CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 13 #91 |
第13章 『聖戦』の終焉に 女の、余りにも悲痛な絶叫が、崩壊する城壁が立てる轟音を突き破り、身体を抉った。 それは、瓦礫と砂埃と魔術の光の中にその姿を消した黒魔術士のものではなく、もっとウィルのすぐ傍にいる、天馬騎士の女性が上げたものだった。絶叫の内容は、消えていった魔術士、姉の名前だった…… 白い破壊の光にかき乱された広間の天井は、破片というには大きすぎる塊になって落ち、着地の衝撃により同じ素材である床を粉砕し、或いは床に粉砕された。見る間に、室内の至る所に乱雑な瓦礫の山が形成されていったが、その光景はウィル達には、彼らが部屋を退出した途端に入口に落ちた巨大な破片の数々に遮られて、すぐに見えなくなってしまっていた。ただ、謁見の間――いや、城全体を揺るがす爆音めいた音が、その様子を肌に伝えてきていた。 やがて―― 重力に従うべきものが何もなくなったのか、音は止んだ。 瓦礫の山は、今はもう扉もない広間の入口に、二度と動かない新たなる扉を築いていた。 「姉……さ……」 へたり、と、細かい石材の破片が散らばる床にブランは膝をつく。鋭い破片はブランの柔らかい肌を傷つけたが、彼女はそれにすら気づかず、放心したように顎を上げて一点を見ていた。彼女の瞳は丸く見開かれたまま、感情と同様に乾いている。 「ノワール姉……!」 座り込んだまま微動だにしないブランと対称的に、もう一人の妹、ルージュはよろよろとした足取りで崩落の跡に近寄ろうとした。が、少女の細い肩を、遮るように手が掴む。 「危険です、ルージュ。近づいてはいけません」 抗議しようと目つきを鋭くして振り向いたルージュだったが、その手が、彼女らが誰よりも慕う青年のものだったので、その視線が孕む意味合いは戸惑いに変わった。 「どうして……ラー様、ノワール姉が……」 「少しの衝撃で崩れるかもしれません。離れた方がいい」 「ノワール姉が、まだあの下にいるのに!?」 ルージュの頭上越しに、硬い表情で崩れ去った謁見の間を見詰めるリュートの、両の袖を掴んでルージュは喚いた。掴んだ腕に力を強く入れ、少女はすがるような視線を長身の青年の顔へと向ける。 「石が邪魔になって、一人じゃ出られないかもしれない……さっきの光で、怪我しちゃって、動けないかもしれないのに……っ! なんでっ!? 何でですか!? 何で助けてあげないんですかぁっ!?」 視界の隅で、ウィルは、ソフィアが口をきつく結んだまま、爪を抱えた自分の腕に突き立てる姿を見た。 そっと、その手を腕から引き剥がして、ウィルはソフィアを抱きしめる。ソフィアは抵抗もせず、ただ黙ってウィルの胸に顔を埋めた。 叫んでいるうちに、ルージュの瞳には涙が浮かんできていた。その涙はすぐに目から溢れ、次々に大粒の滴となって彼女の幼さを残した頬を伝っていく。 鳴咽する少女の、くすんだ赤いくせっ毛を、リュートは長い指でそっと撫ぜた。 ただ黙って髪を撫でる青年に、ルージュは飛びついて、ひたすら大声を上げて、泣いた。 彼らの上に沈黙が舞い戻って来るのには、しばしの時間を要した。 それは、戦場で取る休息としては非常に長すぎるものだったが、肉親との別離から心を癒されるには余りにも短い時間だった。だが、リュートの胸にしがみつくルージュの声も既に収まり、床にへたり込んでいたブランも、今は震えながらも自分の二つの足で地を踏みしめていた。 必死に、喉で鳴咽を殺すルージュの頭を優しく叩いて、リュートはウィルの方を振り返った。 「……行きましょう」 「いいのか?」 広間のあった場所からリュートへと視線を移して、ウィルは確認した。 