CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 8 #43

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 第8章 始まりと終り

 何で?
 誰も答えてくれない問いを、永遠に繰り返す。

 リュート・サードニクス。出自は公式には明らかにされていないが、本人やカイルタークの弁によると、孤児だった、という事らしい。たまたま、高位神官を代々排出する名門ラフイン家、つまりカイルタークの実家に引き取られる事になり、そこで同じ年齢だったカイルタークとともに魔術を学んだという。
 幼い頃から、魔術はもちろんの事その他の学問、武術にまで類希なる才覚を見せ、既に教会魔術士としての籍を得ていた九歳の頃、その神童の噂を聞きつけたヴァレンディア国王より直々に、聖王国に招聘(しょうへい)される。その時四歳になっていた王子が生まれながらに強大な魔力を有していた為、魔術の制御法を早いうちから教えたい、という事だった。
 少年は、その要請を受け入れ、聖王国ヴァレンディアへと赴いた。

 はじめまして、王子。
 にっこりと笑ってそう言った、金の髪の少年。
 どういう悪戯か、王子ウィルザードの中の最古の記憶は、その日のものだった。

 父が死んで、呼称が王子から陛下に代わってもリュートは変わらず傍にいてくれた。
 永遠に明けないかとも思ったあの雷鳴轟く夜さえも。
 あの時――だ。初めての別れ。もちろん、ファビュラス教会へ一旦戻る、と言ったような別れといえない別れなら、幾度かあったが。
 その時はまた会えると思っていた。大陸一と言わしめるリュートの実力はいやというほど知っていた。だから、例え帝国随一の魔術士、暗黒魔導士ラーと相対したところでそうやすやすと敗北を喫する事はないだろう、と。
 だが、リュートには荷を背負わせていた。誰よりも大切な姫君。
 本当は分かっていたのかもしれない。いかにリュートといえども、誰かを護りながら戦って勝ちを収められるような甘い相手ではないと。それでも――彼は与えられた命は必ず遂行するということも同時に分かっていて。
 結果。その方法は今となっては誰も知る由もないが、リュートは己が命と引き換えに……

