レムルス王国聖騎士団の事件簿〜レムルス王国聖騎士団(4) |
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(4) 王太子ディルト・エル・レムルス(と三人のお供たち) 「さあ、いざ行かん、我が栄光の聖騎士たちよ! 我らが女神の大陸に、真実の正義と平和を取り戻すために!」 まだ年端もいかない少年の、怖れという物を知らぬ朗々として張りのある声が、狭苦しい木々の間をこだました。 頭上を覆う枝葉を大きく伸ばした巨木の群れは、後足で立ち足元の小動物に襲いかからんとする獰猛な熊を連想させる。時間は昼だと言うのにどんよりと薄暗い、外界とは隔絶されたうっそうとした大森林を、今、四人の人間が歩いていた。最後尾から、レムルス王国聖騎士団所属ライラ・アクティ、同サージェン・ランフォード、やはり同じくツァイト・スターシア。そして最後の一人、隊列の先頭を歩くのが、レムルス王国王太子、ディルト・エル・レムルス――冒頭の声の持ち主である。 岩壁をよじ登るというほどではないが、ハイキングというものでも決して済まない険しい山道を、しかしながらさほどの苦もなく、むしろ障害物競走でもやっているかのように楽しみながら歩きつつ、幼い王子は頭上を仰いだ。色濃く伸びる枝葉に遮られ、空は斑に切り取られたようにしか見る事が出来ないが、とりあえず彼はそれで満足したようだった。ふと彼は、自分の後ろを振り返って、最後尾の少女に声を投げかける。 「大丈夫か? ライラ・アクティ。もう疲れてしまったか?」 決して居丈高にではなく、むしろ部下を慮(おもんぱか)る声音で呼びかけられたが、ライラはその恩に報いる気にはなれず、胡乱な瞳で主を見つめ返した。もう?――その言葉を反芻する。そう、もう、だ。確かに。もう……かれこれ、六時間は歩き続けているはずだ。この山道を。 何か、間違いを見落としているんじゃないだろうか。ライラはそんな気持ちだった。 疲労の片鱗すら未だ見えない御歳十一歳の王子を、注意深く観察する。煌くような金の髪に、麗しい蒼の瞳。ほんの子供のものでありながら完璧に整った造作は、貴公子という単語を実に写実的に描き出していた。 だというのにこれは何なのだろうか。彼女にとって、これは殆ど悪夢だった。極度の疲労の所為ではない――つまり、少なくともそれが全てではない。王子と自分、身に抱える荷物の差は確かにある。登山用とまではいかないものの、屋外で数日は余裕を持って生活できる程度の装備を彼女は細い身体に担いでいた。対してディルトは身の回りの小物程度を詰めたナップザックを一つ背負っているだけである。とはいえそれは、騎士として訓練を積む彼女と、少年王子との体力差を覆すほどのハンディキャップではないはずだった。 子供にも劣る体力。現実を前にして、ライラは少し泣きたくなった。 士官学校入学から主席として卒業、聖騎士団入団とエリートコースを驀進しつつ積み上げてきたプライドが、こんな思いもよらない所で崩される事になろうとは。 「……ライラ。荷物を貸せ」 数歩分足を止め彼女の傍まで下がってくる格好になったサージェンが、前を歩く二人には意図して聞こえないようにした小声でそっと告げてきた。 そんな慰めが、余計涙を滲ませてくるのだというのに。 騎士たちは、体格に比例して多くの荷物を負担しているので、サージェンの持つ荷物はライラのものよりも一回り大きく、重い。最初、負担の格差を嫌がって、三人で均等に分けるようライラは提案したのだが、それはあえなく却下された。先輩二人にではない。自分の身体にだった。等分にした荷物を背負って、彼女はその場から立ち上がることが出来なかったのだ。 これ以上の迷惑はかけたくない。絶対にかけない。私は、騎士なのだから、泣き言を言ってはいけない。特に、このサージェンには。 「全然平気よ。