レムルス王国聖騎士団の事件簿〜レムルス王国聖騎士団(3)

←BACK 

 NEXT→


 (3) 神速の剣士サージェン・ランフォード(と弟子とおまけと唯一彼に勝てる人)



 ピンセットでつまんだ脱脂綿で傷口を撫でられる激痛に耐えながら、ライラは目の前の男を見つめていた。
 サージェン・ランフォード。
 神速の剣士と仇名されるこの男は、聖騎士団における先輩で、今は彼女の担当教官の任に就いている。レムルス王国聖騎士団には、新入団員は各々一人ずつの先輩騎士に付き従い、聖騎士としての作法や礼儀、時には剣術や学問を学ぶという習わしがあった。
 が、彼には今まで剣術しか教わったことはない。
 もっとも、作法や礼儀に関しては、もとより武門の出であり、騎士見習いとなったのも人よりはるかに早い彼女には、逐一教えてもらわずとも困ることはなかったし、士官学校において他の追随を許さない成績を修めた彼女に学問を教えられる者は、実はこの聖騎士団においてもそう多くはない。士官学校どころか、幼年学校すら通ったことがないというサージェンは、無論、教えられない方の部類に入る。
 彼は、この聖騎士団において唯一、騎士の叙勲を受けていない人間だった。
 元は単なる傭兵で、レムルスの傭兵団にいた折に何か素晴らしい武勲をあげたらしく、国王陛下に気に入られ、聖騎士団に異例の大抜擢をされたのだと聞く。彼からではない。誰もが公然と噂していることだった。「素晴らしい武勲」のくだりがあやふやなのは、聞く人聞く人で別々のことを言うからである。曰く、一人で武装盗賊団を壊滅に追い込んだだとか、傭兵団の剣闘大会で優勝するだけではあき足らず全員勝ち抜きを果たしただとか、誘拐された王族の子弟を単独で秘密裏に救出しただとか、どれも普通に考えるなら現実的でない話で、ライラは当初、話半分に聞き流していた。が最近は、実は本当なのではないだろうかと思ったりもしている。
 噂はどうであれ騎士でもない彼が騎士の最高の栄誉である聖騎士団に、その名を正式に受けてはいないにしろ所属しているのはれっきとした事実だし、何よりも、彼の力量を知ってしまったら、そういうこともあるかもと思わずにはいられないのだ。
 彼は、こと剣術にかけてなら、聖騎士団の誰よりも強い。騎士の中の騎士である彼らを凌駕するということは、レムルス国内において敵はないということになる。いや、大陸全土を見回したところで彼に匹敵する剣士はいないだろう。
 彼の立場を認めようとしない者たちでさえ、神速の剣士の実力は不承不承ながらも認めざるを得なかったのだ。
 とまあ、それが一般論としての、そしてほんの一ヶ月前までのライラの、剣士サージェン・ランフォードに対する評であるのだが。
 それは間違いではない。だが、全てではない。せいぜいが半分だ。
 彼を恐れる者も妬む者も崇拝する者も多いが、その彼らのうちどれだけが、残りの半分を知っているだろうか。
 寡黙で冷静と言われているが実際はただ単にぼーっとしているだけだし、そこから生み出される孤高の剣士というイメージが丸くずれになるくらいにツァイトの悪巧みにいつも乗っている。趣味は身体の鍛錬だろうと思われているのは当たっているが、ではその次はと聞かれたら料理と読書だと答える男だということなど、もしかしたらライラしか知らないかもしれない。
 何だか無性にうれしくなって、身体の奥から笑いが込み上げてきたが、ライラは一人、それを噛み締めた。