ブラン達姉妹と同じくらいに、この男も、今すぐに目の前の瓦礫を掘り返したいという衝動に刈られているはずだった。しかしリュートは決然と頷いて見せた。 「あの子が私と同じ思いでこうしたのなら」 その声に、迷いはない。 「全てを投げ出して、皆を前進させようとしたのに、いつまでもその場に留まられては、私だったら、怒ります」 「……分かった」 「ラー様」 ウィルが頷きを返したのと丁度同じ時、今迄泣き疲れたように俯いていたルージュが顔を上げていた。リュートは自分が軽く腕の中に抱いているその少女に視線をやる。 「私……ここに残ってもいいでしょうか」 「ルージュ?」 リュートは聞き返してはいたが、その声には咎めるような色合いも、怪訝そうな雰囲気すらなかった。だが、ルージュは少し慌てたように一旦上げた顔をもう一度下に向けていた。 「……私は、ついていってもラー様みたいには戦えないから……ブラン姉みたいなすごい武器も持ってないし、多分、足手まといになります。だから……。それに、もし、万が一、物凄い奇跡があって……ノ、ノワール姉が生きてて……出てきたら、誰もいなかったら、きっと困るから……」 聞き取るのが困難なほどの涙声で、少女は必死に言葉を紡いでいた。それでも騎士らしく、直立の姿勢を保ったまま、肩を痙攣させる少女の頭にリュートは手を置いた。 「分かりました。ルージュ。ノワールを、待っていてあげて下さい」 「……はい……!」 涙でぐしゃぐしゃになった顔に、健気にも笑みを浮かべてルージュは返答する。それに最大限に答えた優しい微笑みを、リュートはこの少女へと向けた。 「私も残ろう」 「カイル?」 不意にかかった声に、リュートは、今度は多少驚きを表情に出して問い返した。 「お前らが皇帝を始末してくれると言うのなら、奴には特に用はない。お前がいれば、私の力が必要になることもないだろうしな」 他の誰が口を挟む間もなく言いきって、カイルタークは謁見の間のちょうど真向かいの壁に寄りかかって目を閉じた。目を閉じる直前、大神官の怜悧な瞳は、涙を浮かべた瞳できょとんと彼を見ているルージュの姿を一瞬だけ映していた。 「それに……あの魔術士の女を待つつもりだというのなら、治癒魔術の一つも使えるものもいてやるべきだろう?」 腕を組んだまま、無愛想に言い放つ彼の声音は、おそらく殆どの人間であれば普段と全く変わりないように聞こえただろうが、ウィルとリュートは、思わず顔を見合わせて、同時に小さく苦笑した。 「優しいんですね」 「さっさと行け」 今更自分のらしくない台詞を後悔したのだろうか。僅かに照れ隠しの苛立ちが混じった声をリュートに返したが、やはりこの違いを聞き分けられたのも、リュートとウィルだけだったようだった。 「じゃあお言葉に甘えて。ルージュと……ノワールを、お願いします」 リュートは、そんなことになどまるで興味がないような表情で瞑目しているカイルタークに、深く頭を下げた。 一行は、皇帝のいると言う地下の研究室に向かって黙々と足を進めていた。 暗黒魔導士のローブを纏ったままのリュートが皆を先導する形で前を歩き、その後に、ブラン、ディルト、ソフィアの順で続いて、ウィルは列の一番後ろを歩いていた。自然とこのような並びになったが、先導するリュートは別として、順番に深い意味があるわけでは無論、なかった。たったこれだけの人数で、この広い廊下を縦列になって歩く必要性も本来ならばないだろう。 だが、誰も言葉を発しようとしない今だけは、誰の表情も見る必要のないこの並び方が都合よかったのかもしれない。ただ、ウィルも疲れ果ててはいたのだが、自分の場合は、一旦堰を切ったら喋り続けずにはいられないような気がしていた。先程の一戦が始まる前がそうだった。