CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 10 #69

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「私は、そんな事を言ったか?」
 じっと、間合いを計るのと似た目つきで目の前の青年を睨めつけながら言うノワールに、青年――ウィルは、いや、と首を振った。
「言ってないよ。そうなんじゃないかな、と思い始めて来てただけだ。暗黒魔導士の行動には前々から不可解な点が多かったが、皇帝に反意があるのだとしたら、半分くらいは納得できる。それに昔――」
 ブランの方を一瞬見て、彼は言葉に瞬時の休符を挟む。
「アウザールに捕らえられていた俺を、彼女を使って逃がした奴がいた。その人物こそが暗黒魔導士、そして奴はその頃から既に、皇帝と対立する立場にあった……そうだろ?」
 ウィルの確認に、ほんの少し躊躇ってから、ブランは小さく頷いた。しかし――
「少し、違うと言っておこう」
 苦笑のような吐息を交えながらの、ノワールの鈴のような声が、ブランの肯定を不完全なものにする。
「違うかな?」
「ウィルザード。お前自身、先程『半分くらい』納得できると言ったな。おそらくこれはその半分の部分にあたると思うのだが」
 そう言うノワールの口調は、傍目にも楽しそうだった。謎かけの楽しみを、十二分に味わいながら、相手を混乱させるべく――というのは彼女の意図ではないだろうが、結果的にはそうなる言葉を発する。
「お前の言うことはほぼ正しい。ラー様と皇帝は、対立していると言える。だが未だラー様は皇帝の忠実なる下僕であり、紛れもない半身である。対立などしておらんよ」
「……はぁ!?」
 果たして、ウィルはその意味不明の言葉に、混乱の渦に落された表情でもって返答した。

