CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 11 #77 |
「……『暗黒魔導士』か」 長い話を聞き終えた、カイルタークの感想はその一言のみだった。ポケットから取り出した手のひら大の小箱から、紙巻き煙草を一本引き出す。それを口に咥えて、簡単な魔術を脳裏で組み上げながら彼は目を閉じた。やがて――と言ってもほんの数秒後の事ではあるが、薄暗い締め切った室内に、赤い灯が浮かび上がる。 「喫煙の習慣なんて、あったのですか?」 カイルターク自身をというより、くゆる煙草の先端を凝視して、黒衣の魔術士が小さく呟く。 「大神官位を継いでからだがな。苛つく事が増えた」 「身体によくないですよ」 「お前がそういう心配をするか? リュート」 呆れ声の皮肉に、暗黒魔導士は微苦笑を洩らす。リュートという名で呼ぶ事を、当然ではあるが彼はもう咎めては来なかった。寂しげな微笑みを口許に浮かべながら、頬に下がってきていた金色の長い前髪を、彼はフードの下にある耳にかけ直した。カイルタークもまた、彼が暗黒魔導士の衣を脱ぎ捨てない事を咎める事はしなかった。目の前の、ともすれば女性のようにも見える青年が案外にも、類を見ないほど強情な男であるという事を、彼は知っていた。 望み。 不意に、この男が唱え続けていたその単語を思い出す。 この男は、まだその望みの成就を願っているのだろう。だからこそ、彼は、『リュート』に戻る事は出来ない。暗黒魔導士でなければ、彼は己が望みを叶える事は出来ないのだから。 「貴方には分かっちゃいましたよね。私の望みが何なのか」 カイルタークの心を読んだようなタイミングで呟く男を、彼は煙草の先を赤く燃焼させながら睨めつけた。その視線に軽く肩を竦めて、男は続ける。 「陛下は、どうでしょうか。やっぱり、分かっているんでしょうかね」 「……知っているはずはあるまい。あいつは馬鹿だからな」 白い吐息と一緒に、吐き出す。煙の向こうでは、黒衣の魔術士が、微笑みの形で強張った表情でカイルタークの言葉を待っていた。再び、深々と嘆息する事を、彼は止められなかった。 「どいつもこいつも……自分の方がよく分かっているようなことを何故私に聞くのか、全く理解しがたい」 カイルタークのぼそりとした呟きの真意を、視線だけで追究してくる青年は放っておいて、彼は煙草を床に落とした。毛足の長い絨毯から焦げ臭い匂いが立ち上ったが、知った事ではない。潔癖な青年の、あ、という抗議の声が聞こえたような気はするが、それもついでに無視してカイルタークは火を踏み消した。 「それよりも、先に解決しなければならない問題があるだろう。あの馬鹿どもはどうなったのだ? そちらの説明は、まだ一言も聞いていないが」 「……自分が、この際どうでもいい私自身についての説明を先に求めたんじゃないですか。人を非難するような口調で言うの、止めてくれません?」 「貸しがある状態で問わないと、のらくらと言い逃れするからな、お前は。いい機会だと思っただけだ」 はあ、とわざとらしく溜息を吐いて見せてから、暗黒魔導士は部屋のドアを視線で示した。 「そろそろ頃合いですかね。ここじゃ何も出来ません。私の部屋に来て下さい」 ひょこり、と。 身を起こした瞬間、すぐ間近にいた少女が耳元で、これ以上はないというくらいの音域とボリュームの悲鳴を上げてくれたお陰で、ウィルはそのまま再び昏倒しそうになった。だが何とか意識を保ちながら、周囲を見回す。 どす黒い紫色で塗りつぶされた、平原。少し前に、精神世界のスクリーンで見た風景と相異ない。その場にいたのも、先ほど見たのと変わらないメンバーだった。ディルト、ブラン、ノワール、サージェン。彼らは一様に――ノワールやサージェンでさえも――、はっきりと驚愕の表われた表情を、ウィルに向けてきている。最初、彼は本気で何故彼らがここまで驚いているのか理解出来なかったが、ふと思い出して、しまった、と口許を押さえた。そういえば、自分は死んでいたんだ。それが唐突に起き上がったりすれば、驚かない訳がない。 一瞬言い訳を考えかけたが、すぐにそれは中断した。