CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 10 #68

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「ウィルはどこだ?」
 周囲を見回しながらそう言ってきた青年を見るや否や、その場で武器の点検やら何やらの作業を行っていた騎士たちは慌ててその場に立ち上がった。と、同時にその青年――自らの主君に対し敬礼の姿勢を取る。
「あら、ディルト様」
 そんな、緊張にも似た雰囲気の中、唯一人、皆と同じように立ち上がりながらだが、のほほんとした声をライラは上げた。
「ウィル君がどうかしたんですか?」
 ライラの呟きと同時に周囲にざわめきとまではいかないまでも、微妙な動揺が走る。彼女が気軽に口にした『ウィル君』が、実はかの聖王国ヴァレンディアの国王である、というのが公表されてからはまだ二週間と経っていなかったが、当然だがそれを知らないものはもう軍内にはいなかった。
 聖王国ヴァレンディア。
 王の中の王。ヴァレンディアの国王を指し示し、しばしばそう表現されることがあった。実際、政治的な位置付け上そうなっている訳では決してないのだが、大陸の住民たちの漠然とした認識では、ヴァレンディアの国王は諸国の王の更に上に立つものである、とされていた。
 それはヴァレンディアが他の五大国をも含めた諸国の中で最も古い歴史を持つからという理由もあるだろうが、大陸を守護する為に存在する、と伝説に詠われていることが大きい。
 大陸の守護者――聖王国。
 実際、歴史上ヴァレンディアはその名に恥じぬ実績を上げてきた。諸国の間に不穏な空気が流れれば、本格的な戦闘状態に突入する前に調停に入り、他国が干ばつなどの自然災害によって危機に瀕した場合も、惜しみない援助を行った。その際も、相手国の面目を保つ為に対等の取り引きを持ち掛けたりするなど配慮を怠ることはなかった。まさに理想の守護者であり、指導者だった。そういったところが、人々――諸国の王たちまでにも――崇敬の念を集めさせ、王の中の王と表現されるに至った所以であるのだろう。
 ともあれ――
 今迄知らなかったとはいえ、そんな、いわば天上の人とでも言うべき人物と同じ高さに立ち、あまつさえ直接言葉を交わしていたという事実は、格式を重んずる騎士たちには、今にしてみればとんでもない失態なのだった。その中でも騎士的な考え方は更に顕著で、時には彼をがなり飛ばすことさえあったコルネリアス将軍などは本気で自刃しようとしていた程のショックの受けようで、ディルト王子に説得されようやく我を取り戻したといった有り様だった。
 ライラの場合は、聖騎士という位階にいながらも実はそう言った格式に対しては、国家秩序の面を考えれば必要であるとは考えてはいたが、むやみに王家を神格化するような考え方には少々疑問があったので、彼に対しては今迄通りの呼称を使おうと心に決めていた。
(多分、ウィル君もそっちの方がいいだろうし……)
 急に手のひらを返したように態度を変えられるのは、正直気分が悪いものだ。自分が少女時代、若くして聖騎士というレムルスの騎士の最高位を与えられた時のことを、彼女は少し思い出していた。
「今日は見かけていませんよ。最近……あんまり、こっちに顔を出さなくなったし」
「……そうか」
 嘆息を押し止めた表情で、ディルトが言葉を吐く。数秒経って、ライラに見つめられていることに気づいて、はっとした表情を見せるディルトに、彼女は苦笑した。
「気にしてるんですか? ウィル君が隠してた、正体をばらすような真似をさせてしまったこと」
 ずばりと言われて、一旦驚いた表情をした王子は、自嘲気味に微笑んだ。
「まあ、な。彼の性格を考えれば、不快な思いをさせてしまったのは間違いない」
「別にディルト様が気に病むことではないでしょう。ウィル君はウィル君なりの考えがあって、隠すのを止めたんですから」
「そう……だろうな」
 呟いたディルトは瞳を、少し寂しげに細めた。だがライラはそれには気づかなかった振りをして、ぱん、と胸の前で手を打ち合わせた。
「そーいえば、ウィル君、あの捕虜の女の子の尋問、ここしばらく続けてるみたいですよ。そっちじゃないですか?」
「どちらの方だ?」
「黒い方。あ、でも、もう一人の子の方も連れていってるみたいですけど……」
 告げた瞬間。ディルトの瞳が先ほどとは違う感じで――つまりは異様な険悪さで――細まった。



