CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 9 #60

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 白と、暗い緑色だけが構成する深々とした森に、その少女の白い鎧と天馬はあつらえたように溶け込んでいた。高緯度地帯特有の熱量の低い陽光が、針葉樹の天蓋をどうにかといった様子で通り抜け、少女の向ける槍の穂先をそこだけほの明るく輝かせていた。
 それが、人の命を奪う武器であるとはおよそ考え付かないような、ほのかな光。
「……殺す?」
 その光に見とれながら、ウィルは数秒前の少女の言葉を繰り返していた。
「君が……か? ブラン」
「ええ」
 言葉少なに、だが、微塵の迷いも含まれていない反応の速さで少女が肯定する。攻撃態勢、と言う程でもないが、十分に敵に対する姿勢を取っている少女を見詰めながら、ウィルは馬を下りた。魔術士が戦闘を行う際は馬の上のような不安定な場所では、満足な精神集中が出来ない。おそらく、その事はブランも知っているはずだった。だが、彼女が彼に向けてきたのは警戒の眼差しではなく――純粋に寂しさだけを表した瞳だった。
「帝都に向かう気だったの? いくら貴方でも、たった一人でどうにか出来るはずないのに」
「そんなの、分からないだろ」
 思わず口にした反論に、ブランは少々驚いたようだった。僅かに目を見開いて、元に――いや、穏やかな苦笑の形に戻す。
「貴方はもっと現実的な人だと思ってた」
「……俺もそうだと思ってたよ」
 少女の声に、呻くように呟き返す。そのウィルの言い方は、おそらくブランの目には叱られた子供の反論のように映っていたのだろう。目元を緩ませて、彼女は堪えきれなくなったように手で口許を覆った。
 既視感――
 いや。それは現実に目にした事のあるものだった。あの頃とは、もう違うけれど。
「変わってないのね、貴方は」
 前から、そうだった。引込み思案なほどにおとなしい少女だったが、案外笑い上戸でどうでもいい事で笑いが止まらなくなる癖が彼女にはあるようだった。とうとう滲んできたらしい涙を拭いながら言ってくる少女に、ウィルもまた、呟いた。
「君もね」
 と……
 少女の微笑んだままの瞳に、すっと影が差す。
「私は……変わったわ。変わったでしょう。百八十度、正反対よ」
 ブランは微笑みを消さなかった。それが自嘲の笑みだと――ウィルは気付いた。
「一度は助けた貴方の命を奪うなんて言っているんだもの」
「……それは変わったなんて言わないよ」
 首を横に振りながら、ウィルは呟いた。
「変わってない。君はただ、真面目なだけだ。昔も今も」
「……そうかもね」
 慰めには、ならなかったようだった。少女は微笑む。優しく――哀しく。
 そんな少女に、ウィルは追い討ちをかけるしかなかった……
「……俺の事を変わっていないと言うんなら、分かるはずだな」
 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。自分でもぞっとするほど冷たい声で。そして――自分に向けられる槍と鏡写しのように、彼は少女に向かって腕を上げた。
「俺の前に立ち塞がると言うのなら、例え君でも、排除は厭わない」
 彼女の槍の先端――未だ彼に向けて突き出されたままだったその部分に宿る陽光と、同じ光量の灯りを手のひらの先に生み出す。
 これでいつでも、彼女を貫く事ができる。そう願うだけで。
 魔術の光を映した少女の双眸に、苦渋の表情が浮かぶ。
「……無駄よ。貴方は私には勝てない……魔術士の貴方には」
 掠れるような声音。それは最後の、たった一度だけ見せた心の揺らぎだった。だが――
 瞬きひとつで、彼女――白騎士団長ブラン・シャルードはその表情を消し去っていた。
「死せよ。ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ。偉大なる皇帝陛下の御為に」
 躊躇いなく――
 ウィルは、手のひらから白光を撃ち出した。

 ――――!
