CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 9 #59

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「ブラン様」
 少女の元に、
「反乱軍が南西第一警戒区域に入りました」
 戦闘の開始を告げる報告が舞い込んだ。
 白き山脈を見渡せる上空で天馬を静止させたまま、白く磨き上げられたあたかも装飾品のような――且つ、ひどく重厚で無骨な鎧を纏うその少女は、報告を振り向かないままで聞いた。冷たく空を切る風の音と、報告者と自分の天馬の羽ばたき。それに混じって聞こえた報告は一言で終わりだった。後は、少女の指示を待ち、無言で控えている。
 天空を行く風はいつでも冷たく、強い。だがそれも、厚い兜の下の少女の髪をなぶらせるには当然だが至らず、隙間を縫って頬に触れるのも、風ではなく単に冷たい空気であるばかりだった。
「分かった」
 背筋を伸ばしたまま、微動だにせず少女は、報告者に告げた。
「総員戦闘準備。彗星の降るとき……攻撃を開始せよ」
「はっ……」
 一礼の気配。そして報告者の天馬の羽ばたきは遠ざかっていた。
 再び、虚空には彼女一人が取り残される――
「……ウィルザード」
 少女は、その名を風に溶かした。
「私は貴方を……」



 カイルタークは空を見上げた。
 蒼穹の空。一点の翳りも曇りもない。そして視線を下ろす。銀嶺。遠目には、やはり一点の翳りも曇りもないように見えるが――
 ヴァレンディ城より半月ほど。ようやく、大陸解放軍は聖王国ヴァレンディアとアウザール帝国との国境、ノースフライト山脈に差し掛かっていた。アウザール帝国首都カーリアンまでは、ヴァレンディからここまでとほぼ同じ距離にある。とは言え、ここから先はここまでに倍する時間を考えなければならないだろう。
(まずここが……第一の交戦点だ。絶対に)
 カイルタークは確信していた。戦略上の理由ももちろんある――山岳地帯における戦闘に最も適した戦力を、敵は有しているのだから――が、彼の確信は、どちらかと言うと別の理由から来るものだった。
 根拠は予測に過ぎない。さして目を引く景観を持つわけでもないアウザール領内より、自然の神秘がなした壮麗なる芸術と言われるこのノースフライト山脈の方が、最終戦の開始の地として相応しいとでも、奴は考えているだろうという、つまらない予測。だが、それは確信なのだ。他の誰が何と言おうと。
 ふと――
 気付いて、彼は再び顔を空に向けた。太陽はもうそろそろ中天に達しようかという時刻。その太陽の中に見える黒点――
 地上から見る上ではゆっくりと、その黒点が大きさを増して行く。――だが、誰もまだ気付いていない。
 小さく舌打ちして、彼は声を上げた。
「敵襲だ!」
 緊張のざわめきが走り、皆の注意が上方へ向く。今回の敵が天空の支配者であることはもう既に伝えてあった。
 幾人かの騎士たちは、目標を補足した。きりきり、と弓を引く音。そして、黒点――いや、もはや大きさを増し、その本当の色を晒していた天馬騎士に向かって、何本もの矢が放たれる。
 接近がゆっくりに見えたのは、単に距離があったからだった。太陽の方角から真っ直ぐに、隊列のほぼ中央――カイルタークのいるあたりに突っ込んでこようとしているその騎士のスピードをもってすれば、地上からの矢の雨を躱し切る事は造作もない事のようだった。最終的な進行方向を変えてやる事も、突撃の速度を落としてやる事すら出来ない。
 騎士の視線の直線上――つまり狙いは、カイルタークではなく、その隣のディルト王子だが、王子に空からの攻撃に抗するすべはない。
 騎士が手に持つ武器は長大な柄を備えている。槍のようだった。その穂先が鋭利に磨き上げられた証とばかり、太陽光に鋭く輝く。
 おそらく、同じ天馬騎士の中でもこれだけの手綱捌きを見せるものはいないだろう。白き鎧を纏った彗星が、地上に、ディルトに突き刺さる――
 直前。
 カイルタークは、魔術を解き放った。彼の手のひらの先から生まれ出でた白い焔が、舐めるように眼前の広大な空間を、天馬騎士ごと一飲みにする。いかなる機動力をもってしても、躱せる余地はない。
 光が収まる。その中――開けた視界に浮かぶ影。
 彼は己が目を疑った。
(……耐えた!?)
 結論を言葉にするまでには、一瞬とは言い難い時間を要した。だが、天馬騎士も今のカイルタークの攻撃で、ディルトに一撃を入れる機を逃したらしく、地表すれすれで急カーブを描き、再び天空に舞い上がって行く――
 それを追って視線を上げた先の空に、天馬騎士の一団が、地上の軍勢と対峙するように現れていた。