「……そう、力入れちゃ駄目だよ、ノワール。楽にして、俺に任せて」
 テントの外に漏れ出してきたウィルの声は、厚い布に遮られ囁き声程度にまで音量を減じた分を差し引いても、十分に優しく甘いものだった。例えば――女性を口説き落とすかのような。そんな声の後に、会話の相手――女の声が続く。
「止めろ、ウィルザード、そこは……あっ……」
「気持ちいいだろ。我慢しなくていいよ」
 ばさり――という音は衣擦れの音。いや――もっと重い。シーツか何かを腕が撫で付ける音。
 それに紛れて聞こえる、押し殺した喘ぎ。くすり、と漏れた笑いの吐息。
「ブランも、してあげようか? いいよ、すごく」
「い、いいわ、遠慮しとく!」
 条件反射のように即返答する、ブランの小さな声も聞こえてきた。室内にはこの三人がいるらしい。
「そう?……じゃ、ノワール。そろそろ……行くよ」
「……っ!」
 襲いくる痛みの予感に息を飲む音。それを、ディルトは聞いてはいなかった。
 その時にはもう行動を起こしていたために。
「何をやってるんだっ!! 何をっ!!」
 叫びながら、テントごと倒しかねない勢いで入口の幕を引っ掴んで開ける。
 同時に。
 ――ばきっ――
 そんな音がして――
 呆気に取られた表情で注目してくる三人と、目が合った。
「……どうしたんですか? ディルト様?」
 ベッドにうつ伏せになったノワールの背に両手を押し当てながら、顔だけディルトの方に向け、ウィルが呟いた。のそのそと、ノワールが起き出す気配に、手を退ける。
「どう? ノワール」
「ああ。悪くないな」
 背筋を伸ばすような仕草をしながら答えるノワール。
「別に痛くないだろ? ブランもやってやるよ」
「えー……でも何か、凄い音したし……ちょっと怖い……」
「平気だってば。気持ちいいぞ」
 言って、ふと気づいたようにディルトの方に再び顔を向ける。
「ディルト様もどうです? マッサージあーんど背骨鳴らし」
「……ま……」
「ま?」
 呟きに、ウィルがきょとんとした表情を向けてくる――
 その、百パーセント悪意のない顔に向かって、叩き付けるようにディルトは叫んでいた。
「まぎらわしい事をしているなぁぁぁぁ!!」

「だ、だからディルト様……さっきからどうしたんですってば。ディルト様らしくないですよ……?」
 叫ばれること二度目にしてようやく、少し怯えた眼差しになって笑いかけてくるウィルに、ディルトは鋭い視線を向けた。
「もう、お前など知るか! 折角忠告してやろうと思っても、この様子では全く意味を成さないではないか!」
「だから一体何なんですか。忠告って、俺が何かやりましたか?」
「やり放題だ! 必要以上に敵軍の女子と面会をしているというだけでもう十分だというのに。お前がそこの帝国兵を抱きかかえて戻ってきた時、どのように言われていたかとか全然考えていないだろう!?」
 言われて、ウィルが眉をひそめる。
「俺が帝国軍と通じてるって言ったような、馬鹿な噂が流れたりしたんですか?」
「それならまだいい。少なくとも私や大神官殿なら笑い飛ばせるからな」
「訳分かんないですって」
「自分の胸に手を当ててよくよく考えてみるがいい!」
 取り付く島もなく吐き捨てるディルトに、困り果てた表情でウィルはノワールとブランに視線を送った。二人も、理解出来ずに首を傾げている。この鈍すぎる面々に、ディルトは心の底からの溜息を洩らした。
「そもそもお前は、捕虜の尋問に来てたんじゃないのか? なぜ按摩師の真似事をしている」
「なぜって肩凝りとかってどういう訳か魔術士の職業病みたいなものだから。ほら、料理人が自分の店に仲間が来たときに食事賄ってやるのが挨拶代わりって言う感じで、魔術士が会ったらマッサージしてやるのが」
「挨拶代わりなどという話は、私は聞いたことはないぞ、ウィルザード?」
「うん。実は俺もない」
「息の合った漫才繰り広げてるんじゃない!」
 交互にテンポよく喋るウィルとノワールに、苛立ち紛れの一喝を放って、ディルトは荒く息をついた。全く、苛立たしい……。口の中で呟いたつもりだったその声が、ウィルは聞こえたらしい。多少済まなそうな表情を作る。
「尋問に来たんですよ。これからちゃんと本題に入ります」
 言って、ウィルは座っていた椅子をノワールの方へと向けた。
「さて、ノワール。聞きたいことがあるんだけど」
 改まった様子の彼に、しかしノワールは今にも飽き飽きと嘆息しかねない様子で耳を傾けていた。だが、
「皇帝ルドルフ・カーリアンについて、できる限りの事を教えて欲しい」
 彼がそう言った瞬間、ノワールはもちろんブランまでもが意外そうな表情を見せた。
「ほう? どういった心境の変化だ? ラー様についてはもういいのか?」
「いいってわけじゃないけど、とりあえずそっちは置いておくとして」
「ふむ……」
 傍らのテーブルに片肘をついて、ノワールは肩口から、烏色の髪をさらりと一房流れ落としていた。