「で、結局何なの? 王妃様ってどういう方なの?」
 絆創膏で留められた大きなガーゼの上からライラは頬を掻いた。少し大袈裟すぎる気がして面映いが、親切はありがたくもらっておくことにする。
 ライラが問うと、サージェンは今朝、王妃に向けていたような、渋い顔をした。
「ルシーダ妃は……まあなんだ、少し特殊なんだ」
「特殊って」
 このサージェンの自室には彼ら二人しかいないが、人目をはばかるような低い声で呟くサージェンに、ライラは首をかしげた。サージェンが、声を落とせと目で言ってくる。昼間はライラは毎日のようにこの部屋に足を運ぶが、今は夜中だ。静まり返った夜の空気に、少女の声はよく響く。こんな時間に同室にいるというのが知れ渡ったら、お互いに少しまずいことになるかもしれない。……が、彼が懸念したのはそれとは少し違う問題のようだった。
「どこであの方の耳に入るか分からない」
「ちょっと、何……? 何か不穏な物言いだけど」
 眉を寄せながらライラは呟いて、唐突に、はっと口を押さえた。
 もしや彼女は、輿入れという大胆な手口でレムルスに入り込んだ、他国のスパイか何かなのだろうか。その秘密をサージェンやツァイトは偶然に知ったのだが、立場上手を出すこともできず、逆に王妃の手勢に追いつめられ、脅迫されている……
 それなら、王妃がツァイトに何かを頼もうとしていたことや、ツァイトが逃げ出そうと言った意味のつじつまが合う。脅迫されるにしろ引き込まれるにしろ、一歩足を踏み込んでしまったら後戻りは難しいだろう。
「あ、あんな穏やかな顔をして……狡猾な敵ね……」
「何を考えてるのかよく分からないが、スパイとかではないぞ」
 分からないと言いつつも的確に否定するサージェンに、ライラは「え、違うの?」と視線を上げる。
「狡猾なのには違いないが。……あの王妃は、変わった趣味があるんだ」
「趣味?」
「王妃は……」
 と。
 言いかけていたサージェンが突然、何かに気づいたように、座っていた椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。
「!?」
 ライラは何事かとサージェンの顔を見上げたが、その理由はすぐに知れた。
「サージェーンさーん!」
 まるで、家の戸口の前で友達が、「あーそーぼー」と声をかけてくるのと同じような調子で、外から大音声が響いてくる。女の声だ。
「ま、まさか」
 恐れと戦きを声にするライラの前を、サージェンが大股で横切る。窓に手をかけ、一気にそれを押し開いた。
 二階の窓から裏庭の一点を、神速の剣士は冷厳とした瞳で見下ろしている。
 彼の視界の真ん中では、優美なドレスで滑らかな曲線を描く身体を包んだ貴婦人が、幼女のような満面の笑みを浮かべて彼を見上げていた。

「サージェンさーん、お願いがございますのー」
「近所迷惑です。叫ばないでください。王妃陛下」
 眼下の主人を見つめる双眸が声高に叫ぶ帰れコールにもめげず、というか気づいたそぶりすら見せず、王妃ルシーダはにこにことしたまま、胸の前で祈りの形に手を組んでみせた。
「サージェンさんならばー、さほど難しいことではございませんわー。何ならそこにいらっしゃるライラさんもご一緒にー」
 まったく人の話を聞いていない台詞を、やはり同じ音量で叫んでくる。
 ちなみにライラは、窓から顔を出していない。何で知っているのだろうか。怖すぎる。
 何が何だかいまだに分かっていないらしい彼女も、本能的に何か危機を察したのか、それともただ単に驚いて声も出ないでいるのか、空気を求める金魚のように口をぱくぱくと開閉している。その姿を一瞥して、サージェンは再び王妃へと目をやった。
 暗闇の中にそこだけ明かりが点ったように、煌びやかな衣装を身に纏った王妃の姿は見えたが、その足元の暗がりに何かが転がっているのを、彼は見つけ、目を凝らした。人間大の物体で、荒縄でぐるぐる巻きにされており、よくよく見るとその縄の一端を王妃の白く小さな手が握っていた。
 サージェンの視線に気がついたのか、王妃も自分の足元に一旦目を落として、やがて、にっこりと微笑む。
「わたくしのお願いを聞いてくださったら、これ、差し上げますわ」
 紐をくいと引っ張って足元の物体、早い話が、さっきサージェンが放り出してきたツァイト(ちなみにまだ目を回している)を王妃は示してみせる。
 サージェンは、手で顔を覆ってがっくりと肩を落とした。それは神速の剣士が敗北を認めた歴史的瞬間に他ならなかった。
 
