CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 13 #92

←BACK

NEXT→



「二人っきりになっちゃったね」
 所々にしか明かりの灯されていない、薄暗い廊下を静かに歩きながら、ソフィアはそんなことを呟いてきた。
「何千人も、仲間、いたのにね」
「ん? ああ……」
 レムルスの辺境、トゥルースから発ったときは、千人に満たないほどの軍でしかなかった解放軍であったが、レムルスを解放し、ファビュラスを訪れ、フレドリック、ヴァレンディアを経てこの最終戦の地に至るまでには、兵の数は当初の何倍にも膨れ上がっていた。
 ファビュラス教会の魔術士の参入、それまでばらばらに活動を行ってきていた反帝国組織との合流は大きかったが、何より、解放軍の姿を見て、初めて剣を取る事を決意した義勇兵の数がかなりを占めていた。
 帝国に虐げられてきた多くの平民に、勇気という光を与える事が出来た。
 ディルト王子はそう喜んだものだが、ウィルは、少し、それを重く感じていた。
 戦に参加すれば、傷を負う事もある。死ぬことさえある。
 いくら、自分の意志で参加したとはいえ、死ぬのは本意であるはずがないだろう。命を賭して祖国に剣を捧げると誓った騎士たちでさえも、全員が、全く死を厭わずに戦えるというわけでもあるまい。
 傷つくことは。死んでしまうことは。帝国の圧政に苦しむよりも辛いことではないのだろうか。
 自分は、反帝国感情を持つ人々を扇動して、一旦収まりかけた憎悪のくすぶりを再燃させてしまっただけだったのではないか。
 声に出すことは決してなかったが、そんな思いはいつでも心の中にあった。
 ――だからだったのだろう。常闇の深淵から脱出した後、本陣に戻らず、自分達だけでこの帝国の城に乗り込もうと決めたのは。
 いくつか理由はあったが、結局最大の理由は、多くの命を預かるよりは、小人数を護った方が自分が楽であっただけなのだと、本心では、思う。
「ウィルー?」
 ぺちぺち、と、横からソフィアに頬を叩かれて、ウィルははっと我に返った。
「何考え込んでるの? 今更、まだ何か悩むことなんてあったっけ?」
 不思議そうにまばたきをしながら、気楽な声を彼女は上げてくる。
「後は、ルドルフどつき倒せば終わりじゃない」
 最後に塩胡椒で味を調えて完成です、と同じ程度のことだとでもいうように、簡単に言ってのけるソフィアに、ウィルは思わず苦笑した。
「それも、結構面倒そうな仕事だと思えるけどな」
「……そうかもね」
 槍を握る両の手を胸の前に持ってきて、ソフィアはその手に力を込めた。勇ましい表情で握るこぶしが、力の入れすぎでふるふると小さく震えている。ふと気になって、ウィルは尋ねた。
「…………それは、どーいう気持ちを表している動作?」
「がんばるぞぉ。」
「…………」
 思わず、沈黙する。
「……頑張るの?」
「頑張らなきゃ負けちゃうじゃない」
「いや、あのね、頑張るってことは……」
 しばし逡巡して、続きを口に出す。
「あいつを殺すっていう結末でもあるわけで」
「……やっぱり、殺さなきゃ駄目なのかな」
 急に、ソフィアは火が消えたようになっていた。
「捕まえて、ヴァレンディアかどこかで裁く、っていうのは、無理なのかな」
「……うーん……」
 通常の政治犯なら、それで構わないだろう。だが、相手は、帝国討つべしの一念でこれだけの人間を動かせるような事をやってのけた張本人である。仮にこの場で命を取らなくても――というより、そんな事があることは考えられないが、抵抗が酷くなければ生かしたまま捕縛するのが望ましいのだが――、正当な裁きの元に、極刑を言い渡さざるをえないのは、疑うべくもない。
「そうだよね、大変なこと、しちゃったんだもんね」
 答えないウィルの言いたいことを察して、ソフィアは元々撫で気味の肩を落とす。
「しょうがないや。とにかく頑張ろう。うん」
 自分を勇気づけるように、彼女は幾度か、自分の言葉に頷いた。
「……ソフィア」
「なぁに?」
 再び、ウィルを見上げてきたその顔には、下を向いていた間に彼女が浮かべていたであろう影は、微塵も見うけられなかった。
「ソフィアにとって、あいつって、何?」
「何って……? ……ああっ、まだそういう事言うのぉ!?」
 ソフィアの目に怒りの火が点るのを見て、普段なら折れるところではあったが、ウィルは、何とか踏み止まって、彼女の瞳を見つめ返した。