(俺が……殺した)
 テラスから城下の街並みを瞳に映しながら、ウィルは胸中で呟いた。
 フレドリック王国の解放から優に一週間が経っていたが、まだ国民の間からはお祭り気分が抜けないらしく、深夜になっても街の大通り付近の店々から灯りが消える様子はなかった。どこか既視感を感じながら、ぼんやりとその情景を眺める。だが、彼の心の中は浮き足立ったその情景とはまるで正反対だった。
(そうだ、俺が『殺した』んだ。なのに、どうしてっ……!)
 ――気がつかなかったの?――彼が、リュートだって事に――
(何で……)
 繰り返して、奥歯を強く噛み締める。
(何で気付かなかったんだよ! リタの言う通りだ、どこからどう見てもそのまんま、リュートの奴じゃないか! あの人をなめきった喋り方も、そもそも、暗示なんていうちゃちな方法で誤魔化そうとする手口からして……!)
 かつて、暗黒魔導士に出会った際、『何か』を思い起こそうとして酷い頭痛に見舞われ、意識を失ったことがあった。魔術の使い過ぎだと思っていたが、違ったのだ。
 あれは暗示――ごく軽い記憶の封印術。特定の事象、この場合は『リュート』自身の事を思い起こさせないように取りつけた安全弁のようなものだ。これだって、彼自身に教えてもらった事だと言うのだから笑えない。
「どうして……だよ……」
 ぽつり、と唇に言葉を乗せる。分からない。何故、彼は生きている? 暗示までかけるという事は、昔の記憶を失ったわけではないという事。なのにどうして――帰ってこない?
 帝国に与している事自体よりも、その方がウィルには辛かった。
 柵に肘をついて、外に向かってうなだれる。が、溜息を吐くのは何となく止めておいた。――何時の間にか後ろに立っている誰かに、その理由を聞かれそうな気がしたのだ。
 案の定、不思議そうに彼女は小首を傾げたようだったが、どうしたのか、とは尋ねては来なかった。
「何だかなぁ……毎度毎度毎度毎度言う事でむしろ悪いんだけど、怖い」
「いつからいたのか分かんなかった? 本当についさっきよ。多分、ウィルが気づいたのと同時くらい」
 お気楽な声に振り返ってみると、いつも愛用している槍を腕に抱えたソフィアがすぐ傍で笑っていた。
「何でそんなもん持ってるわけ?」
「だって、お仕事中だもん。見回りをしてるのです」
 えっへん、と、無意味に胸を反らしながら言うソフィアにウィルは半眼を向ける。
「胸ないな。知ってるけど」
「いやんウィルったら♪」
 満面の笑みを浮かべながら、しかし間違いなく本気の速度で繰り出された槍をなんとか紙一重で躱して、ウィルは溜息を吐いた。
「お仕事中って言うんならこんな所で油売ってる場合じゃないだろ」
「ウィルが元気なさそうに外なんて見てるから、心配になって話し相手に来てあげたんじゃない」
「慰めてくれるんだ。嬉しいねぇ」
「何かあんまり嬉しくなさそうな言い方だなー?」
 手を腰に当てて口を尖らすソフィアに、ウィルは微笑する。
「嬉しいよ。でもやっぱり言葉よりも態度で示してくれた方が俺的にはもっと嬉しいんだけどな」
「え?」
 思わず真顔で聞き返して――直後、ソフィアははっとしたように目を見開いた。次の瞬間、即座に回れ右をして彼の前から立ち去ろうとするが、判断が一瞬遅れたのが災いしてだろう。駆け出す前に腕を掴まれる。
「やだなー。逃げる事ないだろ?」
「いや、ちょっと何となーく身の危険を感じて……」
 優しい声音で言ってくるウィルに、出来の悪い愛想笑いを浮かべるソフィア。
 力任せに彼女の腕を引き寄せる。瞬間、思わず手を離してしまったらしいソフィアの槍が、からんと音を立てて足元に転がる。
 腕の中に彼女の身体を収めながら、声とは裏腹な剣呑な微笑みを浮かべるウィルに、いよいよ本格的な危うさを感じてソフィアは彼の腕から逃れようともがいたが、純粋な腕力の差は残念ながら覆せない。しばらく意味のない抵抗を続けていたが、諦めたのか疲れたのか、そのうち静かになる。
 その頃を見計らって、ウィルは彼女の耳元に唇を寄せた。
「こーいうとこは可愛いな、ソフィアは。ついついからかいたくなるんだよな」
「からかうだけならもう十分でしょっ! 離してよぉ!」
「おいおい、大好きな君をからかうつもりだけでこんな事するなんて、悪い事出来ないよ俺」
 心底楽しんでいる口調のウィルの声が、外耳をくすぐる。その感触に思わず肩を竦ませるソフィアを身体ごと、ウィルは自分の方へ向けさせた。文句はもちろんの事、声すら上げる暇も与えずに彼女の腰とうなじに手を回して――
 近づけた顔――というか額を、ぺちんっ! と思いっきりはたかれて、ウィルは小さく呻いた。
「痛いなー」
「痛いなー、じゃないっ! もーっ! 何ですぐウィルはー!」
「一回やったら二回も三回も同じだろ」
「そーゆうふしだらな考え方は持ちたくないの!」
