕かれ拡散した波がまた新たなる波を生み出すかのように……
(……止めよう……)
 喉の奥に酸っぱい感触を感じ始めて、ライラは思考を停止した。
 ――後ろ手に縛られたライラとディルトの前に、男たちが現れた。
 結論として、現状況を説明する文句はそれだけにとどめておく事に決め、彼女は男たちを、胸の中――或いは鼻の奥――に溜まる不快感を利用してそのまま険しい瞳を形作り、睨み付けた。
 だが、抵抗を封じられた十五歳の少女の瞳は、大の男を威嚇するには案の定役者不足であったらしく、男たちは口角ににやにやとした笑みを浮かべたまま平然と、ライラとディルトを見下ろしていた。
「おいおい、そんな怖い目すんじゃねぇよ、姉ちゃん?」
 一人の男が口を開き、
「そうそう、何も俺達はアンタを取って食おうなんて思ってる訳じゃねえんだからよ」
「なあ?」
 わざとらしいほどの猫なで声で残りの二人が順に言葉を口にして、最後に笑い声の唱和を加えた。それが、と言うよりこの下品な男たちの言動全てがライラの神経を逆撫でした。別に、彼女は男嫌いという訳ではない。無論、それは男好きという事でも決してないが。そして、女だてらに男社会に飛び込んでいるからといって自分が女である事を嫌悪するつもりもなく、彼女とて非番には可愛らしいスカートをはいて街を歩く事を好むし、市井の少女と同じように淡い恋心を胸に抱いたりもする。
 そう……今だって……
 殆ど意識せず勝手に展開されていた思考は、少女の脳裏に、唐突に一人の男の顔を描き出していた。あえて誰と言う必要も最早ない、誰よりも強く、信頼できるその青年の姿に安らぎを覚えて――その頃になってようやく自分の思考のずれに気付いた彼女は、慌ててその映像を現在直面している問題に塗り替えていった。美形と称すれば百人中九十九人は確実に同意して頷くほどに整った男の顔を、目の前に並ぶ前衛芸術の失敗作のような代物に置き換えるのは彼女の美意識に多大な苦痛を与えたが、聖騎士団の訓練で築き上げた強靭な自制心でもってその作業を実行する。
 果たして眼前に再度その姿を現した現実の映像に、ライラは目を逸らし、ついでに溜息を吐きたいのを懸命に堪え、視線を向け続けた。
 そんな少女の心の中の葛藤など知る由もなく、男のうちの一人が、彼女と視線を合わせるようにかがみ込んで来る。やはりにやけた顔のままライラを舐めるように見回した。
 気持ち悪い。
 正直な感想はあわや喉を飛び出さんという所まで出てきてはいたのだが彼女はやはり堪えた。代わりに、感情的になりすぎず、現状の把握に最も適していると判断した台詞を口にする。
「私たちに何をする気?」
 彼女には何の面白味もないように感じられたその言葉は、しかしどういう訳か、男たちを瞬時きょとんとさせた後、爆笑を誘った。
「何をする気、だってよ! この女、護衛のくせに貴族のお姫様みてえなことを言うぜ!」
 ――貴族のお姫様なんですけど。
 無礼にも、指を差して笑う男に、ライラは憮然とした表情を浮かべた。
 レムルス王国では、登用試験に合格すれば平民の出自であろうとも騎士になる事が出来る。そして、騎士の位を得た者は全て、その一代だけではあるが貴族として扱われる。つまり騎士である女性は皆「貴族のお姫様」に間違いはないのだが、彼女の立場はそういう言葉遊び的なものに納まらないのだった。ライラの生家アクティ家は、現聖騎士団長を当主とする名門エバーラシー家に次ぐ、国内有数の名家である。本来ならば彼女は、毎夜、着飾って夜会でダンスでも踊っているのが当然の身分なのである。
 もちろん、相手はそれを知っているはずもないし、むしろ知られては困る事だという自覚はあったので、やはり彼女はそれ以上、何を言う事もなかったのだが。
 ……それに、今のこの男の言い方では、論点はそこではないように思える。
 目の前の男たちは、腰に大剣を帯びているが、それを今すぐ抜こうという気配は見せていない。危険な捕虜を始末しようというつもりでここに来た訳ではないらしい。尋問でもするつもりなのだろうか。しかしそれにしては、お姫様のようだという台詞に結びつかないような気がするのだが……
 ライラは目まぐるしいまでにこの状況についての考察を進めたが、実際の所、数秒程度でしかなかったその思考時間では結論を出すには至らなかった。答えが出る前に彼女の思考を中断させたのは、男たちの行動だった。目の前で屈んでいた男が不意にライラの肩を掴み、同時に、別の男がディルトを押さえつけていた。