ディルトにはそうは見えなかったようだったが、あれは緊張を紛らわせていたのだ。今も出来ることならそうやって緊張を紛らわせたいところだったが、取り巻く重苦しい雰囲気がそれを許さなかった。 床に敷かれた石材の模様を目でなぞっていたウィルは、視線を上げて、目の前にあるソフィアの背中を見た。 亜麻色の長い髪が揺れる、少女の小さな背中は、やはりいつ見ても屈強な戦士のものとは思えなかった。細い腕から繰り出される一撃は異常なまでに強力だが、一旦腕の中に抱き留めてしまえばその腕力は見た目通り、儚い少女のものであると分かる。 ぼんやりと、だがじっと、ソフィアの後ろ姿を見ていたウィルは、いつのまにか、本来なら見えないはずであった彼女の顔が視界に入っていたことに気がついて、少し慌てた。 「何? 何かついてる?」 「ついてないけど。……背中に目でもあるのか、君は」 返すと、彼女は歩調を緩めてウィルの横に並んだ。彼女も、誰かと話をしたいと思いながら今迄口火を切れずにいたようだった。 「ウィル、ルドルフと、どうやって戦うの?」 「どうやってって?」 「ウィルの剣は折れちゃったし」 「ディルト様のをこのまま借りようかと思ってるんだけど。いいですよね?」 ソフィアが移動したことで新たに目の前になったディルトに、ウィルは話の火種を飛ばす。振り向いて、彼は肯いた。 「ああ。悪いが、戦えそうもないからな。好きに使ってくれ」 「大神官様たちと、待っていてくださってもよかったのに」 ソフィアの言った言葉は、取りようによっては「足手纏いは帰れ」とも聞こえるものだったが、彼女が嫌味を言うときはもう少しストレートに来ると知っているディルトは、言葉通りに気遣いと受け止めたようだった。 「私は皇帝に国も父母も奪われているからな。全て見届けずに結末を迎えられては、気分が悪くて仕方がないよ」 「それもそうですね」 似たような立場のソフィアは、簡単な言い分であっさりと納得する。 「ソフィアは、カイルの短剣……は持ってるな」 戦闘中に借り、そのまま来てしまった為抜き身のまま彼女が片手に下げている、二振りの短剣にウィルは目を落とした。ちなみにウィルの使っていた剣は、一旦ディルトに返している。 「うん。……でもちょっと心もとないかな」 手の中の短剣を見下ろしながらソフィアは少し、声のトーンを落とした。握りの部分を含めて、指先から肘くらいまでの長さがある、剣としては小ぶりではあるが重厚な作りのそれは、明らかに護身用ではなく戦闘用の武器だった。 「短剣も、苦手じゃないんだけど。ずっと槍使ってたから、リーチの長い武器に慣れちゃったんだよね……」 独り言のようなその口調が少し気になって、ウィルはソフィアの顔を覗き込んだ。彼女は、ウィルの方を向いてはおらず、貫くような、それでいて夢見心地になっているかのように生暖かくもある視線を前方へと向けていた。空間に線が描かれているかのような真っ直ぐな眼差しの向けられる先をたどる――と、それは一人の少女に行き着いた。 「ブラン……」 訂正。 「ブランの槍……」 「素敵よねえ。魔術を防ぐ槍だなんて。あんなのがあったらもう無敵よね。ああ、いいなあ……」 頬を染め、溜息と共に潤いに満ちた声を漏らす。まさにそれは恋に身を焦がす乙女の声だった。危険な香りのするそんな声を図らずしも向けられた槍の持ち主は、びくりと全身を震わせて、恐る恐る後ろを振り向き―― 「きゃあっ!?」 声を上げた。 ブランが振り向いたときには、ソフィアは彼女の背後一歩ほどの地点にまで迫っていた。ブランが気配を感じてから振り向くまでの間に忍び寄ったわけだが、その奇妙なほど静謐で迅速な行動にはずっと見ていたウィルも驚いたのだから、ブランの驚愕はその比ではない。 ソフィアの視線はただ一点に釘付けだった。 