CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 9 #63 |
「知ってるよ」 あっさりと。一秒と待たず答えは返って来た。 ブランの突然の発言に顎を外しかけた王子が、驚愕を声にするのよりも早く――もっとも、ブランには何故王子がこれほどの驚愕の表情を見せるのかという方が分からなかったが――そう答えた当人、こちらではウィルと呼ばれているらしい彼は声の調子と全く同じ、何気ない表情で少女を見詰めている。 彼を除いた全員で息を潜めているような、沈黙。そして突如。 ごおぉぉ!! 「きゃっ!?」 轟音を立て、何故か頭上を横切っていった炎の渦に小さく上げたブランの悲鳴が、その返答の後に最初に上がった人間の声だった。 広間の横手の大きな窓から吹き込む突風のように舞い込んで来たその炎は、そのまんま反対側の窓へと、周囲に何の被害も与えずに素通りしていった。 「ええと……」 おろおろと首を巡らせて、この訳の分からない現象の発生理由を探るように窓の外に目をやったブランは、紅い鱗の張り付いた巨大な爬虫類?の顔を目の当たりにし、目を点にした。 「あ……ごめん……」 実際にそう謝ったのは無論その爬虫類――もとい、竜ではなく、ディルト王子のすぐ傍に立っていた、紅い髪の少女だった。フレドリック王国第一王女、リタ。 「びっくりしちゃって……思わず」 「…………」 その場にいた全員の注目を浴びて、リタは気恥ずかしそうに頭を掻いた。 「……どういうことか説明してもらおうか?」 続けて――その場に相応しいからぬと言うべきか、逆に最も相応しいと言うべきか、落ち着き払った声がブランの方に向けられた。彼女が振り仰いだ視線の先にいた大神官カイルタークの口調は、彼女自身がその外見から想像していたものよりも齢を重ねた深みのあるものだった。彼はブランを一瞥し、やおらその視線を横手へと向けた。 「お前でもいいが。ウィル」 話の矛先を向けられた青年は、鋭利な刃物のような視線を、きょとんとした表情で正面から受け止めていた。 「何を今更……俺、最初から言ってたじゃないか、生きてるって……」 「いや……むしろお前がどこかの世界に行ってたんだとばっかり私は思って……」 不思議そうに呟くウィルの後ろからぼそぼそと呻くような声。 「……って、それはいいのだが!」 急に声の調子を荒げたディルトの方を、驚いた様子で、だがさほど速い挙動でなく彼は振り向く――より前に、さっさと振り向かなかったのが災いしてか束ねた髪をわしっと掴まれる。 「生きているとはどういうことだ!? 一体、何がどうなっているのだ! あれは……彼女ではなかったというのか!?」 「いたたたたっ! ちょっ……ディルト様! 興奮しないでくださいよっ! 第一俺じゃないでしょ、聞く相手は! あっちあっち!」 と、指差されて、瞬時ブランは身を引きそうになった。同じ勢いで掴み掛かられでもしたら、たまったものではない。が、心配するまでもなく、王子自身彼女が怪我人である事を記憶しているだけの理性は残していたようだった。じいっと、変更した標的を見定めるかのような視線を彼女に送ってから、小さく息を吐いた。溜息ではない。意味合い的には深呼吸のようなものだろう。 「全くもう……ソフィアの事になるとすーぐこれなんだから」 「お前に言われたくはない」 憮然とした口調でそう言って、ようやく王子は彼の髪を離した。王子の豹変ぶりを一部を除いた人間達が唖然と見守る中、彼は玉座に戻り腰を下ろした。 「……どちらでもいい。どの道、二人ともに尋ねなければならぬような気がするしな。全て話してもらおう」 「全てって……そんな大雑把に言われても」 困ったようにぼやくウィル。こちらは極力その表情を表に出さないように努力しているが、同じような心情を顔に浮かべたブランと視線を合わせる。一呼吸の間を置いて、彼女は小さく頷いた。 「過日の作戦において、我ら白騎士団の目的は、大陸解放軍との戦闘ではなかったのです」 ひたり、とディルトを見つめ、ブランは口を開いた。 「我らが使命は、一人の少女を捕らえる事。そしてその少女こそ、ソフィア・アリエスと呼ばれている彼女でした」 「何……?」 呆然とした声が、ディルトの唇から漏れる。次に継ぐべき言葉を持ち合わせていないらしい彼に代わり次に声を発したのはウィルだった。 「お望み通り全部お話しますよ、ディルト様。この俺、ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディが……知りうる全てを」 はっとした表情で顔を上げたディルトを目に映してから、彼は静かにその瞳を閉じた。 