CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 12 #85

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「暗黒魔導士ラーよ」
 この六年で――いや、そろそろ七年になるか――十分に聞き慣れた主の冷厳とした声を、暗黒魔導士はいつものように、膝をついて畏まったまま聞いた。呼び掛けに対し、応えはしない。身動きの一つすらしない。必要なかった。後に続く命を、彼は受諾するだけだった。
(終わる……のだろうか)
 それが。今日で。
 数刻前、城内に侵入した解放軍は撤退し、本隊と合流して、少し離れた位置で再戦の準備をしているようだった。ヴァレンディア王とエルフィーナ姫らを消した直後に、皇帝には彼らを始末する事は容易かったはずだったが、彼はそうしなかった。皇帝は、自分の興味の対象外については、指先をほんの少し動かす事すら厭う人間であった。
 そして、今。
 ヴァレンディア王らは、幾人かの仲間を従えてこの決戦の地へと戻ってきている。先程、遠見の水晶で確認したところによると、現在城内を、中央部に向かって進んでいるのは、ヴァレンディア王と、エルフィーナ姫、レムルスの王子、それとノワールたち三姉妹だった。
(ルージュ。見つかったのですね)
 そっと安堵の吐息を漏らして、暗黒魔導士はすぐに意識の中からその気持ちを消去した。
 彼らは、真っ直ぐにこの謁見の間へと向かってきていた。この栄光のアウザール帝国が本城は、非常に広い城ではあるが、あと十分ほどもすれば到着するだろう。
「暗黒魔導士ラーよ。この場は、貴様に任せる」
 皇帝の声に、暗黒魔導士は思わず、普段なら上げない顔を上げた。うっかり驚きの声まで漏らしそうになったのは、さすがに押し止めておくことができたが。
「……よろしいのですか」
 確認の問いなどを発したことは恐らく今まで殆どなかったように思える。いつだって、無心に主の命に従っていればよかった。今のこの命令は、皇帝の片腕たる彼にしても、それだけ意外だったのだ。
 皇帝はそれには何も返答せず、玉座から立ち上がった。あれだけ執着していたヴァレンディア王や姫に背を向ける形で、彼は私室への通用口へと向かった。
「どちらへ」
「地下へ降りる。貴様の用が済んだら、『研究室』で待っていると伝え置け」
「仰せのままに」
 頭を低く下げ、暗黒魔導士は、主の退室を見送った。扉の奥――城の奥深くに、その気配が消え行くまで、頭をひれ伏させたまま、黒衣の魔術士は彫像のように微動だにせずにいた。
「仰せのままに、我が主よ……」
 囁く。怨みもなく、怒りもなく。ただ一言。その場に遺して行くように。
 いかにして、皇帝よりも先に彼らと対面する事ができるかは、最後のそして最大の難題だった。だが、期せずしてその機会は与えられた。どのような思惑があってもいい。皇帝はこう言った。貴様の用が済んだら、と。皇帝は、暗黒魔導士の望みを知りながら――彼が渇望するものが、自身の滅びであることを知りながら、許可したのだ。
「私はここでも不要になりましたか」
 例え自ら望んでいなかったことであったとしても、この場所は紛れもなく彼の最後にして唯一の居場所だった。それももはやない。
 心も身体も軽かった。それは、羽根が生えたようなというよりは、崖から突き落とされ重力の束縛から開放されたかのような、そんな軽さではあったが。
 気だるさのような虚無感は、今に始まったことではない。もう何もかも、どうでもよかった。
 我が胸を貫く救済の剣。望みさえ、叶えば。



「い……イルカ」
「か? かーかーかー……かたつむりの煮物」
「文章は禁止」
「えー?」
「しかも何だよそれ。何故煮る」
「知らないの? おいしいんだよ?」
「……おい」
 気負いも緊張も戦意も何一つ欠片たりとも感じられない、遠足気分丸出しの二人の男女の会話に、ディルトはとうとう堪えきれなくなって低く唸った。不機嫌な王子の声を受けて、ウィルとソフィアが、全くの同時に彼の方を振り返る。
「何をやっているんだ、何を。もうちょっとこう、最終決戦に臨む気概のようなものを見せる事は出来ないのか」
「やるぞー。おー」
「おー!」
 直線定規のような棒読み声にテンションもトーンも高い声が応える。ディルトはこめかみを手のひらで押さえつけたが、押さえても押さえ切れない頭痛が耳あたりから漏れてくるような錯覚を覚えた。