別に自分は悪い事をしていないという事を思い出したのだ。 ブランの悲鳴以降は、顎を外さんばかりの顔をするのみでうんともすんとも言葉を発する事ができないらしい一同から目を離し、ウィルは周囲を見回した。しかし、捜し求めるものはどこを探してもなく、視線をディルト辺りに戻して、ウィルは尋ねた。 「ソフィアは? いませんか?」 沈黙の時間――きっかり五秒を挟み。 「うわぁぁぁぁぁぁ!!?」 返ってきたのは、問いに対する答えではなく悲鳴の延長だった。 「なっ……何故っ!? 今、確かに呼吸も脈も止まっていたはずでは!?」 ウィルに指を突きつけて、慌てふためいた声を上げるディルトを、当の本人は、目をしばたきながら見つめ返した。 「そんな大慌てする事でもないでしょ。今迄ぴんぴんしてた人が突然死したら大変な事だけど、その逆なんだから素直にラッキーだって思えばいいじゃないですか」 「ラッキーとかそういう問題なのか?」 突っ込みはディルトのものではなく、彼の後ろから数歩置いてこちらを見ていたノワールのものだった。王子はまだそんな平然とした受け答えを出来る程の落ち着きは取り戻せていないらしい。さくさくと草を踏みながら、彼の方へ近づいてきて、傍でへたり込んでいるディルトとブランを退かす。ウィルの手を取って脈と体温を、念のため、と確かめてから彼の顔を見た。 「体調は?」 「別に、なんともない……と思う」 言いながら、ウィルは自分の身体に触れた。しかし、一旦は生命の危機に瀕したはずの身体には、傷ひとつないようだった――という言い方は正確ではないが。大昔の古傷ならいつものように残っていたが、これはもはやほくろか何かと一緒で、ウィルは傷のうちに数え上げていなかった。ノワールが、理解出来ないといった表情で彼の身体をじっと見ている。それはもっともな事だった。少なくとも、スクリーンに映っていた時点での自分には残っていたあれだけの傷が、砂で描かれた絵を吹き飛ばすかのように奇麗さっぱり消滅しているのだ。実際あれからどれだけの時間が経過しているかは分からないが、そう何時間も経っているということもないだろう。治癒魔術に関しては大陸中を探しても右に出るものなどいない大神官の技を持ってしても、こんなことは不可能である。 ウィルは脳裏に亜麻色の髪の少女――ソフィアと同じ顔をした、金の瞳の少女を思い浮かべながら、こっそりと嘆息した。こんな事をしてくれたのは、彼女以外に思い付かなかった。 「ウィルザードっ!」 唐突な叫び声と同時に、がばっ、と真横から衝撃を受けた。ウィルは飛びついてきた少女に微笑みを向ける。 「心配してくれたんだ、ブラン。ありがとう」 言ってウィルは、彼にすがり付いて泣くブランの頭をよしよしと撫でてやる。小さい子供のように、少女はぐすんと鼻を鳴らした。 「……それで、一体ここってどこなわけ?」 離れないブランを片手に抱きかかえるようにしながら、ウィルは再び顔を上げた。今度は、一番的確な答えを返しそうな人物――ノワールへと視線を向ける。やはり、思ったとおり彼女には見当がついていたのだろう。はるか彼方の山を眺めていた彼女は、彼の方を向いて迷わずに告げる。 だがそれはどれだけ冷静な口調で告げられたとしても、驚愕を禁じ得ない言葉だった。 「常闇の深淵。魔物の故郷だ」 「とっ…………!?」 一言叫んで、絶句したのはディルトだった。本当はウィルも叫びそうになっていたのだが、先に他人にやられてしまったもので声が出なかったのだ。とはいえ、驚いている事には代わりはない。 常闇の深淵―― ディルト王子ですら知っている――というのは失礼極まりない説明だが取り合えずそれは置いておいて――殆ど伝説上の異空間である。伝説上、とは言っても実在する事自体はかなり昔から判明していたのだが、その実体などは未だ謎に包まれている上、分かっている事と言えば、自分たちの世界では想像もつかない化け物――『闇の獣』がうようよとしている世界だ、という事だけである。そんな別世界に放り込まれていると聞かされて、どうして驚かずにいられるというのか。