それこそが―― 大陸全土を混沌の渦中に陥れた理由の全てだった。 「女神の直系ローレンシアの唯一の王女……エルフィーナ」 ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ。その帝国軍に討たれたとされる若き聖王国の王の名は、ただそれだけでいかなる疑問を抱えていようともそれを表に出す事すら許さず、人々を沈黙させ畏れさせるだけの力を内包しているようだった。 したがって、彼が持ち出した名詞――エルフィーナという王女の名の意味をこの瞬間に理解出来たものなど、おそらくいなかったであろうが、それに対する疑問の声など上がることはなかった。 水を打ったような、しばしの沈黙を挟んで、再び彼は語り始める。 六年以上もの月日を経た物語の全てを。 ローレンシア王国における開戦以降、聖王国ヴァレンディア、竜王国フレドリック、レムルス王国その他諸国諸地域へと伸ばされていったアウザール帝国の侵略の手。実はそれを、侵略と呼ぶことこそがそもそもの間違いだったと言えたのだ。 なぜならそれは侵略ではなかったから。 侵略ではない。アウザール皇帝、ルドルフ・カーリアンは、探し物をする為に鎌で下草を刈っていたに過ぎなかったのだから。 通説では戦死したとされているヴァレンディア王になされた執拗な尋問。 その内容。 「彼の捜していたのは一粒の宝石。神の血を引くもの。絶対なる力。そしてその力を行使する唯一の資格者……」 詩編を吟ずるかのように澱みなく、だが自分の意志を言葉のうちに介在させていない虚ろさで彼は呟き続ける。 「それが彼女……エルフィーナ・ソフィア・ローレンシア」 「……なっ……」 小さな呻きを、玉座から立ち上がりながらディルトが漏らす。だが、発した声はそれだけだった。見開いた目でウィルを瞬きもせずに凝視している。対してウィルは、暗い色をした瞳に浮かぶ様々な感情を押し隠すかのように伏せ、呟いた。 おそらく、彼が一番言いたくなかったであろう言葉を。 「つまりは、この戦争の最も中心にあったのは、ソフィアの存在だったんだ……」 疲弊しきった声音で、彼は呟いた。 「……かの戦の発端は彼女の所為だというのか?」 「そうは言っていない。周りが勝手に、彼女を中心に据えただけに過ぎない」 大神官カイルタークの辛辣な問いに、ウィルは静かな、だが強い口調で反論した。 「彼女は自分の中にそんな力が眠っている事すら、気付いていなかった。どころか、ローレンシア王でさえ、その力がどのようなものか知らなかった。だがおそらく、ルドルフ・カーリアン……あいつはその力について何か知っている。そうでなければ、ここまでして彼女を手に入れようとする理由がない」 「他の……その力とは全く別の理由という事は考えられないのか?」 今度はディルトが問う。ほんの僅かしか感じられない声の震えに、動揺を覆い隠そうとする彼の努力の跡が窺えた。 「考えられないですね。ローレンシアに戦略的価値がある訳でもなし、いわく付きの王家の子女であるという事を除けばただの女の子にすぎない彼女をそれほどまでに欲する理由なんて、どこにもない」 「だが、そんな、神の力など……ソフィアに、そんな力があるなどとは思えない」 頭を抱えるようにして呻く王子に、ウィルは小さく肩を竦めて見せた。 「そうですね。俺も実際にその力が発現したのを見た訳じゃないですし。ただそういう伝説があるってだけで」 「だったら……」 呟きかけて、ディルトは首を左右に振った。 「いや、もういい。どちらにしろ、推測の域を出ない事だな……」 溜息と共に、絞り出した結論はこの時の彼の精一杯だったのだろう。 「それよりも……彼女だ。ソフィアは……今、どこにいる?」 問われて。 ウィルは、やはり儀式の続きのような動作で、ゆっくりと腕を肩の高さまで上げる。 その指先を向けるのは、白い山脈を包み込む、雲一つない冷たい空。 「アウザール帝国首都、カーリアン。皇帝ルドルフ・カーリアンのいるその場所に」 彼女は必ず――いる。 彼の指し示す遥か東の空から、寒風が彼らを誘うように舞い込んできた。 「ウィルザード」 凛とした声の呼びかけに、ウィルは彼女の方を振り返った。 砦の、作りのしっかりとした暗い廊下にある気配は、彼ら二人のものだけだった。 あの後――つまり、ディルト王子を始めとする解放軍の主要人物達に一通りを話し終えた後。ウィルはディルトの前をすぐに退去していた。本来なら王子に対するそんな無礼な振る舞いを諌める騎士がいそうなものだが、誰もそれをしてこなかった所を見ると、どうやら誰もが彼の名乗りを真実として受け入れたのだと見てよさそうだった。