CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 13 #94

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 魔術の盾を、ウィルは反射的に身体の前にかざす。
 ダイアモンドの錐は、盾の表面の丸みにいなされて――というより、ウィルの身体の方が直線運動を妨害される形で逸れ、彼の横を過ぎて行く。
 自然界で最硬の武器による攻撃は、盾越しであるにもかかわらずウィルの腕をわずかの間麻痺させた。が、一撃に耐えられただけでもありがたいと思うべきだろう。ウィルにそんな幸運に感謝している暇はなかったが。彼は、錐の生える根元――ダイアモンドの床を瞠目して、見詰めた。
「な……っ!?」
「……何か、勘違いをしていたようだな」
 喉に言葉を詰まらせるウィルを、皇帝は、瞳だけを喜色に染めて見やる。
「床や天井に、細工を仕込んでいたわけではない。生み出しているのだよ。この部屋を形成する、ダイアモンドそのものを変形させることによって」
 皇帝が悠々とそんな事を言っている間にも、彼の周囲からつららのような、輝く柱がそそり立ち、尖った先端がウィルを貫かんと伸びてくる。皇帝の言うことは真実であるようだった。錐を避けて跳び、着地した瞬間に触れた床には継ぎ目すら見当たらなかったが、次の瞬間にはその場所から同じ錐が生えてくる。あまりにも攻撃が速く、魔術の源であるルドルフ自身に接近することも、ましてや攻撃をすることもままならない。
「……ちっ……くしょ……」
 呼気と共にウィルは毒づく。冷笑を浮かべ彼を追い立てる皇帝を睨めつけ、避けながらも頭の片隅で構成した魔術を放つ。
 ウィルの目の前から迸った光は、しかし、皇帝がどうという動作を見せるまでもなく、せり上がった床に阻まれて、消えた。
「このような事も出来る」
 ルドルフ・カーリアンは氷のような声でせせら笑った。
 ――手が出ない。
 認めざるを得なかった。ルドルフ・カーリアンの能力を甘く見過ぎていた。多人数でだが接近と一応の攻撃は可能だった暗黒魔導士よりも、数倍やり難い。無論、これは限定条件内においてのみの強さなのだろうが、その条件内にいる以上、これが、この男の真の戦闘能力なのだ。
 自分が作り出したダイアモンドの壁の出来を確かめるように、しばしそちらに視線を移していた皇帝だったが、満足がいったのか、数秒でその顔はウィルへと向き戻った。嗜虐的な微笑を、端正な顔に浮かべる。
「不思議に思っているのだろうな、ウィルザード。安心するがいい。その感情は、我とて同じ事」
 眉を動かしたウィルに、皇帝は笑みを一層、深く、強くする。
「音に聞こえたヴァレンディア王の勇猛な戦い振りとは、このように逃げ回ることであったのかと、我も今、己の記憶違いを不思議に思っている所だ」
 それが安い挑発であることを認識してもなお、激しい不快感に頬が引きつるのを、ウィルは抑制できなかった。瞬間的に、攻撃の魔術を編み上げる――
 ウィルの使う術には、殆ど隙がない。が、殆どないということは、僅かには、確実にあるということでもある。
 その一瞬を待っていたかのように、皇帝は、自分の周囲の床から、ダイアモンドの錐を伸ばした。
「……っ!」
 透き通った、あまりにも鋭い刃が無防備なウィルに迫る。
 その攻撃は、先程までと変わらず、非常に高速だったが、ウィルの目にはやけにそれがゆっくりに見えて――けれども、魔術に全力を傾けていたこの瞬間、それは絶対に避け得ぬものだということも同時に理解した。
 緩やかな川面のように展開される一瞬の現実に、唐突に、横手から明るい亜麻色が混ざる。
「ソフィア!?」
 感覚が、実時間に戻る。
 それを判断してから名を叫ぶまで、時間は必要としなかったが、その刹那の間は、事が終わるのには十分な時間だった。
 腕を広げてウィルの前に飛び出してきた少女の胸の、わずか数センチ前に、錐がぴたりと静止する。
 焦った様子も、安堵した様子もなく、ただ鋭く、ソフィアは眼前を睨み据えていた。攻撃の停止を確認する為に視線を動かすことすら、彼女はしなかった。そして、彼女に視線を送られる対象の男、ルドルフ・カーリアンの表情にもまた、驚愕は見られないことに、ウィルは気づいた。
「そう心配せずとも、殺すつもりなどない。今は、まだな」
「……嘘ばっかり」
 微塵の動揺も、彼女の仕草からは伺えなかったが、皇帝の囁きに、一言呟いたその声だけは、僅かに揺れていた。
