レムルス王国聖騎士団の事件簿〜いんたーみっしょん・4

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 いんたーみっしょん・4



 風もなく麗らかな冬の日の午後。明るい光の差す広いテラスにガーデンテーブルが置かれ、日光浴がてらのささやかな茶会が催されていた。
 その茶会に参加するのは二人。王冠を頂き立派な緋色のマントを肩から流す老紳士と、仕立ての良いコートに身を包んだ金の髪の少年。――そして参加者ではないが、紳士の傍には給仕の為に執事が畏まって控えている。
 紳士と少年――レムルス国王ディラック・ニーズ・フォン・レムルスとその令息、ディルト王子は親子水入らずの談笑を交わしていた。
「そうかそうか、グロリアには美味しい菓子を貰ったか。それはよかったのう」
「はい。そして宮殿に帰った後は、母上に言われ、ちゃんと歯磨きをしました」
「うむ、母の言う事をよく聞く良い子で、父も嬉しいぞ」
 祖父と孫ほどに歳の離れたこの親子の会話は、やはり祖父と孫のようにいつも優しく穏やかだ。会話の継ぎ目に国王はティーカップを優雅に口へと運び、空いたカップに執事がすかさず茶を注ぐ。空気の如くごく自然に給仕する執事に、カップに向けた視線のみでささやかな労いを送った国王は、ふと思い出したように口を開いた。
「ときに侍従長。昨日、そなたを貸して欲しいとのルシーダからの申し入れがあったが、それはどうしたかね?」
「はい。その案件につきましては、昨日の内に滞りなく完了して御座います」
「そうか。……大事無いか?」
 ごくごく僅かではあるが、凛とした立ち姿の中に常にはない揺らぎを察して王が問うと、侍従長は柔らかい笑みを湛えて頭を下げた。
「勿体無きお気遣い痛み入ります。……少々、年甲斐もなく激しい運動をしてしまいました為、肩周りに僅かに違和感が御座いますが、問題御座いません」
「そうか。茶の準備をしてくれたならば、暫く下がっていて良いぞ」
「畏まりました」
 第二王妃が侍従長に頼んだ仕事については、王は詳細を聞いてはいなかったが、特にそれについて問う事はしなかった。
 ディルトのティーカップにはまだなみなみと茶が残っていることをさりげなく確認した侍従長は、ティーセットを用意したワゴンをテーブルの傍へ進めると、恭しく礼をしてテラスから退出した。
 その、高度な教育を受けた王宮の使用人たちの中でも特に洗練された立ち居振る舞いを、ディルトは子供らしい真剣な興味の眼差しで追っていたが、テラスの扉が閉まると向けていた視線を父王へ戻し、やや唐突な事を尋ねた。
「ときに父上。父上は母上とグロリア様、どちらを愛しておられるのですか?」
 その問いに、王は白眉の下の目を丸くし、長い髭を揺らしてほっほっと笑った。
「ほう、愛について問うとは。ディルトも大人になったのだな」
 息子の成長に心から感心してそう言って、王は明朗に告げた。
「どちらも等しく愛しておるよ」
 父の迷いなき返答にディルトは、不思議そうに小首を傾げてみせた。
「以前、サージェンに借りた小説には、男たるもの一人の女性を生涯愛し抜くものだと書いてありました。その小説は間違っていたのですか?」
「間違ってはおらぬ」王は優雅に否定の仕草を示した。
「たった一人の女性を愛することも、正しき愛の形であろう。私もそなたの母を娶るまではグロリア唯一人を愛しておった」
「母上に寵が移られたというわけでしょうか」
 幼い王子のその発言には、国王は少し驚いたようだった。先程よりも尚目を大きく見開いて、感嘆しきった声音で唸る。
「寵が移るとはそなたも難しい言葉を知っておるのう。だがそれとは違う。先に言った通り、私は二人の妃を等しく愛しておる。ディルト、そなたもこの父と母、二人ともを愛してくれているであろう?」
「勿論です。僕は父上も母上も大好きです。あ、グロリア様も大好きです」
 王子のはきはきとした答えに王は満足して頷いた。
「私も、もしそなたに弟や妹が生まれれば、その子もそなたも等しく愛するであろう。そなたに向けていた愛情を二分して半分を分け与えるのではない。そなたに向けていた愛情と同じものが新しく生まれ、同じだけが弟妹らに注がれるのだ。私が妃たちに向ける愛もそれと同じこと。家族だけではない。王たるもの、伴侶を、我が子を、国民を、全てを等しく心から慈しむ、深い度量がなくてはならぬ」
「なるほど……」
 尊敬する父王から聞いた王たるものの心構えに、ディルトは感じ入った様子で頷いた。
「尤も、かく言う私もその王たる者の覚悟を教えられたのは、グロリアとルシーダからであったが。……二人に出会った事で、私は初めて真の意味で、一国の王たる自覚を持てたのだと思う。あれらは実に聡明な妃たちだ」
「はい。母上もグロリア様も、僕にもいつも為になるお話を聞かせて下さいます」
「そうか、そうか。そなたもよく学ぶが良い。母やグロリアだけでなく、あらゆる者から。この私からも、そなたの騎士たちからも、学ぶ所は多いだろう。そなたの周りにあるありとあらゆるものが、そなたを育てる糧となる」
「はいっ。沢山勉強して、早く父上を支えられる立派な王太子になります」
「これは頼もしい。期待しておるぞ」
 にっこりと笑って元気よく答える愛息子を、国王は目尻に温和な皺を寄せて眩しそうに眺めた。
 穏やかに微笑み合う父子を見守るかのように、不意にふわりと冷たさを感じさせない風が吹き、テラスに注ぐ木漏れ日がきらきらと輝く。
「妃二人への気持ちに違いがあるとすれば」
 ふと、国王は、独白のような呟きを発した。
「グロリアは、最後まで護り抜きたい女性……ルシーダは、最期まで肩を並べていたい女性であるという点くらいであろうか」
 柔らかな声でひっそりと囁かれた言葉に、ディルトはきょとんとして父王の顔を見上げるが、王はただ、穏やかな笑みを浮かべるのみだった。
「ディルトや、侍従長が茶菓子を準備してくれておる。そなたの好きなマドレーヌもあるぞ。冷めない内に頂こうではないか」
 言いながら王は席を立つと、ポットを持ち、空いたディルトのカップに手ずから茶を注ぎ淹れた。心休まる芳香がテーブルの上に漂い、鼻腔を心地よく擽る。
 レムルス国王は、それを儀式に用いる聖杯のように恭しく捧げ持ち、ゆっくりと呟いた。

「我らが愛する全てのものに、幸あれ」


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