さあ行きましょう、がつがつ行きましょう」 心配して見下ろしてくるサージェンの瞳に鋭い眼差しを返して、ライラはそうはっきりと言った。 ようやく一行が山間の村にある一軒の宿場に到着したのは、そこから更にたっぷり三時間歩いた後だった。午前中の早い時間に城を出発したのだというのに、その頃には日も暮れており、あと三十分歩いて村に辿り着けなかった場合には野宿をしようと話をしていた矢先だった。幸運を女神に感謝したのは、疲労困憊していたライラだけではなかっただろう。 「大丈夫か、ライラ?」 宿の二階へと這いつくばるように上がり、部屋に荷物を置いたところまでが、流石に彼女の限界点だった。唐突にベッドに突っ伏した彼女に、サージェンは声をかけた。 「少しここで休んでいるといい」 「そういうわけにもいかないわよ。ディルト様の護衛を」 「ツァイト一人でも問題ないだろう。俺もしばらく休む」 言うなり、彼はライラと同じように隣のベッドへと寝転がる。 「……サージェン」 ライラは小さく呟いたが、目を閉じたまま、彼は答えてこなかった。 気を使わせてしまったのだろうか。彼女はそっと身を起こして、師の顔を見下ろした。 一言、その寝顔――本当に眠ってはいないだろうが――に感想をつけるのならば、端正な作りだ、という所だろう。いかにも戦士然とした逞しい肉体を持ちながら、その造作には粗野さがまるでなく、繊細で美しい。閉じられた瞼を縁取る睫は長く、すっと通った鼻筋は美貌に精悍さを添える。ディルト王子の造作を見て美しいと感じたが、彼もそれに負けず劣らずだった。普段は意識することはないが、改めて観察をするとそのことを認めずにはいられない。 息すらも忘れ、それをずっと見つめていると、不意にサージェンは瞼を開いた。 「何だ?」 「何って……目、閉じてたのに気付いたの? 見てたって」 「気付くだろう、普通」 「気付かないわよ、普通」 唇を尖らせて言っては見るが、ライラも別段、驚いたわけではなかった。彼に関して言えば、この程度のことは、驚くほどのものでもないだろう。訓練中、視界の外から振り下ろした剣を振り返りもせずにさばかれたことが、彼女にはある。 「何かついているか?」 低い、泰然としたいつもの声音で呟きながら、サージェンが自分の顎を撫でつける。体格の割に細い顎は、戦士の堅い手に擦られて、ざり、と音を立てた。見た目では目立たないが、髭が生えているらしい。その、自分にはないものに興味を覚えて、ライラは隣のベッドに近づいた。すぐ傍に目を寄せてみると、確かに短く堅そうな髭が生えている。 「サージェンも生えるんだ」 「……ん? ああ、髭? そりゃあなあ」 僅かに苦笑の形になる口許から目を離さずに、ライラは続けて問い掛けた。 「伸ばせば、うちのお父様みたいな……は、知らないか。くるんって感じの偉そうな髭になる?」 「どんなものを言っているのかイメージでしか掴めんが、なるだろうな。髭は濃い方なんだ。放っておけば国王陛下のような長い顎髭にもなるさ。やったことはないがな」 「へえ……! 見てみたいかも。あ、でも似合わないかな……ううん、そんなことないわ、やっぱり。似合うわきっと」 胸の辺りまで顎髭を伸ばしたサージェンの姿を想像して、ライラは思わず吹き出した。彼女自身の父親のような、つまり、貴族のシンボルであるような鼻の下でこじんまりと鎮座する口髭、というのは少し似合いそうもないが、長い顎髭なら面白そうだ。整った顔をもじゃもじゃの髭で覆い隠せば、山賊だと言っても通用するのではないだろうか。彼は筋肉質と言っても横幅のある体型ではなかったが、その分縦があるので威圧感は十分だろう。 口許を手で押さえてその想像を楽しむ少女の頭を、サージェンは軽く撫でた。 「やっと笑ったな」 「え?」 きょとんと目を見開いて、問い返す。見つめたサージェンの目はいつも以上に優しく、彼女の姿を映していた。 「……疲れていただろう。今日は。