「変な意味じゃないけど。でも、君にとってどうでもいい人間ってわけじゃないんだろ?」
「どうでもよくはないわよ。だって優しくしてくれたもの」
「優しく、って……」
 恐らくその言葉に変な意味はないのだろうが、ウィルは思わず顔を赤らめて聞き返していた。視線が、彼女の首筋に残る、赤い痣へと我知らず、落ちる。
 ウィルの見ているものが何であるかすぐに思い至ったソフィアが、それを片手でぱっと隠して、彼を鋭く睨めつけた。
「なっ! 何考えてるのよこのスケベ! これは知らないって言ってるでしょ!?」
「そ、それあの時も気になってたんだけどさ……知らないってことは、君、知らないうちにそういう事されるような隙作ってたってこと……?」
「寝てるときなんて分かるわけないでしょうが!」
「……ねっ……!?」
 絶句。ややしてから、何かの中毒患者のように指先が震えてきたが、ウィルは止めることが出来なかった。
「あいつと寝たのか!?」
 ウィルの叫びに、ソフィアがかっと顔を朱に染める。
「変な言い方しないでよねっ!? 睡眠よ睡眠! 一緒に眠っただけよ! 何もしてないわよ!」
「どっちもどっちだっ! 年頃の女の子が男と眠るか普通!? 馬鹿たれっ!」
「ばっ……馬鹿たれまで言うことないでしょ!?」
「ありまくりだ! 君はな、分かってなさすぎるんだ! 君の無防備な一挙一動がどれだけ男の魂の奥底をなんかもームラムラムラムラさせるかってのが!」
「分かるかぁぁぁぁっ!!」
「実際にそういうコトされといて威張るな!」
 ウィルの吠えた正論と言えば正論かもしれない内容に、ソフィアは、うっ、と言葉を喉に詰まらせた。何か言いたげに口をぱくぱくとさせているが、それ以上は出来そうになかった。気持ちは落ち着いてはいなかったが、鼻から息を吐いて、ウィルは声のボリュームを落とした。
「こんな所じゃなかったら全部引っぺがして身体の隅々まで本当に何もなかったかチェックしてるぞ」
「変態っ」
 眉を釣り上げて、ソフィアがぼそりと呟く。それが引き金だった。
 激しい怒りは捨て去り、ただ険悪さだけを残した表情で、ウィルはソフィアにずんずんと歩み寄る。
 ウィルのただならぬ形相を見上げて、ソフィアはたじろぎ、後ずさった。
「ちょっ……!? な、何よ、そんなに怒らないでよ! あ、あたしもある程度悪かったわよ! って、こら!」
 怯えすら現れた顔のソフィアの肩を両手で掴み、ウィルは彼女に顔を近づけた。今迄の経験がそう指示するのか、反射的に彼女は瞳を閉じる。
 が、ウィルはいつものように、彼女にくちづけをすることはなかった。
 そろり、と、ソフィアが目を開けてくる。
「キスしていい?」
 鼻先が触れ合うほどの距離にいる彼女に、ウィルはそう問いかけた。
「え……」
「キス。くちづけ。接吻。していい?」
「なっ……なっ!? 何でそんなこと聞くわけ!?」
 隅から隅まで冗談の欠片もないウィルの表情と口調に、ソフィアの声が裏返る。
「ソフィアの口から、きちんと許可をもらってしたい。あいつよりも、俺の方が、君の心の中に占める割合が大きいんだってことを、君の唇で証明して欲しい」
 唇に触れた、キスよりも熱い吐息にソフィアが身を竦ませる。
 槍と二振りの剣から、ウィルはソフィアの手を奪い返して、自分の手の中にそっと包み込んだ。零れ落ちた金属が床に跳ねる音が、瞬時ソフィアの気をウィルから逸らす。その隙を突くようにウィルは、彼女の耳元に手を伸ばした。小さな彼女の身体が、びくりと震える。
 恐々と、目を細めるソフィアが、不意に小さく唇を動かした。
「……ウィル」
「ん?」
「もしかして、それって……やきもち?」
 ウィルは表情を変えなかった。少なくともそのつもりだった。しかし、ウィルの反応なき反応から何かを読み取ったのか、ソフィアが瞳を輝かせる。
「やきもちだ。やきもちやいてるんだ」
「悪いかよ」
 開き直って、認める。
「俺は嫉妬深いんだよ。そういうつもりがあろうとなかろうと、君に男が近づくのは嫌だし、君が誰かに近づくのも嫌だ」
「わがままだなぁ」
 穏やかな赤に色づいた、みずみずしい果実のような唇に、ソフィアが苦笑を浮かべる。ウィルは指先で、そっとそこに触れた。柔らかくて、熱を持っていて。瞼を閉じるソフィアに、再度、彼は聞いた。
「キス、していい?」
「……うん」