「っ……坊ちゃまに何をする!」
「何もしやしねえさ、本物の女が目の前にいるってぇのに、こんなガキなんざ構ってられるかよ」
 男は野卑に笑いながら、即答する。
 騎士団にもそうはいない程に筋肉のついた丸太のような腕で、男はライラの身体を石の床に押し付けた。見てくれはあながち伊達ではないらしい。頭は打たなかったもののその代わりに背中を強打してしまい、ライラは眉間に皺を寄せる。
「……何を……っ!」
 呻くライラの上に、男は馬乗りになった。
「大人しくしやがれって! なぁに、心配すんじゃねえよ、たっぷり可愛がってや……がッ!?」
 ねちりとした声を吐いた唇を舌なめずりした男の身体が、その瞬間、奇声とともに唐突に横に傾ぐ。
 何が起きたのか考えるよりも先に、ライラは咄嗟に、男と床の合間から、男を跳ね飛ばすようにして転がり出た。
「てめェ……!」
 唸り声はライラのいる場所と同方向に発せられたが、しかしそれは彼女に対しての台詞ではなかった。男の殺意すら篭った眼差しはその手前、ライラを庇うような形で男と彼女の間に小さな身体を立ち塞がせる、王子ディルトに向けられていた。彼を押さえつけていた男は、強引に振りほどかれたらしく尻餅をついていた。少年ながら、案外にも力があるらしい――もしかしたら、単純な腕力だけならば、騎士であるライラよりも強いかもしれない。
「彼女の任務は私を護る事だが、だからと言って女性に……彼女に危害を加えるのを見過ごす事は出来ん」
 それが、幼い少年のものであるとは感じさせない冷厳とした声音で、ディルトはそう告げた。罪人の如く縛り上げられるという屈辱にも汚されることのない、圧倒的な高貴さを身に帯びる幼い王子に、男たちは僅かに怯んだ様子だったが、虚勢にも近い気勢で吠え付いて来る。
「こっ……このガキが! なめるんじゃねぇぞ、てめえなんッ」
 再度。
 男の身体が真横に揺れた。今度はそれだけではなく、まともに転倒する。そしてそのみぞおちに、容赦のない勢いで靴のかかとが踏み下ろされる事によって、彼は身体を半分に折り曲げて悶絶した。
「!?」
 他の男たちのぎょっとした視線を集めながら、それを為した張本人――今度はディルトではなく、ライラが、彼らを睨み返す。
 彼女は、ディルトのように口上を述べたりはせず、唖然とする男のうちの一人に、迅速に肉薄した。何事か叫ぼうとしたのか、男が丸く開けた口の奥の黄色い歯列に眉をしかめながら、ライラはかかとを、先程と同じように相手の腹に埋める。腕は封じられてはいたが、足回りは完全に自由だったので、格闘の訓練もこなしている彼女には油断しきっていた男を倒す事は難しくなかったのだ。
 そう、油断さえしていれば。それと。
(手段を選ばなければ)
 内心で呟きつつ彼女は、男を蹴り倒した反動を用いて、身体を百八十度回転させた。そのままその足を大きく一歩踏み出す形で地面につけ、更にそれを軸足にして踏む込む。半秒の後に、未だぽかんとしている最後の男を目の前にして、ライラは加速されすぎた振り子のように足を真上に振り上げた。

「ライラ。騎士の戦いというものは、丁寧にカッティングされた宝石だ。その形状は典型的すぎて面白味に欠けるとも思わなくもないが、俺は概ね、美しいものであると感じる」
 記憶の中から、といってもさほど昔のものではない声が、頭に届いてくる。師の、厳粛な声は、頭の中で反響させるととても気持ちがいい。だから、彼の告げた言葉はその多くを、彼女は洩らさず記憶していた。
「だが、時によってその騎士の作法に背く戦い振りをしなければならない時もある。乱雑な、整えられていない手を打たなければならない場面が、戦場にはある。それは決して美しいものではないかもしれない。それを受け入れるか受け入れないかは……まあ、自身の好みの問題だろう。どうしても美意識が許さなければ、使わなくても構わない」
 そして彼は何気なく肩を竦めて、付け加えた。
「俺は、美しい敗北よりも汚れた勝利の方を好むので、それを使うがな」
 最初は受け入れられない考えだったが、今や、ライラはすっかり感化されており……

「えい」
 そんな声とともに。
 ライラの爪先が、男の股間に深々と突き刺さる。
