CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 12 #88

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 暗黒魔導士とソフィアが、剣を合わせながら何かを話しているということは、少し離れた場所で傍観者と化しているウィルたちにも分かっていたが、声が小さすぎてその内容までは聞こえなかった。
 広めに間合いを取ったソフィアが、暗黒魔導士に向かって微笑む。彼女が見せた、少し影のある微笑は、惚れた欲目を抜かしても非常に美しくて、彼は目を離すことが出来なかった。
 その直後。
 不意に、彼女は視線をウィルの方へと向けた。
 そして、小さく囁くと、すぐに暗黒魔導士の方へ彼女は向き直っていた。
 声は聞こえなかった。
 だが、彼女が、少し困った顔で口にした言葉はたったの一言で、ウィルはそれを読み取ることが出来た。
 見ないで。
 確かにそう、彼女は囁いていた。

 目の前に立つ少女の瞳が、一瞬、黄金色に輝いたように見えて、暗黒魔導士は目をしばたいた。まばたきを一回し終わったときには彼女の瞳の色は元の薄茶色になっていたので、彼は錯覚だったと判断した。が。
 揺らめくように緩やかに、かつ力強く地を蹴った少女を、彼は強張った表情で見詰めた。抉り抜くように突き出してきた短剣から、すんでの所で身を躱す。
(速い――!)
 暗黒魔導士は、本能的に身の危険を感じ取り、自分の剣を目の前の少女に向かって無意識のうちに突き出していた。かつては、教会随一と詠われた彼の剣が、幼さすら残る少女の影に突き刺さる。
(――影――!)
 息を飲む。それと同時に、彼は咄嗟に横に跳んだ。
 ぎんッ!
 直後、彼が一瞬前までいた床に、少女が大振りした短剣の切っ先が触れ、硬い音を立てる。そして、体勢を低くしたまま彼女は、攻撃を避けた暗黒魔導士を追って跳躍する。
 少女は、自分の身体を抱くように構えた二振りの短剣から、足払いをかけるように低い二連撃を繰り出す――
「……っ!」
 暗黒魔導士は爪先で、少女の小さな手を思い切り蹴りつけた。手から短剣が離れ、金属音が響く。――細い指はきっと骨折してしまっただろうが、暗黒魔導士にそれを気にかける余裕はなかった。躊躇できる相手ではない。
 事実、その判断は正しかった。蹴らなかった方の手――まだ手に握られているもう片方の短剣が、暗黒魔導士の地に付いている方の足の腱を、正確に狙ってくる。痛みによる攻撃速度の低下など、全くなかった。片足のみで、再び跳び退る。
 そこに、更に少女は追いすがってくる。
 視線を動かすと、蹴りを入れた方の手が力なく垂れ下がっているのが見えた。片手しか利かない彼女は、ただ一振携えたその短剣を胸の前で立て、切っ先を暗黒魔導士の方へと向けたまま、突進してくる。――暗黒魔導士の心臓に、刃を突き刺さんと。
 その、余りにも直線的な殺意を、彼は身を仰け反らせてどうにか躱した。
 攻撃を外した少女の脇腹に、蹴りを叩き込む。
「くは……っ」
 少女の喉から空気の漏れる音がして、彼女の細い身体は床に二、三度転がった。 
 ようやく、息をつく。先程までは落ち着いていた呼吸だったが、この数度の攻防で、すっかりと荒くなっていた。
 この彼女の攻撃は――どんな暗殺者にも勝る攻撃だった。
 技が――というわけではない。技量の面で言えば、先程と変わる所はなかった。彼女の技がプロフェッショナル以上だというのは、最初から同じである。その事についてではない。
 その攻撃のえぐさが、である。
 攻撃の手段を選んでいない。その瞬間に、一番手近な急所に刃を突き立てる事しか考えていない、酷く殺伐とした攻撃である。目的が変っているのだ。ただ純粋に戦いを楽しむことから、敵を倒す事に。
 心を――殺す。
 それは本物であるようだった。彼女の性格は、幾度かの戦いの中で実際に見、知っていた。この少女は戦闘狂ではあるが、殺人狂ではない。彼女にとって戦いとは、目的であって手段ではないのだ。それが、今の彼女では逆転している。ただ機械的に、相手を殺す事のみを目的として彼女は動いている。肉体的な苦痛すら、凌駕してしまっている。試してはいないが精神的な揺さ振りも効果はないだろう。まさに、機械そのものだ――
 彼女は幾度か咳込んでから、立ち上がった。感情の見えない無機質なその目に、暗黒魔導士は恐怖を憶えた。見覚えがあったのだ。
 ――このままでは、いけない――
 見覚えがあった。その瞳は……
 かつて、帝国に捕らえられていた頃の幼きヴァレンディア王の目と同じだった。

 見ないで。
 その台詞の意味が、ウィルには最初、分からなかった。
 けれど、彼女のあの目を見たら……
 気づいた。彼女は、彼女ではなくなってしまったと。冷酷さも、嗜虐も、快楽も、苦痛も、絶望も、自嘲も、何もない。ガラス玉と言うには余りにも美しすぎる薄茶色の瞳。
 ――止めないと!