 殺すつもりがなかったという発言の真偽は、半々と言った所だろう。明らかな殺気がルドルフの攻撃からは感じられていたが、本当に殺すつもりがあれば、ウィルの戦闘体勢が整うまで待つ必要はなかったはずである。扉をくぐってからずっと、無論今も、この鋭利な武器の射程圏内に居続けているのだから。
 殺すつもりはないが、死んでも構わない。つまりは、小手調べ、とでも言うつもりだろうか。
 横に広げていた腕を、ソフィアはゆっくりと下ろした。先程受けた彼女の傷は、放っておいたところで生命に支障が出るようなものではないようだったが、かすり傷と言うほど軽いものでもなかった。
「悪い。ソフィア。頭に血が上りすぎていた」
 傷には触れないように、だがその傷に近しい部分にウィルは触れて囁く。カイルタークの術であればものの数秒で完治させてしまえる程度のその傷を、ウィルには癒してやることは出来ない。これが終わったら、何よりもまず先に治癒の魔術を勉強しよう。心の底で、彼は誓った。
「気をつけて。ルドルフは、何かを狙ってる」
「何か?」
 小さく囁きを返してきたソフィアに、問う。
「何なのかは分からないけど、狙ってる。何か。……いやな感じがする」
 神妙に眉をひそめて、彼女は低く呟いた。その顔が、何か、禍禍しい神託を下す巫女のように見え、ウィルは思わず息を飲んだ。
「……大丈夫だよ。多分」
「多分とかつけないでよ」
 ウィルの心に浮かんできた、彼女が感じた予感と同質のものを押え込むように、あえて軽く言ってソフィアの頭をぽんと叩くと、少しむくれた声が返ってきて、彼は苦笑する。
「帰るよ。絶対に。みんなの所に」
 言い直された言葉に、彼女は、力強く肯いた。

 ウィルは、ソフィアに対し、あと一言だけ囁いた。これは、純粋に戦術的な発言だった。
 そして二人は、同時に床を蹴った。
 皇帝を挟んで左右に、対称に動いて行く。
 皇帝が口許から、下らん、とでも言いたげな吐息を漏らす様子をウィルは凝視しながら、長大な呪文を唱えつづけていた。こちらが使おうとしている術がかなり高度なものであるのだということに、相手が気づいていないとは思えないが、ルドルフ・カーリアンは、ウィルとソフィアのどちらにも視線を移すことなく、泰然と構えている。
 しかし、隙はない。
 いくら死角からでも、普通に術を仕掛ければ先程と同じように防がれてしまう可能性が高いだろう。ダイアモンドを操る、等と言う非常識な術である割に、その発動速度は通常の魔術以上に早い。
 不思議に思っているのだろうな。
 ルドルフ・カーリアンのその声が、ウィルの耳に蘇ってくる。
 確かに、不思議ではあった。この皇帝の魔術は、明らかに、魔術としておかしい。小石を少し浮かしたり、針金を曲げるくらいならばともかく、物質そのものを操るというのは、そう簡単なことではない。皇帝がやってのけたあの技は、おおよそ、魔術が引き起こせる現象の範囲を超えている。
 否――
(できないことじゃない。魔力が十分にあれば。けど、あいつの魔力は、俺よりも低いはず……)
 何か、秘密があるのは間違いない。それを解き明かすことがこの対決の明暗を分けるものになるかどうかは分からないが。
 しかし、どちらにしろ間違いのないことが一つだけある。
 あれは、魔術だ。
 ソフィアに伝えたのは、至極単純なその一言だった。だが、聡い彼女なら、その一言で事足りたはずだった。
 ――行くよ。
 ソフィアに目で合図を送って、ウィルは腕を振り上げる。
「来たれ、炎帝の使者、焔の葬列を成せ!」
 高らかに叫ばれた声に応えて、集約した魔力が力となって、ウィルの前に具現した。強力な炎の光線が、ルドルフ・カーリアンに向かって伸びる。
 途端、熱線からルドルフを護るように、床がせり上がった。
 しかし防御を行うのは予想のうちである。
「やあああッ!!」
 その瞬間、ソフィアが、気迫を声にしてルドルフに向かって走り込む。
 ウィルには、壁に遮られて見ることは出来なかったが、ルドルフはソフィアの方へと意識を向けていた。
 彼女の進路を阻むため、同じような壁がせり上がる。壁は透明ではあるが光の屈折率が高く、乱反射が強い――つまりは、壁越しにはその先の様子ははっきりとは見えない。この状態では、壁を迂回して攻撃を仕掛けることは、なまじその影だけは察知される分、非常に危険になる。
 それを悟ったルドルフ・カーリアンは、そのリスクを受けない、遠隔攻撃が可能な魔術士であるウィルへと再度注意を向けかける――
 が。
「『白き烈風』よ!」
「…………!?」
 ソフィアの雄叫びに。
 ルドルフ・カーリアンが、反応する。
 魔術を打ち破る魔力槍、『白き烈風』から放たれる、鮮烈な光は、ダイアモンドの壁をウィルの側のものをも飲み込み――
 ぱしゃあっ!!
