CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 12 #84 |
「少し、外れたところに来ちゃったみたいだな」 もう一度、改めて周囲を見回す。 整備された石畳の路地に、手入れの行き届いた街路樹。周辺の、窓の小さな石造りの建物は、北部地域に多い様式のものだ。間違いなくここはアウザール国内の街であろう。見回して見える範囲に城がないから、首都ではない。 ウィルが思案していると、彼と同じように周囲を見回していたノワールが、静かな声で呟いた。 「クレイロン……帝都から徒歩で三日ほどの位置にある町だ。以前来たことがある」 「三日……」 その距離を考えながらぼんやりと声に出してみる。 「皆、アウザールの城からは撤退しただろうが……その後はどうしたかな。……まあ、コルネリアスの爺さんがいるから、滅多な事はしないと思うが、ディルト様が消えてるからな。逆上してなきゃいいが」 「呑気ねぇ」 人のことは言えない口調で口を挟んでくるソフィアの方に、一旦視線をやってからウィルは揺らす程度に肩を竦めた。 「焦ったってしょうがないだろ。今から向かったって、何か起きてるんなら着く頃には全部終わってる」 「それもそうね」 「薄情な……」 呆れた口調で、ディルトも呟く。もっとも、彼はコルネリアスに全幅の信頼を寄せているので、さしあたり心配はしていないだろうが。 「それにしても、人がいないな」 首都から徒歩で三日という距離は近くはないが、乗り物を使えば遠くもない。そんな街であるのに、そこそこ大きいこの通りにも、見える範囲に人がいない。かといってゴーストタウンという風でもない。ここしばらくアウザール国内で立て続けに起こっている『闇の獣』の襲撃に怯えて、家の中に閉じこもっているのだろうか。 「……戦が起こる、という通達が出されているのよ」 ぽつり、と今迄沈黙していたブランが、囁きかけるような声で言った。 「通達?」 「帝都近辺の町や村に、敵軍が接近しているから警戒するようにって。でも、アウザールでは平民の武器の所持が認められていないから、閉じこもるくらいしか身を守る手段がないのよ」 「……ルドルフの事だから、身を盾にして軍部に協力しろとか言うかと思ってたが、案外人道的じゃないか」 「どうだか」 嘲るような声で、ノワールが息を吐く。 「ただ単に邪魔なんだろう。民草が反乱軍に寝返っても、自分が招き寄せた『闇の獣』に荒らされても面倒なだけだ」 「本当に皇帝陛下の事嫌いね、姉さんは……」 「……お前は好きなのか? あんな外道が」 「え……ま、まあ、あまりいいお噂は聞かないけど……」 「そんな事ない。ルドルフは悪い人じゃないよ」 思いがけず割り込んできた声に、姉妹は同時に振り返った。純粋に、意表を突かれたというだけの表情で見つめられて、彼女――ソフィアは、はっとしたように口許を押さえた。 ちらりと横へずれた瞳が、二人の姉妹と同じような表情で彼女を見るウィルのところで数秒、停止する。 彼の視線を受けて、ソフィアは手を口許から離しながら、小さく呟いた。 「ルドルフにはよくしてもらったから。それだけだけど」 ソフィアの言葉に対し何か言おうと、ウィルは僅かに口を開いたが、そこから声が出る前に、ディルトが手を打ち鳴らした。 「先の事を考えよう。まずは、一刻も早く同志達と合流しなくてはならないはずだ」 「……そうですね」 ディルトに同意して、ウィルも頷く。見つめていたソフィアから目を離し、手近な一軒の家を眺める。固く扉を閉ざし、中に誰かいるのかどうかすら知れない。視界の範囲内の家々は全てそのような感じで、街中とは思えないほどしんと静まり返っている。 「……って言っても、これじゃ馬車も借りられなさそうだけど」 「歩くか?」 「それの方が早いかもしれませんね。他の町だってきっと同じだろうから」 「あれは出来ないのか? 空間転移は」 「この人数じゃ、俺には無理です」 「ソフィアの力を使えば……あちらの世界からは来れただろう? それでも無理なのか?」 望みにすがるように食い下がってくるディルトに、ウィルはどう説明したものかとしばし瞑目して考えた。 