 抱擁と口付け。
 お互いに不慣れだったそんな行為にも、いつのまにか慣れて、求め合うことの快感を知った。
 ソフィアの唇にキスをしながら、ウィルは右手でその彼女の胸に触れた。
「……わ、ちょっとそれ待っ……」
 突然の感触に驚いてソフィアは顎を引く。彼女が上げた声は、ウィルは空いた左手で彼女を上向かせ、元の体勢に戻すことで押しとどめられた。腕に置かれていたソフィアの手に力が入ったが、数秒ほどで、諦めたように緩められる。
(わがままで悪かったね)
 言葉にせず、その思いだけをウィルはソフィアにぶつける。唇で。指先で。
(けど、俺がわがままだってことくらい、君だって知ってるだろ。わがままはお互い様だ)
 唇を解放して、そのまま彼女の耳に狙いを移す。くすぐったがりの彼女は、耳はてきめんに弱い。
「や……」
「ソフィア」
 抗議の声を発しようとしたソフィアを遮って、ウィルは囁きを発した。
「そのままで聞いて。多分、ルドルフに聞かれてるから」
 声帯を殆ど震わせない発声の警告に、瞬間的に彼女は意識を鋭くした。そんな彼女の耳たぶを、ウィルは甘噛みする。
「……っ!」
「態度に出さないで。見られてもいる」
「だからって……か、噛ん……って、見られてるっ!?」
 殆ど無音の叫びを上げて、ソフィアはウィルの腕を押しのけようとした。が、もちろん彼は離さない。
「そりゃそうだ。見てなきゃあんなタイミングで、魔術を発動させたりはできない。仕掛けは作っておいたとしてもね」
「まさか最初から見てるって分かっててこんな真似……っ」
「俺はやきもちやきだからねぇ」
 さわさわと、手のひらで少女の起伏の少ない身体を撫でながらウィルが言う。声に十二分に含まれた満足を、ソフィアは嗅ぎ取ったのだろう。その証拠にウィルを掴む彼女の両手に凶悪な力が篭る。
「ぶっ飛ばす。あとでぶっ飛ばす。絶対ぶっ飛ばす」
「いやあのね、不自然でなく君に耳打ちできる体勢を作りたかったという計略もなきにしもあらずっていうかすみませんもうしません」
「言い訳はいいから用件を言いなさい」
 ウィルの胸に手を触れるふりをしてこぶしをみぞおちに当ててくるソフィアに恐怖の汗を流しながらも、ウィルは彼女を抱きしめて彼女の耳に口を寄せた。
「あのね、見ての通りなんだけど、さっきのどさくさでディルト様から剣を借りてくるのを忘れちゃって」
「間抜け」
「……カイルの短剣を使おうにも、皇帝のでかい剣にそんなちまい武器で立ち向かえるほどの技量がある訳でもないし」
「どんくさい」
「…………魔術メインで戦うにもあんまり余力もないんで、とりあえず攻撃はソフィア主体で俺サポートとどめも俺って感じで行きたいんですが」
「おいしいとこ取り」
「悪かったって言ってるだろっ!?」
「耳元で叫ばないでよ。全くもー何やってるのよ。意味ないじゃない」