「ソ……ソフィ……」 何とか彼女(の物欲)を宥めようとウィルは声をかけてみるも、彼女の耳にはこれっぽっちも入らなかったようだった。一心不乱に魔力槍ホワイトウインドを見つめ続けている。 「……あう……こ、これは駄目ですからね!? これはラー様から頂いた大切な……」 ソフィアの目から何とか逃そうと、ブランは槍を背後に隠した。男性の中でも抜きん出て背の高い部類のリュートよりもまだ大きなものが、逆に平均的な同年代の女子と比べて明らかに小柄なブランの陰に隠れるはずなどはなかったが。ウィルの言葉が耳に入らない代わりに、ソフィアの耳は、ブランの言葉に含まれたひとつの固有名詞を拾ったらしい。白騎士の少女へと向いていた顔が、長身の青年の後頭部へと向けられる。 新たなる標的に設定されたリュートは、美貌に困惑をめいいっぱい乗せて振り返ってきた。 「……せめて剣があればなぁ……」 ぼそり、とぼやくソフィア。ウィルからは死角になっていて見えないが、彼女がどんな眼差しでリュートを見上げているのかは、あの偉大な魔術士の引き攣った表情を見ればいやでも分かる。 「……誰かさんが剣、折っちゃったからなぁ。しょうがないんだけど……」 「あーもうっ、分かりました、分かりましたから。すみませんでした!」 根負けしたリュートが投げやりに叫ぶ。目で、ブランに保釈金、もとい、魔力槍を差し出すように指示する師に、彼女は渋々と従った。 「わぁい」 単純明快な笑顔と歓声を上げて、ソフィアは戦利品を手にウィルの元へ凱旋してきた。 「ソフィア……借りるだけだからな? あとで返せよちゃんと」 「くれるのよね?」 にっこりとした笑顔が再びリュートの方を向く。彼は最早諦めたようだった。力なく頷く。 知性派で理屈屋な彼は、ソフィアのような訳の分からないタイプが案外にも弱点であったらしい。 「わぁい♪」 「その所業は鬼だろ、いくらなんでも」 軽く襲ってきた恐らく精神的なものであろう頭痛に、頭を抱えながらウィルは一応忠告してやったが、それが何の意味もなさないという事は彼自身が一番よく分かっていた。ソフィアは機嫌よさげに、槍をいとおしそうに抱きしめている。 「大丈夫。この子の分の働きはちゃんとするから。ね」 変わらずの、しかし、芯の通った微笑み。 雰囲気を読めよ、くらいの文句は言ってやりたかったが、止めた。これは、彼女が彼女なりに雰囲気を読んで起こした行動だった。そして、張り詰めたような重苦しい雰囲気が、この時間だけでも払拭されたということは、彼女の狙いは成功したのだ。 (いや、本気でそのまんま単純に、槍が欲しかっただけなような気もしなくもないけどさ……) ウィルは、諦めと降参の嘆息を漏らす―― 「……!」 自分の生み出した小さな音が鼓膜に触れた瞬間、もう少し離れた場所から、それと似た吐息の音が聞こえたことに、ウィルは気がついた。 「リュート?」 彼は、廊下の中央で立ち止まっていた。彼の動きに合わせて全員が足を止める。 「どうかしたのか?」 ウィルの問いには答えずに、リュートは小さく呪文を唱えはじめた。何かを感じたらしい彼の突然の動作に、その場にいた全員が訳が分からないながらも周囲に警戒を走らせる。 皆が見守る中、リュートは障壁の魔術を手のひら大に小型化したようなものを指先に出現させた。そして、その腕を前方にすっと伸ばす。 ぱちんっ! 何もないように見える空間で、前触れもなく軽い火花が散り、リュートの魔術は消滅した。 「!?」 「何かありますね。障壁の一種だと思うのですが、触れても正体の判然としないものは、初めて見ました」 今の現象は、リュートの魔力と障壁の魔力、二種の力が干渉し合った証だった。彼は、目の前にある不可視の何かの正体を突き止めようと、弱い術を作り出して反応を見たのである。 