CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 8 #50

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 遥か天空より――というのは下から見上げる者の錯覚に過ぎないのだが――飛来した、幾筋もの光条は、不可視の盾に遮られ、解放軍の騎士たちの遥か頭上で四散した。
 自らが放った術をあっさりと無効化され、敵魔術士たちが動揺しなかったはずはないだろう。だが、いくら攻撃を防いで見せても一向に諦める気配なく、雷の魔術を降り注いでくるという事は、戦意を喪失させる事は出来なかったという事になる。
「まあいいさ。最初から力比べのつもりだったんだ」
 頭上を見上げ、散発的に降ってくる雷の矢のことごとくが障壁の魔力に絡め取られ放電するのを確認して、ウィルは額にうっすらと浮かんだ汗を手の甲で拭った。激しいスパーク音を立てて飛び散る電撃のかけらが大気中に充満しているような錯覚を覚えるが、辺りの気温は高くない。疲労による汗である。障壁の魔術は効果を継続させている間、ずっと術者の魔力を消費し続ける。正確に言えばこの魔術の『術者』はカイルタークで、ウィルも含めた他の魔術士は彼を補助しているに過ぎないのだが、どういう訳かそのカイルタークより他の魔術士たちの方が疲労しているように見えた。……表情に出ていないだけなのだろうが。
「……敵もねばるね。無駄だって分かんないのかな」
「無駄ではないから、やっているのだろう」
 ウィルの独り言のような口調に、カイルタークの答えが返ってくる。
「このまま術を受け続ければ、こちらとて消耗する。少しずつこちらの魔力を削って障壁に穴を開けるのが狙いだろう」
「まだ半分もいってないのに、結構みんなへとへとだぞ。最後まで持つか?」
「持たなければ困る」
「そりゃまぁ、そうだけど」
 頭を掻きながらウィルは呟いた。生まれながらにして通常の人間……はおろか、魔術士の中でもエリートの集まる教会魔術士の中においてさえ、更に卓越した魔力量を誇るウィルが、少々ではあるが既にオーバーワーク気味であるのだ。この術に加わっている魔術士の半数くらいは、このままでは最後まで持たないだろう。半分も欠けてしまえば、障壁の強度の低下どころか、術自体の継続すら不可能になる。それが分からないカイルタークでもないだろうが――
 何か考えがあるのだろうか?――と首を傾げるウィルの頭に、はた、と恐ろしい考えが浮かぶ。
「まさか……切り捨てるつもりじゃないだろうな!?」
 想像とはいえあまりの内容に、さすがに大声で言うのは憚られ、限りなく小さい声で、しかし口調は鋭く囁いた。だがカイルタークは、呆れたような視線でちらりと彼の方を一瞥した。
「私の事を何だと思っている。そんな事をするわけはないだろう。……いい手ではあるが」
「……いい手って」
 一抹の不安の残る返答ではあったがひとまず安心して、ウィルは呟いた。
「だけど、それならどうする? 魔術が最後まで継続するという前提で作戦を立てているんだ。それが不可能なら、一旦は退く事も考えるべきだと思う……」
「祈るんだな」
 カイルタークの口から漏れた言葉に、ウィルは思わず目を瞬いた。神官が口にするには相応し過ぎるが、この大神官カイルタークが口にするには最も相応しくない――それはそんな言葉だった。
「祈るって、何を」
 訝しげにカイルタークの顔を見ながら呟いて――ウィルは思わず息を飲んだ。
 彼は笑っていた。……と言ってもその口許はいつものように横一文字に引き締められたままだった。彼の笑顔というのはひどく個性的で、殆ど頬の筋肉は使わない。つまり普通に見れば表情は変わっていないように見えるはずである。だが、間違いなく笑っているのだ。瞳の輝きが全く違う。