ただ単に混乱しきってそれどころではなかったのかもしれないが。 「ん? どうした、ブラン」 口許に弱い笑みを浮かべながら、努めて何気ない口調で彼は言ったが、少女は愛想笑いすらせず、無表情な瞳を向けてくるのみだった。自分から声をかけてきたにもかかわらずしばらく待ってみても一向に口を開く気配を見せない少女に、ウィルが眉を寄せかけた瞬間、ようやく彼女の唇が微かに動いた。 「どうして、分かったの? 彼女が生きているという事が……」 あくまでも小さな声で呟く少女。ウィルはふと、彼女が話題をつなげる為に当たり障りのない部分から入ってきたのだという事に気がついた。 「ま、最初はほとんど引っかかってたんだけどね」 彼女の深刻な表情に敢えて逆らうような軽さで、彼は答えた。 「誰のものかも分からない死体の傍にソフィアの槍と指輪が落ちていた。それで、俺はあの死体がソフィアだと思っちゃったわけだけど根本的に、それが一番不自然だったんだ」 「不自然?」 「ああ。ソフィアは、戦闘中に武器を手放すような愚を犯さない……だからそのすぐ傍のあれが彼女である。この論法は成り立たない。彼女が槍を手放すはずがない。ということはもしあれが彼女であるなら、彼女と一緒に槍だって、灰になってなきゃおかしいんだ。したがって結論は、あれは彼女ではなくて、彼女だと錯覚させる為に用意した死体の傍に槍と焼いた指輪を置いた、もしくは彼女を一旦戦闘不能状態にし、槍を手放させてからわざわざあんな熱量で焼き尽くしその傍に槍を置いたのどちらかだ。彼女を殺すのであればわざわざそんなことをする必要はないから、自ずと答えは前者だと分かるだろ」 そこまで言って、ふっと、笑うような息を吐く。 「お粗末な細工だ。いや、分かってるんだけどね。あいつはわざとお粗末にしたんだ。ちくしょう。初めから隠す気がないんなら、分かり易く、攫いましたの一言でも添えやがれってんだ」 半ば以上愚痴と化したウィルの言葉にブランは目を丸くした。だがウィルは彼女のそんな視線には一向に構わずに、口許に底意地の悪い苦笑を浮かべる。 「暗黒魔導士ラー。あいつなんだろ? 命令したのは」 沈黙。だが、少女の沈黙は否定の意を添えるものではなかった。 何かを考えるように下ろした瞼を、少女は数秒もせずに再び開いた。 「私達白騎士が、魔術士の天敵だって話、憶えてる?」 「そう言ってたね」 僅かに硬さを増した少女の口調は、これが本題ですという名札をつけているようなものだった。真摯な視線を真っ直ぐに彼に向けるブランを、ウィルは同じように見詰め返していた。とはいえ考えていたのは彼女ほど深刻な内容ではなかったが。ただ眺めるように、少女を観察する。 線の細い少女だった。精神的にもそうだが、身体的にもだ。軍人に見えないとかそういうレベルではない。少々指で突っついただけでぺたんと倒れてしまうのではないかと思うほどの体格なのだ。ソフィアも、無駄な肉などついて欲しいところにすら一切ついていないが、それよりも彼女は更に軽いだろう。おそらくそのくらいでなければ、竜と違い完全に翼の力だけで空を飛ぶ天馬などには乗れないからなのだろうが。 見た目の印象を言葉にしようというのなら……護ってやりたい少女タイプ、と言ったところか。 (そういや、似てるかな。ソフィアに……見た目だけは) 外見的な印象なら、ソフィアもその部類に該当する。対して内面は、深いところでは共通項がありそうな感はあるが、表面的には完全に逆のタイプだった。 「それがどうかしたのか?」 内心の、まったく関係のない思案などおくびにも出さず、ウィルはブランの言葉を促した。 「……私たち姉妹は、あの方に育てられたの。姉はあの方と同じ魔術士になり、妹は騎士になった。……私は……私だけが、あの方の天敵になった……」 「ブラン……?」 熱に浮かされたような――だが、れっきとした自分の意志の感じられる口振りで呟く少女の名を、ウィルは思わず口にした。何かを訴えかけるうっすらと涙の浮かんだ瞳でブランは、ウィルを見上げてくる。 「私では、助けてあげられないの。あの方を……助けてあげたいのに。望みを叶えてあげたいのに……」 すがるように手を伸ばしてくる少女を、ウィルは殆ど無意識のうちに受け止めていた。儚げな少女の身体の感触が、手に伝わる。 「貴方にしか頼めない。あの方の望みを叶えられるのは……貴方しかいないの、ウィルザード。だから賭けたの。あの方を裏切る事になろうとも……」 彼の胸に、軽くひたいを押し付けながら、少女はそっと呟いた。 「あの方を……暗黒魔導士ラー様を、助けてあげて……」 |