CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 11 #78 |
「を?」 普通は起こり得ないはずの変化を来たしている自分の身体を見下ろして、ウィルは軽く声を上げた。ホタルイカなどではあるまいし、身体が発光するなんてありえないことではあったが、そう驚きは湧いてこなかった。ここまできて今更、何を驚けというのだ。 ふと顔を上げると周囲の四人は、視線を下ろす前より後方に数歩下がった位置にいた。 「何で離れる」 眉間に皺を寄せて問うウィルに、ディルトとブラン、サージェンが顔を見合わせる。 「何でって、光っているし……」 「び、びっくりして」 「爆発したら大変だと思って」 「いや、爆発なんてしたら何より俺が大変なんだけど」 さらっと残酷なことを言ってのけるサージェンに対して呻いてから、珍しく、他人と歩調を合わせていたノワールにも視線を向けた。それを問いかけと取ったのか、彼女は、ウィルが止める間もなく口を開いてくる。 「おう吐物を吐しゃしようとしている人間から避難しようという冷静な判断」 「だから吐かないっての」 犬歯を剥き出すような表情をしてから、ウィルはもう一度自分の胸の辺りに視線を落とした――時。 「ぶッ――」 痛みはないが、身体が弾けるような感覚と共に、顎を何かに強打されて、ウィルは意識が一瞬、頭から飛び出していく感覚に襲われた。 それでも何とかして、うっすらと、目を開く――と。 「ただいま」 気を失いかけた一秒ほどのうちに、倒れてしまっていたのだろう。仰向けのウィルの腹の上にちょこんと座りながら彼を見下ろす少女――ソフィアが、にっこりと、優しげに微笑んでいる。 「お帰り。でも頼むから肋骨の上で正座は止めて」 打ちつけた顎をさすりながら、ウィルは半眼で帰還した彼女を迎え入れた。 「よっと」 「ぐげ」 膝より少し長いくらいの丈の、上等ではあるが至ってシンプルなデザインのドレスに身を包む少女の姿は、清楚で可憐な百合を連想させた。そんな彼女が、立ち上がる瞬間、絶対に耳に届いているはずの膝の下からの何かが潰れたような声を、完全に無視しながら地に両の足をつける。ぱたぱたと、ドレスの裾を手で払いながら、ついでのように倒れ込んだまま胸を押さえて呻いている青年を彼女――ソフィアは見下ろした。 「胃でも痛いの?」 「……そういう事言うし……」 今の衝撃の所為だけとは言い切れない涙をまなじりに浮かべたまま、ウィルはよろよろと起き上がる。しかしそれ以上は彼は何も言わなかった。先刻の負い目が彼の反論を封じるのだった。いつものような諦めの溜息も吐かずソフィアから目を逸らすウィルを、ディルトが不審げな眼差しで見詰める。 「ウィル?」 「……そうですね、今はまず、対処しなきゃいけない問題があるんでした」 王子が問いたかったのはそんなことではないと、ウィルも無論分かってはいたが、あえて話題を本来の道筋に戻す。ディルトもわざわざそうまでして彼が避ける話題を、こんな皆の面前で続けるつもりはないらしく、開きかけていた唇を引き締めていた。 「最初の材料は準備できたぞ、ノワール。で、どうするんだ?」 「ふむ」 顎に手を当て、ノワールは周囲をさっと見回した。全ての人間が自分に注目しているのを眺め、それから彼女は視線を遥か遠くに向けた。 「分からん」 「こら」 条件反射のように呻いたウィルの方へ女魔術師が向ける瞳は、まるで自分には責はないと言わんばかりににべもない。もっとも、彼女が悪くないというのは間違ってはいないが。それでも期待を持たせておいてこんなことをのたまう彼女にウィルは険悪な声を投げかけずにはいられなかった。 「後の動作については、ラー様からご指示を賜る手はずになっている」 「ラーって……こんな所でまで、意識を接続できるのか!?」 驚くウィルに、あっさりと頷くノワール。 「ラー様は、皇帝の裏の裏をかき、いくつもの準備をしてこられた」 深い敬愛を乗せた重い囁きを、ノワールが唇に乗せる。 「今のところ、ご指示を待つより他に、やることはない。