CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 11 #79

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 ソフィアが片手でひゅんと振った長剣は、紫色に染まった世界にありながら、純白の新雪のように、汚れなき輝きを放っていた。具合を確かめるように刃を空に翳してみて、ドレスを身に纏った少女はにやりと笑った。そう、にやりと、だ。いくら窓辺で静かに微笑んでいる方が似合う服装だろうが容姿だろうが、そんなものは彼女には果てしなく無関係であるようだった。たおやかな少女の双眸に浮かぶのは残虐ささえも垣間見える歓喜、そして口許に浮かぶのは舌なめずりこそしなかったが、まあ概ねそのような感じの笑みだった。
 ごくり、と、すぐ近くに立つ――襲撃から身を守るため、全員が密集していたのだ――ディルトが、唾液を嚥下する音が、ウィルの耳に届く。畏れにも近い眼差しは、案の定真っ直ぐにソフィアへと向けられていた。
「ディルト様。戦えとは言いませんけど敵から気を逸らさないように」
「あ、ああ。分かっている……」
 気持ちは分からないでもないがウィルがそう言うと、本当に言われたことを理解出来たのか定かではないぼんやりとした様子で、ディルトが答えてくる。視線を外側、つまりは自分たちを囲んでいる獣たちの方へとむけ、彼は声だけウィルに投げかけてきた。
「そういえば、ソフィアの剣は? どこから?」
「ここ」
 ウィルの答えにディルトがもう一度彼の方を振り向いてくる。その視線の先でウィルは自分の腰の空になった鞘を示していた。
「い、いつのまに」
「――来るぞ!」
 鋭く注意を喚起してきたサージェンの低い声に、はっと我に返ったように、ディルトが剣を抜いた。ウィルも、いつでも魔術を編み上げられるように意識を鋭敏にする。
 さんっ!
 獣のものか、はたまたこちらの残酷な天使が地を蹴る音か。静かなその踏み出しの音が、開始の合図だった。

 緩やかな仕草で、手のひらを空に向けた手を、ノワールは上から下へ一回振り下ろす。その動作で彼女が与えた命令に従って、周囲に満ちる魔力はその形態を可視のエネルギーへと変化させた。白く輝く、無駄のない純粋なエネルギーの雨が、虚空から黒い獣たちに向かって降り注ぐ。
 それに遅れること一瞬、彼女に先鋒を譲ったのが不服だったのか、無茶とも思える勢いでソフィアが群れに向かって突っ込んでいる。その様子を横目で見ながらウィルは別方面からにじり寄ってくる獣に意識を向けた。目茶苦茶な突撃をしているのが彼女以外の誰かだったら慌てもするだろうが、別にソフィアなら放っておいても構わないだろう。それに、せっかくの楽しみを邪魔してしまったら、後に何をされるか分かったものではない。本格的に意識を目前の敵に集中し、ウィルは編み上げた魔力を解き放った。
 腕の先から放たれる、一条の光線。攻撃魔術は、下手に物質を操作し炎や氷を生み出すよりも、攻撃の意志を純粋なエネルギーへと変換する方がいくらか単純なので、発動までの時間が短くて済む。本当に微々たる差なのだが、今のように術を連打しなくてはならない状況であれば、その差は必然的に大きくなってくる。
 魔術を放ったウィルの横を、ブランとルージュの姉妹がすり抜けていった。ルージュは手に大振りの剣を、ブランはいつもの槍を構え、獣に向かって疾駆する。
「あっ……」
 そのまま突っ込んでいったら思い切り爆発の余波を浴びるんじゃないか、という思いがウィルの頭をちらりと掠め、思わず声を上げたが、二人は足を止めることはなかった。そして――
 標的に命中し、炎と煙の上がる中に、二人は飛び込んで行く。
「あーあ……」
 もう一度、呻く。とはいえあまり心配はしていなかったが。その理由は二人があまりにも自信たっぷりに飛び込んで行ったからというのと、彼の隣にいる彼女らの姉が全く動じなかったから、の二つだった。
「二人とも、魔術士と共闘する訓練は積んでいる。気にせずいつものようにぞんざいな術を放っていろ」
「ぞんざいって何だよ失礼だな」
 抗弁は、聞こえていないはずはないのだが彼女は無視し、次の術を編み上げ始めていた。と、思った瞬間にはもう完成し、放たれている。速い。
 確かに、彼女に比べれば自分の術はぞんざいかもしれないと、ウィルは口には出さなかったが認めた。魔術の構成速度は自身の魔力量によるところが大きいのだが、訓練でも上げられる。彼女はどちらかというと後者であるように彼には見えた。
 ウィルも、今度はより多数の敵に攻撃するための、先程よりも強力な魔術を頭に浮かべながら意識を集中し始める……
(……ん?)