「よく分かったな、そんなもの」 「陛下のようにただぼんやりと歩いているわけではありませんから」 尊称で人を呼びながらしれっと毒を吐いてくる。ウィルの頬は引きつりかけたがぐっと堪えて、何食わぬ顔を装った。もっとも、リュートは彼に背を向けているので関係はなかったが。 「それも皇帝の罠か?」 「まあ、多分そうでしょうね」 「もしかしてあいつは、古代遺跡マニアか何かか?」 古代遺跡には大抵、不可思議なトラップが数多くしつらえているものである。そう言った類を好む迷惑な気質を備えているとしか思えない。 先程の、馬鹿げたほどに大掛かりで陰湿な罠を思い出してウィルは気鬱になったが、目の前にあるのが障壁一枚だけならば対処法は難しくない。何かをされる前に、破っておいた方がいいだろう。 「ソフィア」 呼びかけると、彼女は自信を持った頷きを返して来た。 本来ならば、魔術障壁を破るには強力な魔術の行使を必要とするが――だからこそ、先程も扉の方を早々に諦め、壁を破壊しようとしたのだ――、今ソフィアがブランから巻き上げた槍を使えばそれがさほど労力を要さずに済むことが分かっている。 ソフィアは槍を勢いよく振りかぶって――不可視の障壁に投げつけた。 が。 ――からん。 「……へ?」 床に落下する軽い音の他には一切の音を立てず、ころころと少し離れた床を転がる槍を、ソフィアはぼんやりと眺めた。 「あれぇ?」 ちょこん、と、彼女は首を傾げる。そしてあろう事かその槍の方、つまり障壁の向こうへと小走りに走り出していた。 「ソフィアさ……!」 彼女に場所を空けるように少し下がっていたリュートが、慌てて制止する――よりも早く、彼女は先程魔術の反応があった場所を通り抜けて、槍の傍まで辿り着いていた。 「……おや?」 くるりと振り向いて皆の方を向き、不思議そうにまばたきをするソフィア。槍も拾わず、ただ立ったままこちらを見ているソフィアに、ウィルは舌を打ち、彼もまた彼女の方へ走り出した。 「ぼーっとしてるな! 何があるかわからないだろ!」 問題の地点を通り過ぎる瞬間。微かに違和感を感じて、ウィルは眉をしかめた。ソフィアが普通に通過したので、自分こそが油断してしまったのではないかという焦りが心の中に生じる。だが、やはり彼の身体は何事もなく、ソフィアのすぐ近くへと到達していた。 「……何だ?」 足元の槍を拾ってソフィアの手に押し付けて、ウィルは再び振り返った。残る三人は、その場から動いてはいない。 「陛下!」 「いや、来るな。確かに今、何かがあった……」 その言葉が言い終わるよりも早く。 がこんっ!! 「!」 突如頭上から響いた音に、リュートは咄嗟に、すぐ傍にいたディルトを庇う形で背後に押しやっていた。 彼が身を引いたその場所に、激しい音を立て、天井から格子状の柵が落ちてくる。 「なっ!?」 声を上げたときにはもう既に遅かった。ウィルの目には、リュートとディルト、ブランが鉄柵の中に閉じ込められたようにも見えたのだが、そうではないことはすぐに分かった。廊下を、天井まで遮る柵は、どちらかを閉じ込めるというのではなく、一行を二つに分断していた。 「……やられましたね」 苦々しく、リュートが呻く。 「この期に及んでまだ更に戦力の分断を狙うとは、抜け目がない」 戦力の分断―― その言葉に、ウィルは微かな疑問を覚えた。 皇帝の狙いは、それだったのだろうか? ウィルの横に、黙って出てきたソフィアが、何の予告も無しにいきなり槍を一閃させる。 が、彼女の槍は金属同士のぶつかる硬い音に遮られ、振り抜かれることなく停止した。 「痛い」 「そりゃそうだろ。鉄の棒で鉄殴り付けりゃ」 眉を寄せて訴えてきたソフィアに、ウィルは冷静に言い放つ。