CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 10 #65 |
「本物?」 「間違いなく」 ノワールをとりあえず閉じ込めてあるテントの方を視線で差しながら、先ほど一緒にその顔を見てきたブランは簡潔にそう答えていた。思わずウィルはうーんと唸りながら、手元の書面をもう一度じっくりと読む。何度読み上げたところで内容は変わるわけはないが。 無条件降伏を受け入れる旨。そしてその言葉通り、その身柄を解放軍に自ら引き渡しに来た黒魔術士団長ノワール・シャルード。 「罠……? でも、何の?」 降参したポーズを取る事で、相手の油断を誘う……というのは、あまりにも幼稚な手段でありすぎるように思える。ブランに聞く限りでは、ノワールという魔術士、かなりの策謀家であるという事らしい。それでなくても彼女が師事していた相手が誰であるかを考えれば、悪魔の奸計への警戒を早々解けるはずもない。 「分かんないなぁ……」 ぽりぽりと頭を掻きながら呻いてみる。 もし自分なら――だ。 こういう事もやるかもしれない。つまりは自らが敵軍に切り込む手段としては有用である、というのは認めるという事だ。周囲は敵ばかり、その中に単身乗り込むという危険極まりない状況ではあるが、内部に入り込んでしまうところまでは何の障害なく可能になる。実際、囮にしたのは自分ではなかったが以前に一度にやった手段である。 だが、彼女と自分は違う。彼女は、どうやら『典型的な魔術士』タイプであるらしい。いくら魔術士が多対一の戦法を得手とすると言っても、それはある程度間合いを開けた場合に限っての事であるわけで、彼のように接近戦をこなす事ができない彼女が、呪文を唱えている間にざっくりやられかねないこんな状況下で無謀な戦いを挑んでくるとはどうしても思えなかった。自分の身を犠牲にする覚悟で解放軍に一太刀浴びせる事さえ、おそらく彼女には不可能なはずである。 「ま、どの道訳の分からん物を警戒するのにも限度があるわな。とりあえずこのまま彼女の監視を続けて」 言葉の後半は、近くに控えていた一兵士に言って、ウィルはブランの方に視線を戻した。 「さて、ブラン……君はどうする?」 「私は……」 深く考え込むように俯いて、その顔を、真っ直ぐな眼差しをウィルへと向ける。 「話してみたいわ。姉さんと。一度……」 「いいよ」 頷いて、ウィルはもう一度ノワールのテントの方へ視線を向けた。 「何か用か、裏切り者」 姉のこれ以上ないほどきつい第一声に思わず泣きそうになるのを何とか堪えて、ブランは毅然とした表情を作り続けた。だが、内心今の一言は効いた。ふとした拍子に足が震えだしてしまうかもしれない。涙を零してしまうかもしれない。気も涙腺も元々弱いのだ。 「姉さんこそ……まさか降伏してくるなんて、思いませんでしたけど」 精一杯の強がりで、言い放つ。 「あの方の為なら、命すら自分の手札の一つとしか考えてないものだと思っていました」 「全くもってその通りだ」 言いながら、ノワールはあたかもそれが薫り高い茶の入ったティーカップであるかのように、優雅に水の入ったグラスを傾ける。敵が持ってきたその水の中に、毒だの自白剤だのが入っているなどという危惧はこれっぽっちも持っていないようだった。もっとも、普通は入れないらしいが。 「私の使命は……あの方の望みを叶えて差し上げること。そのための布石が打てるなら、打てるだけ打つ」 「これも布石の一つだと言うのですね」 「お前は聡いな、ブラン」 少なくとも姉が、彼女ともう一人の妹以外に微笑を見せた記憶などブランにはなかったが――実際は戦闘などが白熱してくると、意外にも熱し易い性格のノワールは戦う相手に微笑を見せることがあったのだが、彼女は知らなかった――自分達には時たまそういった表情を見せることがあった。だが今の微笑はそれとは毛色が違う。嘲るような微笑みを向けられ、ブランの頬が朱に染まる。 泣きそう。 