余り、頑張りすぎるのは良くない」 「あ……」 いつになく慎重に言葉を選んで呟くサージェンに、ライラは小さく声を漏らす。浮上しかけていた気持ちが、やや、下を向くのを、彼女は感じていた。 「そうだよね。無理して身体がついていかなくなったら、逆に迷惑をかけることにもなるし。今度からは気をつける」 「……そういうことではなくて」 眉を寄せて言い直そうとしてきたサージェンを、ライラは首を振って制した。 「違うの、いつもならこんなに無理するつもりはなかったんだけど、ほら、ディルト王子。思ったよりも元気に動かれるから。ここだけの話だけど、子供なんかに負けたくないじゃない、騎士なんだから」 「あれは俺も驚いた。そこらの騎士見習いよりはよほど体力がある。初めての冒険という奴で、はしゃいでいたというのもあるのだろうが。別に、ライラの体力が劣っているというわけではないから、心配しない方がいい」 やはり気を遣わせてしまっていた。ライラは頭を下げて呟いた。 「うん。……ごめんなさい、サージェン。明日からはもっとちゃんとするわ」 サージェンは、まだ何か言おうとして口を開いたのだが、彼女の勢いに押し戻されるようにしてその言葉を飲み込んだ。 「私は、悪い主君だろうか」 ぶくぶくと――と言うのは王子が手で包んで湯の中に入れた空気が水面に上がってくる音だが――音を発しながら、小さく呟いたディルトに、少年と同じように湯に浸かりながらツァイトは視線を向けた。 宿の大浴場―― 天然の温泉ではないが、かなりの広さがある露天風呂は十分に彼の身体を満足させた。そこに、主君と二人で入っている。他には客はいない。元々宿泊客自体も少なかったのだが、貴族の子弟の忍びの旅行だと宿の主人に告げると、二つ返事で浴場を貸し切りにしてくれたのだった。 ……それ以前に、騎士が主君と同じ湯船に浸かっていいのかという事を突っ込むべきなのだろうが、その点については、ツァイト自身が護衛のためとかなり無理矢理な理由をつけて押し通したのだった。彼もこの魅惑的な露天風呂に早く入ってみたかったのだ。もっとも、そんな理由を作らなくても主は許可を出してきたのかも知れないが。子供だからなのか、この王子はあまり、というかきっぱりと全く、主従関係と言うものに頓着しないようである。 「……何のことです?」 数秒の時間を置いて、ツァイトは先の問いに返事をした。こんなに心地のよい湯で体を温めているというのに、王子の表情は暗く陰っている。 「ライラが疲れていたのは気付いていたというのに、自分が楽しいからと言って、彼女への気遣いを怠ってしまった。私は勝手だ」 ぶくぶく、と、今度は自ら湯の中に沈みこんで、泡を吐き出す。 それを見たツァイトは―― ――硬直していた。 (何だ!? な、なんて言うか心洗われるくらい立派だぞ!?) あの王妃の子なのに――――――!!? 女神の顔をしたあの悪魔の微笑みを脳裏によぎらせつつ、ツァイトはうめいた。 よくある拾い子オチか? それとも赤子の取り違えか? いや、まさか王族の出産においてそんな事はあるまい。あの王妃は恐らく、この少年を産み落とす時、大量に持ち合わせている毒を同時に出産するのを忘れたのだ。王子が持って生まれてくるはずだった毒を母親が全部体内に貯めこんでしまったが故この王子はここまで清廉で、対して王妃は二人分の毒の所為で美しい見目の中に毒々しさを恐ろしいほど毒々しく大量に毒どく…… 考えれば考えるほど、自分の思考が言語の規格から外れていってしまっていると気付いていない訳ではなかったが、驚愕のあまり、彼はそれを人間的思考に修正することを忘れていた。小刻みに震え続ける身体が水面に微かな波を立てるも、当の王子は騎士のそんな様子には気付いたふうもなく、しゅんとした表情で意気を沈殿させている。 「私は将来、このレムルスの民全てを率いていかなければならないというのに、すぐ傍にいる部下をも忘れ、自分だけ楽しむなどというとても恥ずかしいことをしてしまった。