CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 10 #67 |
一体、何が起きたというのだ――? 唐突に、怪奇に満ちた恐怖小説の世界に放り込まれたならば人間はどうするだろう。 言葉を失う? 叫ぶ? それとも力なく呻く? 顔面を蒼白にして、それから錯乱――発狂する? 「……それでもいいけどそんなことやってる暇はないんだよなー」 そんなことを考えながら、ウィルは至極冷静な気分で、足元に累々と転がる死体を眺めて呟いた。 荒野に風が吹く。凍った風が。 アウザール帝国。ローレンシア王国と並び大陸の最北端に位置するこの国の気候が寒冷であることは決して今に始まったことではないが、それでもこの防寒服さえ突き抜けるこの寒さがその所為だけではないことは、この国の風景を見れば一目瞭然だった。 そう。もはや『風景』と言って差し支えないのだ――この死体達は。 「何を一人で納得している」 「いや、人間心理についての考察を少々」 別の方で同じようにして死体を観察するカイルタークに視線をやって、その観察の念入りさ――死体をひっくり返したり傷口をまじまじと眺めたりしているのだ――に生理的嫌悪を憶え、眉をしかめてから、ウィルは目の保養にと真上に広がる空を見上げた。雪を湛えた雲で白く澱んだ空だが、それでもたまらない心の清涼剤になる。 「その前に、この状況の考察を進めて欲しいのだが」 「お前がやってんだろ。お前が頭脳労働するとなれば、俺の出る幕はないさ」 肩を竦めて馬を繋いである方へウィルは身体を向けた。キャンプ地から二人だけで少々遠出して様子を見に来たのだが、どこも同じような感じだった。 どこまで行っても、死体、死体、死体―― 元々このアウザールは領土の面積に対する人口は多いというわけでもないし、解放軍は無論のこと、大都市を避けて行軍しているのだから、言葉通り大地が全て死体で埋め尽くされている、という事はないのだが、それでも異常を極めた状況であることには間違いはなかった。 どこから、この『異常』は始まっていたのだろう…… 一番最初に発見された死体は旅人と思しき男だった。場所はノースフライト山脈に添うように走る寂れた街道。山越えを終え一息つきつつ、ついに辿り着いた最終決戦の舞台で気を引き締めていたところに舞い込んできたのが、そんないきなり不吉な報告だった。ざっくりと身体を鋭い刃物のようなもので裂かれ、事切れていたその中年男性の死亡推定時期は数週間前。気候ゆえ腐敗も始まっていなかったし、動物に食い荒らされたりもしていなかったが、死体の損傷は激しく、目を覆わんばかりだった。戦場で死体など見慣れているはずの兵士たちの中でも、吐き気をもよおしたものもいたという。結局、たちの悪い追いはぎか何かの仕業だろうということになって、男を埋葬してそこから離れた。 そして次に死体が発見されたのは、半日も進まぬうちだった。やはり旅人らしき二人連れで、前の被害者と同じような状態。 明くる日に先行していた索敵部隊が発見したのは、至る所に老若男女の死体が転がる小さな村―― 大体この辺りまで来れば、いくらなんでもおかしいと気づかないわけはない。そもそも、二例目の時点で最初の犯人像が間違っているという事には気付いていたのだ。二人組の旅人は、所持していた遺留品からアウザール国内の商人であったらしいのだが、その二人の持つ荷物――金になりそうな商品類にも一切手をつけられていなかったのだ。これで追いはぎや強盗集団の線は消えた。 三例目の村。武装した強盗集団なら制圧できそうな小さな村だったが、やはり二例目のように村から強奪されたらしいものは特にないようだった。 その後も同じような状況を何度も何度も目の当たりにし、そして今。……というか、帝国中枢に近づくにつれ多くなってきている死体が身につけている特徴が、これだった。 アウザール帝国の紋章。 つまりは、この死体はアウザール帝国正規軍の兵士たちであるのだった。 怪奇に満ちた恐怖小説という表現は、笑えるくらい正しいとウィルは思った。訳が分からない。何で兵士が死んでいる? 敵が侵攻してくる前に。 「……獣……」 死体を調べていたカイルタークが呟いた声に、ウィルは呆れた表情で振り向いた。 「その説はあの寒村のときに出ただろ。だけど、そんな痕跡なんて見つからなかったじゃないか。