そんな事をしているうちに、あちら側の皆を連れて十歩ほど後退していたリュートがウィルとソフィアの方を振り向いた。 「撃ちます。気をつけてください」 「……!? 気を付けろって、お前……!?」 抗議を聞くつもりはないらしく、リュートはウィルを無視して唇から繊細な韻律を紡ぎ始める。慌てて、ウィルは有りっ丈の力で障壁の魔術を編んだ。 「閃光よ」 リュートの細い指先から打ち出された光の螺旋は、抉り貫くように鉄格子に突き刺さる。 しかし―― 格子の隙間からも、一切の熱をウィルとソフィアの方に通すことなく、リュートの魔術はその効力を失っていった。 「…………」 「…………」 何事もなかったのように佇む鉄格子を挟み、両側で流れる沈黙。 「まあ、先程の壁と同じ製法で作られた防御壁なら妥当な結果でしょう」 構えた腕を下ろしながら、リュートは呟いた。 「仕方ありません。陛下。その場から動かないでいて下さい。カイルを呼んできます」 言って、踵を返すリュートの後ろで、ウィルは視線を斜め下に動かした。 ――同じように、斜め上を見上げている、少女の視線とぶつかる。 「リュート」 ウィルの呼びかけに、黒衣の魔術士は振り向いた。 「俺たち、先に進むよ」 「……陛下!?」 「これは戦力の分断じゃない。お前だって分かってるんだろ?」 自分の傍にいる一人の少女、そして、格子を挟んで向こう側にいる兄と、王子と、天馬騎士を順に見て、ウィルは皮肉げな笑みを浮かべた。 「誘いだよ」 「陛下!」 慌てた声は、ウィルの口にした内容を肯定する証拠だった。 「ただ分断させようというだけならこんなまどろこしい手段を使う必要もなかったはずだ。奴は、俺とソフィアだけに来て欲しいんだろうよ」 「……ですが」 「ここで何とかこの柵を破壊しても、粘着質なあいつのことだ、自分の思い通りに行くまで延々と仕掛けて来るさ。だったら、面倒なことはしないでお望み通り行ってやった方が速い」 「いけませんっ!」 子供の頃、幾度も彼を叱り付けてきた、リュートのかなり強い声が飛ぶ。だがウィルはその声を無視して、ソフィアを目で促した。 「陛下! 駄目ですよ絶対に、進んでは! すぐにカイルを連れてきますから!」 「無理だよ。簡単には破れない。さっき三人がかりで散々やったんだ。……それよりも、戻るのなら全員であの場所にいろ。分散し続ける意味はない」 「ウィル」 リュートの声が止んだ隙を突くように、落ち着いた声を発してきたのは、ディルトだった。そちらに、ウィルは小さく会釈した。 「すみません。レムルスの仇は、必ず取りますから」 「……ああ」 彼は、意外にも一言で了承し、頷いて見せた。 「それじゃ、そこの小うるさいうちの兄貴を、よろしく」 最後に、ウィルがブランに微笑みかけて手を振ると、彼女も小さく頷いた。 闇深き、通路の奥に二人の姿が消える。ほんの少しだけ、髪も服も黒っぽいウィルの方が見えなくなるのは早かったが、ソフィアの姿もすぐに闇に溶け込んで、確認できなくなった。 ふう、と重い溜息を吐き出す、リュート・サードニクスの横顔を、ディルトは眺めた。 暗黒魔導士と恐れられていた青年の、フードを取り払ったその素顔は、女性のもののように美しく、だが今はその秀麗な容貌に心配性な母親のような表情を織り交ぜて、通路の奥をじっと見詰めていた。 帝国がレムルスに侵攻してきたとき、この青年はおそらく暗黒魔導士として、その絶大な破壊の力を祖国に降り注いだことだろう。しかし、ディルトはこの青年に対し憎しみの感情を持つことはどうしても出来なかった。 「大丈夫ですよ。ウィルは、あなたが知っている子供のままではないのだから」 そう声をかけると、驚いたような目をして振り向いてきた彼は、 「そうですね」 と言って少し寂しそうに微笑んだ。 |