CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 10 #70 |
その時にしていたことはどうということはない。ただ皆で歩いていただけだ。もっとも、目指す目的地がどこであるかという事を考えれば、その行軍がどうということはないで済まされる行為であったかは甚だ疑わしくはあったが。 辺りの空気に、異質なものが混じった―― ……というのを何となく感じ取ったとき、どういう訳か空を見上げてしまうのは、自分の癖なのか人間の習性なのか分かりかねたが、ウィルはひとまずその分析を中断した。理由はある。そんな事を考えている場合ではないらしいからというのと、それと主にこっちが重要だったのだが、考えたところで面白くも役立ちもしなそうだったからだ。 指揮官である彼の停止命令が出るまで行軍が止まらなかったことからも分かる通り、この気配に気づいたものはそう多くはないようだった。と言っても、軍全体でなら百人とちょっとはいるはずだが。正確に言えば百十二人――現在解放軍に所属する魔術士。それに加え、魔術士ではなくてもそれに近い程度に魔力の強い人間がいるとすれば、この異質な気配の意味が分かったはずである。 何者かの魔術の効果範囲内に踏み込んだ感触。 (何者か、なんて今更言うのも馬鹿げてるけどな) 黒魔術士団も壊滅した今になって何か仕掛けてくる魔術士など、もはや一人しかいない。 この魔術が与える影響は分からないが、少なくとも攻撃魔術ではなさそうだった。対象者がそれと気づかないほど緩慢にダメージを与える術というのも存在しないわけではないが、それはいわば呪術といった類のもので、何の前触れもなく、触媒も何もなしで、しかもこれだけの大人数を一度にして術中に陥れることは不可能なはずである。もしかしたら、彼の知らない古代魔術の中にそんな呪法が存在するかもしれないが――それはありえないだろう。この術者の性格を考えれば。 ここは、素直に専門家の意見を仰ぐべきだろうと、ウィルは傍らの大神官に視線を向けた。 「どう思う? 専門家」 「それは私が古代魔術に関しての専門家だと言っているのか? それとも奴の行動パターン解析についての専門家だと揶揄しているのか?」 「両方についての見解を述べて欲しいね」 「どちらにしろお前が私に聞くような事ではないと思うがな」 吐息するように呟いたカイルタークのその言葉の意味が分からず、ウィルは問い掛けるように彼の目を見つめた。問い掛けたところで、彼の無機質な瞳は何を語るでもなかったが、見た目にそぐわず割と饒舌な口の方は、何のことはないとでも言うように答えてくる。 「奴と接してきた時間なら、私よりお前の方が長いくらいだろう。古代魔術の方とて、私と奴では研究内容が違う。奴の術に関してなら直接師事していたお前の方が……」 言いかけて、何かを考えるように言葉を止めたカイルタークは、やがて小さくかぶりを振る。 「いや、私の勘違いだ」 「悪かったな勉強不足で」 半眼でカイルタークへ向けて呻いてから、ウィルは小さく息をついた。 「カイルにも読めない、か」 いつだってそうだ。あいつの考えていることなんて、いつだって分からないんだ。 彼が――何を考えて帝国にいるのかだって、未だに分からない―― 「うわあっ!?」 唐突に響いてきた悲鳴に、ウィルは物思いを中断してそちらの方を見やった。 その場所とは少し距離があったため、声を上げたのが誰かということは特定できそうになかったが、何が起こったかというのは一瞬にして見て取れた。が―― 「はぁ……!?」 思わず間の抜けた声を漏らす。起こった現象は確かに見ることは出来たが、それが何であるかは分からなかったのだ。 今の今迄何もなかったのであろう、何の変哲もない空間に、黒いわだかまりが生まれ出でていた。 