獣が証拠を全て隠滅して行ったのでも言うのか? それに、傷口が鋭利すぎていた。家のドアまで大根を切ったみたいにすぱすぱ斬れるような爪を持った動物がいるって言うのか?」 「いなくはない」 カイルタークは静かに言いながら、その場に立ち上がった。足元の死体を何の感慨もなさそうに見下ろして、うつ伏せになっていた男を爪先でごろりと仰向けさせる。 「をい……大神官……」 「何だ?」 「死者を足蹴に……つっても理解しようとしないだろうからもういいけど……で、何か心当たりがあるのか? この『犯人』に」 「教会で習わなかったか?」 「習うって言っても」 獣、という一語を鍵に、おぼろげな学生時代の記憶を呼び覚まそうとして――その作業は僅か三秒で終了された。別に思い出すのを諦めたわけではない。思い出す出さない以前に、当然の知識過ぎて、しかしそれがあまりにも現実味を欠く発言過ぎて思い浮かばなかっただけだったのだ。 「まさか……『闇の獣』の事を言ってるんじゃないだろうな?」 「人間である可能性は低い。かといって野犬のような動物ごときの仕業ではあるまい。なら、そう考えるのが自然ではあるだろう」 『獣』という単語には、教会魔術士にとっては一般人よりももっと限定された意味合いがある。 すなわち―― 小さいものでも狼の二回りは大きな身体と、数倍する凶暴性、数十倍の殺傷能力を有した恐るべき野獣――『闇の獣』。生物学的には別の種族に分類できる何種類かが確認されてはいるが、それらを総じて、教会魔術士達は『獣』と呼ぶのだった。 「自然でもなんでもないよ! 大体『闇の獣』なんて、御伽噺……とは言わないけど、天然記念物みたいなもんじゃないか。そんなものが群れを成して軍隊に襲い掛かるってか? ありえないね」 「そうだな。それ程多数『獣』が一箇所に生息しているというのなら、私の耳に入らないのはおかしい。かといって、いかに『闇の獣』でもたかだか一匹や二匹で正規軍の一部隊を殲滅させうるとは思えん」 「だったら……」 「だが、この刃物以上の鋭利な切断面……こういったことの出来る凶悪な爪を持った種は確かにある。それの仕業だというのならば、納得できる」 「だからさっきから言ってるけど個体数が……」 「そんな事は分かっていると言っているだろう」 珍しく、荒げたりはしないまでもいらついた声を出されてウィルは発言を飲み込んだ。その隙を突くようにカイルタークは小さく吐息する。 「その仮説は正しいか否か。正しいとしたらどうしてそのようなことになったのか。自然災害なのか、或いは人為的なのか……何も確証がある訳ではない。ただの直感だ。突っ込むな」 「直感……ねぇ」 憂鬱な嘆息が我知らず漏れる。カイルタークは気付いていないのだろうか? その自分の直感とやらが今迄どれだけの的中率を誇ってきたかという事を。 「ウィルザード!」 突如頭上から降ってきた声に、ウィルは呼ばれるままに顔を仰向かせた。白い空に広がった天馬の翼が見る間に近づいてくる。 「どうした、ブラン?」 先の呼びかけに不自然ではない程度の間を置いて答える頃には、頭上遥か遠くにいた彼女は彼の目の前に降り立っていた。 「私……この先までちょっと行ってきたんだけど……」 小さく前置きして、彼女――ブランは耳打ちの音量で囁いてくる。 「……なんだって?」 さすがに彼女の言ったその言葉をいきなり信じ込むことは難しくて、思わず声を上げたウィルを、カイルタークは無言で見詰めた。 「ああ、まあそうだな。一応行ってみるか……」 「何かあったのか?」 問いかけてきたカイルタークに、ウィルはやや血の気の引いた表情を向ける。 「……白騎士団と黒魔術士団が……」 「全滅……している?」 ブランの言葉をまるっきり信用していなかった、というわけではないだろうが、その光景を実際に見たカイルタークの声からは、かなりはっきりとした驚愕が聞き取る事ができた。 ブランに導かれ、彼女の発見した現場まで馬を走らせて―― それだけで、どういった調査をすることもなく、その事実は確認することができた。 眼前の大地には、翼をもがれた白馬や甲冑の騎士、黒衣の魔術士が全て平等に、静かに倒れ付していた。実際そこに所属していたブランが言うのだから、見間違うはずもない。紛れもなくそれは、帝国軍の白騎士団と黒魔術士団の兵士たちの変わり果てた姿だった。どれもが、今まで見てきた数々の遺体と同じような無残な傷を負って絶命させられている。 