「聖騎士ともあろうものがどうして女性一人にた易く捕らえられる」
「気絶してる俺に何ができたってんだ、ああ!?」
「助けてやった人間にどういう言い草だ」
「てめーが元凶だろォが!! てめーがあんな所に俺をほっぽり出して行かなきゃこんなことにはなんなかったんだよ!!」
 王妃とツァイトを、サージェンは自室へと迎え入れていた。途中、サージェンが仮面のように無表情な顔の中の瞳だけに恨みつらみをたぎらせて、ツァイトの頭を思い切り殴ったことで、ようやく彼は目を覚ましていた。
 ひそひそ声で罵り合う二人を交互に眺めてから、ライラは最後に、窓際に置かれた椅子に姿勢正しく腰掛けている女性の姿を目に映した。王妃ルシーダ。慈愛溢れる笑みで若き聖騎士の微笑ましいじゃれあいを見詰めるその様は、我が子の成長を喜ぶ親の表情にも見えた。彼らの母親と言える様な年齢ではないが。
 女性の細腕です巻きツァイトをここまで引っ張ってきた事実は厳然とあったが、それでもライラには、ツァイトやサージェンが危惧するような相手であるとは、どうしても見えない。
「折り入ってお願いしたいことと申しますのはね」
 艶やかな紅が差された唇から、鈴の転がるような声が出される。口論していた二人もさすがに口に封をし、ひざまずいて姿勢だけは聖騎士として正しい主に対しての礼を取った。
「わたくしの子の、ディルト様のことでございますの」
 レムルス国王ディラック・ニーズ・フォン・レムルスと、第二王妃ルシーダ・セリス・レムルスとの間には、王子が一人産まれていた。その名を、ディルト・エル・レムルスと言う。その、御歳十一歳になるルシーダ妃にとって唯一の子は、王と第一王妃との間に王子がいなかったために、レムルスの第一王位継承権保有者、つまり王太子と言う立場にあった。
「ディルト様、ですか」
 確認するように、サージェンが慎重な言葉を発する。ディルト王子はこの王妃に似ず(と、きっぱりと言っておくべきであろう)、非常に素直で聡明な御子だった。子供っぽいわがままも殆ど言うことはない、だが子供らしい愛敬に溢れたあの王子なら、王妃本人を相手取るより数千倍与しやすいと彼は踏んだ。自分の愛児がからんでは王妃もいつものような無茶は言うまい……多分。
 サージェンが思索している様子を、隣でひざを床につけているライラは横目で見ていたが、いまいちまだピンと来てはいない様子だった。
「先日ですね、ディルト様が眠れないとおっしゃるものだから、わたくし、枕元で童話を読んで差し上げましたの。あの……何て題名でしたかしら。ちょっと思い出せませんのですけど、あれですわ。果物の中から生まれた騎士が、三人の供を連れて魔物を退治しに行くお話です」
 確かにどこかで聞いたような話である。もっとも、それに類似した英雄譚などは、大陸中のいたる地方にあるのだろうが。
「そうしたら、そのお話をディルト様はいたく気に入られまして。是非そのような心踊る冒険を体験してみたいと仰せられましたの」
 王妃は明るい声で続けていた。次第に、サージェンやツァイトの背筋に、一度は払拭しかけていた嫌な予感が戻ってくる。
「と言うことで、あなた方にはディルト様のお供の役をやって頂きたいのです」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 満を持して結論を告げた王妃を、即刻ツァイトが遮った。
「お供の役、って……え、演劇とかじゃないんですよね……?」
「当たり前ですわ。わたくしはディルト様を、欲望を仮想現実などで満足させられるような程度の低い男に育てた覚えはございませんことよ」
 ぷりぷりと、唇を尖らせて反論してくる王妃。欲望ってアンタね、と突っ込みたい、思い切り突っ込みたいがここはぐっと我慢するのが聖騎士のさだめだと、ツァイトは内心で呪文のように唱え続けた。
「でもそんな、ええと……魔物退治なんて……騎士団の任務でも、そんなことは十年に一遍あるかないかで……」
 ツァイトが反駁(はんばく)すると、王妃ルシーダは初めて、その表情に影を落とした。
「ええ……そうそうないですわよね。ご本では魔物の住処は絶海の孤島だったのですが、どれだけ探しても現在、レムルスには魔物がたくさん住んでいて困っている島などありませんでしたもの」
「そりゃあ……ないでしょうねぇ……」
 そんなものが存在したら、王妃の耳に届くよりも早く、騎士団から遠征軍が編成されて討伐に向かっている。十年に一度の遠征軍どころか、ここ数年は、単独の魔物すら国内では確認されておらず、もしかしたら絶滅したのではないかとすら言われているのだ。もっとも、生物学的見地からの意見だと、まだ存在しているという証拠も出ているそうで、このあたりは学者同士で意見が分かれているようではある。しかしどの道騎士団は実際被害が出るか、少なくとも目撃されない限りは動くことができないので、そういった議論については関係がない。無責任ではあるが。
「そういう訳でして、とりあえず今回は島は諦めまして、ナルビー山麓の森林で妥協しようと思っているのですが」
「妥協するも何も、森にだっていないと思いますけど」
「いいえ、おりましてよ」
 自信たっぷりに、王妃が胸を反らす。夜用の薄いドレスの上からは王妃の均整の取れた肢体の線がくっきりと見え、ツァイトは少し慌てた。
「い、いるって言うのは?」
「ちょっと小耳に挟みましたの。ナルビーの森に悪魔と呼ばれる存在が棲み付いていると」
「どこからそんなもの聞くんですか……?」
「あら、わたくしの情報網は陛下も認めていらっしゃるってこと、ご存知でしょう?」
 にっこりと笑って言ってのける王妃。サージェンとツァイトは苦々しく唸った。やはりライラは眉をひそめるだけだったが、先ほど、王妃スパイ説が彼女の中では一度は持ち上がったからか、疑いの眼差しと言うよりはひょっとしたら実はという警戒が混ざっているようだ。
「明日の午前中には準備ができますかしら。わたくしの愛らしいディルト様は出立の時を心待ちにしておりますので、なるべくお早めにお願いいたしますね」