何しろ間違いなく、常闇の深淵に足を踏み入れるなどという冒険は、人類史上初の快挙であろう。 (快挙って言わないだろこんなもん) 内心の呟きに自主的に突っ込みながら、ウィルは頭を抱える。実は、自分で思っている以上に取り乱しているようだった。完全に平然としているのは、告げた当人くらいのものである。 (ん?) さすがに不思議に思って、ウィルはノワールの顔をまじまじと見詰めた。 「あのさ、もしかしてノワール、君、最初から分かってた?」 問われて、ぴくりと女魔術士が片方の眉を上げる。その場にいる全員が彼女に注目する中、ノワールは小さく笑みを浮かべた。 「まあな。だからこそ、私がここにいるのだ」 「そういえば、貴方は城外にいたはずだ」 僅かな間を置いて呟いたディルトに、ノワールは視線を向けずに小さく頷く。 「エルフィーナ姫の力によって、時空のひずみが生じたその瞬間に、私はラー様からそう連絡を受けた。かの皇帝が、ヴァレンディア王を滅する手段として、例の力を使う事も十分に考えられていたから、即時にその場に駆けつける準備は整えてあったのだ。だから、私もお前らと共にひずみの中に入る事が出来た」 「ちょ、ちょっと待ってよ!」 手を上げて、慌てて止めるウィルを、女魔術士がちらりと見やる。 「何か、分からない事でもあったか?」 「分からないも何も、根本的な所が分かんないよ。エルフィーナの力って、一体何なんだよ」 「……お前も見ただろう、闇の獣が大量に発生したという痕跡を。あれだよ」 こともなげに言うノワールを、ウィルは口を半開きにしたままぽかんと見詰めるしか出来なかった。だが彼女自身はそんなウィルには気づいていないように淡々と告げてくる。 「正確には、空間の壁を破る能力。もっとも、計り知れない魔力が成せる技の、ほんの片鱗にすぎんがな、そんなものは。彼女の持つのは真の女神の力だよ。彼女が望めば、大抵の事は現実となる。深遠なる知識と構成力をもってすれば、世界を創造する事さえ可能な力だ」 言葉を挟む事は、誰にも出来なかった。そして、ウィルにはノワールが淡々とそれを語れる事自体が信じられなかった。それは、自分なら、畏れて口に出来ないような真実であると、彼は感じていた。 世界の創造。 あまりにも、次元がかけ離れすぎている。彼女に女神の力が宿っている、という事は漠然と理解していたが、今迄は、その事実に悪寒を感じるような事はなかった。だがそれは、単に認識不足だったに過ぎないのだ。今は亡きローレンシア王が、命を賭してまで頑なに力をアウザール帝国に渡す事を拒否し続けてきていた事が、今更になってようやく納得できた。愛娘の事を心配していたというのもあるだろう。だが、彼は知っていたのだ。具体的にどれほどの力であるのかは知らなくとも、己の血が伝承するその恐ろしさだけは―― 「力あるものほどこの恐ろしさを理解出来る」 ウィルの表情を見ながら、ノワールが穏やかに言う。 「安心するといい。世界を創造する事は、女神の力を持っているとしても、人間には不可能であるとラー様はおっしゃっていた。神と人間とでは精神構造が異なるゆえに、人の身では十分な知識を得られぬそうだ」 「は、はぁ……」 そう言われて単純に安心できるという問題でもなかったが、ぼんやりとした返事を返して、ウィルは頭上を見上げた。特に何がある訳でもない――いや、異常な紫色の空中に、同色の雲はやはり今も重苦しく垂れ込めてはいるのだが、今更それは確認するまでもない――空を見上げる。ただ単に間を作るための動作に過ぎなかったのだが、のしかかってくるような空から視線を外して、もう一度ノワールの方へと向き直った時には、それなりにあれこれ思考する力が戻ってきていた。 「……で、俺達はどうすればいいんだ?」 「どうすればいい、とは?」 「君はここがどこだか分かってて来たんだろ。何の目的かは敢えて聞かないけどさ。ってことは戻る手段は考えてるんだろ?」 「目的? 目的は……」 「いや。そっちはいーから」 「戻る手段ならなくはないといったところか」 「え? あ、そう……じゃなくて、何だよその微妙な言い方は」 ノワールの淡々としたマイペースに引きずられそうになりながらも、ウィルは何とか気を取り直して呟いた。 