なあ、ツァイト。私はどうしたらいいだろうか」 (違うのか? まさか子供の時は素直で純粋なんだけど大人になると体内で自然毒発生していく家系とかいう感じだったりするのか王家って) 放っておいたら思考は永遠に終わりそうもなかったが、自分の方に向けられていた王子の穢れなく純粋な潤んだ瞳に気付き、ツァイトはようやく意識を現実に戻した。 「いや、まあ、あー、あんまり気にすることはないんじゃないでしょうかね? 別にライラだって気にしてはいませんよ」 (少なくとも、ディルト様が言っているようなことは) 酷く落ち込んでいた後輩の顔を思い出して、ツァイトは呟いた。サージェンに、彼女を慰めるように言うつもりだったのだが、普段は人間の心理に鈍感な同僚は、今日ばかりは彼女の異変に気付いていた。おそらくは、ツァイトよりも先に。 師弟の関係が良好であるからなのか。それとも―― まあいいか、と内心で首を振ってから、ツァイトは再度ディルトに向き直る。 「それでも気になるんだったら謝ればいいですけど。わざわざライラが気にしないように努めるんだったら、ディルト様も気にしないでいてあげるのが正しいと俺は思いますよ」 「そうなのか……?」 恐る恐る、といった様子で視線を上げてくる王子に、ツァイトは無意味に自信たっぷりな仕草で、頷きを返して見せる。騎士たるもの、はったりも大切なのである。多分。 「そうか……わかった」 幼い瞳に何かしらの決心をたたえて、ディルトは顔を水面から離した。 「ライラ、少しいいか?」 そうディルトに呼び出され、ライラは宿からしばらく歩いた先にある、森の中にぽっかりと空き地のようになっている場所に出た。 少し休んだことで多少は体力を回復していたし、何より王子直々の命令に騎士として従わないわけには行かない。サージェンとツァイトはやはり王子に命じら れ、宿の一室で待機したままだった。満月に近い月は明るく夜を照らし、その温度の低い光の中に、ディルト王子の金色の髪がより一層輝いている。少し離れた ところを流れる小川のせせらぎと、夜風に溶けるふくろうの鳴き声だけが、王子と少女騎士の二人を緩やかに包む。 足手まといになってしまったことを注意されるのだろうか。落ち着かない気分で、自分に背を向ける主君の次の句をライラは待っていた。 ――ふと、ディルトが彼女の方を振り向く。 「ライラ」 呼びかけに、ライラの心臓は強く血液を送り出した。 緊張と言えば緊張に間違いない。だがそれは、その一瞬前まで感じていた主から受ける罰に対する緊張ではなかった。 月の光に浮かび上がる、美しい少年の潤んだ蒼い瞳が切なげに見上げてくる。否応無しに胸が高鳴る。つまりはそういう緊張だ。 (ってときめいてどうするのよ私ぃぃぃぃ!?) 思わず頭を抱えそうになるのを必死でこらえて不動の姿勢を保つライラに向かって、ディルトがそっと歩を進めてくる。 そしてあろうことか―― 彼は、唐突に、ぎゅ、と彼女の身体を抱きしめてきた。 (はぅあ!?) 本当ならば照れるほどのことでもない。相手は自分の肩ほどしか身長のない子供だ。だというのに、ライラの顔は沸騰したように赤くなった。相手が悪い――王子であるとかいうそういうことではなく――ここまでの美少年に抱きつかれて、赤面しない少女はいない。 「ででででぃると様!?」 泡を食って、ライラは相手への無礼をも忘れてその王子の肩に手をかける。と、その瞬間、ひとたび睫を伏せさせてから、す、と見上げてきた青玉の瞳に射抜かれて、ライラは更に頬を紅潮させた。 その美貌で捨てられた子犬の目は卑怯過ぎる! 騎士ともあろうものがうろたえるとは情けないことだといつものライラなら恥じる所だったが、今はその余裕もなく、彼女は思う存分動転していた。とにかく 何だか分からない。