CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 9 #54

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 第9章 約束

 聖王国ヴァレンディア首都ヴァレンディ。
 かつては栄華を極め、大陸中にその名を馳せた豊かな市街は、今や見る影もなかった。
 その理由はもはや、誰も問わない。
 この都市が、アウザール帝国によってもう七年近くなる前に滅ぼされたことを知らぬ者など、この地にいはしなかった。
 他の列国のように『征服された』のではない。その名の通り、『滅ぼされた』のだ。
 大火に見舞われた寂寥たる廃虚は、時の流れがもたらす緩やかな崩壊にその身を委ね、もとは家屋の一部であったであろう瓦礫や、何か大きな力でなぎ倒されたらしい木々は、土に帰る運命を当然と受け止めていた。
 それでも。
 人々は、この場所に生き続けていた。
 行く当ての無い者。この地を去ることに抵抗のある者。理由はそれぞれ違えど、何の保証も援助も無い――どころか、危険すらあるこのヴァレンディの廃虚で生き続けようとする者は、意外に多かった。
 瓦礫の山に埋もれるように生きる人々は、静かに王都への帰還者を迎え入れていた。



「城の方は、元々が堅牢なものであったらからな。少々修繕すれば、建て替えずとも使用できるだろう。……それよりもまず先に街の再建だ。今すぐに、本国に技術者の手配を」
 きびきびとした口調で、ディルトは傍らの騎士に指示を出した。
 街の中心に位置する煤けた白亜の城。ヴァレンディ城。
 とうの昔に放棄され、それ以降殆ど誰も踏み入ることのなかったらしいその城は、荒れ放題に荒れてはいたが、実用に耐えられないというほどでもなかった。大理石の床や毛足の長い絨毯には埃と血の染みが残っており、長年人の手の入っていない事が容易に窺える荒んだ庭には、いくつもの十字架が立っていた。おそらくは、城内の戦闘で命を落とした者だろう。誰が葬ったのかは知らないが、一応ここは、アウザール帝国の管理下におかれていた場所である。並大抵の度胸では侵入することさえできるものではないはずだったのだが。
 その小さな墓に窓辺から黙祷を捧げて、ディルトは己が手を目の前の大きな扉の取っ手にかけた。左右の扉を内側に押すと、重い音を立てて、しかしさほどの抵抗はなく扉は開いた。
 謁見の間。深い真紅の絨毯が、入口から一直線に無人の玉座へ向かって伸びている。窓にはめ込まれた透明度の高いガラスは、五枚に四枚は粉々に砕け落ちていたが、そこから差す光は穏やかに広間を照らし出していた。過ぎ去った時間と激戦の証にまみれていても、この場に満ちる重厚でいてなおかつ威圧的ではない雰囲気は――変ってはいなかった。
 遥か昔、ここを訪れたときと。
「あの時、玉座に座していたのは、先代のヴァレンディア王だったな。老齢で、しかし威厳のある方だったのを記憶しているよ」
 誰に言うでもないディルトの声に、騎士たちは一瞬戸惑いを覚えた様だったが、老騎士コルネリアスだけは、一拍間をおいた後「御意に」と答えた。
 無人の玉座。沈黙の謁見の間。
「これでは……いかんな」
 小さく呟いて、ディルトは背後に控える騎士たちの方を振り向いた。
「ウィルはどうした?」
「は、それがその……どういう訳か姿が見あたらないのです……」
「見あたらない?」
 答えるコルネリアスにディルトがそう問い返すと、彼は背筋をしゃんと伸ばす。
「今すぐ探してまいります」
「いや、いい」
 今にも、老体に鞭打って走り出しそうにしていたコルネリアスを制止し、
「私が探すよ」
 ディルトは身を翻した。