 精一杯叫んでしまってから、横目で睨んできたソフィアの突っ込みに、ウィルは思わず我に返った。もはや耳打ちも何もあったものではない。
「君がいちいち逆なでしてくるんだろうが!」
「逆なでしたくもなるようなことやるからでしょ!」
「だから謝ってるじゃないか!」
「謝ってると言うかアンタの口はその態度でっ!」
「…………!」
「…………!!」
 睨み合いが続いて数十秒。
 ウィルは、大きく溜息を吐いた。
「……何でこんなにせっぱ詰まってるのにさっきから叫んでばっかりなんだ……」
 魂を吐き出すように呻くウィルに、ソフィアが冷たい視線を投げかける。
「体力余ってるんじゃないの」
「余ってないよ。あり余ってるのは君だろ」
「…………。」
「やめよう、うん、悪かったよ」
 ひらひらと手を振って、降参のポーズを取る。彼女が何かを言い出すよりも早く、ウィルは先程まで歩いていた方に足を向けた。彼女を置いていく形になったが、すぐに、小走りの足音が後ろに続いてくる。
「いいの、もう少しまともに作戦立てなくても。あ、もうばれてると思うから言っちゃうけど」
 ソフィアが拾い上げた武器同士が彼女の足音と一緒にかちゃかちゃと音を奏でる。その音を耳にしながら、ウィルは頭の後ろで腕を組んだまま、静かに呟いた。
「即席で作戦立ててどうこうなるような相手でもないしな。って前も言った……のはディルト様にか。ともあれ、こんな廊下なんかにまで仕掛けをしてあるような奴だったら、自分で戦いの場所に指定した部屋に何も仕掛けてないなんてことはないだろ。何をやってるかなんて予測もろくにつかないのに、対策の立てようなんかない。取り合えずそれは注意しよう」
 言ってから、ふと思い付いて、ソフィアの方を振り向く。
「ソフィア、あいつが何研究してたか、知ってる?」
「わかんないわよ。特に知ろうとも思わなかったし。そもそも見てもわかんないだろうし」
「だよねぇ」
 暗黒魔導士。女神の力の解明。魔力を増幅する障壁。そのどの一つをとっても、教会魔術士が研究班を組んで長年取り組むほどの難度の研究課題であったはずだろう。
 ルドルフ・カーリアン。
 魔術士としての能力だけなら、恐れるに足るものではない。戦士としての実力は高かったが、恐らくソフィアと一対一でやりあって、彼女を凌駕する程のものではないだろうと、ウィルは踏んでいた。
 彼が誇るのは腕力でも魔力でもなく――
 恐らくはその知略。
(切り札の一つだった暗黒魔導士を失ったのは失策か? それとも……)
 ――不要な札を切って、役を完成させたか。
 唐突に、前方から吹いてきた風が、ウィルの前髪を掻き上げて行った。
 明りの乏しい廊下の終端に、無明の闇へと続くような階段が現れる。その奥から、冷たい風が、それが立てる笛の音のような高い音が、彼らを地底の居城に招き入れようとしていた。


←BACK

NEXT→


→ INDEX