何故王子がこんなことをしてくるのかも分からなかったが、そんな理性的な悩み以前に彼女は見事なパニックに陥っていた。どうすればいい のか。何が何だか。 しかし脅威の瞬間は、そこにとどまっていなかった。まだ、続いていたのだ。 すっと、王子の細い指がライラの頬に触れる。 (えぇ?) 王子がその体勢のまま、背伸びをして顔を近づけてくる。 (うそちょっと待――!?) そして。 唇が触れる直前に――ライラは周囲を取り巻く気配に気がついた。 それに気づいたのは、サージェンとの訓練の賜物以外には言いようがなかっただろう。少なくとも、この聖騎士段に入隊する――サージェンに師事するより以 前は、数メートルも離れた木陰に隠れる人間の気配などを察知する能力は、備わっていなかったはずである。もっとも、サージェンの同様の能力には及ぶべくも ないが。最初、サージェンかツァイトがやってきたのかと思った。仮にその二人でも、こんなシーンを見られるのは十分にまずい。が、事態はそれ以上にまずい ものであるようだった。 「誰!?」 先輩二人ではないと察した瞬間、彼女はディルトを押し返して鋭く誰何の声を上げた。驚いた様子で目を見開いた王子を後ろ手に庇いながら、視線を巡らす。 これも、師、サージェンから与えられた感覚の一部なのだろうか。いやな予感が心を満たす。 しばし、暗がりと対峙して待つ――と、何かの合図があったのか、数人の男たちが、同時に藪の中から姿を現した。一箇所からではなく、点々と、複数箇所からだ。 「こんな場所でラブシーンとは、やるねぇ、最近のガキはよ」 耳障りなだみ声で、男の一人がそう言うと、他の男たちも、同じような声で下品な笑い声を発した。宿に宿泊する、酔っ払い客のようにも見えるが―― ライラは目を細め、その男たちを睨み据えた。 「何者だ。たまたま通りがかったという訳ではなさそうだな」 意識して低くした声と、威圧的に聞こえる台詞を選んで口にする。それで相手が臆して退散するとは思えなかったが、過分になめられないだけでもましだということにしておく。やはり、男たちには別段彼女を恐れた気配は現れず、にやにやとした笑いを続けているのみだった。 (何者……? 王家を……ディルト様を狙う何者かの手先?) それともやはり、調子に乗りすぎただけの酔っ払いか? 可能性はいくらでもある。 ライラが思案していると不意に、最初に声を上げた一人が、口許に笑みを浮かべたまま腰の後ろに手を回した。 「……っ!」 そこから引き出されたものを見て、ライラは可能性をいくつかに絞ることを余儀なくされた。大振りのナイフ。一般人が持つ護身用のものではない。明らかな、戦うための武器だ。 「こんな辺鄙な場所に、わざわざやってくるのがいけねぇのさ。なぁに、変な真似をしなきゃわざわざ痛い目を見せたりはしねえからよ、お貴族様の坊ちゃんに、従者の姉ちゃんよ」 囁くように言いながら、男たちは標的を中心とする輪を狭めてきている。 人数は七人。まず、一人では勝てない…… 声を上げて、サージェンたちに届くだろうか。宿からは多少距離があるし、近くには川も流れている…… この男は、貴族、と呼んだ…… 一瞬で、全ての状況に意識をやった後に、ライラは腰の剣を抜き放ち、全力で叫ぶ。 「坊ちゃまに害を成す不届き者めが! 成敗してくれる!」 ライラの透き通った声が、漆黒の空に高く響いた。 窓際で読書をしていたサージェンは、不意に顔を上げた。 「今、声が聞こえなかったか?」 「あん?」 同僚の顔を見詰めて、ツァイトは問い返した。サージェンは真顔だった――が、これは普段通り過ぎて、彼の心のうちの危機感を察する手がかりにはなり得な い。しかし、彼がお気に入りの恋愛小説から手を離してまで呟いた言葉となれば、それの意味する所は他愛もない冗談や雑談では済まない。 「……ディルト様か?」 立てかけておいた剣をツァイトが手に取った時にはもう既に、サージェンは扉を蹴破るようにして部屋から駆け出していた。