 確実な手応え。エネルギー波が標的に当り、余波を辺り一面に撒き散らす。天馬の魔術への耐性については知っている。だが、その防御を貫くだけの威力を、彼は迷わず撃ち出していた。
 が――
 渦巻く風の気配を感じ、ウィルはその場を飛びのいた。
 爆炎が、切り裂かれる。
「…………っ!?」
 白い炎から飛び出してきたその姿に、ウィルは声もなく驚愕した。
 無論、彼女意外にありえない。ありえないが、彼女以外の者が飛び出してきたのだとしても結局同じ程度にしか驚かないだろう。ありえないと言うのならば、どちらも同じはずだった――
 魔術の攻撃を真っ正面から受けたはずのブランが、それも無傷でその姿を露にすることなど、およそ考えられる事ではなかった。
 だがそれは間違いなく、彼女の姿だった。
 風を鎧ってブランの槍の切っ先が、ウィルの身体に迫る。
「……くっ!」
 咄嗟に、身体の前にごく弱い魔力の爆圧を生み出す。正確にはそれがその瞬間で発動する事ができた最大の威力だったのだが。自覚していたわけではないが油断していたという分を差し引いても、新たに魔術を構成するには、あまりにも彼女の挙動は早すぎた。
 しかし、その圧力は彼女の一撃を何とか凌ぐ盾にはなった。
 ブランの攻撃の軌道を変え――ウィルは剣を抜いた。
「大神官は……一撃の魔術だけで、防御も行っていたわよ?」
 ゆっくりと、馬を旋回させウィルの方を向きながら言ってくるブラン。
 彼女には聞こえないように小さく、舌を鳴らす。
(ってことは……カイルの魔術を食らっても無傷ってことじゃないか……くそ)
 そうなると――攻撃の手段はかなり限定される事になる。まず、普段使うようなろくな呪文詠唱なしで構成した魔術などは効くはずがない。どういう理屈かは分からないが。魔力を練り上げる時間を稼がなくてはならないわけだが、そんな隙を彼女が与えてくれる希望など願うだけ無駄だ。かといって――
 手元の剣をちらりと見下ろして、胸中で再び毒づく。
(駄目だ、俺の腕じゃ話にならない)
 剣の腕にはそれなりの自信はあった。純粋に剣技だけでも、本職の剣士と対等以上に渡り合える程度の力量はある。スタミナ切れさえなければ、だが。
 しかし、それだけの力量を持ってしても――言い換えれば、『それなりの自信』しか持てない程度の力量では、大陸においてアウザール帝国の脅威を体現しているとさえ囁かれる白騎士団の、それもその中でもおそらく一番の使い手であろう人間に真正面からの勝負を挑むなどということはあまりにも無謀と言えた。それだったらまだ、彼女の隙を見つけるという無駄な希望にすがった方が光明が見えそうである。
(それしかない、か……)
 決意を固め、剣を正眼に構えるウィルの前で、少女が微笑みを浮かべる。先程までの笑みとは違う――背筋が凍り付くような、威圧感すら感じる微笑み。絶対的な優勢を確信した者が、敵に向ける微笑みだった。
「手は決まった? なら、今度はこちらから行くわよ」
 少女の言葉を待って、天馬の蹄が地面を蹴った。
 そして――
 すぐ耳元で、金属と金属の衝突音が聞こえたのは、ほんの一瞬後だった。
「――っ!?」
 ぎょっとして、振り向く。何故自分がそうしたのかも考え付かないまま、この一瞬の間に起こった事を頭の中で並べ立てる。――言葉ではなく、感覚で。
 地を蹴った天馬の蹄。敵の接近。槍が閃く。思わず受ける。そのまま通り過ぎる敵――そして背後で再び槍を……
 自分が、反射とはいえ動作という動作を出来た事の方が信じられない程の刹那の間に、完全に背後を取られていたという事に、ようやく気付く。
「構えた剣は牽制……狙いは極大の魔術による一撃」
 囁きと共に振り下ろされた槍は、先程よりは少し遅かった。辛うじて、身を躱す。おそらくは――まだ台詞には続きがある。だから避けさせてやった。ただそれだけだろう。
「だけど、刃を構え殺気立った感情で、それだけの術構成に必要な精神力を果たして生み出せるものかしらね」
(こいつ……!)
 いつものように――殆ど条件反射であると言えた――簡単な術による反撃を試みようとするのを自制して、ウィルは後ろへ跳んだ。助走もつけない一回の跳躍で、槍の間合いから外れる事など本来なら叶わないが、追撃をかけてくる気はないらしい彼女から逃げるには、一応はそれで十分だった。目と鼻の先に白き騎士の姿を捉えたまま、奥歯を噛み締める。
(こいつ、魔術士を理解してる……!)
「驚いた?」
 ウィルの内心の悲鳴を聞き取ったかのように答えてくる、ブラン。ウィルに突きつける刃より、瞳の方を鋭くする――おそらく当人は、微笑みに目を細めたのだろうが。
「帝国軍の三大部隊は知っているでしょう、ウィルザード。赤騎士団、白騎士団、黒魔術士団。それらには、そのどれが最も格上、というのはないの。そのどれもが一方に勝り、もう一方に劣るから」
 少女らしく柔らかそうな唇だけを動かしてそう言う彼女の隙をウィルは捜していたのだが――途中で諦めた。隙はない。確実に、次の一撃で敵を貫けるという自信に溢れている。慢心もなく。せめてもう一歩、後退しておくべきだったと後悔する。
「その技量でもって白騎士団を圧倒する赤騎士団。絶大なる魔力でもって赤騎士の軍勢を殲滅しうる黒魔術士団。そして、天馬の魔力への耐性と最速の秘儀でもって黒魔術士団を屠る事が可能な白騎士団……そうやって、訓練されるのよ。それぞれがそれぞれの天敵であれ、と」
 何となく――
 訝しく思って、ウィルは敵としての彼女の挙動を警戒するのではなく、彼女の瞳を見つめた。
 妙に、饒舌すぎるように感じたのだ。敵を殺すときは、いつでも彼女はこうなのかどうかは、分からないが。だが、少女の瞳からは何も読み取れなかった。変わらぬ冷厳とした殺気があるだけで……
 唐突に、見つめ続けていた彼女の視線が和らいだ。だが――
「秩序を護る為の定めなの。私が貴方達の天敵であるという事は」
 だが、反して背筋に走る悪寒――危機感は増大して行く。
「だから……」
 最後に小さく、その唇が刻んだ言葉は、槍の風を射抜く音に掻き消されてウィルの耳には届かなかった。
 きんっ!
