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召喚術士の屈辱



 膝に乗せた分厚い魔術書を、口を真一文字に結んで黙々と読んでいる私を、その横から四属性精霊がにこにこと上機嫌そうに眺めている。
 それは一見研究に勤しむ主を見守る優しげな精霊の笑顔だが、そのいかにも裏表のなさそうな善人じみた笑みが、私には人を小馬鹿にし嘲り笑う顔に見えるというのは被害妄想だろうか。――否。断じて否。だって私が今、っていうかここ数日読み続けているのは精霊との契約解除法、こいつをどうにかして精霊の世界に追い返す魔術についてなのだから。
 こいつの笑顔の横っ面に雄弁に書いてあるのは、やれるならやってみろ。その一言に他ならない。
 ちょっとした手違いで召喚してしまったこの精霊、四属性精霊マキシと召喚術士たる私、ミカエラとの間で繰り広げられている静かな勝負の形勢は、今の所実に屈辱的な事に、概ね双方の顔つきが現している通りとなっていた。せめてもの意地で顔を顰めるのを何とか堪えて、私は横目で見た精霊から手元に視線を戻し、もう何度も繰り返し読んだ文章を諦め悪く目で撫ぜる。
 契約解除は離婚みたいなものとはよく言ったもので、確かに調べてみるとかなり面倒臭そうなことが分かった。対象の精霊の同意を得られるか、同格かそれ以上の精霊との契約に乗り換えるか、魔術士の死亡もしくは後天的な障害によって魔術物理的に維持が不可能な状態になるか、最終手段として力ずくで追い返すか。
 同意を得られないから困っているのだし、別の同等以上の精霊との契約なぞ何の解決にもなっておらず、死亡や障害とか論外。そして力ずくでの強制送還には数段以上精霊の力を上回っていなければならないが正直マキシは強すぎて、アカデミーきっての俊英たる私でもちょっと無理。私はまだ直接この精霊に魔力の行使を命じていないので、現状は言わば『仮契約』で、『本契約』時よりは契約を切り易い状態にあるはずなのだがそれでも無理なのである。くっそ……なんであんなに制限掛け捲った魔法陣でこんなに強力な精霊が出てくることになるんだ? 認めたくはないが、間違いは見積もりに使った基礎魔力量だけじゃ済まない気がする。何か根本的に術式自体に誤りがなかったら、流石にここまでの論理矛盾は発生しないと思う。私のプライドか何かが邪魔をして無意識のうちに制限を外す術式でも書いてしまっていたのだろうか。今更だが、今後の為にもきちんと術式を見直しておくべきかもしれない。ああ、あの膨大な術式を精査せにゃならんとは気が滅入る……
 苛立ちの代償行動としてがしがしと頭を掻いた私の前に、唐突にふんわりとした白い湯気が漂った。目の前のテーブルにコトンと置かれたのは甘くて優しい香りのする液体がなみなみと満たされた愛用のマグカップ。中身は、考え事をしている時には有り難い、たっぷりと砂糖の入ったホットミルクだ。
「勉強なさるのは良いことですが、余り根を詰められませんように。まだ体調も万全ではないのですから」
 気遣わしげな顔をされて、私はちょっとした罪悪感を覚える。
 実はつい先日、先程の三番目の手段の亜種として、一時的に自分の術力を削いでみるのはどうだろうとしばらく絶食するという方法を試してみてしまったのだ。飢えに苛まれながらも耐えに耐えたが四日目についにぶっ倒れ、気がついたらマキシに介抱されていた。
「そこまで僕が嫌ですか、我が主……」