 一瞬、軽い目眩のような感覚を覚え、顔をしかめた。一旦魔術を中断し、感覚を確かめるように手をぐっと握り締めてみたりするが、特に違和感はない。
(気の所為……か? ……いや)
 これと似た感覚に心当たりはないわけではなかった。そこから導き出せる結論が頭に浮かぶ直前に、ウィルの思考は剣戟の響きに中断されていた。
 サージェンとディルトが獣の一団と対峙していた。敵を斬る量は間違いなく、というより九対一で圧倒的にサージェンの方が多いのだが、一の割合とは言え、本職の剣士や魔術士でも苦戦する相手である闇の獣を始末しているのだからディルトの実力も侮れたものではない。しばらく前のことだが、一度手合わせした頃よりも腕を上げているようだった。たまに、危ないと思う瞬間もあるのだが、サージェンが上手くフォローしている。
(まず問題はなさそうだな)
 戦闘中ではあったが、ウィルは安堵の溜息を漏らした。このまま行けばさほどの苦もなくこの場は乗り切れそうだった。もっとも、この広大な『常闇の深淵』に棲む獣がたったこれだけという事は有り得ないだろうから、以降も衝突は避けられないだろうが。
(これでカイルとリタもいれば、パーフェクトだったんだけどな)
 アウザール城の外で待機させてきた、軍内でもトップクラスの戦闘能力を有す顔ぶれを思い浮かべる。今の戦力に加え、カイルタークの無差別大災害的魔術とリタの操るバハムートの力があればたとえどんな局面でも乗り切れそうではあった。そもそもバハムートがいれば戦うなどという面倒なことはせず、皆を乗せて無防備な空から逃げるが……
 思考と共に紫の空を見上げて。
 ウィルは凍り付いた。悲鳴も出ない。最初に声を上げたのは、魔術を編むことも忘れて空を見上げ続ける魔術士をいぶかしんで顔を上に上げたブランだった。
「なっ……何……!?」
 驚愕の表情を口許を覆う手で半ば隠すブランの視線の先に映るのは、十何匹――いや、二十は超えているであろう、猿の群れだった。猿、というのは言うまでもなく正確ではない。ただ、それに一番形状が似ていたのが、猿だったというだけだった。それは、牙の長い猿の背に、コウモリの翼をつけたような、異形の生物だった。
「新手か」
 動揺のかけらすら見せない声で、サージェンが呟く。が、恐慌状態に陥る者はいないものの、完全に平然としていられたのは彼だけのようだった。ディルトもルージュも愕然とした表情で視線を空に向けていたし、ノワールさえもが小さく舌打ちするのがウィルの耳に届いた。ウィルも全く同じ心境だった。そこへ、とどめのような一言が来る。
「こっちからもよ」
 先程よりはかなり下がった位置、つまりはウィルの近くまで来ていたソフィアが、目だけで示す方角――先程の森から、また数匹、黒い獣が現れていた。
「きりがないわね」
 作り物のうんざりとした声を発するソフィアを、ウィルがじろりと睨むと、彼女は今の今迄口角に浮かべていた、えもいわれぬ楽しさを噛み締めているような笑みをぱっと消した。
