CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 8 #52 |
耳を塞がなければやり過ごせないほどの轟音とともに―― 崖の上部から不安定な形で突き出ていた岩は、絶壁を転がり落ちてきた。 ぽかんと、それを見上げる魔術士を皆のいる方へ突き飛ばして、ソフィア自身は反対方向へと駆ける。 どおぉんっ! 地面を揺らして落下を終了させた大岩と土砂は、狭い谷間の道をほぼ完全に塞いでいた。少なくとも、騎馬隊などが通り抜けられる道ではなくなったのは確かである。 「まぁ……こんなものでしょ」 ふう、とひとつ息をつく。と、大岩の反対側から、一人、軍と切り離されたソフィアに対して叫び声が聞こえてくる。 「大丈夫かー!?」 「大丈夫っ!」 同じように大声でソフィアは叫び返した。 「でも、こっちからは先へ進めそうにないわ。とりあえず、あたしは一人でもどうとでもなるから、そっちは先に進んでて」 ソフィアが応えると、しばし間を置いた後、了解、という声が返ってきた。ソフィアの知っている声ではないが、彼女の実力を知らない者は、軍内には少ない。納得した声音だった。 「さてと……」 先を急ぐ解放軍の足音は徐々に遠くなっているようだった。ゆったりとした気分で、空を見上げる。深い谷底から見上げる空は、ひどく高くて、遠い。電撃の雨を降らせてくる敵の魔術士も本隊を追っていったのかどうやら近くにはいないらしい。いい天気だった。 自分を取り残して去りゆく気配。だが、寂しくはない。仲間たちの代わりに自分に近づいてくる別の気配を、彼女は感じていたのだから。解放軍を追うようにやってきたその地響きに、ソフィアは目をやった。 鹿毛の馬に跨った、赤い鎧を着けた騎士たちの一団が、落盤を発見して前進を止める。 「……へー。赤騎士団って、本当に赤い鎧着てるんだー……」 大岩に寄りかかったまま、ソフィアは少し驚いたような口調で呟いた。 「何だ、貴様は」 停止命令を出した騎士――おそらく、敵の隊長なのだろう――が、ソフィアに対し誰何の声を上げる。全身を厚い鎧に覆っているので気がつかなかったが、声を聞くと、少女であるらしい。多少そのことにも驚きつつ、ソフィアは背を岩壁から離す。少女の声に応える代わりに、槍の穂先を少女ら、騎士たちの方へ向けると、返ってきたのは失笑だった。 「我ら赤騎士団にたった一人で刃を向ける、か? 愚かな――」 言いながら、少女は兜を両手で持ち上げ、外した。その下から、比較的声の印象通りの顔が出てくる。赤い髪――と言っても、フレドリック王家の人々のような炎の色ではなく、茶色がかったくすんだ色だが――を短く切り揃え、目鼻立ちも整ってはいるが、美少女というよりは健康的な少年の造作だった。年齢的には、やはりソフィアとそう変わらないだろう。 「愚かだが、嫌いではない。だが、今は我らも急ぐゆえ勝負は受けられぬ。可哀相だが……」 少女が抜剣すると同時に、背後に控えた十数騎の騎士たちも同時に剣を抜いた。馬上で扱う為に作られたその剣は、長大でその分重量がありそうに思えたが、少女は軽々とそれを片手で構える。それに倣うように、ソフィアも槍を構えた。 「いいわよ別に。最初から騎士式の一対一の試合を望んでいたわけじゃないもの」 「我が名はアウザール帝国赤騎士団長、ルージュ・シャルード」 剣の鍔を額に当てる、騎士式の礼の仕草をして、名乗りを上げる少女――ルージュ。思わず、ソフィアは微笑みを漏らす。 「あたしはソフィア・アリエス。解放軍の兵士って以上の肩書きはないけど」 「行くぞ!」 凛としたルージュの声が、幕開けの合図となった。 「……当たり前じゃないですか。あれだけの障壁を張り続けた直後に、こんな大魔術を連発して。暴走しない訳がない。ただでさえ貴方は魔力の大きさに制御力がついていってないんですから」 不快な――あまりにも耳に馴染みすぎて不快な説教口調に、カイルタークは目を閉じたまま、眉を寄せた。頭が痛む。身体も、服を着たまま水泳をする方がまだ楽なのではないかというくらい重く、指一本動かせそうにない。 いや、もしかしたら、手足は千切れ、そこに存在していないのかもしれない。暴走した己の魔力に完全に呑み込まれた。ことによると城一つを吹き飛ばせるほどのエネルギーを一身に受けた事になる。脆弱な人間の身体など消滅するのが当然で、どれだけの傷を負っていようと意識があること自体、奇跡のようなものだ。 (そう言えば、前にもあったな。……随分と子供の頃だったが、それで……懲りたはずだったのだが) 魔力の強弱というものは先天的なもので、強い魔力を持って生まれてしまったら、その力を制御しきるか、何があっても魔力を使わない様にするかしか、暴走を押さえる――即ち生き残るすべはない。心身ともに冷静な状態で行使することの出来る回復や防御の魔術ならば自信はあったが、こと攻撃的な魔術にかけては自分の能力では制御しきれないという事を、カイルタークは自らが子供の頃に起こした事故によって知っていた。だから、それからずっと、攻撃魔術を使う事は極力避けていたのだ。 