振り返らずに彼が呟いた小さな声が、ツァイトの耳にかろうじて届く。 「ライラだ」 しおりも挟まずうち捨てられた本が、ベッドからばさりと床に落ちた。 動いている間に乱れた髪が一房、目にかかる。それを乱雑に払ってライラは目の前の男を見据えた。 地面には、二人ほどが、苦しげにもがきつつ横たわっている。殺してはいない。主を護るためとは言えども、まだ若い彼女には、刃で人を命を串刺しにする事には躊躇いがあった。 それでも、本当に敵を殺すしか、主を生かす道がないというのであれば―― 「躊躇は、しない」 声に出して、彼女は囁いた。 「ライラ……」 ライラのすぐ後ろにまとわりつくようにしているディルトが小さく声を上げたが、彼女はそちらへは視線を向けることはなかった。いや、出来なかった。自分 が戦っている間に逃がそうとも思ったのだが、この人数差ではそれも難しかった。王子を庇いながら、獰猛な獣のように視線を鋭くして、彼女は男たちと対峙し ていた。 戦いが始まって、まだ二分と経過していない。だが、男たちの目には、先程までのような余裕は見受けられなかった。 一分強。この時間は長い。七人もの男と一人で渡り合うには、あまりにも。だが、その時間を彼女は耐え抜いていた。男たちがたかだか若い娘と子供相手に剣 を抜いて見せたのは威嚇以外の何のつもりもなかったのだろうが、今はその刃に明確な殺意を乗せてきている。機を伺っているつもりなのか、じりじりと足を地 面に滑らす男の姿を、ライラは身じろぎ一つせずに視野全体で追った。 騎士には、はったりも必要だ。彼女がそれに気付くはずもなかったが、奇しくも、ツァイトが数十分前に内心で呟いた台詞と同一の言葉をライラも心のうちに 浮かべていた。最初の二人を、それぞれ初撃でのしたため、彼らの中でのライラの実力は、彼女の本来のそれよりも数段高く設定されているはずだった。一対多 の戦闘では、序盤できるだけ迅速に――相手がそれがトリックであると気付かぬほど迅速に――、出来る限りの人数を無力化しておくのがいいと教わった。余力 は無視していい。消耗した分は、相手に植え付ける詐欺まがいの警戒心が十分に補ってくれる。師が、サージェンがそう言ったのだ。こと戦闘に関しては、彼の 教えはライラの中では神の言葉にも等しい。 だが―― それでも残り五人を殲滅することは出来ないと、彼女は冷静に気付いていた。はったりははったりだ。ネタが割れてしまえば簡単に打ち破られてしまうもろい 幻覚に過ぎないし、効果が永続するわけでもない。それに、これは彼女自身の失態だが、二人以降は時間をかけ過ぎてしまった。睨み合いの時間は自分の休息に もなるが、相手に冷静さを与える余地にもなる。 倒せないのは最初から分かっていた。時間を与えることは危険だが、今は――待つしかない。 が。 「野郎、ふらついてるくせによ!」 ついに決心を固めた男の一人が呼気とともに喚いて駆け出す。時間切れか。舌を打って彼女は身体をそちらへ向けた。やや遅れ、残りの四人も突撃を開始している。 「誰が野郎よ!」 男の言葉に毒づいて、ライラはディルトを強く突き飛ばした。堪えきれず王子は地面に砂埃を上げて倒れたが、騎士はそれを無視せざるを得なかった。男の言葉もまたはったりだろうが、あながち嘘はない。 足を踏み出して、敵の攻撃の間合いを乱す。が―― 「っ!」 騎士ならざる態度ではあったが、ライラは強く舌を打っていた。半端な休息が仇となったか、こともあろうに足がもつれたのだ。 ぐん、と前のめりになって視界を失う瞬間、眼前の男が好機とばかりに笑みを浮かべるのが見えた―― 「ライラっ!!」 王子の悲痛な叫びと同時に、突き刺さる痛みを感じて、彼女の視界は暗転した。 |
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