 水音に似た音を立てて、散り砕けた。
「……おお……」
 その口から出でたのは、驚愕の声音だろうか。
 再びウィルの視界の中に入ってきた皇帝は、常に冷たい光を宿らせていた瞳を、感情の赴くままに見開いて、飛沫と散るダイアモンドの煌きに心奪われたように見入っていた。
 息を大きく吸い込んで、ウィルは声を張り上げた。
「終わりだ、ルドルフ!」
 身体の前にかざされたウィルの手のひらに、先程よりも数段強力な熱量が収束する。
 最初の攻撃は、単純なフェイクだった。
 魔術であれば、皇帝の技は打ち破れる。それをソフィアに伝えはしたが、これは一種の賭けでもあった。魔術の枠を外れた術にも、果たして『白き烈風』の力は通用するものか、と。
 しかし、その賭けに勝った。
 ソフィアが再び槍を一閃させ、放った白い風の衝撃波と。
 ウィルの紅の炎が、標的の一点で十字に交差した。

 目を焼くような、白光――
 頭に霞がかかったような意識で、ウィルはその光景を眺めていた。
 余りの高熱に、砕け散ったダイアモンドの飛沫に火がついたのだろう。ダイアモンドは千度以上に加熱すれば、燃える。そして、純粋な炭素分子であるその物質は、燃焼すれば二酸化炭素となって跡形もなく消滅する――
 恐らくはリュートにだっただろう。どこかで習ったごく初歩の通常物理理論をおぼろげに思い出す。
 千度。決して魔術防御の及ばない温度ではないが、ルドルフ・カーリアンには新たな魔術を使う余裕はなかったはずである。また、戦闘に慣れた魔術士は、戦闘中は常に防御の魔術を纏っていたりもするが、さすがにその程度の簡易的な防御術で防げるようなものではない。
 光は、しばらくして収まったが、結晶中の不純物が燃えているのだろうか、白い湯気とも、煙ともつかないものが、皇帝のいた場所に立ちこめ続けていた。
「ウィル」
 ソフィアが、爆心地に警戒の視線をちらちらと向けながら、ゆっくりとウィルの方へと歩み寄ってきた。
「やった……の?」
「……ああ、多分」
「また多分とか言うし……」
「確認するまでは、一応ね。でも、これでやれないわけはない」
 今出せる最大の熱量、生身の人間には到底耐え切れないほどの膨大なエネルギーを、不意をついた形で完全に叩き込んだのだ。これで片がついていなければ、相手が人間でないとしか言いようがない。そして同時に、非常に難しいことになる。今の戦術は魔力槍の存在にルドルフすらも注意を払っていなかったからできたことであり、二度は通用しないであろうし、何より、同じ程度の威力をウィルが今一度作り出すこと自体に無理があった。
「ウィル、大丈夫? 顔が青いよ」
 心配そうに、ウィルの顔を覗き込んでくるソフィアに、ウィルは微苦笑で返した。
「大丈夫。魔術を使いすぎただけだから」
「本当に……?」
「大丈夫だって。疲れてるだけ。少し休めばすぐ治る」
 ソフィアの頭を軽く撫でて、ウィルは笑った。彼女はウィルの体調に関して、少し心配性になりすぎるきらいがあるようだった。その原因は、ウィルが酷い怪我を負うところを度々彼女に見せているからに他ならないのだろうが。
 あやすように、少女の肩を引き寄せて、抱きすくめる。
 爆発の残り香は、まだウィルの視線の先でたゆたっていて……
 不意に、ゆらり、とそれが揺れ動くのを、ウィルは見た。
 息を飲む――
 そのいとまもなく。
 無音で閃いた、細い光線がウィルの肩を撃ち貫く。
「……っ!」
「ウィルっ!?」
 衝撃に、仰け反る。鮮血が飛び散って、ソフィアの頬を濡らす。揺れる視界の中で、その赤さが異様に目に残る。吹き飛びかけた意識が、そのまま身体を床に横たえようとするのに、ウィルは気力を振り絞って反抗した。
「風よ!」
 しかしそれでも膝をつかずにはいられなかったウィルを背中に庇いながら、ソフィアが光線の出所に向けて槍の力を解放する。
 彼女の槍から発せられた颶風は、白いもやに突き刺さるや否やそよ風に成り下がり、その効果は、白く薄いヴェールを剥ぐにとどまった。
 薄れゆくもやの奥から、こちらに向けて何かが突き出ていたのが、見えた。
 腕――だ。
 のた打ち回りたいほどの激痛を堪えて、ウィルはそれを認識する。