「訳分かんないよあの女っ!! どー解釈すりゃいいんだ!!」
 誰もいない方を向いて唯一人、ウィルは八つ当たりに励んでいた。
 おそらく、彼女の意図通りに悩みまくる姿を、彼女に見られるのは癪だったという事なのだろう。二人の少女のテントを出て行くウィルの後を、追いかけたディルトが発見したのはそんな光景だった。ディルトにとっては中々に面白い光景ではあったが、当人にそれを言えそうな雰囲気ではない。しばらく黙ってその催し物を見ていると、唐突にウィルは彼の方を振り向いた。
「対立してるけどしてないなんて、どーいう意味ですか? 何なんですかなぞなぞですか?」
「いや、お前に分からないものを私に聞かれても……こちらを混乱させる為の虚言ではないのか?」
「……いえ。そういうことはしませんよ、彼女は。嘘ではないけど真実すべてではない言葉のマジックを使用して、人を嘲笑しからかい倒す快感を得ているんですあの女は!!」
 と、固く握り締めていた拳から、力を抜く。
「その気持ちは分かるんです。俺も大好きですからそういうの」
「お前らって一体……」
 呆れて物も言えないという心地を実地で味わいながら、何とかディルトはそれだけ呻いた。
「ま、いいや。今日の勝負は引き分けだから」
「勝負?」
 けろりとして言ったウィルに、首を傾げながら尋ねる。
「いや、俺の勝ちかな? ライラさんの料理を食わされちゃ人生最大の敗北でしょ」
「そういう事を言うか」
 非難したいのは山々ではあるが、実際にその手料理の味を知っている者としてはさすがに弁護しきれる自信がなく、そう呟くに止めるディルトを、ウィルがにやりとした視線で見る。
「何だ」
「いーえ。あ、そういやディルト様、何だってあんな所に来たんです? 何か、俺に用でもあったんですか?」
「ああ、そうだったな」
 ふと、当初の目的を思い出してディルトは呟いた。
「解」
「嫌です」
「…………」
 つーん、と鼻先を逸らして見せるウィルに、ディルトが黙ったまま愛想笑いのような微笑みを向けた。
「まだ何も言ってない」
「嫌です」
「……せめて話くらい聞け」
「嫌です」
「…………。」
 沈黙。――は数秒だった。
「解放軍の盟主にヴァレンディア王を推薦したいがどうだろうかと言うよりお前がやれ」
「あっ。嫌ですって言ったのに言うし」
 音節も区切らず早口で言いきったディルトに、抗議の声を投げつけるウィル。
「ディルト様がそんな事を考えてるって言うから、ここしばらく避けてたのに」
「そんな姑息なことをやっている場合か。よく考えても見ろ。大陸の隅々まで知れ渡るほどの名高い魔術士であった聖王国の王と、辺境の一国レムルスの王子とではどちらが反帝国の旗手に相応しい?」
「今更てっぺんだけ変えたところで、混乱するだけですって」
「そんなことはない。どうせ私など飾りにすぎん。同じ飾りであるのならば、大きく目立つものの方が効果が期待出来る。ヴァレンディア王の軍となれば同志達の士気も、人々の期待もより高くなる事だろう」
「嫌です。第一何で、俺が今迄隠してたのか、分かってます?」
「帝国に知られると厄介だったから、か?」
「ブー。バレたら面倒くさいから。遊べないから。怠惰を貪れないからでーす」
「おいっ!?」
 音にすれば、へらり、と言うような感じの、緩みきった笑みを浮かべるウィルに、思わず叫ぶディルト。だが、表情とは裏腹に、頑なな意志を感じさせて止まないその瞳は、ディルトの次の言葉を喉元で追い返すのに十分だった。声は、変わらない軽薄な調子であったけれども。
「とにかく、今はやりたくないです」
「今は?」
 聞き返す。半ば、答えを悟ってはいたが。
「ソフィアを取り返すまでは、彼女以外のことを第一に考えて戦いたくない、っていうんじゃ駄目ですか」
「駄目ですかとか聞くな」
 冗談そのものの口調でそんな事を言うウィルを、ディルトはじろり、と睨んでやったが、そのうち堪えきれなくなって、緩みだした口許から苦笑を吹き出す。一旦吹き出してしまったものはもう止めようがなく、彼は声を上げて笑い出していた。笑いすぎて引きつる腹を押さえながら、何とか声を絞り出す。
「この私が、駄目だとでも言えると思っているのか?」
 僅かに滲んできた涙に霞む視界の中に、ウィルの顔がかすかに見えた。
 笑っているのは分かった。苦笑にも近いようだ。だけれども違う。優しい――いや。
 壊れ易いものを大切に包み込む手のひらの温もり。そんな表情。ディルトには確かにそう思えた。
「ソフィアが……」
「え?」
「いや、何でもない」
 我知らず言いかけた言葉を呑み込んで、ディルトはかぶりを振った。ゆっくりと顔を上げる。真っ直ぐにウィルの瞳を見て彼は宣言した。
「いいだろう、ウィル。今しばらく、私がお前の役目を引き受けていよう」
 それだけ言って踵を返すディルトに、ウィルが後ろから声を投げかけてくる。
「……ソフィアが、何ですって?」
「教えてなんかやるものか」
 即座に返ってきた王子らしくない返答に、さすがのウィルも多少驚いたらしく、きょとんとしている様子だった。それに満足を憶え、ディルトは一人、微笑んだ。
 教えてなんかやるものか。お前には、まだ意地悪をしても足りないくらいなんだ。
 ソフィアが、お前のことを好きになったのが分かる、だなんて、口が裂けても言える訳がない。



 北の地アウザール。遠く西方のノースフライトの峰々に、日が沈んで行く。
 大陸中が戦乱の渦に落ちても、それだけは変わらずに。



 それは、胎動のように次第に大きく感じられるようになってきた。
 脈打ちながら、徐々に。
 畏れ――怯え――。遥か昔には感じていたかもしれないそんな感情は、もう、彼にはない。
 彼は、超えたのだから。そんな感情に心を揺さ振られなければならない、脆弱な存在など。
 彼は、手に入れて、超えたのだから。
「――真に――」
 求めて、求めて止まなかった、この力。偉大なる女神を手に入れた、自分という存在――
 真に絶対なる者。
「早くここまで来るが良い。そして我が名を今一度、絶望の中で叫べ……ウィルザード」