「……異世界からの転移と、同じ世界の中での転移とでは、使う術が全く別物なんですよ。異世界からのは、転移というよりは、ただ無理矢理世界の壁を裂いて、別の世界とつなげただけで。どこに転移するっていう指定をしていなかったからほら、こんな全然関係ないところに落ちちゃったりするんです」 言いながら、ウィルは周囲の風景を手のひらで示した。 「異世界からの転移ではただ膨大な魔力が用意できればよかったんですが、本当の空間転移だと、存在位置座標の遷移曲線関数が」 「…………。」 「あー、つまり、転移する先の場所の指定が、これがまたややこしいというか訳分からんというか。簡単に言えば、魔力よりも技術を要する術なんですよ。しかも一人二人で近距離ならまだしも、この人数でこの距離では、試すだけ無駄ですね」 「……近距離小人数ずつ、術を繰り返すとか」 「一割も進まないうちに果てますよ俺」 「むう……」 難しい顔で、ディルトが唸る。彼から数歩離れた場所で、こちらは普段からどこか機嫌の悪そうな顔をしているのだが、ノワールも眉間に皺を寄せて何かを考えていた。 「どうかした? ノワール」 「ソフィア・アリエスの力……それを使えば……」 ディルトの言った言葉をそのまま、ぶつぶつと呟くノワールに、ウィルは首を振る。 「無理だよ。魔力が足りてないわけじゃないんだ」 と、その時、何の前触れもなく、ノワールの漆黒の瞳に、何か閃いたらしい光が点った。それを見て、ウィルも彼女の思い付きに気がつく。が、彼の浮かべた表情は歓喜ではなく、困惑と不安に歪められたものだった。 「確かに……あるな、そういう手も。だけど……」 「何だ?」 興味深げに、ディルトが漠然とした問いを投げかけてくる。無論彼にそのような感情を持ったわけではないが、ウィルは、心底嫌そうな表情を、ディルトに向けた。 「……ソフィアの無制限大出血サービス的無駄魔力でごり押し」 「は?」 「何て言うんですかね……」 視線を宙に泳がせて、重しでも乗せられたように重い唇を開く。 魔術―― これは単純な力ではなく、人間の――意志ある者の手によって制御された、純然たる『術』である。 人が手を加えなければ無為にただそこに存在するだけの『自然界の魔力』を、決まった形に組み上げて造る、ひとつの作品であるという者もいる。 その作品を作り上げるに必要となるのは、材料である『魔力』と、それを細工するための力となる『精神力』、そして『知識』であった。 「建築物やなんかと同じなんですよ。木材と建築家、両方がなきゃ家は立たないでしょ? 今は、木材はあるけど建築家の能力が足りてないって言う状態だ、ってのがさっきまでの説明なんですが」 「うむ」 それで? と言わんばかりに鷹揚に腕を組んでいるディルトを見ながら、ウィルは溜息を吐いた。重ね重ねになるが、別にこの王子の所為ではない。 「でも木材は有り余ってるんですよ。だから、余りまくった材料でいろんなところをぺったぺたと補強しながら、家を建ててみよう、って事も出来なくはないわけですよね」 「まあ、理屈では、な。不格好で危なっかしい作りになるだろうが」 「そこ。そこなんですよ」 ぴっと、指を立てて、ウィルは呻いた。 「不格好なのはともかくとして、危ない。ちょっとつついただけで、一箇所補強が不完全だっただけで、崩れかねない。使用者も巻き込んでね。……分かってんだろ、ノワール」 「だが出来るかもしれないだろう」 言葉の最後を女魔術士へと向けると、彼女は口をすぼめて反論してきた。そのノワールの姿は、いつになく少女じみていて、彼女にもこんな表情が出来るものなんだなとどうでもいいことをウィルは考えた。ノワールに対して思うとはついぞ考えなかった、可愛らしいという感想をウィルは持ったが、しかし彼女の意見は一蹴しておく。 「そういう危ない橋を渡る真似は好きじゃない」 「臆病な」 「指揮者はそのくらいでいいんだ。……君の大好きなラー様の教えだよ?」 ウィルが言い放つと、ノワールの目は薄刃のように鋭くなったが、結局彼女は何も言い返しては来なかった。この文句は、ウィルが持ちうる対ノワール用の最大最強の切り札だったのだからこのくらいの効果がなくては困る。