しかし、この中には今迄とは違う点が一つだけあった。 倒れ伏す人々の中。それに混じる黒い死骸。 「大正解だ。おめでとうカイル」 カイルタークは聞いているそぶりを見せなかったがそう呟いて、ウィルは一番手近にあったその生き物の死体に視線を向けた。 大きさは、小さ目の熊くらいだろうか。べっとりと赤黒い体液にまみれ異様な光沢を放つ毛皮は、おぞましさの中にも奇妙な美しささえ感じさせる。ウィルも死骸とはいえ自分の目で見たのは初めてだった。 「……『闇の獣』……」 その数が、やはり一目では数え切れないほど。全世界中の生物学者が目を剥く光景であろう。大陸中からかき集めたところで、通説ではこれほど『闇の獣』は存在しないと言われている。 「成る程。『獣』共も、帝国軍きっての精鋭と対戦しては無傷では済まなかったというわけか」 再び呟いたカイルタークの声からは、驚愕は既に消えていた。どころか心なしか笑みすら含んだような声音である。面倒な敵は一掃されたという単純明快な理由は分からなくはないが、ウィルはとりあえずカイルタークのふくらはぎを蹴っ飛ばしておいた。カイルタークは顔色一つ変えることはなかったが。 「……ランズダーン」 小さなブランの呟きが不意に聞こえた。彼女の視線の先にあったのは、空を睨むように仰向けに寝転がる男の死体だった。底無しに深い――背にまで貫通する傷を、腹に穿たれている。 「知り合い……か?」 「知り合いなら、その辺りは皆そうよ。ランズダーンは私の副官だったわ。男のくせに口やかましいところがあったけど、生真面目ないい人だった」 台詞はひどく感傷的ではあったが、声を聞く限り、彼女は悲しみに心奪われているようには思えなかった。あくまでも何気なさそうな表情のまま、頬に垂れ下がってきていた髪を彼女は耳にかけ直した。そのままゆったりと死体の畑の中を、一人ひとりの顔を確認するかのように歩き始める。 「空から見た限りだと、かなり大規模な戦闘があったようだったわ。多分……全滅ね。白騎士団も、黒魔術士団も。どちらも、元々そう人数の多い部隊じゃないから」 「ああ……」 苦く、呻く。さび付いた血臭に胸が悪くなる。それを発するのが敵だとか、獣だとか言うのは血の匂いには関係ない。頭痛がしてきた頭に爪を立てて、死体を視界に入れたまま、その血の赤さだけを意識の外に放り出す。 「全滅……か」 カイルターク流に考えれば、これはまたとない好機だった。当面の最大の難関があっさりと取り除かれたのだ。もちろん、言い換えればそれに変わり更なる難関が発生したという事でもあるのだが―― 「そういや、『闇の獣』の残りは? これで全部なのか?」 間違いなく、近辺に『獣』の気配はないということは知りつつも、周囲を見回しながらウィルは誰にとはなしに呟いた。状況的に見れば、『獣』と帝国兵たちの相討ちと表現して間違いはないが、お互いに一騎も残存兵を残すことなくこのような結果を迎えたとはどうしても考えにくい。生き残っているのが帝国兵なのであれば、これだけ損害を受けた以上は一旦拠点に戻っているはずで、この辺りで未だうろついているなどということはありえないが、ただの戦闘能力の極めて高い動物にすぎない『闇の獣』に、そういった知恵はない。まずこの状況で、敵として接触する可能性があるとすれば、それは帝国軍ではなく『獣』の群れである。 「気配はないが、警戒不要とは言い難いな」 ウィルと同じ事を考えていたらしく、カイルタークが彼と同様の結論を口にする。 「とにかく一旦キャンプに戻ろう。……戻ってから『闇の獣』の所在を探査したい。教会魔術士があれだけ揃っていれば、『獣』の魔力波長パターンを知っているのもいるだろう」 「ああ、確か、ナーディが『闇の獣』について研究していたはずだ」 「探査?」 会話を交わす魔術士二人に、ブランが首を傾げる。 「ああ、魔術でね。特徴のある魔力波長を持つ存在の位置とかを確認する事ができるって言う奴で……ま、見つかりゃ儲けもんの賭けだけどな」 言葉通り、たいして期待していない口調で言って、ウィルは彼女に背を向けた。 「駄目だな」 予想通りというべきなのかはともかくとして、そんな台詞をウィルが聞いたのは、キャンプ地に戻ってきてから三時間後といったところだった。あっさりとした表情で、カイルタークがそう告げてくる。解放軍の主要幹部の一員である彼には、他にもやらねばならないことはたくさんあっただろうから、実質魔術を行使していたのは一時間足らずだろう。 