CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 13 #93 |
階段。踊り場すらなく、ひたすらに真っ直ぐ地下へと続く階段。 まるで夢の中にいるようだった。ただ、分類するとなると間違いなく悪夢の方だったが。いくら降りても、先が確認できない。このアウザール城を丸々地下に埋めた以上の距離は、もう既に下っているはずだった。向かう先――地底の方から、いざないの手の如く時折吹いてくる冷えた風が、二人の来訪者の体温を、僅かずつであるが奪っていく。 その一種、現実離れした光景は、ウィルを無闇に不安にさせたが、彼はその思いを制するように、小さく首を振った。――今更、怯えることは、何もない。 ウィルより二段ほど先を歩くソフィアが、指先を擦り合わせながら、階段の下に目を凝らして呟いて来る。 「外に繋がってるのかしら」 「地下に続いてるのに?」 問い返すウィルに、言ってきた本人が首を小さく傾げる。 この階段には、照明の類は見当たらなかったが、一定の明るさ――というか薄暗さが、風に揺らぎもせずに続いている。光源ははっきりしない。魔術の類だろうか。 再度、風が吹き上がってくる。 「……少し湿っぽいね」 ソフィアが、空気の匂いを嗅ぐような仕草をする。ウィルには分からなかったが、彼より数段感覚の鋭敏な彼女がそう言うのならそれは正しいのだろう。地下からの風が湿っぽい理由というのも、彼には思い付かなかったが。 この敵城に侵入して以降、殆ど雑談を絶やすことのなかった二人だったが、ここに来てめっきりと口数が減っていることに、ウィルはふと気がついた。この寒さの所為だか、他の理由だかは知れないが、この空間には、口を重くさせるような何かが確かにあった。 不意に。 視界の端に触れてきた光に、ウィルは神経を尖らせた。 攻撃魔術の光、ではない。それは、階段の先――恐らくは、その終着点から漏れ来る照明の光だった。 一旦ソフィアがウィルの方を振り向いて、確認するように見上げてくる。ウィルは無言で頷きを返し、二人は出来る限り速く静かに、その地点に向かって降りていった。 最後の段を降りる。 その前から十分に視認出来ていたが、階段の終着点には縦横数歩ほどのごく狭い空間があり、階段の正面に位置する場所には、扉があった。それが両側に開く、一対の扉であったのは、上の謁見の間と一緒だったが、謁見の間のそれ程立派な代物ではなかった。固い木材で作られた、重厚そうではあるが飾り気のない扉で――その扉は、片側だけ、僅かに開いていた。そこから、光と風が漏れてきている。 「何か、いかにも怪しいねぇ」 ソフィアが、何気ない調子で囁く。が、その声に隠された緊張に気づけないほど、ウィルは彼女に対して無頓着ではなかった。 「怪しいのは最初からだろ」 開いた方の扉に、部屋の中から確認されないような位置を取って手をかけようとしたウィルを、その直前でソフィアは無言で制止し、自分がそのノブを掴んだ。揺るぎ無い警戒を漲らせた表情で、ソフィアは慎重に、だが素早く、扉の隙間を人一人が通れる分まで開く。 室内からの反応を見るためだろう、一拍だけ時間を置いて、彼女は部屋の中に一気に飛び込んだ。 ウィルに辛うじて見える、彼女の横顔が、鋭く前方を睨む。 そして。 「う……わぁ……」 ソフィアは、驚愕――いや、感嘆の表情で、目を見開いていた。 「どうした?」 彼女の様子から、危機的な状況に陥ったというわけではないということは理解できたが、それ以上は狭い扉の隙間からその様子を見ているウィルには分からない。尋ねると、ソフィアは手を伸ばして扉を内側にとんと押した。重厚そうに見えた扉は案外にも軽く開き、室内の全貌を容易にウィルの目に晒す。 「……これは……」 まず、目に飛び込んできたのは、眩いばかりの輝きだった。 扉の奥は幾千幾万という煌きで満ちていた。その室内の形状を言い表すとして一番近いのは、非常に広大な天然の洞穴といったところだろう。