 闇に向かって、女は語り掛ける。
 闇そのものが、彼女の会話の相手だった――
「……よろしいのですか? 皇帝は、手に入れてしまいました。女神の力を……」
「それは皇帝陛下の最大の望み。それを私が阻害出来るはずはありませんよ。分かっているでしょう?」
「…………」
「私には、出来ることと出来ないことがある。いや、圧倒的に出来ないことの方が多いですがね」
「……私は、口惜しゅうございます。貴方様は……かのような皇帝などに」
「ノワール」
 穏やかな、いつもの口調で名を呼ばれて――彼女はぴたりと口を閉ざした。
「出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」
「いえ……ありがとう、ノワール。貴女は優しい子だ」
 しばし落ちる沈黙。――やや経ってから、ノワールはまだ『接続中』であったことを思い出した。
「して、いかがなさいますか。このまま……」
「そうですね。このまま行けば、反乱軍は明日にでもカーリアンに入る。……珍しく、皇帝陛下と私の利害が一致しているところです。このまま、様子を見ていれば問題はないでしょう」
「ですがおそらく、貴方様が皇帝よりも先に彼と接触を図ることは」
「無理でしょうね。それが皇帝陛下の望みなれば」
 陛下の望みなれば。
 呟きには、諦めの色は混じってはいなかった。諦めなど感じる時期は、とうに過ぎているのだ。とうに捨て去った望みを、今更――諦めるなどとは、言葉遊びも甚だしい。
「口惜しゅうございます……」
 再度呟く黒衣の女を、憂いを帯びた海色の瞳が静かに見下ろす。現実ならぬ漆黒の闇の中、実際に――というのもおかしな話ではあるが――見えたわけではないが。何年も同じように繰り返されてきたその事に、彼女は変化など望みはしなかった。
「……望み」
 高くも低くもない、聞き慣れた声。ぽつりとした呟きに、ノワールは顔を上げた。
「私の……望みは、もう少しで叶います」
「はい」
 頷く。主の願望の成就を喜ばない部下など、いない。
「そろそろ『接続』を切ります。もう大神官あたりが気づく頃です。それではノワール」
「……はっ」
「……そうそう」
 一瞬、『接続』を切りかけたのか会話が遠くなったが、再び主の声は明瞭に聞こえてきた。
「いかがなされましたか」
「ノワール。最近、楽しいでしょう?」
「は……はっ」
 唐突に、そんな思いもよらなかったことを聞かれて、どう言っていいものか分からず、思わず吃ってしまったが、主の問いかけに肯定の返答を出来ないなど恥ずべきことだと自分に言い聞かせ、慌てて頭を頷かせる。くすり、と吹き出すような笑いが、気配だけ伝わってきた。
「それはよかった。……では」
 ぷつり、と音が途切れ、後は変わらぬ闇だけが、彼女の前に広がった。



「望み……か」
 垣間見ていた夢から覚めて、カイルタークは小さく呻いた。
 こちらが彼らの『接続』を最初から傍受していたことなど、あの女魔術士の方はともかくとして、奴が気づかないはずはない。前々から、彼らが『接続』する機会を狙っていた。それは彼らの本当の企みがいかなる物であるか、見定めたいが為であるからだったが――
「もしかしたら、奴は本当に……望みとやらを叶えたいだけなのかも知れんな……」
 それは企みでもなんでもなく。望み――彼女は『終焉』と言っていたようだが――、それを叶えるためだけに、自分の元へウィルを導かんとしている。
 だとしたら……
「分の悪い賭けだぞ、リュート」
 ウィルには、お前の望みはおそらく、叶えてやることは出来ない。



 そして――
 北の大地の地平から姿を表した太陽が、闇を切り裂き世界を自分の色に染めて行く。紫色の闇と橙色の光がせめぎ合う、一日の長さからしてみれば一瞬にすぎないその時間に、何かが出来るのだとすれば。
 刻一刻と迫る決戦の時。待ち遠しくすらあるその瞬間に、思いを馳せることだけなのかもしれない……


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