(いない……?)
 兜の下の細い眉を寄せて、ブランはいぶかしんだ。
 いかなる敵をも突破し、一点に致命的な一撃を加える、『彗星』――もっとも、今回は大神官によって防がれてはしまったが、それは、もとよりその公算が大きいとは思っていたことなのでたいした不都合ではなかった。それでも、そう分かっていながらあえて反乱軍の首領たるレムルスの王子ディルトを狙ったのは、あの青年の姿を確認する為でもあったからだった。だというのに、その姿が、ない。
 軍師にして解放軍総指揮官。その男が中枢たる位置にいない理由は……?
 少女は、傍らの、自分の副官の方へと顔を向けた。
「この場の指揮は任せる」
「いかがなされましたか」
「…………」
 副官の問いに、彼女は答えなかった。副官はすぐに質問を引っ込め、敬礼でもって命令受諾の意を示す。
 地上に向かい、進み始める隊列の中から、ブランはゆっくりと抜け出した。



 一騎、退避するように隊列から抜ける天馬騎士の姿は地上からも十分に確認する事ができた。それに対し、弓を番えようとする兵を、ディルトは制した。
「放っておけ。まずは目前の敵からだ」
 言って、見上げる。
 天馬騎士の戦法がどのようなものなのか、という事については、ヴァレンディ城を出立する前に大神官より聞いていた。
 主たる戦法は、通常の騎兵と同じ。剣や槍を用いて戦う。だがそれに天馬騎士は、地上を走る普通の馬に遜色ない飛行速度に降下による加速度をプラスした驚異的なスピードによって敵を貫くという。また、天馬の特性である、魔術への耐性。天馬には魔術を行使する力はないが、生来魔術士並みの魔力を体内に備えている。魔力の備わった人間もそうなのだが、そういった者はそうでない者より魔術に対しての耐性が高い。天馬の身体は何もしなくてもある程度、魔術による攻撃を緩和させる事ができるというのだ。まさか、大神官の攻撃魔術をも無効化させる程とは思っていなかったが――
 天空の騎士を見上げながらディルトは静かに息を吐いた。
(このままでは圧倒的に不利だ。まずは……弓で落とす)
「弓兵隊、用意!」
 ディルトは、高らかに叫んで片腕をすっと挙げた。上空の騎士に向かって矢が限界まで引き絞られる。
「撃て!」
 王子の声と共に、無数の矢が、戒めを解かれ放たれた。