 ――エルフィーナ。
 後ろから近づいてくる明るい声と、軽い駆け足の音に、少年はその名を口にしながら振り向いた。
 振り向くや否や、少女に力いっぱい飛びつかれて、思わず彼はしりもちをついた。それに驚くことなく、少女も彼の首に腕を回したまま倒れ込む。異性に抱き着くなどという王女らしからぬその行いを諌めようと少年はしばし努力したが、やがて諦めて彼女の髪を優しく撫でた。もとより、たかだか十歳の子供にそんな概念があろうはずもない。
 満面の笑みを浮かべて彼を見上げてくる小さな王女に、少年は優しく問い掛けた。
「どうしたの、エルフィーナ。今日ヴァレンディアに来るなんて、聞いてなかったよ」
「お父様がねぇ、急なご用事なんだって。だからね、一緒に連れてきてもらったのー」
「ローレンシア王が?」
 僅かに表情を曇らせる少年に、少女はきょとんとした眼差しを向けた。それに気付いて、少年は慌てて表情を覆い隠すように手を口許に添える。
「だったら、先にお父上にお会いしなきゃ。エルフィーナ、ちょっと待ってて……」
「構いませんよ、ヴァレンディア王」
 穏やかな声に、少年は顔を上げた。声の印象通り柔和な表情をした白髪の老紳士が、回廊から庭に下り、近づいてくるのが見えた。
「お父様っ」
 少女が、少年からぱっと飛びのいて、今度はその紳士の方に駆けて行く。同じように思いっきり飛びついて行く少女を、しかし彼は全く動じることなく受け止めていた。
「やれやれ。申し訳ありません、王。すっかりお転婆ぶりを発揮するようになって」
「元気なのはいいことだと思いますよ。僕はその方が好きです」
 土埃をぱたぱたと払いながらそう言って、思わず少年は(あ……)と内心で呟いた。深い意味はないとはいえ、好きです、なんて口に出すのは少々気恥ずかしい。
 ローレンシア王は、そんな少年の内心など気づいた風もなく、ただにこにこと娘の頭を撫でていた。孫と祖父ほどに年の離れた父子である。ローレンシア王にとってエルフィーナは老齢になって初めてできた唯一の子で、まさに目に入れても痛くないと言う程の愛娘であった。
「ときに、ローレンシア王。急な用とは、何かあったのですか? ご連絡下されば僕の方から出向きましたのに」
「いえ、聖王国の王たる方にそのようなことをさせるわけには。そもそも、お願いに上がる立場の者から出向くのが筋というものでしょう」
「お願い……?」
 怪訝な表情で聞き返す。年中花の絶えることのないこの庭に、香りに誘われ舞い下りてきた蝶をエルフィーナが見つけ、それを追ってとことこと歩いて行くのを何となく目で追って――少年はローレンシア王に視線を戻す。老王の顔に刻まれた皺は、彼が重ねた年月の他に、深い苦悩もその原因になっているようだった。
「と言うと……また何か、アウザール帝国はローレンシアに嫌がらせをしてきたんですか?」
「連日皇太子殿下からの使者が来られるだけですよ。嫌がらせなどとは、そんな……」
 大陸西方の各国の動きは概ね把握している。とはいえ殆どかまかけのような少年の言葉に、老紳士は首を横に振った。だが、少年はそれを肯定と受け取った。小さく嘆息する。
「毎日毎日わざわざ山一つ越えて親書送られてきてたらもうそれだけで立派な嫌がらせですよ。で、何だって言ってるんです、あの陰険な皇子は」
「はあ。それがその、娘を……エルフィーナを妃に欲しい、と……」
「きさ……!?」
 思わず、素っ頓狂な声を出して、少年はローレンシア王を見上げた。この生真面目な性質の王がこんな所にまで来て冗談を言うなどとは考えもしないが、にわかには信じ難かった。
「何考えてんだ、ルドルフ皇子は! エルフィーナはまだ十歳の子供だぞ!?」
 対して、かの皇子はとうの昔に成人しているはずである。無論、貴族、王族間においてはそのくらいの年齢の娘が嫁ぐというのも珍しくない話だが、正直、少女を小さい頃からよく知る彼には信じられないといった感想しか浮かばなかった。
 少年の瞳が「あのロリコンめ……」などと呟いているのに気づいたのか、ローレンシア王は白眉を寄せて苦笑する。
「もちろん……それは口実で、皇子としては単に我がローレンシアの血統のみが持ち得る『力』を手に入れたいだけなのでしょう」
「力……」
 ぼんやりと、少年は聞き返した。ローレンシア王家の力。伝承には、ローレンシア王家の始祖は、天から降嫁した女神であると言われている。そして代々、その女神の力はローレンシア王族の中に眠っているのだと。
 だが、その力が発現した記録は少なくとも歴史には残っていない。故に単なる王家創設の昔語りのような代物として今は受け止められているのだが。
 とはいえ、同じように単なる伝説と思われていた一族の中に眠る力――フレドリック王国の竜使いの力が、実際に発現していることを知る少年には、それは簡単に笑い飛ばせる話題ではなかった。
「エルフィーナにはその力があるのですか?」
 少年の問いに、ローレンシア王は小さく横に首を振った。
「分かりません。……いえ、私も、それがいかなるものなのか分からないのですよ。何しろ、先例がない……」
「そんな不確かなものを……ルドルフ皇子はどうしようと言うんだ」