 今度こそは、カイルタークに邪魔をされても止めなくてはならない。止めないと、取り返しのつかない事になる。そんな確信に限りなく近い想像が、ウィルの中に湧き起こった。
「リュート!」
 暗黒魔導士に向かって、叫ぶ。
「一対一の勝負は終わりだ、剣を引け!」
 宣告してはみる――が、引く事が出来ないのは明白だった。彼の意地とか矜持とか、そういったものではなく――単純に、戦闘態勢を解除したら、その瞬間ソフィアに刺される。それだけだ。
 声が聞こえていないという事はないだろうが、暗黒魔導士はウィルの言葉には反応を示さず、剣を構え、少女と対峙していた。
「ソフィア!」
 呼びかけはソフィアにも行ったが、こちらも無反応だった。――彼女の方は聞いているそぶりすら見せない。恋人の声などには全く耳を傾けず、彼女はただ、目の前の敵に向かって足を踏み出していた。
 ソフィアが片腕で短剣を振るうのを見たとき、ウィルも彼女の負傷に気づいた。舌を打つ。彼女は、あれでいて案外痛みに対して強くないのを、ウィルは知っていた。
「ソフィア、もういい、止めるんだ!」
 暗黒魔導士と彼女、二人の間に割って入ろうとウィルは走った。彼女の視界の中に入ろうとするウィルに向かって、暗黒魔導士ははっとしたように叫ぶ。
「陛下! 来ては駄目ですっ!」
 思わず、ソフィアから視線を外し、暗黒魔導士――リュート・サードニクスの方を振り返る。
 黒いフードの下で、彼が端正な顔に苦い色を浮かべているのが見えた。
 ウィルの背後に、殺気が迫る。
 それがソフィアのものであるという事は、冷静に判断すれば分かっただろうが、その瞬間のウィルには、それにどう対処すればいいのかも含めて思い浮かばなかった。ただ、幾多の戦闘を重ねてきた戦士としての勘は、振り返る余裕はないという事だけは伝えて来ていた。
 暗黒魔導士が、ウィルに――否、その背後のソフィアに向け、腕を伸ばす。即時、収束した光は、ウィルが非難の声を上げる間もなく放たれた。
 炎が空間を焼く。全てを焼き焦がしてしまいそうな勢いの熱波を追って、ウィルは爆風から目を庇い細めながら後ろを振り向いた。この熱量――これはリュート・サードニクスが瞬間で生み出せるほぼ最大の威力だった。全く手加減をしなかった――魔術士でない人間に対して!
「リュ……!」
「こちらを向いては駄目です! 真っ直ぐ前だけ見ていなさい!」
 ウィルの声は、一言目を紡ぐよりも先にその当人によって遮られる。
「彼女は死んでいません。防がれたのが見えました。来ますよ」
「な……?」
(防がれた、って……)
 生身の、魔術士でない人間に、そんな芸当が出来るわけはない。出来るわけはない、が……
(まさか)
 白い竜巻の如く空間に炎と気流の塔を作っている眼前の光景を、ウィルは目を凝らすようにして見詰めた。光の塔の一点が眩く輝き、次の瞬間には炎が、幻が消え去るように四散する。
 その中央に、熱風に髪をたなびかせる少女の姿があった――
 ソフィア。
 両肩から力を抜き、両の瞳を軽く閉じた少女が、身構えるでもなく立っていた。その瞳が、ゆっくりと開かれる。その色は――
「……あの女か」
 ソフィアとは対称的に、ウィルは身体を固くして呻いた。後ろから、暗黒魔導士が兄の声で囁いてくる。
「知っているんですか」
「大幅に浮世離れして融通が利かなそうなソフィアの御先祖、だろ」
「……ソフィア嬢ではないとは思っていましたが。成る程。ならばこの暗黒魔導士の一撃、防がれても不思議はない」
 こんな状況であるのに、興味深そうに言うこの根っからの学者に内心腹を立てながら、ウィルは自分自身にそんな場合ではないと同じ言葉を言い聞かせる。風景を眺めるかのような、焦点を定めていない金色の瞳は、彼女が何を思っているのか判別させない。それに危うさを感じ、ウィルは自然と身構える態勢を取った。
「下がっておいでなさい、陛下。彼女の狙いは私です。手を出さなければ、あなたまで被害を被る事はないでしょう」
「手を出せば俺まで殺られるって言う意味か?」