「な、何だあれは!?」 (俺が知りたいよ、もう) 近くで上がった誰かの驚愕の声に、内心で呟きを返す。 何だと言われても、それを外側から見る分には黒いわだかまりという以外に説明できそうな言葉は、ウィルには見つけられなかった。流れのない水溜まりの中に、インクを注ぎ込んだかのような漆黒のもやが、兵士たちの集団を飲み込んでいる。そしてそれはその濃度を変えず、見間違いようのない速度で肥大しつつあった。抵抗するまもなく、次々に兵士達が飲まれてゆく。 間違いなく、これがさっき感じた魔術の効果なのだろう――が。 「何なんだよっ! 一体!?」 予想だにしなかった意味不明さに思わず上げた抗議の声は、ウィルの身体と共に、見る間に膨らむもやの中に飲み込まれていった。 「……何なんだよ、一体」 数秒前に叫んだ台詞をもう一度口にしながら、ウィルは頭を掻いた。 薄闇に閉ざされた視界。完全に光を遮ることはこの気体には出来ないらしく、周囲が見渡せないほどではない。所々、黒い気体に不均一な部分があり、更にそれが視界を惑わせる。概ね、あの黒いもやの中の居心地は、飲み込まれる直前の瞬間的な予想を裏切るものではなかった。当たって嬉しい予想でもないが。 そして、消えた皆の気配。 (……いや) 思い直す。ほんの数秒前までそこにあった存在を、何の衝撃も無しに消し去ることなど、出来るはずがない。これは幻覚だと信して、ウィルは深く息を吐いた。 思考を閉じるように、瞼を一回降ろして、一旦真の暗闇にその身を預ける。そうしてからゆっくりと目を開いて行く―― 慣れた感覚。精神を統一するための、師から教わった方法。何よりも、自分の感覚と彼の教えがいつだって一番信頼できた。 刹那、ほんの微かに耳に届いた剣戟の響きに確証を得る。と同時にその確証が引き連れてきたいくつかの懸念に、ウィルは僅かに顔をしかめた。 (攻撃を仕掛けられている……) ここに至ってようやく、この魔術の効果が分かり始めてきた。単純に言えば、こちらの戦力を分断する策だったのだ。あらゆる気配をほぼ完璧に分断するいくつもの『箱』に、それぞれを閉じ込めた形にして、各個撃破、というねらいだろう。現在皆が戦っている敵すら伏兵ではなく幻覚である可能性もあるが、それは差し迫っている危険度とは何ら関係が無い。魔術とは無に物理力を与える、つまりは幻覚に殺傷能力を与えるものなのだ。 「くそっ! 信じられないほど大掛かりな魔術じゃないか! 何でこれだけの術に隙が無いんだよ!」 思わず声に出して毒づく。最初から――と言ってももやに飲み込まれてからだが、何度も解呪を試みてはいるのだ。術式の複雑な、大規模な魔術であればあるほど、隙をついてその魔術を無効化しやすくなる。これほど難解な魔術なら、十人もまとめてかければ十分に大規模と言える。それを、数千人単位でかけているはずなのに。 「冗談じゃない。常軌を逸してるってのにも限度があるんだよ」 「これは、ラー様が数年を費やして構築した術だからな。破れはせんよ。大神官すらにもな」 落ち着いた女の声が、ウィルの叫びに答えを返してくる。 「ノワールか」 声の登場は唐突だったが、彼女が監視しているのは当然だと分かっていたウィルにとっては驚くべきことではなかった。アウザールの本城にいるはずの暗黒魔導士に、直接術を行使出来る訳がない。術を中継する魔術士がいるはずだった。そして、今その役目を果たせるこの場にいる人間と言ったら彼女しかいない。 「これだけの魔術を補助する君も、たいしたもんだよ」 「補助と言う程のことはしていない。いわば触媒だ。私は」 涼やかな声が闇に響く。だが、姿は見えない。