 ぱたん。
 呆然とする聖騎士三人を残して、サージェンの私室の木製のドアは、怒涛の如き来訪者の姿を彼らの視界から消した。

「……何だったの……?」
 もう誰もいないドアを指差しながら、ライラは先輩二人の方を振り返った。見ると、彼らは疲弊しきった表情で、そのまま床の上に足を崩し、座り込んでいた。
「逃げられないと悟ってから、覚悟はしていたが」
「今回は、いつも以上にでかくねぇか、話……?」
「ね、ねえ今の」
 再度尋ねるライラに、サージェンはそっけなく答える。
「聞いた通りだ。明日の正午までに、出撃の準備をしておけ。ナルビーだと到着するまでに三日かかる。往復一週間分だ」
「あっちでの作業日程は取らねぇの?」
「何もなければ一日森をうろつけば王子も飽きるだろうし、本当に魔物の群れがいるならその後の日程を考える必要もあるまい」
 恐ろしいことをさらりと言う。ライラよりもツァイトの方がその言葉に敏感に反応した。
「ルシーダ様の情報、あれで結構正確なんだよなぁ……」
 もう既に目が諦めている感じである。声にもいつになく力がない。床に、両手両足を広げてツァイトは寝転がった。
「ちょ、ちょっとツァイト、何不気味なこと言ってるのよ?」
 冗談ではないのだろうか、たった三人で魔物の群れを退治しに行くなど。正気の沙汰ではない。
 無理矢理にでも冗談だと信じ込もうとしているのが一見して分かるライラの瞳は、しかしながら不安と恐怖と混乱と絶望にぐらぐらと揺れていた。ようやく彼女も分かってきたらしい。あの王妃がどういう人物かということが。この瞳に、諦観が混じればもう一人前だ。……何の一人前であるのかは悲しくなってくること必至なので、考えてはいけない。
「そういえば、先ほど言い損ねていたな。王妃の趣味が何であるか」
 思い出したように、サージェンが、いつもと変わらない低い声で呟いた。
「人間観察だ。人に無理難題を吹っかけて、人が困って悩んで混乱して泣き叫ぶのを見るのが大好きなんだ」

 その夜。
 聖騎士の宿舎から響いた少女の悲痛な絶叫は、数百メートル離れた王宮にまで届いていたと、この日当直だった兵士は証言している。


←BACK 

 NEXT→

→ INDEX