CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 9 #62

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 今日の早朝の空に舞っていたのは、小鳥達だけではないようだった。
 焦点合わせをサボった瞳で、四方を囲む高い塀に四角形に切り取られた空を見上げながら、ウィルは大きな翼の羽ばたきの音を耳にしていた。視界における空の面積は、決して狭いものではないが、空を見ているというのに視界の隅全てを黒い壁が占めているというのは、何というか非常に圧迫感のある風景である。何かを連想するなぁと考えて――思い付いた。刑務所だ。その高い塀のお陰で朝焼けの光が起き抜けの寝ぼけ眼を直撃してこないという利点はあるが、好き好んでいたい場所ではない、と思う。
 無論ここは刑務所ではない。正式名称は何と言ったか――忘れたが、砦である。聖王国ヴァレンディアの北限、ノースフライト山脈に位置する、現在の大陸解放軍の最前線にあたる小さな砦。とは言ってもここが砦として――というより軍事施設としての機能を有すなど、十数年ぶりの事である。元はもちろん軍事用の拠点として建造されたもので、だからこそ前述のような構造をしていたりするのだが、十数年前に、雪山の救助隊の基地用に民間に払い下げられており、聖王国と帝国の対戦の後からは、長いこと無人であったらしかった。
 その砦の壁に囲まれた狭い中庭に、先程から聞こえていた羽音の主は降って来た。
「お帰り、フレイズ」
 そう言って、少女は空から舞い降りて来た、巨大な一対を翼を背中に持つ白馬――天馬に手を差し伸べた。
 いとおしむように愛馬の頬を撫ぜる少女の、そのしぐさや表情だけを見ているのならば、彼女が誰もが畏怖する帝国軍白騎士団の軍団長であるなどと信じる者はいないだろう。
 その白騎士団と大陸解放軍との交戦から一夜開けた朝。彼女の顔はつい昨日、意識を喪失するほどの重傷を負ったというのが信じられないような血色のよさを取り戻していた。肩から腕の痛々しい包帯さえ視界に入らなければ、怪我人であるようにすら見えない。解放軍本隊と合流してすぐに大神官の魔術による治癒を受けたとはいえ、傷も体力も完全には回復していないはずなのだが。
(基礎体力の差かなぁ?)
 しばらく前に自分が彼女と同じような重傷を負い、やはり同じようにカイルタークに治療を施されたときの事を思い出して、ウィルは首を傾げた。あの時は自分は、数日間寝たきりだった。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、ウィルは大きくあくびをした。こんな日も昇るか昇らないかといった早朝に、捕虜の監視という任務があるとは言え、彼が目を覚ましているなどというのは奇跡に近かった。だが半分以上、意識はまだベッドの中だった彼は、たまらずに少女に声をかけた。
「もういいだろ、ブラン。その天馬がちゃんと来るのを確認したかっただけなんだろ?」
 呼ばれて彼女、ブランはやや不服そうな表情で振り向いた。
「ええ。でもせめてお水くらいはあげなくちゃ。長いこと飛んでいて、疲れているもの」
 どうやらこの天馬は――というより、白騎士団の天馬は、乗り手が何かの理由でいなくなってしまった場合は、一旦味方の所へ帰るように訓練されているらしい。そして乗り手の戦闘不能を仲間に伝えた後、この馬は本来の主であるこの少女を探し当て、その元に帰って来たというわけだ。天馬は普通の馬より知能が高く出来ているようだ。
「そんなの、厩務係に任せておきゃ大丈夫だよ。餌やら手入れやらは、普通のと変わんないんだろ?」
「それはそうだけど」
「平気だよ。いくら敵の馬だからって、動物に八つ当たりするような事はしないさ」
 ようやくしぶしぶながらも頷くブランを確認して、ウィルは座り込んでいた芝生から立ち上がり、尻をぱたぱたと叩いた。
「じゃ、部屋に戻るぞ。まったく、分かってるのか? 君は捕虜なんだからな。捕虜。あんまり我が侭言うなよ」
 ぶつくさというウィルの後に、少女の足音が続く。少々躊躇ったような間を置いて、彼女が顔を上げる気配を見せた。