漆黒の装束が闇の中に彼女の姿を溶け込ませでもしているのだろうか―― 「……私ごときには、この場におられぬラー様に代わり、システムの一部を管理することは辛うじて出来ても、全容を理解することは叶わぬ」 「それでも、今ここで君を倒せば、魔術を解析するまでもなく消滅するさ」 「それでは困るから、姿を隠しているのではないか」 笑うように告げてくるその言葉に、あからさまにウィルは舌打ちした。ノワールがどこにいるかは知れないが、適当に見当をつけた方向へ声をあげる。 「今はお喋りをしている時間はない! 術を解け! さもないと、全てぶち壊すぞ!」 「無理だ。お前に壊せる程度の術であれば、大神官あたりがとうに解呪している。言ったろう、破れん、と。私の姿も同様、私が望まぬ限りお前には見つけ出せん」 「どっちかが全滅するまでやりあおうってのか!? ふざけんな!」 「……そう焦らずとも大丈夫だ。こちらの手駒は魔術の生み出す実体化した幻覚だが、さほど力を持たせてはいない。お前ならば、魔術の一撃で消せる程度の代物にすぎん。兵士一人一人を入れた各『箱』にはそれが一体ずつ入っているだけだ。……能力の足りなそうな兵士は、まとめてひとつの箱にニ、三人ずつ入れてある。いい勝負が期待できよう」 「……!?」 訳がわからない。それでは、どちらにとっても無意味に時間を浪費するだけにしかならない。無論、いつかは決着がつくことにはなるだろうが。疑問を虚空へと投げかけると、ノワールの笑う気配だけがどこからか伝わってくる。 「お前が言ったとおり、どちらかが全滅すれば魔術は解除される。だがもうひとつ、手っ取り早い方法もある」 「手っ取り早い方法だと?」 「最強の敵を倒すことだ」 闇の漂う空気が動く。突如巻き起こった旋風に目を細めながら、ウィルは闇の切り裂かれる様を見た。 夜色のカーテンの奥から小柄な姿が現れる。 「あ……」 我知らず、声が漏れた。風に煽られて揺らめく目前の少女の髪は、この闇の中だと言うのに神々しいほどに眩い。細い身体から伸びるすらりとした、華奢な手足。右手には、銀に輝く剣を下げている。 見慣れた――だが、長いこと見ていなかったように感じられるその姿。何よりも焦がれてやまない、少女の姿。 淡い色の、だが、それに反するように強い意思の感じられる瞳が、変わらずに彼を見つめる。 「……ソフィア……?」 熱に浮かされたようなウィルの呟きに、少女は答えるように、剣の切っ先を彼の方へと向けて、構えた。 「これはゲームだよ」 聞こえてきたノワールの声が、脳裏に彼女自身の姿ではなく、こんな馬鹿げたことを仕掛けてきた張本人の姿を浮かばせる。 「彼女を倒せばお前の勝ちだ。魔術は破れる。だが、やれるかな? 彼女は強いぞ……」 少女が、音もなく地を蹴る。疾風のように迫ってくる彼女から、慌ててウィルは身を引いた。目の前の空間を、鋭い残像を残して刃が切り裂く。それを認識する間もなく、追撃が来る。 「くっ……」 胴を薙ぐ一撃を、ウィルは抜きかけた剣で受け止めた。 「そうだ、剣を抜くがいい」 「うるさいっ!」 笑みを含んだノワールの声に、ウィルは目の前の少女を睨めつけながら叫び返した。 彼女相手に――これが幻覚にすぎないとしても――剣を抜くつもりはなかった。いくら魔術で実体化されているとはいえ、幻とはとても思えないような姿、そして存在感を持っている彼女に真剣を向けるのは、理性では分かっていても、どうしても躊躇してしまう。だが、そんなハンデを背負って勝てる相手ではない。限りなく現実に近い幻影である彼女は。 「本当に、そうかな? その彼女は間違いなく幻であると、断定できるか?」 「え……?」 ほんの瞬間とはいえ―― その言葉に気を取られてしまったのは失敗だった。躱したつもりの少女の刃が、ウィルの利き腕を引っかける。 「…………っ!」 奥歯で悲鳴を押し止めて、ウィルは右腕を庇うようにしながら跳び退った。