ぼんやりと考える。もしかしたらもう自分は死んでいるのではないか、と。意識だけが、魂だけが、波間を漂うように、虚空に取り残されているのではないか……? 唐突に。 ごん、と後頭部に痛みが走る。殴られたらしい。後ろを振り向きたいが、身体は言う事を聞かなかった。その代わり、声が聞こえてくる。 「何馬鹿な事考えてるんですか。さっさと目を覚まさないと、どうなっても知りませんよ。そろそろ危ないと思うんですけど」 何のことだ……? 問い返そうとして、はっとする。頭を支配していた鈍い痛みが、霧が晴れるように溶けて行く。 「ウィル……」 どのくらいの時間が経ったのだろう。時間感覚がない。まだ、現実の世界に自分は戻ってきていないという事を認識する。だが、それさえ分かれば後は簡単だった。 暗闇の中に亀裂を見つける。うっすらと光が漏れるそこに、重かったはずの腕を差し込んでこじ開ける―― 前にも一度同じような事があった。 その時も、導いてくれたのは同じ人間だった。 カイルタークは目を開けた。 視界の四分の三ほどを、乱暴に耕された後のような地面が占めていた。つまりは、彼はうつ伏せに倒れていた。頬についた土汚れを鬱陶しく思いながら叩き落として、頭を上げる。 頬を払った腕。起き上がり、地面を踏み締めた足――予想に反して、先程と比べて足りなくなっている個所はない。足りなくなっているといえば、辺りの風景の方か。彼を中心としたクレーターが形成されていた。そこらにあった木々はどの方向を見ても根こそぎ彼と反対の方向に倒れ、近くにあったものに至っては、存在の証の陥没を残して消滅してさえいる。 だが、カイルターク自身は、服は汚れてはいるが、滑稽なまでに無傷である。 それを一応確認してから、カイルタークは暗黒魔導士の姿を視線で探した。これも一応、だが。もう彼が近くにいないであろう事は、いくら起き抜けでまだ半分眠っているような感覚器官でも察知できる。 「余計な真似を」 前髪を掻き上げながら、憎々しげに呻く。本当に、余計な真似をする。 「これ以上……思い出させるな。私まで出来なくなったら……他に誰がお前を止める?」 ゆっくりと、額から離したその手のひらを見下ろして――カイルタークはその手を握り締めた。 「次は殺す……必ず」 バハムートは翼をはためかせた。竜は翼では飛ばない。原理的には、人間の魔術士の使う重力中和の術と同じ方法で空を飛ぶ……らしい。リタにはよく分からなかったが。それでも、巨大な翼が空気を打てば揚力が生じ、巨体はふわりと浮かび上がる。 対峙する天馬騎士の一団と同じ高さに上昇して、リタは真っ正面から敵を睨んだ。そっと、竜の頑強な鱗に覆われた首に触れ、叫ぶ。 「バハムートちゃん、炎!」 命に従い、バハムートはその口から火焔を放射した。端から一団を横薙ぎにする。が―― 特に号令があった様子もなく、天馬騎士たちはその炎を躱していた。奇麗に上と下とに二分される。そのままの形で、天馬騎士は一斉に突撃を開始した。 慌てて、リタは下がりながら、まず先に目に入った方――上に向かって、リタは指先を向けた。 「バハムートちゃん! あっち!」 リタの声に従い、バハムートは再び炎を吐く。だが、これも難なく躱される。こちらへ向かいくるその足を止める事すら出来ない。 ひゅおっ…… 鋭く風を切る音とともに、天馬の前進はその速度を速めた。比喩でもなんでもない風の速度で、赤竜に迫りくる。 「きゃっ……」 騎士が振りかぶる刃に、小さく悲鳴を上げかけたリタは、がくん、と急激な下降を全身に感じて、思わず悲鳴を飲み込んだ。 頭の上を、旋風が行き過ぎる。高速で飛来した天馬騎士が通過して行ったのだ。それを、命令する事を忘れた竜使いに代わって竜自らが、その意志で避けていた。 続いて、騎士の追撃を避けバハムートはぐるりと旋回する。だが、敏捷性は巨大な竜より天馬の方が多少上である。先回りするように目の前に回り込んできた騎士に、バハムートが炎を吐き掛ける。 ごうんっ! だが、その火焔の渦も、騎士たちを巻き込む事は出来ず、天馬が避けたその間を貫くように通過する。――だが、牽制の役には立っているようだった。多少警戒したように、一定の距離を天馬騎士は取ってくる。 殆ど一瞬の攻防。 その間、リタに出来たのはバハムートの背から振り落とされないように必死にしがみついていることだけだった。 リタの手足は震えていた。心臓の鼓動一回一回が、跳ね上がるように強い。 「バハムートちゃん……」 それが恐怖だと気づいたのは、混乱を少しでも静めようと赤竜の名を呟いたその時だった。いつもなら問いかければ、人間の言語でではないが、バハムートは返事をしてくる。しかし、今彼から返ってきたのは、重い沈黙の気配だけだった。 (勝てない……の?) ばさり、と無数の羽ばたき。 リタは、爪を竜の頑強な鱗に突き立てた。歯を食いしばって、手足の震えを消す。完全に消し去る事は出来ないにしても。 (フレドリックを出たときから分かってた事じゃない。そりゃあ、こんなに早く思い知るなんて思ってもみなかったけど……) 燃える色の瞳を――リタは真っ直ぐに上げた。 |