「ディルト様。どうかしました?」
「……なんでもない」
 気遣わしげな目で顔を覗き込んでくる張本人その一のソフィアに、そう言うのがディルトには精一杯だった。
「なあ、ウィルよ」
 気を取り直して努めて冷静な声をディルトは上げる。
「何ですか?」
「私達は今、何の躊躇もなく先程の経路を歩いていっているように思うのだが」
「そうですよ。ルドルフをぶち倒しに行く以上、さっきの謁見の間に行ってみないことには」
「いや、向かう先はいいのだが、何か作戦を立てなくてもいいのか?」
「作戦、ねぇ」
 ウィルは撫でるように視線を空中にさまよわせ、最後に、横に並んでいたディルトに瞳を固定した。
「あれは、何か作戦立てて、どうにかなるような感じだと思いましたか、ディルト様は?」
「…………」
 その問いに答える事は、ディルトには出来なかった。
 本人の力とは言い難いが、かの皇帝が教会魔術士も含めた百人程の人間をたったの一撃で沈黙させて見せてから、まだ一日も経ってはいないのだ。あの魔術障壁――だとウィルは言っていた――に対抗する手段が、果たしてあるものなのだろうか。
「普通に考えたら、あの障壁を破壊するなり何なりしなくちゃならないでしょうね」
 王子の内心の疑問に答えるように、ウィルは静かに呟いた。
「だが、それは可能だろうか? 先刻の状況から、あの魔術は、広間自体にそれを作動させる細工が施してあると考えられます。しかしあの場所で戦闘を行う事を想定している以上、並大抵の衝撃で壊せるような代物ではないという事は考えるまでもありません。もしかしたら、魔術装置は城のどこかに隠してあるのかもしれませんしね。この人数を更に分散させる訳にも行きませんから、探し出す事は、事実上不可能です」
 そこまではいいですね、と確認してくるウィルに、ディルトは首肯する。
「かといって奴をあの場から外に連れ出すのも不可能でしょう。あれだけの武器をみすみす手放すような愚を犯すわけがない。他に事情がなければ、だけど」
「……人質を使うとか」
 ぼそっと、ディルトとウィルの後ろから女の陰気な呟きが聞こえてきた。あの黒髪の女魔術士のものであるとディルトは気付き、振り向こうとしたが、真横のウィルがそうしようとしないので、止めておいた。振り向かない代わりにウィルは、汗を一筋頬に垂らしながら彼女に向かって虚ろな声を投げかける。
「……ソフィアを?」
「そう。女を寒空の下、十字に組んだ木に荒縄で括り付けて、足元から火で炙りながら皇帝を恫喝するのだ。大変効果的な作戦であると考えられるが」
 ウィルは足を止めて、振り返った。ノワールの方ではなく、ソフィアを見る。ずっとウィルの横、ディルトの反対側に並んで歩いていたソフィアだったが、今は数歩遅れたノワールと並ぶ位置にいる。ウィルが足を止めたのは、いきなり横のソフィアがその場で止まったからだ。
 無表情なウィルの視線を受けて、ソフィアは顔いっぱいに怯臆の表情を浮かべ、一歩よろめくように後退った。
「そんなの……あたしやだよ……?」
「しないって」
 険悪に目を細めながら、ウィルは視線を動かしてノワールを睨んだ。
「いつもの事ながら何考えてんだ君はと問いたい。すごーく問いたい。問い詰めたい」
「お気に召さんか」
「当たり前だ!!」
「好きそうだと思ったのだが。縛るとか」
「誰がっ!?」
「目いっぱい否定されてしまったがどのように思う?」
 と、ノワールは黒玉の瞳をソフィアに向ける。ソフィアは先程の怯えきった表情などはどこへやらといった様子で、
「でも本音では密かに好きだよきっと。やーね」
「嫌だな」
「いつのまに結託してんだ君らは……」
 うなだれて疲れた声を上げるウィルに更に追い討ちをかけるように、意外と気の合うらしい二人は「ねー?」と頷き合っていた。
「……えーと、何の話だっけ……ああそう、壊すのも外におびき出すのも無理なんですよ。ってことは、敵の手の内にあの攻撃力がある事を前提として戦わなくちゃならない、ってわけですね」
 話の軌道を修正しようという努力の跡が滲む声が、薄暗い廊下に響く。所々に明かりを灯してあるが、それは廊下全体を照らすには程遠い。常夜灯のような明かりは、先程、庭園で日中である事を確認したばかりだというのに時間感覚を狂わせてくる。
 ひやりとした空気は、この城の中にさえも満ちていた。氷の精霊に首筋を撫でられたかのようにディルトはひとつ身震いをしてから、ウィルの顔を見詰めた。
「あれだけのものに、どのように対抗するというのだ?」