「くっ……」
 白い鎧を身に纏った天馬騎士――今現在、この白騎士団を統括する任を、騎士団長ブランより預かった白騎士は、忌々しげに呻いた。
「……おのれ、弓か」
 弓は、天馬騎士がもっとも苦手とする攻撃であった。普通の馬よりは軽いとはいえ三百キロはある馬体を空中に浮かべるだけの揚力を生み出す、巨大な翼――これを広げるとなると、地上からでもかなりの大きさの的になる。そして一撃でも翼に受ければ、言うまでもなく、戦闘において有利に働くはずの高所という条件は、己に致命の一撃をくれる刃となる。まさに天馬騎士の戦法は諸刃の剣なのだった。
「ならば!」
 叫んで彼は、上空にいながらにして天馬の翼を折り畳んだ。それに倣い、他の騎士たちも同様の事をする。天馬騎士の一団は地上に向けて急激な降下を始めていた。
「来るぞ!」
 地上で反乱軍の騎士が叫ぶ声が、そこに向かって一直線に急降下する白騎士の耳にも届いていた。
 向かい来る矢。だが、白騎士団長は別格としても、天馬を扱う事に関して帝国軍白騎士団員に比肩するものはない。攻撃のことごとくを躱し、一斉に彼らは槍を構えた。そして。
 ごうっ!
「!?」
 突如正面から向かい来た突風に、騎士の頭に浮かんだのはそんな単純な疑問符だった。
 後から考えれば、疑問に思う要素などかけらもなかった。反乱軍の主要戦力は魔術士であると知っていたのだから。だが、突風に絡め取られ、体勢が大きく傾いだその瞬間はそんな事を判断する余地はなく――
 地上に降り立った天馬騎士の軍勢に、反乱軍は刃を向けた。
「成る程……今の一連の攻撃は、我らの戦力を削る目的ではなく、我らを地上に引きずり落とす為のものだった、という訳だな……」
「いかにも」
 白騎士の呟きに、反乱軍の中から声が返ってくる。若い男の声。目でその声の出所を探すと、それは馬に跨った一人の青年のもののようだった。金髪碧眼で、青いマントを羽織った男。騎士――ではない。おそらくは――
「いくら魔術が効かないといっても、風の物理的な圧力にまで逆らう事は出来ないだろう、白騎士よ。……私はレムルス王国王太子ディルト・エル・レムルス。貴公が白騎士団長か?」
 騎士の想像通りの言葉を、彼は発してきた。
「……我が名は白騎士団副団長ランズダーン・アーミジャー。地上戦に持ち込めば、我らに勝てると思ったか。愚かな。貴様らごときを滅するのに、団長の御手を煩わせるまでもない」
 敢えて相手を小馬鹿にした口調で白騎士は言ったが――王太子は、怒った様子も呆れた様子も見せず、ただ面白そうに小さく笑ったのみだった。
(挑発には乗らんか。程々には、切れるようだな)
 全身全霊をもって、彼は目の前の敵に対して身構えた。



 その頃――
 空の高みから、ブランは静かに地上を見下ろしていた。
 遥か地上。遠く小さい――だが、あまりにも広大な一面の白銀の世界。地面の半分は針葉樹林に覆い隠されたその広大な視界の中から、進行してくる軍を探すというならまだしも、たった一騎だけを探し当てるというのは人間の力では到底不可能な事だった。
 だが……
 ぶるん、と、彼女の天馬が小さく鼻を鳴らした。
「見つけたのね、フレイズ」
 そっと、彼女は愛馬の首を撫でた。



 凍える程に寒い。
 何がそう感じさせるのか、彼には分からなかった。外気温の所為かもしれない。そうでないかもしれない。だがおそらくは、前者だろう。この北の地は寒い。遥か昔から。遥か昔に死んだ人間が生まれるその前から。
 連綿と続く永遠。対して、人間は――どれだけ抗っても、長くても百年程度で死に至る。抗う意味を見失いそうになる。何故、そんな限られた時間を、辛酸を舐めてまで抗わなくてはならないのか。何故、もっと容易い安楽の道を選べないのか。選んではいけないのか。
 霞んでくる、生きる意味。理由。価値。
 それを、唯一鮮明にさせてくれたのが……
 ――ばさり。
 大きな羽ばたきの音が、丁度頭上から聞こえた。
 振り仰ぐまでもなく、次の瞬間にはそれは、彼の頭上から目の前に降下してきていた。先程の力強い羽ばたきの音からは想像できないほど軽やかに、雪に埋もれた大地に降り立つ。
 羽を広げた白い天馬に進路を塞がれて、彼は馬の手綱を引き絞った。
 見覚えのある姿だった。……先日は身につけていた兜を取り払った彼女は、素顔を――数年前に見たきりの素顔を彼の前に晒していた。年齢よりもやや幼く見える小作りな顔を、肩で切り揃えた髪が縁取っている。
「ブラン」
 胸のうちに浮かんだ懐かしさを、ウィルはそのまま言葉にした。だが、強張った少女の表情は呼びかけられてもぴくりとも動かない。
「……そこを退いてくれないか? 急いでいるんだ」
 ゆっくりと――
 ブランは首を横に振った。そして、片手に下げていた、長大な槍の穂先を、真っ直ぐにウィルの方へと向ける……
「ブラン……」
「……ウィルザード」
 手に取れば折れてしまうかのような、儚げな印象しか持った事のない少女の瞳に――その表情と同居して、騎士の力強さが宿る。
 毅然とした口調で、少女は呟いた。
「我が主の命により……貴方を、殺します」


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