 とはいえ、彼が笑うという事自体は珍しい事ではあるがない事ではない。たちの悪い悪戯を思い付いたときなどは確実にうっすらと笑みを浮かべている。ウィル以外の人間はあまり気付いていないだろうが。
 だが、その類の笑みと今の笑みは別格だった。殊更楽しげな笑み。例えばこんなような。通り魔が刃物を持って辻に立っているときの笑みとか、完全犯罪を成し遂げ遺体処理を滞りなく終えたときのような笑みとか。
 ……こんな彼の表情を、ウィルは今迄一回だけ見たことがあった。そう、あれは……
 無意識のうちに回想しかけて、ウィルはぶるぶると頭を強く横に振った。これも無意識の事だった。思い出してはいけない。本能が告げている。だが書類上に残った実質的な被害は本能を飛び越えて脳の理性の黒板にでかでかとその文字を書き連ねる。
 教会内下層市街部、家屋全壊十七棟、半壊三十八棟、行方不明者一名……
 視線を感じてウィルは全身を震わせた。ゆっくりと――肩越しに振り向く。瞳のみに凄惨な笑みを浮かべるカイルタークを。
「心配するな。この大神官の戦い振りをとくと見るがいい」
 やばいこいつ。
 ウィルの胸を後悔が支配する。が、もう時は既に遅かった。この渓谷での会戦に当たっての総指揮権はカイルタークに委ねていた。それは、術の全貌をくまなく把握しきれている者の方が状況に応じた適切な判断を下せると思ったからであり、敵を殲滅する為とはいえ破壊的大惨事を再現して欲しかったからでは決してない。胸中で何の意味も成さない言い訳を重ねるウィルを尻目に、カイルタークは、障壁の魔術を継続させたまま別の術への集中を始めた。こちらは簡単なもので、一瞬で終わる作業であった。
『大神官カイルターク・ラフインより、軍内全魔術士諸氏に告ぐ――』
 何の前触れもなく、耳の奥に柔らかく広がるように、カイルタークの声が響いた。肉声ではない。魔術により意識に直接語り掛けているのだ。音としては成り立っていないはずだが、脳が錯覚するのか、音声として知覚できる。内容からして軍内の全ての魔術士にこのメッセージは伝わっているのだろう。
『此度の作戦における総指揮権は私が預かった。汝らは迷うことなく我が指示に従うべし』
 第一の命令に、魔術士たちに動揺の気配はなかった。教会魔術士たる彼らにとって、これは普段通りの組織系統でしかない。だが、続けざまにカイルタークが告げた命令にはさすがに瞬時、ざわめきが走った。
『現在の術式を継続させたまま、上位爆砕系攻撃魔術を構成。合図とともに一旦障壁を解除するので同時に崖上部任意部分へ斉撃せよ。終了後は即時障壁魔術の補助へと戻れ』
「な……!?」
『それとウィル。お前だけは攻撃も補助もしなくていい。攻撃後、再度障壁を張るのはお前だ。構成を開始しろ』
「ちょい待てっ!? できるかよ、俺にこんな大掛かりな……」
『長時間継続しろとは言わない。ほんの数分耐えればいい。出来ないとは言わせん。以上だ』
 カイルタークが終わりを告げると、小波のようなざわめきは、潮が引くように収まっていった。命令通りに、ウィルを除く魔術士たちは攻撃魔術への集中を始める。
 あからさまに舌を打って、ウィルはカイルタークを睨み付けた。
「くそ……何考えてんだ、こいつは……!」
 そう吐き捨てながらも、ウィルもまた言われた通りに障壁の魔術の長大な呪文を唱え始めた。
「……祈るがいい。ウィル」
 カイルタークの小さい声は、術への集中を開始したウィルの耳には入らなかったが、カイルタークは気にも留めず、一人呟き続ける。笑みを――ある種の、覚悟を秘めた笑みを浮かべながら。
「お前の兄の、安楽の最期を」