「真っ正直に行ったら、前回の二の舞でしょうね」
 ウィルは即答し、一息だけ間を置いて、すぐに口を開いた。
「……だけど、手はいくつかある。戦闘開始後、即、空間転移して接近戦に持ち込み、魔術自体を封じる。ブランの魔力を防ぐ槍……それを使ってもいい。俺とノワールで障壁を張るという手もあるけど、これは幾分不確かかもしれないですね」
 実際、最初のとき俺の魔術では攻撃を全部防ぎきることが出来なかったから、とウィルは付け加えた。
「もっとも、魔術戦闘じゃこっちが自滅するだけですから、どの道、奴の懐に斬り込む必要性はあるんですけど。……何か意見はありますか?」
 ウィルが視線をその場にいる全員に順に振る。と、ソフィアが、自分の所で目が止まった瞬間に、はい、と手を上げた。
「……斬り込むって、やっぱりウィルがやるの?」
「そりゃあね。他に空間転移を使える人はいないだろ。何かまずい?」
「まずい、っていうか……」
 ウィルはソフィアの言いたい事を察した表情で、あえて聞き返していた。ソフィアは眉を寄せ、首を斜めに傾げて、今私は言葉を一生懸命選んでいます、という一言を身体全体で表現していたが、
「ウィルでルドルフに敵うの?」
 結局核心を何のフォローもなく突いてきた。
「……痛い所を突くね」
「だめじゃない。突つかれて痛かったら」
 非難するように、唇を尖らせるソフィアに、ウィルは苦笑した。彼女の言う事はこれ以上ないほどもっともであった。
「何とかしてみせるさ。幸い、今は一回戦の時みたいにふらふらじゃないからね。あれよりかはいい勝負が出来るんじゃないかな」
「だといいけど」
 呟いて、ソフィアは寒気を感じたように二の腕の辺りを手のひらでさする。
「やだからね。さっきみたいなのは」
 彼女は、ウィルが戦っている場面は見ていない。見ていたのは、彼が負ける場面だけだ。そして――
 脳裏に浮かんだ映像を払拭するためだろうか、ソフィアは頭を振った。
「大丈夫だよ」
 明るい表情で笑って、ウィルはソフィアの頭を腕で抱え込むようにして、撫でた。
「もう無茶はしない。俺は自分で、生きる事を選んだんだから」

 ソフィアの姿を借りた金目の女性にそう聞かれて。
 答えたのだから。生きることを望むと。
 ――長い廊下の終着点。
 再び、彼は巨大な扉を前にしていた。
(運命の扉……)
 ふと、そんな単語がウィルの脳裏に浮かんだ。もしもそのようなものが実在するとするならば、こんな感じだろう。華美な装飾もなく、無骨に通過せんとする者の足を止める大扉。決意を固める間を与え、己が意志で開かねばならない通過点。挑戦者に、最後の躊躇いを与える壁。
 ――今更、躊躇などない。
 前に来たときは触れただけで開かれたその扉に、今一度手を触れようとして、ウィルはその直前で思いとどまった。
 躊躇などでは、決してない。ウィルは自分が出した答えを頭の中に描いた。使い慣れた、光熱の魔術の術式という形で。
 扉へ向けて翳した手のひらに貯えた力を、ウィルは一気に解き放った。
 光が――
 収束し、抉るように扉に直撃する。
 狭い空間で魔術を使う際に発生する強烈なバックファイアは、後ろに控えていたノワールが障壁の魔術で相殺してくれた。味方には毛ほどの傷も与えずに、膨大なエネルギーは鋼鉄の大扉を粉砕していた。
 爆風に遊ばれた粉塵がもうもうと踊る中、ウィルは悠然と扉の残骸を踏み越えた。背筋を伸ばし、ゆっくりと視線を上に持ち上げる。広い室内は、つい二十時間ほど前に訪れた時と寸分変わらずに、壮麗でありながらもどこか陰鬱な色に満ちていた。教会の聖堂にあるような、玉座の最奥の古びたステンドグラス、あれがその原因なのかもしれない。艶やかな――不必要なほど艶やかな暗い光が、玉座に影を落とすように、輝きを与える。
(随分な皮肉じゃないか?)
 自分自身を諌めるように、内心でウィルは呟く。漏れ出でる苦笑は隠せなかったが。
 広大な謁見の間、その入口から見上げた先、玉座へと続く紅の絨毯が敷かれた階段の中ほどに人影を認め、ウィルはそれを目を細めて凝視した。デスクワークが込んでいるせいか、最近少し視力が落ちたような気がする。
「再戦を果たしに来てやったよ」
 男が纏っているのが皇帝の銀の鎧ではなく、漆黒のローブである事にウィルが気づいたのは、そう言い放った後だった。


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