珍しくも彼女に完勝出来たことに満足感を憶えるウィルの耳に、八つ当たり気味なぼやきが聞こえてきた。 「全く……そもそも魔力の持ち主であるお前が出来れば、何の問題も無いんだ」 どうやらとばっちりを受けたのはソフィアであるようだった。無茶を言うものである。ソフィアはそもそも魔術士でもなんでもないというのに。反論でもするのか、ノワールの方に顔を向けて、ソフィアが口を開いた。 「いいよ。やっても」 ……………………。 ……………………? 「……はい?」 普段は一ミリの隙もないノワールの顔が、引っ張ったら伸びそうなほどに呆けている。肖像画に残しておきたいほどの希有な表情だ。 ――いや、それはいい。そうではない―― どこかに飛んで行きかけた理性を手繰り寄せて、ウィルは何とか言葉を口にした。 「何て言った? ソフィア?」 「お城に行きたいんでしょ? 出来るよ」 言いながら、ソフィアは通りから少し入ったところに見えた納屋に、すたすたと近づいていった。鍵はかかっていなかったらしく、ソフィアが軽くノブを回すとその扉は小さく軋んだ音を立てて開かれた。ウィルの位置からだと、中は暗くてよく見えなかったが、ソフィアは一瞥でその様子を確認してすぐに閉めた。 そしてすぐにもう一度、無造作に開ける。 その中は―― 「はい。どうぞ」 薄く日の差す、草木の茂った庭園だった。 「……ここは?」 「ルドルフのお城」 言葉と共にウィルの方に向けられたソフィアの目が、何言ってるの? と言っている。 ソフィアの言動と状況を統合すれば、その結論を導き出すのに突飛な想像力は必要なかった。ただ――大分、常識というものを捨て去らなければならなかったが。 本来なら納屋の中であるはずのドアの奥には、薔薇園があった。専属の庭師が丹精込めて育てたのであろう、生半可なやり方では咲かせる事すらままならない大輪の薔薇の花が露に濡れている。庭の中央に、腰の高さくらいの生け垣が作られていて、薔薇園を全て見て回れるような小道が続いている。ふわりと舞い下りてきた蝶が、ウィルの頬を羽で撫でていった。 「…………」 後ろを振り向く。と、今くぐってきたはずの扉はなく、目の前に広がるのと同じ見事な庭園が広がっている。 「ここが正門通路以外で一番外に面した場所。もうちょっと奥に行ってもよかったんだけど、間違えてルドルフの目の前に出ちゃいそうだったから、やめといたわ」 「って、何で君にこんな真似が出来るんだよ!? しかも何!? 何で扉の向こう!?」 「え、だって扉を開けると別世界って昔話が……」 「知らんわんなもん! ていうか答えになってない!」 「もー。何怒ってるのよー。いいじゃないなんだって」 ぷぅと頬を膨らまして、ソフィアは薔薇の生け垣から一輪、大き目の花を摘み取った。両手で持ったその鮮やかな赤い薔薇を、顔に近づけてそっと香りを楽しむその仕草はまさに一枚の絵画のようで、ウィルは、素晴らしい芸術品を前にしたかのように言葉を失った。誰のものか、小さな感嘆の溜息が聞こえたが、まさに同じ心境だった。きっと、彼女は雀の涙ほどもそんなことは意図していないだろうが。 「……で、どうする? ウィル。あたしとしては、このまま攻め上がるにしても、一人くらいはここから外に出て、皆に状況を報告した方がいいと思うわ」 「そうだな」 ウィルの文句が途切れたのを幸いと話題を変えてきたソフィアに、ウィルは我に返って同意した。前の話題についても言い足りない事はまだあったが、彼女が進めようとしている話も間違いなく重要度が高い事項だったので、蒸し返すのはやめておく。 少し考えて、ウィルはディルトの隣に立っていたサージェンに目をやった。 「サージェンさん、やってもらっていいですか?」 「ああ」 「本当は、ディルト様も一緒に連れていってもらいたいんだけど」 言いながら視界に入れたディルトの見慣れた顔を見て、ウィルは言葉を全て言い切る前に諦めた。どんな説得にも応じないだろう、彼は。命の危険すらも、彼にとっては自分の信じるなすべき事と天秤にかけたら、それは二の次なのだ。これから、一国の主となる人間がそれでは、きっと周りの皆は困るだろう。