「だったら、もうちょっと捕虜らしく扱えばいいじゃない。尋問も一向にしようともしないし、連れまわすのだって縄すらかけずに歩き回らせるなんて。私に逃げる気があれば、いつでも逃げられるわ」
 口調からするとおそらく口を尖らせてでもいるのだろう声を後ろから聞きながら、ウィルは無造作に頭の後ろで組んでいた手をふらふらと振った。
「いくら敵だからって、重傷を負ってる相手を尋問するなんて出来る訳ないだろ。アウザールとは違うんだよ」
 呟いてから、つい余計な事まで言ってしまったとウィルは気付いたが、どうやら遅かったようだった。少女はぷっつりと沈黙した。同時に、足も止めたらしい。少女の気配が自分から遠ざかるのを感じて、ウィルも足を止めた。振り向くと、数メートル離れた場所で、ブランは沈痛な面持ちで俯いていた。
「ごめん。君は関係ない」
 慌てて彼はそう言ったが、ブランは首を横に振った。
「ごめんなさい……。私は知っていたのに何もしてあげられなかった。毎日、あの仕打ちを見ていたのに……貴方の傷を見ていたのに、助けてあげられなかった……」
「仕方ないって。それが自軍の方針なら、君は逆らっちゃいけない。君の判断は正しかった」
「でも」
 悲壮な表情で顔を上げたブランに、ウィルは歩み寄り、頭をそっと撫でる。
「でもじゃない。……第一、根本的に君の言ってる事は間違ってる。俺は君の事を、命の恩人だと思ってるんだけど?」
 少女の大きな瞳が、驚いたように見開かれる。ウィルは彼女に精一杯優しく微笑んで見せた。
「上からの命令で、捕虜を殺さないためでしかなかったとしても、半べそかきながら傷の手当てをしてくれた子がいなけりゃ、今俺はここにはいなかったんだから」
 ぽんぽん、と軽く少女の頭を叩いてから、ウィルは彼女に背を向けた。さしたる意味もなく、頬を指先で掻く。意味があるとすれば照れ隠し程度の意味か。
 再び歩き出した彼の背中を、しばらく何かを考えてから少女は小走りで追いかけた。
 そして、再度数歩程度まで差が縮まった所で歩調を緩めて、ブランは小さく呟いてきた。
「ウィルザード」
 静かな、そして決意を秘めた声で。
 呼ばれて振り向いたウィルに、声と同じ色を湛える瞳を向けて、ブランは決然と言った。
「全部……話すわ。貴方達、解放軍が知りたい情報を。私の知っている事……全てを」



 少女は、玉座の前に引き出された。
 玉座に座するのは金髪碧眼の二十歳前後の青年――レムルス王国の王子、ディルト・エル・レムルス。理知的な青の双眸で、解放軍の兵士に左右を固められ前に出て来た少女、王子にとっては敵軍の捕虜、ブラン・シャルードを見下ろしていた。固められて、と言っても、少女は別にというかやはりというか拘束されているでもなく、また王子の少女を見る視線に罪人を蔑むような色合いが込められているでもない。
「さて」
 僅かに首を傾げてそう切り出した王子の言葉にも、刺は全くなかった。生まれついての気品を漂わせながらも、高圧さを感じさせない穏やかな声で、続ける。
「唐突だが……私達に話をしてくれる気になったというのは、真実か?」
「我が師より賜りし槍に誓い、偽りなき言葉にて」
 王子の問いかけに、騎士然とした声、仕草で少女が答える。その瞬間、ほんの小波のようなどよめきが広間を満たし、消えた。
 その声の中身が少女の耳にまで届いたわけではないが、彼女はその内容を把握していた。
 安堵と歓喜、それに加え僅かながらの失意の溜息。立場は違えど彼女と同じ騎士という人種であれば、虜囚になったからとはいえこうも簡単に敵に情報を漏らすような真似をされるのは面白くない――が、それが自分達の利に繋がるものである以上、表立って不服にも思えない。そんな所だろう、と。
 もっとも、それ以外にもまだ他に含まれる意味があったのだが、ブランはそこまでは気付いてはいなかった。
 ともあれ――
「信用しよう。騎士ブラン・シャルード」
 ゆったりと背もたれに体重を預け、真っ直ぐに少女を見据えたディルトの声は、そう意図されていたものではないにしろ、一同を黙させることに成功していた。
「まずは……今後の帝国軍の出方を聞かせてもらう。現在帝国首都カーリアンを離れ、我々を迎撃する態勢にあるのはいかばかりか?」