軽く腕に触れた手のひらが、赤く染まる。それを見なかったことにして、ウィルは剣を握る手に力を込めた。――大丈夫。握力は落ちていない。問題はない。自分に言い聞かせて、少女を視界に入れたまま、闇の中に、いくら捜しても掴めない気配を捜す。だがやはり、ノワールは気配を曖昧にしたまま、声だけを真っ直ぐに彼の方へと向けてくる。 「……彼女が本物の彼女でないと言い切れるか? 対象の自我を奪い操る術が存在することくらい、知っているだろう?」 「そんなこと……するわけない。彼女は帝国にとっても大切な手札だ……」 「そしてお前にもな。だからこそお前も戸惑っているのではないか? その存在感が果たして本当に幻覚の成せるものなのか。自分が手を出せないことを知っている相手が、手を封じるために彼女を差し向けたのではないかと」 「……黙れ」 「どちらにしろ斬ってみれば分かること。霧散すれば幻、死体と化せば本物だ。これ以上分かり易いことはないだろう。彼女が死のうと生きようと、私には関係ない」 「黙れ!」 叫ぶ。それを隙と見て取ったか、少女は再び間合いを詰めてきた。振り下ろされてくる剣と、組み合うのは一瞬だった。彼女は力比べのような真似はしない。受け流して、相手の体勢を崩させる――彼女のやり方だ。速度も、剣を合わせた部分から伝わる強さも。何一つ変わらない彼女自身の力。 (幻覚……かよ……!? これが……!?) 打ち付けて来た剣を絡め取るように弾いて、そのまま剣先を突き出す。彼女の胸元へ。 ソフィアの―― (躊躇うな! 幻覚だ!) 胸中で自分を叱り付けたその時点で、もう既に彼女にとっては十分な隙が生まれていたという事に、ウィルは気付いていなかった。 彼女の姿が揺らめいた。そう思ったときには。 「!!」 衝撃に、目を見開く。感じたのは痛みではなく、熱さだった。 何かを叫ぼうとしたがそれは、音の代わりに逆流してきた熱い液体に遮られる。 まずい。 理解を超える熱さの中で、ウィルは理解した。ただその危うさだけを。 少女が無表情のまま、ウィルの腹に突き刺した剣を抜き出す。白銀の刃に、鮮血が不気味な――或いは美しいとも言える紋様を描き出す。 少女の瞳。冷厳とした眼差しが、何の感慨もなく、支えを失って崩れ落ちつつある彼を見下ろしている。敵を見る目。彼女は本物の戦士だ。この目で見つめられたことなどないが、分かる。彼女は本物だ…… (……違う……) 彼女ではない。それは、ただそう信じたかっただけなのかもしれないけれど。 暗黒の視野の中で、ウィルは何とか証拠は見付からないものかと探した。彼女がソフィアでない証拠。一つでもあれば、これはただの敵になるのに。 ふと、視界に入ったものに彼は目を止めた。 (……見つ……けた……!) だが、地面に両膝はもう落ちていた。剣など振るえない。腕すら上がらない。魔術を構成できる程に精神を集中することも出来そうにない。 ――出来るでしょう? 囁き声が、耳に触れた。 ウィルはゆっくりと、右手を持ち上げる。――いや。 見えない誰かに支えられるようにして、腕を動かしてもらっているのが、彼には分かった。 ウィルの手が、目の前の少女の左手に触れる。 その瞬間。 ぱぁん! 彼女が左手の薬指にはめていた指輪が、弾けるように割れた。 そこを起点にして、少女の幻が闇へと帰ってゆく―― 「お見事」 気を失う直前、聞こえてきたのは、ノワールの声ではなく、暗黒魔導士の声だった。それこそ幻覚だったのかもしれないが。 「気がついたか?」 そして、次に聞こえた声は、寝起きに顔を合わせたくない奴ナンバーワンのものだった。 「……見りゃ分かるだろ、カイル」 乾いた空が見える。闇に包まれる直前と殆ど変わらない、荒れた景色が周囲に広がっている。少し離れたところには解放軍の兵士たちの姿も見える。