コルネリアス辺りが、何かにつけて無茶しようとするディルトにおろおろしている姿を多少誇張された映像で想像してしまって、ウィルはこっそりと苦笑した。 「それで、皆と合流したらどうすればいい?」 指示を仰いでくるサージェンに、ウィルは、だくだくと涙を流す老将軍の図を頭の中から追い出して、答えた。 「そうですね、こちら全員の無事と、これから俺たちで皇帝の元へ向かうという事を伝えたら、皆と一緒に待機していてくれればいいです」 「了解した」 「あー。でもなぁ。サージェンさんに抜けられるのは痛いんだよな。しょうがないけど……」 小さく、愚痴を呟いてみる。こと白兵戦においては、解放軍でソフィアと並び最強のサージェンの戦力を失うのは痛手だったが、彼らの最高指導者であるディルトが消えている以上、報告もせずに放っておく訳にもいくまい。他の誰かにその役をやらせるにしても、王子当人にそんなことをさせるわけにはいかないし、元帝国軍の三姉妹では信用が足りないだろう。そもそも、ルージュの顔などは誰も知らないはずである。ソフィアに行かせるにしても同じ事だし、何より――彼女は当事者だ。最後まで見届ける権利も義務もある。 ソフィア。 白いドレスは『闇の獣』の返り血を受けて、赤茶色に変色した斑模様になっていた。肌についた汚れは戦いが終わった途端に几帳面に落としていたが、服の方は余り気にしていないようであった。気にしても仕方ないと割り切っているのかもしれないが。 「あ、ウィル」 くるりと顔を向けて、ソフィアが彼の名を呼んだ。 「さっきのウィルの剣、もう一回貸してくれないかな?」 「ああ、いいけど」 「俺のを貸そうか? どうせ皆のところに戻るだけだ」 と、サージェンが声をかけてきたが、ソフィアは首を横に振った。 「サージェンさんでも丸腰じゃ、危ないよ。それに、サージェンさんの剣じゃ重過ぎて、あたし使えないし」 ソフィアがサージェンと話している間に剣帯を外したウィルは、彼女の視界の外から彼女の背後の死角に入り込み、そこからそっと彼女の細い腰に帯を回した。唐突に脇腹に触れた感触に驚いたソフィアが、ひゃっ、と小さな悲鳴を上げる。 「い、いいよウィル、自分で出来るから」 「遠慮するなよ」 「え……遠慮と言うかぁ……」 心の底から困った顔のソフィアだったが、結局、渋々とながらも両腕を挙げた。 「わ、ちょっと、変なとこ触んないでよね!?」 「触ってないよ」 応える声に覆い隠しようのない笑みの気配がにじみ出る。触っていないと言いながらしっかり不必要に彼女の腰のラインを手のひらで確認して、ウィルは手を離した。 「ありがとう」 百八十度反転してウィルの方に身体を向けたソフィアは、礼を述べつつ、すすすすす、と滑るように後ろに下がり、手近にいたブランの陰に隠れる。 「うっ……」 ウィルの不服げな眼差しからの盾にされる形になったブランは、たじろぐように呻いた。 「ソフィア〜」 「だだだだってウィル、な、なんか……手つきとか妙だったんだもん……」 「そうだぞウィル、こっそりと痴漢行為してただろう、今?」 横からディルトは当然の如くソフィアに加勢し、それを受けてソフィアが勢いづいてくる。その隙に、ブランは先程のソフィアのように、すすす、と静かに退避した。 「やっぱり! 絶対触られてると思ったけどやってないって言うからちょっと信じてあげたのに! さいてー! ウィルの変態! おっさん!」 「おっさ……!?」 「おっさんよぅ! えーんしくしくディルト様、あたしの純潔をこの人が汚すんです」 「可哀相に、ソフィア」 泣きまねをするソフィアの頭を、ディルトが軽く抱きしめて慰めるように撫でる。あ、と声を上げたウィルは、二人を引き剥がすようにその間に割って入った。 「どさくさまぎれに何してるんですか!」 「何嫉妬してるんだ、泣かせておいて」 「泣かせておいてー」 「笑顔で言っても説得力ないわ、ソフィア!」 この後、最終戦の戦場となるであろうこの地で、そんなことは頭の片隅にもないかのように元気に喚く三人を、同じく三人の姉妹たちが呆れたように眺めていた。そしてその彼女らに、 「それでは、俺は行くから後は宜しく」 と無責任な言葉をかけて、神速の剣士は彼らの元を離れた。 |