「当初の計画では、帝国軍三大部隊のうちの二部隊、我が白騎士団と、黒魔術士団の軍勢にて一気に解放軍を叩く手筈になっていました。が、我が敗北により白騎士団は遁走し、おそらくの所もう既に後衛の黒魔術士団はその連絡を受けていると思われます。今後は……」
 一気に喋ったのがさすがに傷に障り、ブランはひとつ息をついた。だがすぐに、続ける。
「黒魔術士団が白騎士団に代わり、討伐の最前線に出てくるでしょう」
 再度のどよめきはすぐには引きそうもなかった。今度は明らかに、ブランの耳にもその発言の詳細が飛び込んでくる。
「魔術士が……前線だと!? 正気か!?」
「いくら、悪名高い彼奴等といえども……」
「いや、相手はかの黒魔術士団……刺し違えてでも、その恐るべき攻撃力によって我々を殲滅しようというのでは?」
 ざわざわとした中で、次第に結論がまとまりかけて、その恐ろしさゆえか、波が引くようにざわめきが消えて行く。
 それは概ね正しい結論と言えた。ただ一つ――
 ――姉は……刺し違える覚悟などしていません。覚悟など、しない。
 彼女はあの方の道具と自認しているのだから。道具は覚悟などしない――
 悲しく思いながら、ブランは唇を噛んだ。全てを言うと宣言した手前、それすらもブランは口にしようとしていた。が、彼女の発言をおし止める視線に気がついて、吐息に声を乗せる事ができなかった。
(ウィルザード)
 言葉の代わりに、声に出さずブランはその名を唇に刻んだ。
「成る程……な。黒魔術士団との正面対決は避けられないか」
 柳眉を苦悩の形に寄せ、苦々しく呟く王子。
「黒魔術士団の包囲を交戦せずに突破する事は……」
「不可能です。主戦力は黒魔術士団としても黒魔術士団単独の行動ではありません。監視を行うであろう白騎士団の目から逃れる事は叶いません」
 きっぱりとした返答に、ディルトは眉間の皺を深くした。このことは昨日の戦闘で既に実証済みである。
「……では、赤騎士団はどう出る?」
「赤騎士団は帝都の守護に当たります。軽微とはいえ過日の、ヴァレンディ渓谷における戦いにおいて損害を受けたことも、今回の戦闘に参加できなかった一因です。もし万が一、白騎士団、黒魔術士団の包囲網を突破する事が出来た場合には、赤騎士団が総力をもって解放軍を叩く為に動きます」
「……そうか……」
 唸って、ディルトは肘掛けで頬杖をついた。じっと一点を見詰める視線は、熟考の証であろう。この時になってようやく、ブランは僅かにディルトから視線を外し辺りを見回した。
 ディルトの周囲にいる面々を、知識と照らし合わせるように眺める。ファビュラス教大神官カイルターク・ラフイン。レムルス王国聖騎士団長コルネリアス・ローウェス・エバーラシー。少し離れたところにいるのは神速の剣士という異名を持つ傭兵、サージェン・ランフォードか。その他にも、顔と名前の一致する人物がいくらかいる。無論、これは解放軍全体の極一部にすぎないが、名高い戦士の博覧会のような顔ぶれである。
 個人能力の高さ。これが幾度にも渡り、圧倒的であったはずの帝国軍の軍勢を退けて来た解放軍の強さの所以であるのだろうか?
(多分……違うわ……)
 自分の内心の呟きを、しかしブランは即座に否定した。局地戦での勝利というのならともかく、大局的に見た戦争という逆らい難いうねりの中で勝利を収めるには、個人の力など微々たるものでしかない。いくら、強い人間でも――強いだけでは、勝てない。あの、ルージュをぎりぎりまで追いつめたという少女のように。
 では一体、何が勝利をもたらした?
 うねりを操るのは、一体誰?
 問うてみて……その問いの馬鹿らしさに、思わずブランは、頬の奥で苦笑した。
 知っていたのだ。本当は。
 だから。それだけの力を持つ彼だから、賭ける事にしたのだ。
「ウィルザード」
 ブランは、顔を上げた。運命の引き金を引く為に。
 呼ばれた青年が、唐突に話を回された為か、僅かに驚きの混じった表情を浮かべる。
 前置きも何もかも飛ばして、ブランはその言葉を口にした――
「ソフィア・アリエスは……生きているわ」


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