だが……」 彼女が意識を、草原にいくつも点在する小さな森――本当に小さな、本来ならば森とは言えない木々の集まりだが、唐突なほど鬱蒼とそこだけ生に満ちているので、あえて森と呼んだ――の一つに向けたときには、サージェンはその方向を向いて既に抜剣していた。ソフィアは武器を所持していなかったが、おそらく剣を持っていたらやはりとうに抜いているような表情をしている。ウィルはその時になってようやく、その方向にいる何者かの気配を感じ取っていた。 「待つ間に退屈はしないで済むかな?」 魔物の故郷と呼ばれる地。この場所で、面白そうにノワールは呟いた。 小奇麗に片付いた、物の多い部屋の中で、カイルタークは感心したような溜息を洩らした。 複雑な機械。彼にすら理解不能の言語が表紙を飾る本。束になっている紙に描かれた難解な紋様は、魔術の構成図だ。難解な魔術を構築するとき、まずはその設計図に当たるものを紙に記す。それらが見渡す限りに、パズルのように乱れなく長身のカイルタークの視線の高さ付近までつみ上がっている様は、まさに圧巻だった。但し――ここから紙を一枚でも抜き取ったら、瞬く間に資料の洪水は彼らの足を埋めてしまうだろう。 などとカイルタークが思っていたその時。その部屋の主、暗黒魔導士ラーは、本ばかりがつみ上がっている山の、腰の高さ辺りから無造作に一冊抜き取っていた。やはり、これはパズルゲームなのかもしれない。すとんと、重力に従うあまり摩擦抵抗を無視した形で上にあったものだけがそのまま直下に落ちてくる。 「これを見てください」 怪奇な魔術よりも面妖なものを見た心地のカイルタークの、表情に出ない驚きは無視して、暗黒魔導士が語り掛けてくる。 比較的新しい本の、流麗な現代語を一瞥して、カイルタークは呟いた。 「お前の字だな」 言葉に、暗黒魔導士が頷く気配が視界の外であった。カイルタークの視線はそのまま、その内容を辿っている所だった。斜め読みで数ページ読み、顔を上げる。それは素晴らしく――いや、恐ろしいまでに偉大な魔術書だった。多くの魔術に通じる大神官でさえも、一度目を通しただけでは十分に把握しきれる内容ではない。たまたま開いたこのページは闇の獣に対するいくつかの実験の結果だった。ファビュラス教会の研究者たちには垂涎の品――どころの騒ぎではないだろう。向こう五十年は神の書として崇拝されかねない。 「二百三十七ページです」 著者の言葉に従い、カイルタークはその分厚い本の中では序盤に当たるページを開く。ページの一番上にはやはり達筆な文字での見出しがついていた。 「次元壁を超越した意識接続法」 読み上げるカイルタークに、再び暗黒魔導士が頷く。そこでようやく視線を上げたカイルタークに、もう一度そこへ視線を戻すように漆黒の魔術士は促した。 「その魔術、構築してください。五分くらいで」 「……何と言った?」 「接続先は、陛下の波長がわかればそっちでいいです。拾いきれない場合はノワールのを教えます」 「……分かった」 説明を受けることは諦める。言いたいことは分かっている。ただそれが無茶な要求だったから確認したい心境になっただけだった。この天才は、ファビュラスの最新鋭の魔法理論からしばらく離れている間に勝手に学問を自分の中だけで進化させてしまっていたらしい。カイルタークは沈黙したまま視線を、出来うる限りの速度で文字の羅列の上を走らせた。文句を言っている暇はない。五分でやれというのなら――やれるとこの男が思うのならば、やらないわけには行くまい。 理論の部分は飛ばして、実践法のページを開き、カイルタークは意識を魔術の実現に向け、編み上げ始めた。 それが出てくる瞬間、そこにいた全ての者が身構えていた。めいめいが己の武器を構え、或いは魔術を放つ準備をしている。闇の獣――これは強大な敵であると言えた。並みの剣士や魔術士では、歯が立たない狂暴な獣なのである。幸運にもここにいるのは、並み以上の力量を持つ者たちが大半だったが、それでも群れて出てこられたりしては大変なことになる。大陸上ではその個体数うの少なさゆえそのようなことは滅多にないが、ここは魔物の故郷なのだ。