 はたかれた瞬間思わず緩んだ腕からすかさず抜け出していたソフィアは、そう言いながら足元に転がっていた槍を拾い上げた。抱きしめるようにそれを抱え直して、彼の方を睨んでくる。
「油断も隙もあったもんじゃないんだから。今度無断でこういう事したら串刺しよ?」
「断り入れりゃやらしてくれんのかよ? 駄目なんだろ? どうする事も出来ないじゃないか!」
 全力でブーイングしてくるウィルから、つん、と鼻先をそらす。
「乙女の唇の価値が分かってないウィルなんか知らないっ!」
「あ。おい……」
 言って踵を返したソフィアに慌ててウィルは呼びかけたが、彼女は取り合わずに、すたすたと室内へ戻っていってしまった。ほんの少し後悔しながら、嘆息する。――と同時に、苦笑も漏れてしまったが。
「しょーがないなー……」
 頬を緩めながら呟きつつ、テラスの手摺に仰け反るように身体を預け、天を仰いで――ウィルはぎくりとした。
 丁度真上の階のテラスから自分を見下ろしていた赤い瞳と目を合わせて。
「リ、リタ」
「なぁにやってんのよ。馬鹿ねぇ」
 くすくす、と笑いながら言ってくる。上のテラスはウィルのいる階より少し引っ込んでいるので、見下ろせば丸見えのはずである。――口振りからするとどうやら彼女は、ウィルは気がつかなかったが、一部始終を見ていたようである。
「案外強引な所あるのね。知らなかったわ」
「うるさいな。お子様は黙ってろ」
「ふーん。エルフィーナとたった一つ違いの私が子供ならウィルはロリコンって事ね」
「ぐっ……」
 簡単に切り返されて、ウィルが悔しげに口許を歪めると、リタはにやりとした。
「まあいいんじゃない? 今の内に思う存分いちゃついときなさいな。さすがにヴァレンディア辺りまで北上したら、そうそう余裕もなくなるだろうし」
 黙ったまま、ウィルは視線をリタから外し、横手――北の方角に向けた。
 山脈に遮られた視界の先に横たわる大地を思い浮かべながら。
 ヴァレンディア。故郷。……始まりと終りの地。
 彼が生まれたのも、死んだのも――命を失った訳ではないが、死んだも同然だ――そしてもう一度『生まれた』のも。全てはあの聖なる大地だった――
「ヴァレンディアまで行くと結構寒いわよね。失敗したわ。冬物衣料も買っておくべきだったわ。……まあいいか、明日もう一度買いに行こうっと」
 独り言のように呟いたリタの台詞に何となく違和感を感じて胸中で繰り返して、ウィルは手摺からがばっと身を離した。
「な、何言ってるんだよ君は!? もしかしてついてくる気か!?」
 叫んだウィルに、リタは不思議そうな眼差しを返してくる。
「当然じゃないの。今更何を……」
「全然当然じゃないっ! あのなぁ! 自分の立場考えて物言えよ君も!」
「も、って……? ああ、ディルト様ね。立場はあの方だって同じじゃない。それどころか、あの方よりは戦力的に私の方がマシだと思うけど?」
「そりゃ戦力的に考えれば君に優る奴なんかそうそういるわけないだろ。だからってな……っ」
 言いかけて、随分前にディルトに言った台詞の焼き直しになる事に気付いて、ウィルは思わず口をつぐんだ。その台詞はリタは聞いてはいないが、返ってくる答えはあの時と同じようなものになるのだろうという予想くらい、簡単につく。何とか頭をひねって、ディルトとは別の説得材料を探してみた。
「……アリスはどうするんだよ。彼女を置いてはいけないだろ」
「一緒に連れて行くわよ。あの子、あれでも修道女としての修行してるのよ? 簡単な回復の魔術位なら使えるんだから」
「間に合ってるよ。解放軍には大神官サマがいらっしゃるんでね」
「でも、回復要員はいるに越した事はないじゃない。我が侭言わないでよ」
「どっちがだよ!」
 ウィルのその声に、リタはやれやれというように首を振る。
「それに、同じような条件なら私より先にエルフィーナの心配をするものでしょう、普通。ローレンシアの王女だっていう以前に、貴方の恋人なんだから」
「恋っ……?」
 改めてそうだと確認した事など一度もなかったその単語に思わず顔を赤らめて、ウィルは絶句した。その隙に、リタはひらひらと手を振って顔を引っ込める。
「まぁ、安心して。私もアリスも無理しようなんて気はさらさらないから。死にたくないし。とにかくそういう事で。じゃ」
 このまま黙っていてはリタの事を容認した事になってしまう。だから何か言わなくちゃ――とは思っていたのだが、いかんせん頭の中に『恋人』という単語が回り始めて他の事が考えられない。中途半端に虚空に手を差し伸べたまま、ウィルはただリタがテラスをぺたぺたと歩いて部屋に戻って行くその足音を聞いている事しか出来なかった。


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