先刻の戦いの舞台であった謁見の間の、優に数倍の面積がある。しかし、ごつごつとした岩肌も、下ってきた距離に相応しいほどむやみに高い天井も、ここだけは別物であるかのように丁寧に平らにされた床も、それを構成するのは、突き抜けんばかりに澄み切った透明の石であった。壁の、乱雑にカッティングされたその表面が、階段を満たしていたものと同質ではあるが遥かに強い、何処からとも知れない漂うような光を反射し、七色の光彩を放っている。 「水晶……の洞窟……? こんな……」 「違うわよ」 眼前の光景に圧倒されながらも、何とか言葉を絞り出したウィルを、横からソフィアが遮ってくる。 「水晶じゃないわ。ダイヤモンドよ」 「ダイアモンド……」 ぼんやりとあいづちを打ちかけてから、はたと気づく。 「ダイアモンド!? これ全部が!?」 「ダイアと水晶の区別もつかないトレジャーハンターがどこの世界にいるのよ。間違いないわよ」 「で、でも、だって……こんな……」 「そりゃ、天然のものじゃないでしょうけど」 ソフィアは数歩歩いて一番手近なダイアモンドの壁に触れた。まさにそれは岩盤だった。何カラット、という単位で計量できるような生易しい大きさではない。 だが、なるほどよく見てみれば、その虹の輝きは、どんなカッティングを施そうとも水晶に出せるものではないことが分かる。仮にも一国の王なのだ。見飽きるとまではいかないにしろ、宝石の類は見慣れてはいる。これだけの巨大さながらも一点の曇りもない、非常に良質の石だ。 「天然じゃないって、人工で作れるものなのか?」 「そういう研究をしている人もいるって言う話は聞いたことがあるわ。って、そういうのはウィルの方が詳しいんじゃない? 魔術士なんだから」 「いや、魔術使ったって、無理だろ……こういうのは」 「別にダイアモンドをぽんって出すような魔術を研究するわけじゃないでしょ。高熱を生み出すとか、魔術士の方が効率的に出来るから、研究やってる人が魔術士に多いだけなんじゃないの」 「あ、そうか、そうだよな……」 それは、少なくとも魔術士にとってなら常識以前の当然の理屈だ。そんなことも失念してしまっていたとは、自分で自覚しているより随分平静を失っていたらしい。それを認識して、ウィルはソフィアの顔を見た。ウィルとは違い、この財宝という次元を超越した宝を見ても彼女は落ち着いている。彼女の性格を考えると少し意外だったが、これがプロのトレジャーハンターとして名を知らしめるソフィアの、ウィルの知らなかった顔なのかもしれない。 冷静沈着な表情でそれを見詰めていたソフィアが、ゆっくりとウィルの方へ顔を向けてくる。非常に真剣で、鋭利な眼差しが彼を射た。 「どうしよう、ウィル。ノミと金槌持ってこなかったわ。あと風呂敷」 そうでもなかったらしい。 「ノミじゃ削れないだろ」 自分で賞賛したくなるほどの理知的な返答をして、ウィルは再度、部屋の内部に意識を向けた。宝石に気を取られている場合ではなかったのだ。 リュートの言っていた、皇帝の待つ場所とは、ここだったはずである。――彼は、研究室、と言っていた。研究室というイメージとはこの場所は非常にかけ離れているが、リュートの指し示した先で地下に下る道は、ここしかなかったように思えた。 「間違えた……か? 途中に、隠し扉か何かがあったとか……」 「いいや。ここに間違いはない」 唐突に。 高い天井に、声がこだました。 ソフィアとウィルは、同時に部屋の奥に顔を向けた。が、それは、その声の主がいるとしたら奥だろうという推測がなした行動であって、この反響の大きさで声の発生位置を特定することは、少なくともウィルには出来なかった。 「ルドルフ!」 姿を確認するよりも先に、ウィルは声を上げた。 基本的には広い部屋だが、遮蔽物が多い。勝手も知らない状態で戦うには少し不利があるかもしれない。舌打ちしつつ、皇帝の姿を視線を巡らせて探す。だが、視界の中にはその姿は認められず、声だけが嘲笑うかのように響いてきていた。 