 捨てられた子犬のような目で言われてうっとなった私はそれ以上その策を続けることは出来なかった。
 しょうがないんだ、私は小動物だけには弱い……。本当ならば必修であるはずの動物実験もなんやかんやと理由をつけて回避してきたくらいだ。多分このいい根性をした精霊のことだから、私の視界から外れた瞬間ニヤリとほくそ笑んでいるだろうことは想像に難くないのだが、怯んでしまった時点でその場は私の負けだった。
 私にカップを届けたマキシは続いて洗濯物が入ったかごを持ち、寮のベランダに出ててきぱきとそれを干し始めた。私は思わず、はぁと溜息をついてしまう。
 なんということかこの四属性精霊ときたら、長身美形で銀糸の長髪というデーハー(死語)な容姿に似合わず掃除も炊事も洗濯も、家事全般に於いてプロフェッショナルの実力を持っていたのだった。私が悉く苦手とするそれらを手早くそつなく完璧にこなす姿は最早神々しいとすら言える。
 顔形は別に気にはしないが見栄えがいいのは悪いことではないし、性格も、権力欲にギラギラしてはいるが基本的には穏やかだ。私へのご機嫌取りの意味合いもあるのかもしれないが、今の所は私が望んでいた通り、どころか期待以上によく気を回し、まるで執事のように甲斐甲斐しく仕えてくれている。いや執事なんているご家庭に育ったことないからイメージだけれども。
 内心は何を考えているのだかちょっと恐ろしい部分もあるが、少なくとも表層に現れている部分だけならば悔しいけど完璧に近い奴である。あーあ。これで力の弱い精霊でさえあったなら何も言うことないんだけどなー……


 
 私が四属性精霊を召喚したという噂は、アカデミー中に瞬く間に広がった。
 マキシは召喚された精霊としてはごく一般的な通りに常に主たる私の後に忠犬よろしく付き従うようになったので、それを目にした知り合いへの説明は避けられなかったのだが、こいつの気配はとても一、二属性程度の精霊のものでないのは一目瞭然で素性を隠し通すのは無理と判断し、私は投げやりに四属性精霊と明言した。つまりいずれ皆の知る所になるであろうことは最初から覚悟の上だったのだが……そのいずれがやってくる速さが尋常ではなかった。一時間も経つと廊下を歩けば教授やら助手やら研究員やらが次々わらわら湧き始めるようになっていて自分の迂闊さを心底呪う羽目になった。何なのあんたら暇なの。研究室の位置的に絶対普通に出歩いてただけじゃ出くわさない奴らまで混じっていたから明らかに見物目的である。あの勢いなら遅くとも夕方には、全教授の耳に入っていたに違いない。
 あれからもう一週間が経ち遠巻きに眺める見物人こそ減ったものの、これまでこっちがする挨拶に横柄に頷くだけだった顔見知り程度の教授たちが何かにつけ積極的に話しかけてくるようになっていた。
「流石ミス・ネルヴァ。君なら出来ると思ってはいたが、本当に四属性精霊の召喚に成功するとは」
 うるせー成功言うな失敗だ失敗人生最大の失敗。そういや私は姓をネルヴァと言う。ミカエラ・ネルヴァですよろしく。……もうほんとにどうでもいいですね。
「そういえば先日のレポートも素晴らしい出来だったな。四属性精霊召喚士たる君にとっては、赤子の手をひねるような課題だったであろうが」
 寝ずに頑張ったよ、あたかも努力してないかのように言うな。ってかあのレポート召喚術関係ねー。
「ネルヴァ君。君はこのアカデミーの誇りだ。君の薬品学の師たる私も鼻が高いぞ」
 アンタに教わったのは講義時間の埋め草で半期だけだがな!