「敵味方の区別が曖昧になる程度に、判断能力が低下している可能性はあります。あれは……まさしく神話にある狂戦士、もしくは鬼神だ」
「それって、目に映るもの全部なぎ倒すって類の奴じゃなかったっけ? 子供の頃に読んだ絵本からの知識だが」
「だったら尚更、下がるべきだと分かるでしょう。この戦いはノーカウントにしてあげますよ。彼女も殺しません」
 あくまでも、自分の優位性を主張する口振りの暗黒魔導士に、ウィルは苦笑した。
「いいのかよ、そんなに強がって。解放軍屈指の戦士ソフィア・アリエス、しかもキレちゃってるバージョンを一人で相手取れるのか?」
「私は、暗黒魔導士です。侮らないで欲しいですね」
 と――
 その時、ソフィアが軽く身体を動かしたのを認識し、兄弟は揃って彼女へ注意を向けた。
 しかし、彼女は彼らに攻撃と仕掛けようというのではなく、自分の折れた手を目の高さに挙げて、見ただけだった。そして、手首を返すような仕草を、二、三度行う。続けて彼女は何回か、指を握ったり開いたりした。
「……おいおい」
 その仕草。手を振る、ただそれだけの仕草で、骨折を治癒してしまったらしい。
 呻いたウィルの声には、余りにも信じられないものを目にた所為で、笑い声にも近いものすら混じっていた。
 ソフィアは完治した手を、床に向けて開いた。その手の中に、浮かび上がるように何かが生まれ出る。先ほど手から零れ落ちた短剣だった。
 重傷の治癒に、空間転移。彼女が続けざまに、しかも何の苦もなく行ったこれらの魔術は言うまでもなく、古代魔術級の難度を誇る術である。それを……
「あんなバケモノ相手に、一人でどうするって?」
「…………」
 再び、二つの刃の柄に細い指を絡めた少女を前にして、暗黒魔導士は言葉を発する事ができないようだった。
「この戦いはノーカウントって言う所には、合意する。但し、彼女を止めるのにはこっちも手を出させてもらう。これは俺の責任だからな。……カイル」
 お前も当然やるんだよ、と言わんばかりに手招きするウィルに、カイルタークは小さく嘆息して見せる。
「……俺の責任、はどうした」
「友情って連帯責任と同義語だって、思わないか?」
「言葉を自分の都合で解釈するというのは、言語学の権威たる魔術士としてどうかと思うぞ」
 言いながらも、彼はウィルと暗黒魔導士の後ろに立った。
「まあ、責任感の強い俺的にはなるべく一人で解決したいのは山々なんだが……」
 独り言のように、ウィルは呟く。愛しい少女を目に映したままで。
「それよりも、俺は現実的なんだ。プライドよりも最善の解決方法を取るのが俺の主義だ」
(絶対、助けるから)
 その声が、女神の耳には届いたのか。ソフィアの姿を借りた尊き存在は、戦闘再開の合図とばかりに剣を振りかざした。

 本気で相手を殺そうとしているソフィアと、まともに取っ組み合いをして勝ちを収める自信は、正直な所、ウィルには全くない。それが恥ずかしいとも思えないほど、彼女の実力は自分のそれと比較して高いという事を、彼は自覚していた。
 だがウィルは、正面から彼女と相対する役を自ら買って出た。リュートや、彼に比肩するほどの剣を使うというカイルタークなら、或いは彼女を制する事が出来るのかもしれないが、それは避けるべきだと、ウィルは先程の、彼女と暗黒魔導士の戦いを見て思っていた。あれは、一歩間違えば最悪な殺し合いになる所だった。戦いは総じて殺し合いに他ならないが、いくらなんでも限度がある。もし、暗黒魔導士までもが相手を殺すつもりで戦っていたなら、直視できないような凄惨な結末を迎えていたに違いなかった。
 彼女を倒すためではなく、救うために戦うのだ――
 向かいくる彼女に半身を向けて、ウィルは叫んだ。
「リュート、カイル! 『束縛』を!」
「!」
 表情に、軽い驚きを浮かべたのは、暗黒魔導士の方だった。ローブがばさりと揺れて、顔を上げた気配が伝わってくる。が、カイルタークが淡々と、ウィルに指示された通り『束縛』の魔術の呪文を唱えはじめているのを見て、彼も僅かに遅れて詠唱を開始した。
 リュートが一瞬躊躇した理由は、ウィルにも分かっていた。