 乾いた音が――ブランの槍を遮る。瞬間的にだが、彼女の表情に、何が起こったのだか理解していない動揺が浮かぶ。
 普通の魔術士には、そんな一瞬の隙をつけたところで優位を取り返せなどしないだろうが。
 ウィルは、今、彼女の攻撃を防いだ防御障壁の解除と同時に声を上げた。
「荒れ狂え、氷竜の吐息よ!」
 白い吹雪が、二人を包み込む。広範囲型の上級魔術。今のは殆ど呪文を省いたが――
「効かないと言ったでしょう!」
「怒れる神の忠実なる下僕、火の精霊、灼熱の杖を携えし老獪なる火蜥蜴よ!」
 音でしか相手の居場所を探れない視界ゼロの嵐の中から聞こえてくる声は、突然の彼の行為に警戒したのか少々遠かった。怒りすら混じったその声に、ウィルは怒鳴り返すように叫ぶ。
「我は神の威を借る者我が呼び声に応え集え力の籠の中へ! あーもううざい! 火霊乱舞!」
 下腹にきつい一撃を入れられたような重さの音に、地面を抉る衝撃が続き、そしてこの吹雪の中にして肌がちりつく程の高熱が、辺りに舞っていた氷のつぶてを一瞬にして水蒸気と化す。
「何を……!?」
 呻き声に向けて――
「貫けぇっ!」
 呪文ではない、ただの掛け声と共に突き出した腕から迸る電撃が、もやの中に根を張る。
「…………っ!」
 感じた気配は、苦悶の声なき声――ではない。おそらくは。だが、どの道攻撃の手を緩める気はさらさらなかった。
「もう一丁……!」
「『白き烈風』よ!」
 ウィルが更に加撃しようとする気配を見せると、それに応え高らかに声が上げられた。呪文のような――ある意味、それは確かに呪文であるが、正確には少し違うという事をウィルは知っていたが――ブランの声が響くと同時に、場を包んでいたもやが切り裂かれる。
 それは比喩ではなく、風の刃に、視界を覆う煙幕が切り裂かれる様がはっきりと見えた。
 もやが消えたその後には十数メートルの距離を置いて、二人は向かい合う格好で立っていた。ウィルはブランに向かって腕を突き出したまま、ブランは槍を薙いだ形で身体を硬直させながら、それぞれ相手を真っ直ぐに見据えている。
「その……槍だな?」
 にやりとしてウィルが呟くと、それで勝敗が決したかのような愕然とした表情をブランは浮かべた。事実は別にそうでもないのだが――折角なのでそれについては黙ったまま、さっきのお返しとばかりに彼は口を開いた。
「おかしいとは思ってたんだ。いくら天馬って言ったって、俺やカイルの術を受けて無傷でいるなんて絶対変だもんな。何かの魔力で防御張ってるとは思ってたが……槍とはね。まさに攻防両用の武器か。そういう代物は初めて見た。知り合いに、トレジャーハンターがいるんだ。気をつけとけよ。彼女に見つかったら、絶対盗られるぞ……」
 ――とりあえず、喋るネタもなくなってひとつ息を吐く。伸ばした腕の先――指先ごしに白騎士の姿を捉えながら、ウィルは目を細めた。先程の彼女ほどの威圧感が出たかどうかは、彼には分からないが。
「さて……本題。俺が呪文唱えなくても魔術が撃てるってのは知ってるよな? と言っても、やっぱり俺も、普通の魔術士と同じで時間をかけて魔力練り上げた方が、威力のある術を使える」
 呟きながら、彼は、そろそろ肩が凝ってきたので腕を下ろした。だが、ブランは動かない。彼の言わんとしている事を、理解しているようだった。
「今、色々喋ってた時間。三十秒くらいか? これだけあれば、喋りながらでもそこそこ魔力は集まったよ……ブラン・シャルード」
 瞬きもしようとしない少女の乾いた瞳を正視しつつ、ウィルは皮肉るように唇を歪めた。
「試してみるか? 白騎士よ。この……ヴァレンディア王ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディの力を」
 希代の魔術士を表すその名を、彼は厳かに口にした。


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