 少年は当然の疑問を口に出した。口から出た自分の声は再び耳から入り、他者の発言を聞くように冷静に処理出来る――ような気がする。ともあれ、彼はそうして自分の考えを整理した。
「いや、ルドルフ皇子は狡猾だ。何の確証もなく動いたりはしない」
 『力』が目当てではないと仮定すると――彼がローレンシア王国自体を欲しているということが考えられる。だが、確かに唯一人の王女であるエルフィーナが嫁げば自動的にそれは成されるだろうが、ローレンシア王には失礼だが、気候も厳しく国土も狭く、肥沃とは言えないローレンシアにさほどの価値はない。
(ならば、やはり『力』か?)
 皇子には――不確かでは――ない?
 ふっと頭を過ぎったその考えを霧散させるように、突如高い悲鳴のような声が響いた。見ると、悔しそうな顔をしたエルフィーナが空を見上げていた。追っていた蝶に逃げられたらしい。
「具体的にどのようなものなのかは分かりませんが、伝承によるとその『力』は人間には過ぎたるものと言います。……皇子がどういう思惑なのかは分かりませんが、それを渡すつもりはありません」
 老いたその瞳に、珍しく鋭い光を灯して、ローレンシア王は呟いた。しかし、次の瞬間にはいつものように、まなじりに温和な皺を引く。
「それに……恥ずかしながら私は、王としてよりも……父として、あの子には自分の望む相手の元に嫁いでいってもらいたいと思っておりますしね」
 真っ直ぐに見つめられながらそう言われて――しばしその意味が飲み込めずにきょとんとしていた少年は、ようやく気付いて目を丸くした。
「ローレンシア王! ぼ、僕にどうしろって言うんですか!?」
「おや、エルフィーナはお嫌ですか? 貴方になら是非とも、娘を差し上げても、と……」
「嫌なんてとんでもないですけど! そりゃ、エルフィーナのことは……大好きですけど、け、結婚とかはまだ……考えたことも……」
「それは残念ですなぁ。昨晩エルフィーナに尋ねたら、『陛下と結婚するー』とそれはもう嬉しげに……」
「ちょ……本気でエルフィーナに言ったんですか!?」
「冗談ですよ」
 あっさりと言われて、本気で崩れ落ちかけた少年を、くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、ローレンシア王は眺めていた。その、エルフィーナを見るのと同じ暖かい視線に恥ずかしさを覚えて少年は前髪を掻き上げる。視線を横にずらすと、花壇の方から手を振ってくる少女の姿が目に入った。
「陛下ーっ、遊ぼうよーっ」
 自分を取り囲む状況など露程も知らない無邪気な少女に苦笑する。
 護りたい――彼女を。
「ヴァレンディア王」
 促すように言われて、少年は、エルフィーナの待つ方へと歩き出した。が、数歩進み始めた所でふと気づいて振り返る。
「で、お願いって、何だったんですか? まさか本気でエルフィーナの嫁入りの話じゃないのでしょう?」
「ああ……いえ、そちらも本気で考えて頂いて差し支えないのですが」
「それはまたそのうち」
 顔を赤らめながら言うと、またローレンシア王は吹き出しそうな笑いを堪えていたが、何とか少年は聖王国の王としての表情を保っていた。喉元の笑いを飲み下して、ローレンシア王が口許に微笑を浮かべる。
「私にもしものことがあった場合、エルフィーナを……頼みます」
「ローレンシア王!」
 咎めるような鋭い口調で少年は叫んだ。
「滅多なことをおっしゃらないでください」
 思わず大きくなった自分の声を押し殺した少年に、ローレンシア王はやや驚きの表情を見せたが、すぐに穏やかな普段のそれへと戻す。
「やはり貴方なら、安心して任せられます。……そんなに険しい顔をなさらないで下さい。もちろん、万が一という話ですよ」
「陛下ぁー」
 エルフィーナの待ちわびる声。それを後押しするように、ローレンシア王はにっこりと笑った。
「エルフィーナを、頼みます」

 はい。
 護ります。――命をかけて。
 貴方との約束だから。彼女との約束だから。
 ――護ります――

 護れなかった。
 僕は貴方の信用を裏切った。僕は彼女を裏切った。
 また……護れなかった。
 何よりも大切だった僕の姫君――

 ――気配が近づいていたことには気付いていた。
 感覚は、緩慢に痺れているようで、そのくせひどく鋭敏だった。
 だが、振り向くことは彼には出来なかった。振り向く。その動作をしなければならない理由はおろか、その仕方すら分からない。
「ウィル」
 耳は音声を捉える。聞き覚えのある声。暗い視界の中にその像が結ばれる。金色の髪の――王子。名前は――?
 そもそも彼は何と言った? それは誰の名だ?
 次に耳が捉えた音は、苛立ったような舌打ちだった。そして、ひゅん、と小さく風を切る音。
 そして風が頬を打つ。後ろから振り上げられ、頬目掛けて薙がれた剣が、耳のすぐ傍で制止していた。陽光に白く煌く、抜き放たれた真剣。
「剣を取れ……ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ」
 呪文のように冗長な彼の名を、一糸の迷いもなく――ディルトは口にした。


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