 ふわり、と風に、漆黒のローブがたなびいた。
 いくら配下の紋章魔術士に魔術を打たせても、大神官の防御障壁は中々揺るがない。術が障壁に阻まれ砕けるその余波が、乾いた風を渓谷に起こしていた。
「そろそろゲームを始めますか? カイル」
 魔力の流れが大幅に変わっているのが手に取るように分かる。動き出すのだ。彼が。
「では、お相手しましょう。少しだけ、ね……」

 その瞬間、眼下の解放軍の隊列の至る所から、白光が打ち出された。



 障壁の魔術の呪文を唱えながら、ウィルはふと横を見た。すぐ傍のカイルタークは何やら呪文を唱えている。
(ちょっと、それって……!?)
 彼の唱えるものが何であるか理解して、ウィルは思わず目を見開いた。だが、自分の呪文を中断するわけにはいかない。そして、最後の一文句を唇に刻む。
「散れ」
 カイルタークの声とともに、今の今迄感じていた圧力が、ふっとなくなった。カイルタークが障壁の魔術を解いたのだ。
 そして次の瞬間。解放軍の隊列の至る所から、白光が打ち出された。
 どおぉぉんっ!!
 地鳴りのような大音声が辺りを支配する。カイルタークの指示通り魔術士たちの手から生み出された、凄まじい熱量の光線と爆圧が、空気はおろか、大地すら打ち付け鳴動させる。
 熱波にもみくちゃにされ、たわむ視界に更にもうもうと土煙が上がり、視界が限りなくゼロに近くなる――その中を。
 攻撃魔術が打ち出されるのと同時に、軍内から飛出している影があった。
「カイルっ!」
 燕と競り合えるほどの速度で一気に大地から飛び立ったカイルタークに、ウィルが叫び声を上げた。重力中和の魔術。彼はその呪文を唱えていた。だからこの瞬間にどうするかなど読めてはいたが――
「くそっ!」
 苛立ち紛れに息を吐く。今の衝撃で崩れた土砂が、そして今の一瞬はさすがに怯んだか攻撃の手を止めていた敵の次の一撃が降ってくるのは止められない。
「障壁よ!」
 短く叫んだウィルの声に反応し、再び作り上げられた不可視の障壁は、同時に飛来した雷の魔術と多少の岩石を含んだ土砂をまとめて弾き飛ばした。ぱらぱらと降ってくる小石すらも受けきって、はあっ、と一回荒く息をつく。魔力を急激に失った事で起こるひどい脱力感と脳を掻き乱すように襲う情報の奔流に、意識が消滅しかける。
(ちくしょう、やっぱり俺じゃ長時間は無理だ。数分だって持つかどうか……! 何考えてるんだよ、カイル!?)
 だが、それに答えるべき相手は遥か頭上、崖の上に降り立って、既に彼の視界からは姿を消していた。



「……!?」
 黒いローブを纏った男が数人、驚愕したような瞳で彼の方を振り向いた。その視線の先で、彼は――カイルタークは緩やかな動作で腕を振り上げた。
「邪魔だ」
 ぽつりと呟く。と、その瞬間、カイルタークを中心とした円を描くように、地面が波打った。それは瞬く間に、外へ向かって破壊を広げる。驚異的な速さで広がる大地の爆裂に巻き込まれ、魔術士数人の身体が宙を舞った。
「なっ……!」
 仲間の魔術士がなすすべもなく打ち倒される様を見て、残りの魔術士たちが上げた声はその程度だった。さすがに、叫び声は上げない。一旦大声を上げると一呼吸置かなければ呪文に入れない。怒号の代わりに、すぐさま彼に対抗すべく呪文を唱え始める魔術士たちを、カイルタークは一瞥した。
 それと同時に――ぐらり、と地面が揺れる。
「う、うわああぁぁー!?」
 それには、さすがに魔術士たちも悲鳴を上げざるをえなかったようだった。揺れた地面ごと、つまりは、先程の解放軍の魔術士たちが撃った魔術によって亀裂の入った、足元の地面ごと崖下に落下する羽目になっては。人間などを降らされては、下にいる者たちはたまったものではないだろうが、カイルタークは下の事は気にせず視線を周囲に走らせた。
 通常の魔術の射程内には、もう敵はいないようだった。解放軍への紋章魔術の射程内にはまだ他にもいるだろうが、そこまでウィルにサービスしてやるつもりはない。彼はただ、目的を果たす為にここにいるのだから――
「……いるのだろう? 出てくるがいい。ゲームを始めようではないか?」
 何の気配のない、背後の森に向かって、静かな声音で呼びかける。気配を動かさぬまま、それに応えたのも、彼と同じ静かな声だった。
「そうですね。それでは、失礼して」
 突如、強烈な存在感を抱いてそれは姿を現した。
 暗黒魔導士――
 ゆっくりと、カイルタークは深緑色の法衣の裾を翻して、後ろを振り向いた。暗黒魔導士の姿を目に収める為に。
「リュート・サードニクス」
 そう呼ばれて、目の前の男は――昔と違わず、相変わらずに背の高いこの男は、嘆息するように小さく言葉を吐いた。
「貴方も、そう呼ぶのですね。大神官カイルターク」
「それ以外にお前を呼ぶべき名を、私は知らない」
 我知らず握り締めていた拳を、カイルタークはゆっくりと解いた。遠くを見る視線の直線上にたまたま相手を置いたような錯覚の中で、彼は暗黒魔導士を見詰めていた。作り物のように端正で、現実感のない暗黒魔導士の口許に微苦笑が浮かぶ。
「私は、暗黒魔導士ラー。それ以外の何者でもない」
「その方が私はよかったのだがな」
 カイルタークから返ってきた声に、僅かに暗黒魔導士が顔を上げる。深い海色――であるはずの双眸は、カイルタークから見る事は出来なかったが。
 ゆっくりと、カイルタークは暗黒魔導士ラーに向け、腕を突き出した。
「お前がリュートでなければ、私にお前を殺す理由など、なかった……」


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