「我が研究室の中でも、最も美しいこの『銀の庭』に、ようこそ。ヴァレンディア王」 「研究室が美しくって何か意味あんのかよ!? 隠れてないで出てこい!」 ふ……と、笑う吐息。それが、思ったよりもすぐ側で――具体的には、背後数メートル以内の近さで聞こえた気がして、ウィルは思わず前方に飛びのいた。そうしてから、気配を感じた位置を確認してみる。が、そこには前方にあるものと同じ透き通った壁と床の他には何もない。 「ウィル」 同じ気配を感じ取っていたらしいソフィアが、しかし彼女はその場から移動しないまま、囁く。 「気をつけて。ここ、何でかわかんないけど、気配がごまかされてる」 「気配が……ごまかされる?」 「……察しがいい」 ――悪寒。 ウィルは、殆ど反射的に魔術を放っていた。 だが、気配を感じた方向に正確に放たれたはずの雷光は、少し離れた壁に乾いた音を立て、弾けただけだった。 「どこを狙っている? 狙うのならば、こちらであろう?」 揶揄を含んだ声音が、今度こそ、その実体を引き連れてきていた。 「……ルドルフ・カーリアン……」 いつからその姿はそこにあったのか。遮るもののない室内の中央に、皇帝は静かに立っていた。 その姿を認めて、ウィルを初めに驚かせたのは、彼が鎧姿ではなかったということだった。 彼も魔術士であるのだから、普通に考えればそれはさほど不思議なことではなかったかもしれない。だが、幾度か相対したその全ての場面において儀式めいた銀の鎧を着用していた彼が、この最終戦に直面して身につけているのが、鎧でも、魔術士の黒いローブでも、ソフィアが普段着ているような耐刃繊維の服でもなく、王侯貴族が平時に着るような部屋着であったことは、ウィルを十分に驚かせ、そして懐疑させた。力ある魔術士の術を受ければ、身を護るのが鉄板であろうともシルクであろうとも大差がないといえばないのだが、まさかだからというわけでもあるまい。何か、他に理由があるというのだろうか。例えば、鎧がなくとも全身を強力に防護する手段を備えている、等と言った…… 「ルドルフ」 横合いから聞こえてきたソフィアの声に、ウィルは思考を閉ざした。皇帝の方へ数歩、歩み寄りながら彼女は真っ直ぐに、その姿を見詰めていた。彼女の声は少し固く、感情を押し殺そうという努力が伺える。 「ルドルフ。もう止めましょう。騎士団も、暗黒魔導士ももういない。あなたの負けよ」 ルドルフは、ウィルに向けていた笑みの気配をソフィアへと移す。 「止める? 何を。まだ、何も始まっていないというのに?」 「……ルドルフ」 「ここから始まる。今から始まるのだよ、エルフィーナ。お前たちが行っていた茶番ではなく、本当の聖戦が」 言葉に熱を込めるでもなく、冷酷さをあらわにするでもなく。淡々と、ただ、淡々とルドルフは告げる。ソフィアを映す眼差しにも激情の匂いはなく、閑寂な夜の色に揺らぎはなく。 だというのに、ウィルがそこに危うさを感じて取れたのは―― 自分も同じ物を持っているからかもしれない。 ――押さえ切れない狂気。 「……ソフィア、剣」 ルドルフ・カーリアンから視線を外さないまま、隣の少女に囁きかけると、彼女は持っていた短剣を二振りともウィルに渡した。槍がある以上、大神官の利刀も彼女には無用の長物である。 受け取った剣の感触を確かめるように、ウィルはグリップを握る指に力を込めた。刃を厚く作られている無骨な格闘用の剣は、手に見た目以上の重みを与えてきていたが、それでも普段使っている長剣よりはさすがに軽くて、それが少し頼りなく感じられる。しかしウィルはその感情を戦意で無理矢理ねじ伏せて、前方の敵を威嚇するように睨み据えた。 それぞれの武器を構える解放軍の戦士二人を前に、暗黒魔導士という懐刀も失い、たった一人になったはずの皇帝は、悠然とした冷笑を浮かべ続けている。焦らされたように、ウィルは呟いていた。 「構えろ、ルドルフ・カーリアン。