口で水を飲むように、瞳で涙を飲み込む事ができたらどんなに楽なことか。不可能なその動作を頭の中だけでイメージしながら、ブランは必死で涙を堪えていた。 と、姉が唐突に宣告してくる―― 「止めよう。妹をからかうのは、あまり好きではないんだ」 「からかう、って……」 不服を精一杯表に出した声で、ブランが呻く。が、気にした様子もなく、ノワールはもう一度水を一口含んでから、視線をブランの背後に止めて呟く。 「わざわざ妹を遣わせたところで私が口にすることは同じ物にしかならぬ。出てくるがいい、そこでは聞きにくかろう」 驚いてブランが振り向いたのと、テントの入口が捲られたのは、殆ど同時だった。 「ウィルザード!」 呼びかけるブランに、彼は悪戯がばれた子供のような眼差しを向ける。すぐにそれは、瞳の中の表情はそのままでノワールの方へ向いた。 「悪く思わないで欲しいね。こっちも命懸けだから、使える手札は全部使いたいんだ」 「いい心がけだ」 言って微笑むノワール。ウィルザード――ウィルも、ブランも知らないことだがこれが、ノワールが敵対者――いや、好敵手に見せる笑みだった。にやりとした笑みを、ウィルも零す。 (そうか、似てるんだ……) 何となく気付いて、ブランは胸中で呟いた。今始めて出会ったこの二人の間に流れる奇妙な空気の正体に。似た者同士が醸し出す同一の波長……とでも言うのだろうか。言葉にするのは難しいが。 ともあれ、ブランは静観を決め込むことにした。 「口にすることは同じ物にしかならない、って言ったよな?」 先手を打ってきたのはウィルだった。適当に室内に置いてあった折り畳み椅子を自分の元まで引っ張ってきて、無造作に腰を下ろす。これがその意図だったのかどうかは判然としないが、ゆったりと椅子に座したウィルと、いつも通り背筋を伸ばしたノワール、二人の視線の高さが合う。 「ってことは、もう既に模範解答は用意してあるってわけだ。そしておそらく君は、こちらがどう尋ねても、その答えへと誘導する手段も合わせて考えている」 目を細めてウィルは言った。彼としては微笑のつもりなのだろうが、その表情は特にきつくも穏やかでもない造作に、鋭利さを加えている。 「成る程な。見かけによらず、中々切れる男のようだ」 「見かけによらずってのがかなり気になるけど、ま、いいや」 背もたれに預けられたウィルの体重に、簡単な作りの椅子はぎしりと小さく悲鳴を上げた。 「……さて、どう聞いた方が早いのかな? どうせ、腹の探り合いは無駄なんだろ。手っ取り早く行きたい」 呟くウィルに、ノワールは妖艶とも言える漆黒の瞳を向け、 「素直に聞けばいい。暗黒魔導士は何を企んでいる――と」 駆け引きの開始を合図した。 「そんなことまで言っちゃっていいわけ?」 ウィルの声音は平静そのものだったが、それがかなり用心された上で吐かれたものだという事は、ブランにも分かった。呟いて、ウィルは一旦目を閉じ、すぐに開いて鋭く目の前の対戦者を見据える。 彼の視線の先で、暗黒魔導士の右腕と内外で名高い黒魔術士は、言葉は出さずに悠然と薄笑みを浮かべていた。 そんなことまで、というウィルの言葉は、とどのつまりはこの降伏が彼女の――というより黒魔術士団の保身が目的の行為ではなく、アウザール帝国軍の戦略的行動であるということを暴露したに等しい、という指摘に他ならなかった。おそらく彼はこう考えただろう。事実はどうであれ、ここではまだ、黒魔術士団の独断による降伏という事にしておいた方が有利であるはずなのに、と。ノワールと対面する前から意識し続けていた『相手の企み』への懸念が、彼の中でより一層火力を上げて再燃しはじめたのは間違いない。 (……策士) うんざりするほどの尊敬を込めて、ブランは胸中でその言葉を姉に贈った。 「我ら、帝国軍三大部隊の直属の上官は暗黒魔導士ラー様だからな。ラー様の命令なくして、降伏などするものはいない……普通は」 「ううっ」 ぽつりと付け加えられた一言に、とうとう涙するブラン。