「気楽なもんだね、君は」
「そんなことないわよ。分かってるつもりよ、どういう状況なのかは」
 じりじりと迫ってくる獣の群れを、どれだけの効果があるかは分からないが目で牽制しながら言ったウィルの愚痴に、彼女はしれっと答えてくる。
「十数匹なら全員で当たれば対処は可能。だけど、いくら倒しても倒した分だけ……いや、それプラス数匹くらいかしら? 徐々に増加してくる敵。血の匂いか何かを嗅ぎ取ってるんでしょうね、まだまだ来るわよ、多分。とにかくこのままでは近いうちに手におえない事態になる。逃げるのは不可能。背中を見せた瞬間にばっさりやられる。かといって防戦に回ったとしても同じ事ね。しばらく寿命が延びるだけで、魔術士二人が力尽きた瞬間に」
 すらすらと言ってから最後に、剣を持っていない方の手をぱっと開いて、
「獣の御馳走になる」
「頭に来るほど正確で嫌になっちゃうね」
 にこにことした無邪気な笑みを浮かべる少女に、ウィルは引き攣って笑みだか何だか分からないような表情で答える。視線を外に向けたまま、彼女の頭を手でわしっと掴む。
「何だかとっても痛い頭皮マッサージね。育毛に効果がありそうだわ」
「やかましい。爆発してアフロになるくらい育ててろ。生きてられたらな」
「対処法はなくはないでしょ? ああ、アフロのことじゃなくてね」
 頭を押さえつけられたままウィルを見上げてくるソフィアに、彼は、分かるわそんなもん、と視線を投げかけてから呟いた。
「この場はな」
 その瞬間に、彼女の目が一瞬、鋭く細まったのをウィルは見逃さなかった。
「ノワールに防御の魔術で時間を稼いでもらって、辺り一帯を吹き散らすような術を使えば切り抜けられないことはないだろう。けど、恐らく二回は出来ない」
「二回目は通用しないってこと?」
「いや」
 かぶりを振る。
「ノワールももう気付いてると思うけど……魔術が使いにくいんだ。ここ」
「もっと分かり易く言って」
「魔術士が操る魔術は『自然界の魔力』に依存する部分が大きい、ってのは知ってるか?」
 他の人間の耳を意識したのか、少し声をひそめたソフィアに、ウィルは別に気にも留めていない音量で答える。どちらにしろ、丁度この瞬間飛び掛かってきた数匹の獣に、彼から数歩離れた場所にいたブランが向かって行ったため、彼らの会話を聞きとがめる者もいなかった。
「自分の魔力を使って、『自然界の魔力』を集めて、その力で魔術を使うんでしょ?」
「そう。『自然界の魔力』は、俺達の住んでるあっちの世界じゃ空気みたいなもんで、際限なく存在するから、特に意識することなく魔術を行使できる。でもこの『常闇の深淵』は……やっぱり異世界ってだけあるってでも言えばいいのかな……」
 言いながら、ウィルはソフィアから視線を外した。十メートルほど離れた場所で、ディルト王子の背後からゆっくりと近づいてくる獣の姿が目に入る。放っておいてもすぐそこにいるサージェンが始末するだろうが、ウィルはそちらに向けて手を振り上げた。
 しゅん!