お前の言う聖戦に終止符を打ってやる」 冷えた空気の中に染むウィルの声に応えたつもりか、皇帝は僅かに顎を上げた。空を仰ぎ見るように――もしくは、眼下を見下ろすように。おもむろに開かれた唇から漏れ出でたのは、冷嘲の声音だった。 「貴様ごときに向ける刃などわざわざ手に取るまでもない事は、先刻理解した」 ルドルフがすうっと腕を前に突き出す。ウィルは魔術を警戒したが、彼の方ももう既に発動の準備は出来ていた。目測で十メートル以上という距離に、魔力でも修練においても上回っている事を併せて考えれば、皇帝の攻撃は十分に防げるはずだった。 ウィルの判断など知る由もない皇帝は、続ける。 「貴様など、これで十分」 ――油断をしていたわけでは決してない。 だが、ウィルは頭上から降ってきた衝撃が床を震動させるまで、何が起こったのか理解できないでいた。 「……な……」 思わず、上を見上げて、その瞬間に横合いからの打撃を受ける。舌打ちをしたソフィアに突き飛ばされたのだ。重心を崩して何歩かよろめいたウィルの、それまでいた場所を、天井から伸びてきた何かが貫き、再度地面を揺るがす。 それが何であるか確認して、ウィルは戦慄した。壁や床と同じダイアモンドで出来た、細く長い柱。男性の上腕ほどの太さのあるそれが、最初の衝撃の分と二本、天井と床を直線的に繋いでいた。こんなものが人間の身体に直撃したら、魔術以上にただ事では済まない。 「くそ、こんな大掛かりな仕掛けをっ……!」 天井や壁の、天然の岩壁のような形状は、恐らくはこのあらかじめ作られていた輝く石の錐を隠すためのカモフラージュだったのだろう。防御の魔術は編み上げていたが、魔術といえどもこれだけの硬度、速度を持つ武器を防ぐ事は難しい。積極的に攻勢に出ない事には、勝機はない。 瞬間的にそこまで判断して、ウィルはソフィアに視線を送り―― 「……っ!」 敵の眼前であるというのに、その場で彼は硬直した。 ソフィアは腕や足の数ヶ所から流血していた。ウィルを庇ったその時だろう。錐と床が衝突し、粉砕したダイアモンドの欠片が彼女の身体を襲ったのだ。いかな自然界の物質中で最硬を誇るダイアモンドといえども、同じ物質とぶつかり合えば破壊されるのが道理だ。腕の傷を、反対の手で抱え込むようにして、苦痛に顔を歪めている。 「大丈夫よ、かすっただけ! 前向きなさい、前!」 気丈にも、ウィルの隙を補ってルドルフを警戒しながら、ソフィアは怒鳴った。が、この気温だというのに彼女の白い額に浮かぶ汗が、ウィルの体温を下げる。小石ほどの大きさとはいえ、鋼鉄よりも硬い砕片が彼女の細い腕を殴打すれば、かなりのダメージにもなり得る。 どくん――心臓が、強く血液を送り出す。 「ルドルフ――っ!!」 咆哮と共に、彼は魔術障壁を腕の先に出現させた。二人を包むほどの大きさで作っていた術式を、ラウンド・シールドほどのサイズになるよう変更し、その分威力を増強して片腕に構える。 盾と剣を手に、ウィルは猛然と、ルドルフ・カーリアンに向かって疾走した。 二人の手の内を把握していたルドルフにとって、ウィルの特攻は、考慮のうちではなかったのだろう。余裕の表情に僅かに警戒の色が走る。 が、彼よりも驚愕していたのはむしろ、ソフィアの方であったようだった。 「ウィルっ! だめぇっ!」 彼女の悲鳴のような叫びが、風を切る音に混ざる。 この錐の威力は確かに並みの魔術以上の驚異だが、魔術のように周囲に熱量を放散しない分、直撃さえ食らわなければ問題にはならない。破片くらいならば、この盾があれば十分に防御できる。天井の錐が収納されている場所は判別できないが、注意さえ怠らなければ避ける事くらいは出来るだろう。怒ってはいたが、ソフィアが思っているほど我を忘れているわけではない。 頭上と皇帝とに均等に意識を配りながら、魔術を編み―― 次の瞬間。 警戒していた天井ではなく、数メートル先の、何の仕掛けが施してあるようにも見えなかった床から、鋭く尖った錐の先端が「生えて」くるさま――その残像が、目に映った。 |