その姿からノワールはさっさと視線を外し、元々組んでいた足を逆に組み直した。 「特に我ら黒魔術士団は、ラー様の右腕となるべく組織されたゆえ」 「ラー様、ね」 小さく、ウィルはノワールの言葉を繰り返した。顎に当てた手の親指で、下唇を何とはなしに掻きながら、ウィルは視線を自分の鼻元辺りに落とした。 「君は、奴の弟子だったりするんだってな?」 そんな問いは、さすがにノワールも予想していなかった様だった。一瞬躊躇してから彼女は、 「……そうだ」 返答して、ウィルの真意を測るべく、視線を彼の瞳に固定した。 揺らがないダークブラウンの瞳。 それが、僅かに潤むように揺らいだ。 「じゃあ似てるのも仕方ないのかもな」 ぼそりと呟かれた一言は、独り言だったのかもしれない。ついでに言えば、瞳の揺らぎもブランの目の錯覚だったのかもしれない。ともあれ次の瞬間には、微笑を貼り付けた権謀術数家の顔に彼は戻っていた。 「で、結局、奴は何を企んでるの? 教えてくれるんだろ?」 「望みを叶えることだ」 今度は瞬時の迷いもなく、さも当然のようにそう返したノワールに、ウィルは眉をしかめた表情を向けた。 「望みって……具体的には?」 「さあな」 「成る程、ここいら辺が言える言えないの境界線ね」 微笑を引きつらせて、ウィルが呟く。小さくこっそりと嘆息し、彼は半眼でノワールを見詰めた。 「素直に聞けばいいとか言って……教えてくれないなら意味ないじゃないか」 「教えるとは言ってないからな」 悪びれもせず言い放つノワールを睨むウィルの目が、より一層険悪になる。 「俺をからかう為だけにわざわざ出向いてきたって言うんなら、いくらなんでも終いには怒るぞ」 「と、いつまでもお前や妹をからかって遊んでいても仕方がないのは事実であるとは認めよう」 ウィルの陰湿な怒りなどどこ吹く風とばかりに一息ついて、グラスの水を口許に運ぶノワール。どう穏やかに解釈しても、この瞬間のウィルの頬の辺りに書いてあったのは、一回ぷすっと刺して身体の中に蓄積しているその根腐れした性根を外に排出してやろうかと言った――そうでないにしても概ねそんな意味合いの文章だった。 「…………」 しばしの沈黙の後彼が取った行動は、その表情を消さないまま、彼はにっこりとした表情――決して笑みではない――をノワールに向けることだった。 音もなく、右腕を真っ直ぐ前に掲げる。ノワールに向け、一直線に。 「とりあえずまがりなりにも捕虜という者に魔術叩き込んで非人道的人間のレッテル張られるのはとても嫌なので、笑ってるうちにそれなりの事言って下さい」 「それ……笑ってるって言わない……」 石膏で固定されたようなにこやかな顔を続けるウィルにブランは呻くが、全く彼は取り合おうともしない。完全に攻撃目標に捕捉されたノワールにしても、取り合おうともしないというのは同じようではあったが。 同じ魔術士である彼女に、ウィルがかなり本気で攻撃を放とうという気配を見せていると気付かない道理はないのだが、ノワールはその腕が何よりも危険な彼の武器であるという事にすら気付いていないのかと思うほど自然に、目と鼻の先に突きつけられたウィルの腕を軽く払うように退かした。 「そう熱くなるな。冗談だと言っているだろう」 「その冗談に腹を立ててるんだが」 「とぼけたわけではない。具体的になど、私は知らんだけだ」 あっさりとしたワールの言葉をウィルは聞き流しかけて、数秒後になってようやく、表情を凍らせた。 「……は?」 「私がここへ来た理由はただ一つ。言っただろう。あの方の望みを叶える為だ」 流れるような宣告。 「あの方は『終焉』を望んでいる。そのためにはお前が必要だ、ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ」 相手がその意味を飲み込めるか否かは、彼女には関心はないようだった。ただ、彼女は伝える。 「お前を、あの方の……暗黒魔導士ラー様の御許へ導く為に、私はここへ来た……」 ただ、彼女は伝える。彼女自身の存在理由を。 |