 『束縛』――その名の通り、対象の自由を魔力によって奪うという術である。戦において万能に見える術ではあるが、術の難度が高い上に、防御術によって防がれてしまう可能性も高い術なのである。
 今のように、術をかける対象の方が優れた魔力を持っている場合などは、本来なら試すだけ無駄なのだが。
(カイルとリュート。希代の魔術士二人の術を多重でかければ……)
 効果があるかもしれない。これが、ウィルが思いついたソフィアを無傷で止める方法の中で一番確実性がありそうなものだった。そのためには、術を構成し、展開するだけの時間を稼がなければならない。
「ソフィア、こっちだ!」
 手のひらに魔力を集めながらウィルは叫ぶ。ソフィアが、恐らく魔術の気配にだろう、気づいて瞳を向けてきたとき、ウィルは手の中の力を放った。
 甲高く何かがきしむような音を残して魔力光は飛翔し、ソフィアの周囲に着弾する。
「俺と一対一でやりたがってただろう! やってやるよ!」
 頬に、髪をまとわり付かせながら、ソフィアがウィルを仰ぎ見た。魅入ってしまうほどに鮮烈な視線が彼を射る。
(時間稼ぎも……できるかなぁ……)
 引き締めた表情の中に密かにそんな本音を隠し、ウィルは魔術を編み始めた。

「……闇から紡がれる……鋼鉄の糸……力をも、魂をも縛める……遠大なる魔力の具現……」
 ゆっくりと、そして着実に暗黒魔導士は魔力を集約させていった。多少時間はかかっても、より強力な術を求めるべきだろう。生半可なものではあの少女は止められまい。
(カイルと私の力を持ってしても、無理がある気はしますけれどね)
 長年、魔術や魔力について伊達に研究してきたわけではない。力の片鱗でも見れば、具体的に相手の力がどの程度のものかというのが彼は知る事ができた。彼女には、暗黒魔導士は、『手が付けられない』という評価を下していた。魔力のみを比較しては、ノワールも含めたこの場にいる魔術士の力を全て合わせたとしても彼女の足元にも及ばない。そして彼女はその力を、恐らく本能的に、完璧に行使していた。術の威力を決定するのは魔力の強さが全てではないが、勝ち目はないのは明らかだった。
 それでも――
(あの方は、やれとおっしゃいましたからね。この私に、再び……命を下された)
 そんな、些細なことが何よりも――
(……いけない)
 彼は、心の中でかぶりを振り、その思いを打ち消した。ごまかすように、目の前の術にだけ、集中する。
 両腕の中にまとまっていく膨大な魔力に、うっすらと汗を浮かべながら、彼は視線だけカイルタークの方へと向けた。大神官カイルタークにとって、この類の、攻撃力のない魔術は得手とする所である。繊細に編み上げられ、いつでも解放できる状態になった力を、大神官は保持していた。暗黒魔導士の視線に気がついて、大神官が頷く。
 暗黒魔導士は、視線を戦場へと転じた。
 大いなる神の力をその小さな身体に宿した少女に、一人の青年が立ち塞がっている。
 幾筋もの魔力の槍を間髪入れず放つが、一発たりともまともには命中はしていない。彼の射撃能力の高さを考えて、これは意図的に外しているとしか思えなかった。先程見せたように、直撃しても彼女は傷を負わない事は分かってはいるのだろうが、当てる事ができないのだろう。爆撃のシャワーの中を静かに青年に向かって歩み寄ってくる少女は、身体を掠める魔力の槍を無造作に手で払っていた。少女の視界の中央に姿を映された青年は、魔術を打ち続けているためか、少女の威圧感に圧されたか、奥歯を噛み締めたまま表情を青ざめさせていた。
「ウィルザード……陛下っ!」
 青年の名を、叫ぶ。
 青年は、指を伸ばした。正面から近づいてくる、少女に向けて。その指先から細い光線を、今度は少女に命中させる狙いで放った。
 それを手で受け止めるように、彼女は自分の眼前に手を翳す。
「撃てぇっ!」
 青年の声に応え、大神官の手と、暗黒魔導士の手、二箇所から光条が放たれた。


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