 現れるのは、手のひら。腕。それに連なる身体。傷の一つも、ない。
「ルドルフ……」
 ソフィアが、呻くように男の名を呟いた。

「その槍の特性は知っていたが、我が力をも殺す事が出来ようとは、正直、驚いた。大した業物のようだな」
 かつん、かつん、と冷えた、硬い音が、青い闇に沈む天井に反響する。
 ソフィアは、屈みこむウィルの前に立ったまま、静かに近づいてくる男を見つめ返していた。
「近寄らないで」
 小さく、少女が囁く。と、それに応え、皇帝の足音が停止する。
「お願い、治療……させて。少しだけ、時間、ちょうだい」
 ソフィアの声は震えていた。今迄、彼女がここまでか細く頼りなく見えたことが、あっただろうか。ウィルはそんな事を考えていた。
「敵に対し、都合のよすぎる願いだとは思わんか?」
 ルドルフの声。しかし、そこには嘲りの色はない。子供の他愛ない悪戯を咎めるような、甘い優しさに満ちた声だった。
 甘い罠の優しさの。
「お願い……ルドルフ」
「それは構わんさ。好きにするがいい。が……適切な道具も何も持っていないのだろう? どれだけの事が出来る? 果たして間に合うかな?」
 楽しむような声で呟く皇帝に、ソフィアは背を向けた。唇を噛んで、一言、呟く。
「間に合わせる」
 彼女は自分のドレスの裾にナイフの刃を立て、細長く切り裂いていった。そうやって作った包帯で、ウィルの傷口から心臓に近い方の部位を縛り上げていく。その様子を、逐一ウィルは見ていたつもりでいた。が、唐突に頬を張られて、ふと意識を取り戻した自分に気がつく。
「ごめん。でも、寝ないで、まだ」
 やけに涼しかった身体全体で、ただ一箇所、張られた頬の熱さだけを頼りに、ウィルは意識を保っていた。視界が暗転していた。失血性のショック症状だ、と他人事のように判断する。薄暗く狭まった視界の中で、ソフィアが奥歯を噛み締めて、一心に止血を行っている、その様子だけを見ていた。
 そう言えば、俺、ソフィアが怪我をしたのに手当てもしてやっていない……
 ウィルの願いを皇帝が聞き入れてくれるとは思えなかったし、実際やろうとしたところで掠り傷だから、とソフィアが拒否したであろうが、何もしなかったことはとても情けないことに思えた。自嘲して、笑うと、全身が引き攣るように痙攣を起こした。
「ウィル!?」
 ソフィアが悲鳴を上げる。細い手が、ウィルの身体を押さえつけた。その腕が、細かく震えている。そして血を失っている自分と同じくらいに、冷たい。
「ウィルっ、ウィル! しっかりして、お願い、目、つむっちゃだめ! ウィル!」
「エルフィーナ」
 低い、皇帝の声で名を呼ばれ、ソフィアの身体が大きく震えた。
「その男を救う方法ならある。エルフィーナ。お前の力を使えばいい。偉大なる女神の力を」
「出来るならやってるわよ!」
 錯乱したように、彼女は絶叫していた。先程の位置から足を動かしていないルドルフ・カーリアンを、潤んだ瞳できつく睨む。
 そんな彼女に向けられた、皇帝の表情は神の子を誘惑する悪魔のように、酷く妖艶だった。
「やり方が分からないのならば、手を貸そうか? お前の魔力を我が制御すれば、まばたきひとつする間にその程度の傷は消え失せる」
 奈落へといざなう、誘惑。
 ソフィアは、顎を上げて、その男の顔を見上げた。
 ――乗るな、ソフィア――
 声を、出さなくてはいけなかった。だというのに、出ない。出せない。余りのもどかしさに、ウィルは自分の喉笛をかきむしってやりたかったが、指先は唇以上に動くことを拒絶していた。
 ソフィアの言っていた、皇帝の狙いとは、この事だったのだろうか。
 女神の力を持つ、エルフィーナを、再び、手中に収めること――
「さあ。エルフィーナ。来るがいい。その男を救いたくば、我が元へ」
 ソフィアの白い喉が、こくりと唾液を嚥下する。何かの覚悟を決めるように。
 ――いけない、駄目だ、ソフィア!
 少女は、糸に操られる人形のように、ゆらりと立ち上がった――


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