 ――勿論合間に挟まっている心の声は実際に発したものではない。私が返す言葉は機械的な、
「……ハイ。アリガトウゴザイマス」
 それだけだった。あーいや、「君のこれからのキャリアを考えれば人脈の構築は決して損にはならないと思うんだがねえ」とご親切にも誘われたどこぞの貴族主催のパーティーへの返事だけは違う事を言ったな。
「イエ。私はまだ将来を思い描ける程に研鑽を積んでいない若輩者デスノデ」
 パーティーとか引きこもりの私にはまじ勘弁である。しかもどこかの学会主催とかならまだしも貴族のパーティーって何事だ。元々は下町暮らしの平民出身でしかない私を晒し上げ辱める気か貴様。
 ……そんな風に自分の都合で断ったりとかもするが、私は概ね上の人間には従順な組織人であった。上と私の思い描く幸福な未来が異なるものである以上、いつかは決別しなくてはならないが、その瞬間までは己のプライドを小枝の如くへし折りストレスをごみ山の如く貯め込もうとも従順でいる事が、私が最後に笑う為の最も効率的な道筋だと信じている。本来の予定では今回の召喚術こそが記念すべき決別の機会であったはずなのだが見事に失敗した以上、まだ暫くは大人しい子羊に甘んじていなければならない……とは分かっているのだが……
 ああもうなんかどうでもよくなった。出会い頭に有無を言わさず教授どもの後退デコをペンペンしてえ。こんなことになるんだったらいっそのことマキシのお祖母様とやらを喚び出して、最強の力を得て世界征服に乗り出してやればよかったかも知れん。世界を征服しちゃえばあとはもう研究とかし放題じゃん? あ、ダメかそんな精霊持ったら自分の魔力なんて研究に使えるほど残るわけがないマキシでさえ無理なのに。本末が転倒し過ぎて最早何がなんだか。私は諦めてない、まだ諦めてないんだぞー己を見失うな頑張れ私。もう何言ってるんだか自分でも分からんわ。ははははは。
「頬が糸をつけて天井から引っ張られているかの如く引き攣っていますよ我が主」
 私の後ろにぴたりと付き従って行く先行く先で一緒に愛想を振りまいていたマキシが、人の目が途切れた途端にそう耳打ちしてきた。
「引き攣りもするわい」
 渋面に限りなく近い笑顔であった顔をきちんと渋面に作り直して私が呻くと、マキシが私の前にすすっと回ってきて、そっと私の頬に手を触れた。な、何だ?
「己より力劣る者に心にもない事を口にして媚び諂う屈辱はさぞお辛いことでしょう。ああ、お可哀想に。ですがこの状況から脱するのは貴女様にとっては至極簡単です。僕のお導きする将来にただ一言うんと言い、あと暫くだけご辛抱頂ければ、いずれ誰の顔色を伺う必要もなくなり誰もが向こうから勝手にひれ伏してくる幸せな未来がやってきますよ」
 しあわせ……
「ってさりげなく人を洗脳しようとするなよお前は!?」
 頬の手をぺしっと払い落として睨みつける。混乱の内にある私の頭はほんの一瞬ものの見事に揺らいでしまったがそれって私的ドツボの将来像じゃないか! 詐欺師かお前は! そもそもといえばお前が元凶なんじゃないか、油断も隙もない!
「ははは、洗脳だなんて。僕の心を占めるのは、我が主、貴女様の幸福ただそれのみで御座いますのに」
「嘘こけ!? お前の心を占領してるのは自分の栄光の未来だろ! この耳でこれ以上なくはっきり聞いたぞ!?」
 しゃあしゃあと言う腹黒精霊にそう怒鳴ると、不意に、彼の顔から茶化すような気配が消えた。
「……それが、我が主の幸せにも直結すると思っているのも決して嘘ではないのですがね。研究職が悪いとは申しませんが、よりにもよってその対象に人間の魔力をお選びになるとは……。僭越ながら魔なる法を識る者として進言させて頂きますが、人の魔力ではどれだけ画期的な術式を開発した所で、召喚術を用いた場合の効率より勝ることは有り得ません。根本的に人と精霊では魔力の絶対量が違いますし、行使自体、召喚術以上に術者の適性が必要となります。研究しても技術としては、例えば精霊が滅ぶなど、この世に於ける魔術的な大前提が覆る程の異変がない限り、とても実用化には繋がり得ない……どれだけ努力なさっても、日の目を見ることすらないかもしれないのです。それでも本当に宜しいのですか?」
「……っ」
 これもこいつの手管であろう事は分かってる。だけどそんな口車とはとても見えない程に、本当に気遣わしげな表情と声で言われて、私は言葉に詰まった。
 私は金も地位も最小限以上は要らないし政治的な栄誉も不要だが、魔術研究の分野においての栄誉なら話は別だ。研究者として自分の研究が世に認められる喜びは何物にも代え難い。それこそが、研究者の本懐だとすら言える。だがマキシの言う通り、私の研究内容で名声を得ることはまず起こり得ないだろう。現存の技術を超えられない新技術など誰にも見向きはされないのだ。そんなことは言われるまでもなく、それを続けている私自身が一番よく分かっている。