何があってもおかしくはない―― だが、そこから出てきた影は一つだった。ついでに言えば、獣の形もしていなかった。 よろめきながら姿を現したのは人間だった。赤い髪をした、少年―― 「ルージュ!?」 切り裂くような叫び声を、ブランが上げた。はっと、驚いたように顔を上げる少年――いや、少女。 「ブラン姉……!? ノワール姉も……」 驚愕に震える声を上げて――しかし、すぐにしっかりとした足取りで駆けてくる。 「怖かったよぅー……」 ブランの胸に飛び込む瞬間、少女はくしゃっと顔を歪めていた。 すすり泣く妹の頬にハンカチを当てながら、少女がそうするままに泣かせてあげている優しげな女性を見て、それが誰もが恐れる帝国軍白騎士団の隊長であった人間だと思うことは難しかっただろう。だが、それに輪をかけて、彼女に慰められている少女が同じく赤騎士団の隊長であるなどという事実は、信じようと努力することさえ難しい。 年齢はソフィアやリタと変わらないくらいか。だが、今はその仕草の所為かもっと幼くも見える。多少の擦り傷と、泥汚れを作っていたが、他に衰弱や酷い怪我をしている様子はなかった。 「どうしたの、ルージュ。どうして貴方がここにいるの?」 穏やかな声で問いかけるブランを、ウィルは少し離れて見ていた。こういう場合、話を聞きだす役は出来うる限り間柄の近しい人間がいい。ルージュは、すん、と鼻をすすってから、姉の微笑を見上げた。 「い、一週間くらい前に……皇帝陛下が……ソフィア・アリエスが生きていて……黒い触手みたいなのが……」 鳴咽と同時進行で説明する少女の言葉は、文章として認識するには多少難解だったが、言いたいことは大体のところ理解出来た。彼女もソフィアの力でこの世界に落とされたくちなのだろう。だが―― 「一週間?」 ウィルの喉元まで出た言葉と全く同じ音をノワールが先に口にしたので、ウィルはそのまま唇を閉じた。 「お前は、ここにそんなに長くいるのか?」 ノワールの言葉に、頷くルージュ。 「ここ、日が落ちたりはしないけど……というか、太陽自体見当たらないけど、急に寒くなるときがあるから、その時を夜ってことにして……それが七回あった……」 「食べ物は? 闇の獣には遭遇しなかったのか?」 矢継ぎ早に聞くノワールをブランがおろおろと止めようとしたが、それも含めてルージュには不慣れなことではないのだろう。特に困った様子もなく答えてくる。 「その辺に生えてる赤と黒の斑の木の実は、食べられるから」 ルージュが指差す先を目を凝らして見て、ウィルはぞっとした。少し離れた木に、おそらく彼女が言ったものであろう「食べられる」実がなっているのが見えた。しかし、血のような赤に、何かの目のような黒いぶちの、両手ですっぽり包み込める程度の大きさの実は食べられると知っていても口に運ぶには勇気が要りそうだった。よくぞあれを食べてみようと思ったものである。 「それと、闇の獣に出会ったときは……」 がさり。 少女の言葉を遮って、茂みを揺らす、音。それ以外に気配はなかった。 サージェンがディルト王子を背後に庇い一歩下がった代わりのように、ソフィアが一歩進み出る。やぶの中に潜むものを凝視しながら、しかし彼女は視界を広く保っていた。 だが―― 次の気配は彼女の視界の外、背中の方向から上がったものだった。別の森の茂みを突き破り、黒い何かが踊り出る。 「出た! ぴょんぴょんだ!」 「ぴょ……?」 ルージュの警戒の叫びの中の、その声に全くそぐわない柔らかな単語にディルトが眉を寄せる。皆もおそらく同時にそうしたい気分に駆られたであろうが、実際その行動に出たのは王子一人だった。残りの三人は―― 「障壁よ!」 呪文詠唱中の無防備な姉を庇うように立ったブランの後ろで、ノワールの声が、魔術による障壁を形成した。彼女は呪文を唱えなくても魔術を行使できるという話を聞いていたが、今回は念のためなのか、呪を唱えていた。物理攻撃を遮断する障壁に弾かれ、黒い影は跳ね返り、地面へと不安定に落下する。そこに、 「炎の矢!」 こちらもまた珍しく呪文を唱えていたウィルの術が完成し、その生き物に向かって飛翔した。