 空気を切る小さい音と同時にウィルの手のひらから迸った光が、あっさりと獣に直撃してそれを無へと帰す。
「……『自然界の魔力』が希薄なのか、質が違うのか分からないけど、とにかくとことん魔力を集めにくいんだ。こういう簡単な魔術ならどうってことないけど、ちょっと強い術を使ったら、息が上がってどうしようもなくなるか、最悪昏倒するか……どっちにしろもう後が続かない」
 告げて、ソフィアの方へ視線を移すと、彼女は俯いていた。しかし、ウィルの言葉にショックを受けた、という様子ではない。地面を睨みつけながら、何かを考えている。
「でも」
 視線を下げたまま、彼女は声だけを上に上げてくる。
「このまま攻防戦を続けてジリ貧まっしぐらよりはいくらかマシだわ。ルージュは一週間逃げ延びる事ができたんだし、衝突を回避し続けることは出来る……と思う」
 ソフィアがやや言葉を濁した理由は、ウィルにも分からなくはなかった。仲間の血の匂いに惹かれて続々と集まってくるほどに嗅覚の優れた動物であれば、今回盛大に一戦をやらかして、身体中に血や体液を浴びてしまった自分たちはどこへ行ったところで標的になってしまうだろう。城に攻め込んでそのままここに落ちてきたのだから、替えの服など持っている訳がない。
 しかし、ソフィアの案にはウィルも賛成だった。というより、それ以外に策はないのは確かだった。このままでは彼女の言う通り、状況は悪くなる一方である。
「大丈夫。倒れてもちゃんと介抱してあげるから」
「前に倒れたときは荷馬車にほったらかしにされてた記憶があるんだけどな」
 半眼で呻いてからウィルは顔を、小さな魔術の爆発で一匹を仕留めたところのノワールへ向けた。
「ノワール! 障壁を」
 その声で彼女は、ウィルが何をしようとしているのか察したらしい。ひそめた眉の下の漆黒の双眸で彼の方を見る。
「いいのか?」
「しょうがないさ。次は君にやってもらうかもしれないけどね」
 軽く笑って見せてから、ウィルは奥歯を噛み締めた。彼が術に集中し始めたのを見て、ノワールは呪文を唱え始め、ソフィアは声を上げて皆に集まるようにと知らせる。
(二十……数匹か。攻城戦術級の魔術……普段なら三、四発連打できるんだから、まさか死にゃしないだろうけど……)
 それでもかなり気を引き締めて、魔術を編み上げる。
 魔術の術式は解読するのに頭が痛くなる古代文字の羅列のようで、また複雑な図形のようでもあった。意識から術に無関係な全てを排除して、頭の中に術式を映像として映し出す。術を行使する間はその映像を一部たりとも曖昧にしてはならない。複雑な術式の魔術が難しい理由の一つは、桁数の多い暗算が難しいのと同じだった。しかし彼はかなり大きな術でも最後まで鮮明に保てるだけの訓練をしている。術を行使すること自体については何ら問題はない――はずだったが――
 頭の中に浮かぶ紋様の隅の方に、微かなノイズが走る。
(まずい……)
 滅多にないことだが、全くないわけではない。編み上げた術が完全に壊れて使い物にならなくなる前に、部分的な修正を試みる。が。
(修正が効かない?)
 その部分を書き換えているという意識はあるのに、映像が書き換わらない。書き換えに失敗することはあっても、それ自体が出来ない、というのは今迄になかった。
(この異空間の所為か!? ……いや、違う……!)
 何かが意識に割り込んできている。自覚した瞬間。
『退いていろ』
 頭の中から声が響いて、鼓膜を震わした。

 自分の術式は未完成な上に壊れていた。それなのに、術が発動する直前のように魔力が集中してくる。この術式のまま術を展開したら誤作動を起こす。止めなければならない。
 彼の中の冷静な部分は的確な判断を下していた。だが、それは実行できなかった。命令する知性の言うことに、実行すべき理性が従わない。魔術を暴走させた経験など彼はなかったが、ああこれが暴走なのかと理解する。魔術暴走の事故における術者の致死率は極めて高い。二回も暴走を起こして生き残っているカイルタークなど、神の奇跡を体現しているとしか言えなかった。
 運を天に任せる――というか人生を半ば諦めかけたのかも知れない。そんな時。
 脳裏に映る映像が、端から全て、完全に別のものに書き換わって行くのが見えた。
 術式には――学校で教わるような初歩の術を除外すれば――個人的な癖が出る。この癖は誰のものなのか知っていた。先程の声の主。
「カイル!?」
 叫び声が呪文になったかのように、ウィルは突き出した腕から完成した術を放った。
 こぉうっ!!
 甲高い、凍てつくような音か耳をつんざく。ウィルの手のひらを要として広がる扇のような白光は、その非常識な効果範囲を当人が自覚してもなお、面積を広げていっていた。やがて、周囲全体が光りに包まれて――
 突如、光も含めた周囲の風景が闇に溶けるように黒く霞む。いや、霞んでいるのは自分たちだった。
 空間転移術。
 ウィルが使ったものではない。そもそも、この人数はウィルではどう頑張っても運搬する事ができない。こんな芸当が出来るのは唯一人。
 兄の名を口に出そうとした瞬間。一瞬、意識が掻き消えた。


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