ごつごつした地面に何のいたわりもなく転がされていたウィルは、八つ当たり気味にそんな事を言いながら、自分の腹に恐る恐る手を触れた。 服は破けているが、どうやら腹の穴は塞がっているらしいことを確認して、ようやく安心して視線を移す。黒っぽい服を着ているため見た目には分かりにくいが、固まった血が破れた生地をごわつかせていた。その奥には触った感触の通り、別にいつもと代わりのない傷だらけの素肌が見える。今の傷はどれだろうかと捜してみたが、よく分からなかった。ただ、その辺りの奥深く、身体の中心は、鈍痛を感じる。 「分かっているだろうが、完治はしていない。臓器の損傷は出来る限り回復させるようにしたがな」 「動ければ十分だ」 「動くのも少々辛いとは思うが」 起き上がりかけたウィルにカイルタークはさらりとそう言う。身体を気にせずにいつもの調子で身を起こした瞬間、引き攣れるような痛みにウィルは涙目になって身を捩った。 「……先に言えっ!」 ウィルの抗議を素知らぬ顔で聞き流し、カイルタークは視線を遠くの一点へと向けた。つられて、ウィルもそちらの方を見る。 「何か、近くなってないか? カーリアン城」 「そのようだな」 行軍の途上で、まだ陰も形すらも見えていなかったカーリアン城が、その姿を蜃気楼のようにぼんやりと現していた。ここからなら、一息に進撃できるだろう。あちらからもこちらの動きが丸見えになるはずだが、これといった動きも見せず、ただ静かに城は佇んでいる。 「ゲームに勝利した褒美だ、ウィルザード」 声に、ウィルは視線を上げた。カーリアン城の代わりに、今度は漆黒のローブに身を包んだ女性の姿が視界に入る。 「この野郎、今更になって出て来やがって」 「随分とおとなしいのだな。姿を見られた途端斬りかかられるのではないかと冷や冷やしていたぞ」 「怒る気力もないよ。今、本気で死にかけたんだぞ、俺?」 呟きながら、今度はゆっくりと立ち上がり、ウィルは身体の具合を確かめた。普通に歩く事くらいなら出来そうだが―― 「とてもではないが戦える身体ではないな」 白々しくも言ってくるノワールを、じろりとウィルは睨む。 「君と暗黒魔導士がやったんだろうが」 「……よくあの幻覚を見破れたな」 ウィルの言葉は無視して、小首を傾げながら続けて言うノワール。文句の一つでも言ってやりたかったが諦めて、ウィルは小さく呟いた。 「指輪だよ」 「指輪?」 「あの幻覚さ、俺のソフィアのイメージをそっくりそのまま引き出して、再現したんだろ。俺が幻覚を見定めようと本当の彼女を強く思えば思うほど、あの幻の現実感は増して行く。してやられたよ」 吐息して、ウィルは目を閉じた。彼女の能力にも、姿にも何ら違和感はなかった。息遣いすら聞こえていた。幻覚の魔術は、それが幻覚だと完全に見破られれば脆さが出るが、そうでない限りは最も恐ろしい術の部類に入る。 「だけどその分、どうでもいい細かいことまで再現しすぎちゃったんだ。彼女が指輪をはめてる印象が、俺自身気づいてなかったけど強かったんだろうな。そんなところまで再現されてたよ」 「成る程、今はそれを、彼女は持っていないという訳か」 「そう。あれは、焼けて使い物にならなくなったからね。俺が捨てたんだ」 そこまで言って、ウィルは口許に笑みを浮かべた。じっと、挑戦するような目つきでノワールを見つめる。 「さて、これからどうすればいいわけかな? 誘導者さん」 「別にそこまで指定する気はないよ。お前のやり方で最終戦に望むがいい」 答えたノワールは、心持ち背後の城に向けていた身体を、正面のウィルの方へと向けた。胸に手を当て、洗練された仕草で頭を下げてくる。 「ようこそ、アウザール帝国宮殿、カーリアン城へ」 透き通った声音が、彼らを誘う。 決戦と邂逅の時へ。 |