それを見計らい、ノワールの障壁が消え、数十本の橙色の光のシャワーが標的に直撃する。 ギィィィィィッ!! 耳障りな、甲高い音はその生物の断末魔の声か。炎が収まった後に残っていたのは、小型犬ほどの大きさの炭でしかなかった。 「ぴょんぴょんは……いっつも飛び掛かってくる直前まで気配が分かんなかったから、苦労してたんだ」 黒焦げの死体を見下ろしながら、ルージュが感慨深げに呟いている。やはり、その彼女命名であろう固有名詞は台詞を締まりのないものにしていたが。 「闇の獣と出会ったときは……どうするんだ?」 先程途中で遮られた発言の続きを、ノワールがルージュに促すと、彼女は姉の方を振り向いて言った。 「頑張って逃げる」 「確かに」 視線をやはり死体の方に向け、ソフィアが彼女らの方へと歩み寄って来ていた。 「逃げた方がいいかもね。この人数だから、数匹程度がまとめて来たところでどうってことはないけれど、それ以上になると厄介かもしれないわ。ありえないことじゃないんでしょ、そういうことも」 冷静な少女の言葉に、ルージュが同意して頷き――はたと、気づいたようにソフィアへと視線を固定する。 「ソフィア・アリエス! 貴様、こんな所にいたのか!? とうとう見つけたぞ!」 「とうとうって、今更何を……」 さっきからいたよぅ、というソフィアの呟きなど、顔を自分の髪ほどに紅潮させた少女には届かない。親の仇に向けるような瞳でソフィアを睨み付け、ルージュは腰に下げていた長剣を抜剣した。 「ルージュ!」 「お前の所為で私がもーどれだけ怖い目に遭ったと思ってる!? 貴様も同じような目に合わせてやる! 覚悟しろ!!」 ブランの叱責を振り切って、丸腰の少女に対し、ルージュの高々と振り上げた剣が、銀の軌跡を描いて落ちる。 「わぁ」 小さな悲鳴はソフィアのものだった。だが、声を上げながらも同時に、半歩身体を斜め前にずらして刃を躱し、それを踏み込みにして、右手で剣を持つルージュの腕を払っている。 条件反射だな、とウィルは思った。自分が武器を持たない時、刃物を持った敵に出会った場合の対処法を、教科書通りにソフィアは実践して見せてくれていた。開いていた左手でルージュの肩を掴み、自分の方へ引き寄せる。バランスを崩した彼女の後ろに回って、肩を押え込み、腕を強くねじり上げた。 「いたたたたた!!」 剣を落として涙目で悲鳴を上げるルージュに、ノワールが冷ややかな視線を投げかけた。 「いきなり剣など抜くからだ。阿呆」 もう一人の少女の姉も、その言葉に頷いて同意する。 「こんな瞬間的大量殺戮装置にそんな事をすれば滅殺間違いなしだろう。冷静に考えて」 「あう」 その指摘に呻き声を上げたのは、ソフィアの方だった。ルージュの方は、自分の手をぐっと握り締めて、やがて、敗北を認めたようにうなだれる。 「くう……判断を誤ったか……」 「確かに判断は誤ってたと思うんだけどね」 不服げに呟きながら、ソフィアは既に抵抗の意を失っているルージュを解放した。 「……って、ショートコントは前菜としては中々面白かったけど」 ようやく会話に割り込む隙を見つけ、ウィルは皆の顔を見回した。 「コントって。命懸けだったのに」 ソフィアの寝言は放っておいて、ウィルが周囲の人間のうちの一人、サージェンに視線を向けると、彼は重く頷きを返してきた。 「そろそろ本当に、メインディッシュが用意できたみたいだって神速の剣士様が言ってるよ、どうする?」 がさり…… 相手はもしかしたら人語を解するのだろうか。そんな事を思わせるタイミングで、先程の獣が立てたような音が、周囲からいくつも響いてきた。ウウ……と低音の獣の唸りが、風を揺るがしている。 「そういう素敵なお誘いは――」 自分たちを取り囲む、十数匹の黒い毛並みの獣を眺めるソフィアの目は、状況に不似合いな燦然たる輝きに満ちていた。 「もうちょっと早くから言ってくれれば、おめかしして待っててあげられたのに」 楽しそうな表情で、ねえ? と振り向いてくるソフィアに、ウィルは首を縦に振ってやることは、残念ながらできなかった。 |