「諦めが早いぞ、カイル」 「この辺り一帯は探査を完了した。小型の『獣』一匹見つからない。これ以上は無駄だ」 「うーん……」 断言してくるカイルタークに、眉を寄せて、唸り声を上げる。完璧主義の気がある彼がここまで言うからには、短時間ではあってもどれだけ微細な異常も漏らさない綿密な調査を行ったのだろう。さほど期待していたわけではないが、さすがにこうも跡形もなく――大神官の魔術による追跡を逃れるほどに完璧に消息を絶つというのは―― 「まるで、虚空から湧いて出て、そのまま消えちゃったみたいだな……」 「あながち、それもないことではないかもしれん」 独り言のように呟くカイルターク。思わずウィルは、え? と聞き返していた。 「探査を行っていて、妙な痕跡が在るのに気づいた。空間にひずみが生じている」 「ひずみって」 「『闇の獣』の『故郷』は知っているな?」 「『常闇の深淵』……」 まるで教師の質問に答えているような心地になりながら呟くウィルに、カイルタークは小さく頷いた。 「そうだ。この世界とは一枚、次元の壁を隔てた場所にある世界。闇と高濃度の魔力が大気に満ち、こちらとは全く生態系の異なる異空間……数百年周期でこの世界との壁に亀裂が生じ、わずかばかりだが二つの世界が接続される。その細い道を通り、この世界に現れたのがこちらの世界の『闇の獣』だ」 「いや、こんなとこでいきなり講義始めてもらっても困るんだけど。そもそも知ってるし」 「『常闇の深淵』との接続があったのなら、『獣』の大量発生の理由も簡単に説明できる……」 冗談を言っているわけではないらしいカイルタークに、頬を指先で掻きながら、ウィルは呆れた風に目を細めた。 「馬鹿な。まだどう少なく見積っても次の接続までには百年はある。時空壁の断裂なんて人間の魔力でどうこうできる事象じゃない」 「だから妙な、と言ったろう」 そのことについてはそれ以上問答するつもりはカイルタークにはないようだった。難度の高い魔術を行使して少しは疲れたのか、肩の凝りを解すように軽く首を振っている。 「ともあれ、これで当面……おそらく、アウザール城へ最接近するまでの安全は確保できそうだというのが結論だ。素晴らしいことだ。ひとえに日頃の行いの賜物だな」 「……誰の」 「言うまでもないと思うが」 「いや、やっぱり言わなくていい」 拒否すると、珍しくカイルタークはその申し出に従ってくれた。ただ単に自分の用を済ませた後の会話に興味を無くしただけかもしれないが。去り際に、一度だけ彼は視線を向けてきた。 「そう言えば、しばらく前になるが、黒魔術士団長を尋問したそうだな」 前の話題との繋がりなど全く無視した言葉に、表情に疑問符を浮かべながらもウィルは頷く。 「ああ。尋問ってものでもないけどあれ以降もたまに話すよ。何て言うか、今迄いなかったタイプで興味をそそられるんだよな。俺って誰かと会話すると、一方的に畳み掛けられるか畳み掛けるかのどっちかしかなかったような気がするんだけど、彼女に限っては全く対等のレベルで話せる感じなんだ」 「ソフィアがいない間にまた新しい女に手を出してると、口には出さないまでも王子の目が険悪に語っているぞ」 「……はぁ?」 「わからないならそれでもいい。私には関係ないしな。では、どういった事を話している?」 「どういったって……いろいろだよ。大抵は、暗黒魔導士が何か訳分かんないこと考えているみたいだから、それについて何かボロ出さないかなーって突っ込んでる」 ぼんやりと以前の会話を思い出しながらウィル呟いた。 ――『お前を、あの方の……暗黒魔導士ラー様の御許へ導く為に、私はここへ来た……』 結局これと言って、何故彼が自分を必要としているのかというその理由に気づくきっかけになるようなことを彼女から吐かせることは、今に至るまで出来ていない。 (訳分かんないな……何かこう、一つ分かれば全部芋づる式に分かるような予感がするんだけど……) 「なら、次から切り込む方向を変えろ」 「?」 椅子にかけている為仰ぎ見る形になるカイルタークの顔――瞳を凝視する。が、いつも通り、カイルタークの内心は読めそうになかった。ただ、いつもよりその声音に熱がこもっているような気はしたが…… 「暗黒魔導士はひとまずいい。皇帝ルドルフ・カーリアンだ。奴の思想、能力、知識……知りうる限りを聞き出せ」 |