「不確定要素をいくつか使わねばならぬゆえ。うまくいったら戻れるかなという状況だろうか」 平然と言うノワールに、眉を寄せたのは、ウィルだけではなかった。そのうちの一人だったディルトはしかし、直接問おうとはせずに、ウィルを目で促してきた。 「……さっき、君、自分からここに来たようなこと、言ってなかった?」 「その通りだが」 「…………戻れるかどうかも定かじゃないのにか?」 平気で、そうだと言われるのを危惧して、かなり躊躇いの間を置いて尋ねたウィルに、ノワールは小鳥のように無垢な仕草で首を傾げて見せる。 「そうだが、それが何か?」 「あう」 思わず呻いて肩を落とすウィルに、疑問符に彩られた視線一つと、気の毒そうな視線三つが注がれる。それを振り払うように、ウィルはぶんぶんと首を振った。 「ああもういい聞かないぞそれ以上どーせ暗黒魔導士の命令だとか言うんだろあっさりと」 「まさしくその通りだ」 「言うなっ! 聞かんっつっただろ。もういい。さっさと話を進める。で、戻れるかもしれない手段ってのはどういうものなんだ?」 「まずはエルフィーナ王女を用意するのが先決だ」 呆気なくウィルの言葉にノワールは従った。従った、というのではなく、言いたいことを言いたいように述べているというだけに過ぎないのかもしれないが。何にせよ、唐突に会話を切り替える彼女の癖は、話を早く進めたいときには有用だとウィルは素直に感心していた。 「用意って他に言いようがないのか?」 だから、ディルトがそう突っ込むまで、言い回しについてはウィルは気にはしていなかった。それにどうせこの女魔術士にそんなことを指摘したところであまり効果があるとは思えない。 「ならば、準備。気に入らなければ下ごしらえで」 ほらね、とウィルは内心で呟いた。あくまでもわざとやっているのではない(らしい)彼女は全くの平然とした表情をディルトに向けている。それ以上何か言うと更にソフィアの扱いが食材化するとでも思ったのか、引き下がったのはディルトだった。 「エルフィーナ王女がこの闇の中に入ったのは見えた。彼女はどこにいるのかが問題になる」 「このへん……かなぁ」 胸の辺りを手のひらでウィルが示すのを、皆が「?」と言った表情で覗き込む。 「さっき死んでるときに、ソフィアに会ったんだ。で、ソフィアが言ったわけじゃないけど、話によると、何か俺の中に入っちゃったらしくて。俺が目覚めたらソフィアも出てくるかなと思ってたんだけど、そうもいかなかったみたいだね」 「入っちゃった、って……そんなことが……?」 呆然とした表情を、ディルト他、魔術士でない三人は向けてきたが、ノワールは刹那の間、思案してから、ウィルに視線を向けた。 「神の末裔、だな、まさしく」 「……ああ……」 ウィルとしてはあまり認識したくないことではあったが、頷いておく。人間には、意識を他人の中に潜り込ませることは出来ても、生身のままそれをやることなど出来ない。だが、神と呼ばれる存在なら、それが可能である――精神世界でウィルが金眼の女性に聞いたその知識を、ノワールは持っているらしかった。 「ふむ。ならばまだウィルザードの体内にいる事が考えられるな」 しばしの熟考の後、ノワールは人差し指をぴっとウィルに突きつけてきた。 「さあ、吐け」 「吐けるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」 突っ込むまい突っ込むまいとは思いつつ、さすがにこれは辛抱しきれず思い切り叫んでから、ウィルは大きく息を吐き出した。そして、徐にブランの方へと視線を向ける。 「何でこういう姉?」 「そ、そんな私にも分かんないことを何でとか言われても」 泣き出してしまいそうな声が返ってくる。彼女らは三人姉妹であると言っていたのをウィルは思い出したが、末の妹はなるべく真ん中の姉に似ていることを願わずにはいられなかった。 しかし―― 「初手からこの有り様か。現世への生還ってのも、中々道が険しそうだねー……」 うんざりと呟いたとき。 突如、ウィルの全身が淡く輝き出した。 |