 論理的に反論することなど出来ず、困った挙句私に出来たのは、そっぽを向いて、ぼそぼそと呟くだけだった。
「そんなことは分かってる。それでも私はやりたいんだからしょうがないだろう」
 自分でもなんというか最早、理に適わぬ子供の駄々の様に思う。だが研究者としての栄光を天秤にかけてでも――たかが一言の指摘でぐらつく程の際どい選択ながらも、それは私にとって魅力のある題材なのだ。
 と――
 やがて諦めたように、マキシがふっと笑った。
「我が主はとても頑固な方のようですね。ここ暫くお仕えして既に思い知っておりましたけど」
 優しく囁かれた声と透徹した微笑みに、私は思わずはっとして精霊の目を見上げた。
「精霊の世界に帰ってくれるの?」
「そんな嬉しげにそういう事を言われると少し傷つきますね」
 嬉しげというか私に負けず劣らず頑固そうなこいつがとちょっと意外だっただけなのだが、わざわざ訂正するのも変なので否定しないでいると、透き通っていた笑顔が前にも見た事がある意地悪そうな笑みに変わった。
「残念ながら、帰る気はさらさらありませんよ我が主。僕も、貴女様に劣らず頑固なのです」
 あ、やっぱそうですか。……まあその方がこいつらしいよな。
 寧ろ納得して力の抜けた肩を落とした私に、マキシは整った顔を近づけてそっと囁いてくる。
「召喚に掛かる魔力負担を軽くする方法ならありますよ」
 人を誘惑する悪魔のような抗い難い魅力のある声に、私はがばっと顔を上げた。マキシの長い睫が異常に近い位置にあって一瞬怯んだがそれ所じゃない。
「そんなことが出来るの!?」
 ぶっちゃけこの私ですらそんな魔術は聞いたことがないが、精霊は魔術にかけて人間などよりも余程博識だ。私が知らないことだって当然知っているだろう。
 ええ、と頷いてマキシは目を細めた。
「術者と精霊の精神共振率が高ければ高いほど、魔力負担は減ると言われていますね」
「きょ、共振率ってのはどうやったら高められるものなの?」
 ごくりと喉を鳴らし頭突きせんばかりに身を乗り出して尋ねると四属性精霊は意味ありげににこりとする。いや……にこりというか、にまり、と表現する方が適切か……?
「まあ、共振率とはざっくり言う所の心の繋がりという奴ですから。信頼とか友情とかその辺を地道に育てていけば。最良なのは、手っ取り早く恋仲になることですね。愛情は中でも強力な結びつきです」
 ごっ。
 …………。
「どうしました我が主、急に柱に頭を打ち付けて」
「ちょっと首から頭が転がり落ちそうだっただけ」
「落とさずに済んで良う御座いました」
 動揺の欠片もない平然とした口調でとぼけた事を言うアホ精霊は無視して、私は柱から頭を引き剥がすようにして首の位置を戻した。手っ取り早く恋仲って……。
 どうやら私はからかわれたらしい。……まあ、精霊が主人に対しまるっきりの嘘を言うことは通常ないから、理屈としては本当のことなんだろうが……。くっそう、何と悪辣な精霊なんだ。精霊に遊ばれるなんて魔術士として屈辱極まりない!
「我が主は、精霊などとは恋仲になれぬと、そうお思いですか?」
 独り言を呟くような声でそんな問いを投げかけられて、まだこの上尚おちょくる気かと私は頭を押さえながら半眼を向けた。が、存外にもこちらに向けられていた視線にはからかいの色はなく、寧ろ思いがけない程の真剣さを宿していて、私はいぶかしみながらも首を捻る。
 そんな事などついぞ考えたこともなかった。精霊は人間とは全く異なる生き物ではあるが、見た目は人と近いし、何の問題もなく意思の疎通だって出来る相手であるのだから、人によってはそういう感情を持つことも考えられないことではないのかもしれないが……精霊どころか人間相手にだってそんな感情をただの一度も抱いたことのない私にとってはそれは考える糸口すら見つからない疑問だ。
 答えに窮して何も言えずにいると、マキシが瞳から力を抜いた。
「困らせましたかね。忘れて下さい」
 今度こそ声に笑みを戻して、マキシは立ち止まっていた私の背を軽く押した。――ああ、そうだ。こんな廊下で突っ立っている場合じゃない。まだ提出しなければならない書類とか色々あったんだっけ。
 性悪四属性精霊のよく分からない冗談は頭から追い出して、私は再度、歩き出した。

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