 ――めりっ――
 どこか生ぬるいそんな感触と、標的となった男の最後の表情には、まさにその擬態語が相応しく感じられた。

「むごい」
「何がですか。どこがですか。不肖聖騎士ライラ・アクティ恥ずかしながら全く分かりません」
 白目を剥き、小刻みに震えつつ床に伏す男を、哀れみすらこもった瞳で見下ろすディルトに、ライラは即座に以上のように言い放った。惑いの片鱗すら見せず、実に騎士然とした態度での返答に、納得したのだろう――とライラは疑わなかった――、ディルトは、何か続けて呟こうとしていた唇を、そのまま使用せず、閉じた。
 ライラはざっと、周囲の状況を観察した。
 最後の男はこの通りなのでしばらくは放っておいても安全だろう。最初に踏んだ男と二番目に蹴った男も見事に急所に決めた攻撃が功を奏し、完全に失神している。あれだけの大騒ぎをしたと言うのに、誰もこの場に現れようとしてこない。事実だけを並べれば、好都合ではあるが、多少心配もある。罠かもしれない……が、それと同程度に、ただ考え無しに行動を起こしたという事も有りそうだった。見た目からの偏見かもしれないが。
「何をしに来たのか結局よくわからなかったけど、他に見張りも置かないなんて不用心だわ」
「…………」
 男たちが持っていた剣で、手首を縛めるこの邪魔な縄を解いてしまおうと思い立ち、後ろ手で何とか鞘を払おうとしながらライラは独りごちた。が、その独白に、明確な言葉でないながらも返答のようなものをされて、彼女はきょとんとその意志の発信者、ディルトを見た。
「……何ですか?」
「何をしに来たって、あれで分からなかったのか?」
「何か分かるようなことしてました? まあ、脅迫してディルト様の正体を吐かせる、ってくらいしか私には用事はないはずですけど」
 目をしばたく少女に、少年は何やら沈痛な面持ちで嘆息する。追及の視線を彼女は向けたが、王子は力なく首を横に振った。
「いや、分からないなら分からないでまったくもって問題無いのだが」
「何ですか? その含みのある言い方は……あ、切れたっと」
 話をしながら取り出した刃でようやく縄を一本断ち切って、ライラは手首を強く引いた。有り難くも難解な結び方はしていなかったらしく、晴れて自由の身となった自分の腕を軽くさすってから、その剣でディルトの縄も切る。
 残ったロープで男たちを縛っておこうか、とも考えたがその必要はないように思えた。鍵は持っているだろうから、ここに閉じ込めておけばいい。あとしばらくしたら目も覚めるだろうが、これまでの状況から考えても、男たちがある程度騒いだ所で誰も気付きはしないはずだ。
「さて……と。じゃあ行きましょうか」
 剣と男の懐から探し当てた鍵を携えてライラが立ち上がると、別の男から奪った剣を持って、ディルトが傍に付いてきた。
「ディルト様、危ないですよ」
「大丈夫。剣の扱いはコルネリアスに、少し教えてもらっているから」
「でも」
 まさか実戦で剣を使った事もあるまい、と指摘しようとしたが、止めた。彼女とて、真剣で切り結ぶ体験などそうそうした事がある訳ではない。そもそも、脱出を試みるからといって、ここにいる、恐らく捕えられた時よりも大人数であろう敵を相手取って立ち回る事を考えている訳ではない。なるたけ剣などを使用しないで済むように逃げられれば、それに越した事はない。
(癪ではあるけどね)
 逃げ切ったら即、通報だ。この借りは司法の手を借り、万倍にして返してやろう、うん。
 意気揚々と頷いて、ライラは景気づけに、中途半端に閉まっていた牢の扉を蹴り開けた。
 その瞬間。
 がらがらがっしゃあぁぁぁぁん!!
 と、それまで静かだった上の階から激しい騒音が響き渡る。
「……!?」
 音は、捕虜二人の脱出を察知し、こちらに殺到しようとするものにしてはあまりにも遠すぎた。何かが起きたのだ。それはただ、食器をひっくり返しただけだったのかもしれない。だが、もしかしたら、という希望が、ライラとディルト、二人の中にはある。
 二人は同時に顔を見合わせて――お互いの意見が一致した事を、無言のうちに悟る。
 唯一の出口でもある、何かしらの騒動があった階段の上へ向かって、彼らは走り出した。


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