 鋭さを含んだ余裕の微笑を浮かべ向かい合う二人を、ブランは固唾を飲みながら見詰めていた。はっきり言って、見ている方が当人たちよりも緊張する。そんなことを、彼女はここしばらくの二人のやり取りを見続けて、思い始めていた。
 隣に立つディルトも、二人の間のただならぬ気配には感づいたようで、黙ってじっと眺めている。先程まであれだけ表情に浮かんでいた激昂の影はもう見うけられなかった。
 と、唐突に気付いて、ブランは慌てて席を立った。
「ど、どうぞお座り下さい、王子。椅子これしかないのですけれど」
「いや、いい。ありがとう」
 穏やかな口調で断られても、まさか座り直すわけにもいかず、困ったようにブランが視線を天上付近に泳がせていると、ディルトは小さく微笑んで見せた。
「済まない、失礼する」
 言ってブランが空けた椅子に腰掛けて、彼は視線を前に送る――
 しばらく沈黙していたノワールとウィルだったが、先に静寂を破ったのは姉の方だった。
「皇帝、か」
 たった一言の呟きでしかなかったが、その一言が、しばしの熟考の結論として口にされたものであるという事は明白だった。あからさまに――あからさますぎるほどに――眉に困惑の表情を浮かべてノワールは嘆息した。
「我らは皇帝陛下の忠実なる配下。恐れ多くも陛下のことについて、そうやすやすと喋れるはずがないだろう」
「そうだね。もちろんただでとは言わない。身体の安全と捕虜の枠を超えた自由を保障するよ」
「例えば?」
「デザートにチーズケーキ」
「…………」
 最後の沈黙は、ディルトのものだった。もとい、ノワールとウィルの二人もこの瞬間、沈黙はしていたのだったが。明らかに沈黙という台詞を吐いて、ディルトが二人を凝視している。
 と、そんな時、不意にノワールが真剣な表情で振り向いてきて、ブランは少しどきりとした。
「モンブランにしておくか?」
「い、いえ。チーズケーキで」
「よかろう、ウィルザード。チーズケーキで手を打とう。だが、レアチーズだ。口に含んだ瞬間とろけてなくなるような柔らかさの、甘酸っぱいレアチーズだ。ミントの葉とかの乗った可愛いものでないと要求は受諾できんぞ」
「オッケー。発注しとくよ。うちの軍に料理のうまい人がいるんだ。ライラさんって言う♪」
 笑顔でウィルが答えた瞬間に、何故かディルトが、うっ、と小さな呻きを発したが、ブランにはその理由が分からなかったので気にしないことにしておいた。
「それじゃ早速教えてもらおうか」
「いいだろう……と言っても、さほど語るべきことがある訳ではないが」
 組んだ足の上に手を置いた姿勢のままでノワールは背筋を伸ばしながら、注意だけウィルの方へ向けるような形で呟いた。
「ルドルフ・カーリアン。二十七……もう二十八歳になるか? まあ、どちらでもいいか。八年前、前皇帝の崩御に伴い帝位を継承する。その頃から、大陸制覇の野望を持っていたことは、帝国中枢の人間ならば知らぬ者はなく、そのため、帝位を継ぐ為に父を殺害したという噂もなかったわけではない……」
「……なっ……!?」
 驚愕の叫び声を上げたディルトに、ウィルがどうということもなさそうな視線を送り、すぐさまノワールへと戻す。
「ま、奴が帝位に就いたときはそれこそ、政権が交代したような雰囲気だったからな。そんな噂も立つだろ。んじゃ、奴が修めた学問とか……武術とかの修練とか、そういうスキル関係のことは?」
 問われて、しばしノワールは考える仕草をした。これは演技ではおそらくないだろう。
「魔術士の素養が多少あったとは聞いている。だが、実践魔術の分野についてはどれだけの修練を積んでいるかは分からない。その代わり、魔術理論の研究は行っていたようだ。国内外から、研究資料の文献をかなり多数集めていたようだからな。その他武術については、たしなみ以上の力量ではあったことを記憶している」
「何か微妙に曖昧だなぁ。詳しい研究内容か、でなければ資料のタイトルとかは分かんない?」
「研究内容まではさすがにな。だが、資料から察するに古代魔術についての研究をしていたのだとは思う」
「何とまぁハイレベルな」
 感心というよりは呆れの色が強い口調で呟くウィル。
「古代魔術なんて、教会でも研究してる奴なんか、数人しかいないってのに。……じゃあ、奴はこっちが思っているより強力な魔力を有しているってことか?」
「……そのような気配は感じなかったが……」
「うーん……」
 二人して悩みだすその姿に、とうとう我慢しきれなくなったかのように、ディルトが疑問を小さく呟いた。
「色々言っていた割には……彼女は随分と親身に喋りまくっていないか?」
「ええ」
 頷きながらブランが答える。
「姉さん、皇帝陛下のこと嫌いなので」
「別にそれだけではないぞ」
 話を聞いていたのか、ノワールが言葉だけディルトとブランの方へ投げかけてくる。
「ラー様に、皇帝陛下について喋るなとは命令されていないからだ」
「だそうです」
「は、はあ、そうか……」
 他にどう答えて良いか分からないといった様子で、間の抜けた返事をするディルト。
 仕方のないことなのかもしれない。皇帝が気に入らない。ただそれだけで国に反旗を翻す帝国内主要幹部の姿を見てしまえば。
 そんなディルトにフォローを入れるかのように、ウィルが呟く。
「しょうがないですよ。彼女ら暗黒魔導士派と皇帝派は、対立勢力なんですから」
 その言葉に、ノワールは眉を跳ね上げた。


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