CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #42 |
ソフィアが静かに語り出したそれは、別に彼女にとって触れられたくない過去、というわけではなかった。 ――六年前のある日、レムルス王国のとある山村の入口付近に少女が倒れていた。年の頃は十歳前後。その村に住む、随分前に一人息子夫婦と孫に事故で先立たれた老夫婦が、一番最初に少女を見つけていた。身につけているものはどれも見たことがないほど上質のものだったが、それはあとになってから気づいた事で、どれも皆使い物にならないほど汚れていたため、初めは行き倒れの子供だと疑いもせず、慌てて彼らは彼女を自分の家に担ぎ込んだ。 「それが、あたしを育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃん」 ソフィアの口調には言葉通り、悲壮感らしいものはなく、淡々と事実を告げる冷静さだけを備えていた。 ――こんな山奥の村まで子供の足で歩いてくるなんて、さぞ大変な事があったのだろう。 老夫婦はそんな事を思いながら少女を手厚く看護した。やがて少女が目を覚ましても、詳しい事情は聞くまいと申し合わせていたのだが、いざその時を迎えてみると、その必要は初めからなかったという事に彼らは気づいた。 この老夫婦の家のベッドで目を覚ましたこの瞬間より前の記憶は、彼女の中にはなかったのだ。 おそらく大変なショックを受けた為の障害だろう、と村で唯一人の医者は言った。それならば、わざわざそんな事を思い出させる事もないだろう、と老夫婦は自分の孫として少女を育て始め、少女も特に疑うことなく成長していった。 小さな村だったので大人たちは皆その真実を知っていたようだった。だが皆、老夫婦に協力し少女には何も告げなかった。 彼女が真実を知ったのは、本当にたまたま、老夫婦の会話を耳にしてしまったからなのだが、正直彼女にはどうでもいい事だった。実の孫でないと知ったからと言って今迄育ててくれた二人への感謝や愛はどうこうなるものでもない。だが折角気遣って今迄内緒にしてくれていたのだからと、知らない振りをする事に決めたのだ。 三年ほどその村で暮らし、彼女は旅に出た。 しばし時間を経て、老夫婦から与えられた名――ソフィア・アリエスに、亜麻色の悪魔、だの大いなる魔女、だのと言った妙な枕詞がつくようになったというのは、また別物の話である。 「ていう感じなのよ。いや、大神官様に言われるまで気にも留めてなかったのよ? でもさぁ、やっぱり、分かるんなら……知りたいじゃない?」 冗談っぽく微笑みながら、ソフィアは軽い口調で呟いた。だが―― 彼女の瞳の奥――普段ならどれだけ感情を表に出しているように見せても深読みさせる事はないその瞳が叫ぶ声に、彼は気付いていた。 衝動をぐっと堪える。だが、どうしても彼女を放っておく事など出来るはずがなくて…… 彼はソフィアを抱き寄せた。 「ウィル……?」 「分かってる。約束を忘れたわけじゃない」 彼女を『恋愛対象』としては見ない約束。『友人』としてだけ見続ける約束。 彼女を抱きしめても決意は瓦解しない。大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、ウィルは彼女に囁いた。 「そうだよ……俺は君を知ってる。……君の本当の名前も」 「……それが……」 問い返してくるソフィアに、ウィルは少しだけ複雑な表情を浮かべた。だが、もう隠しきれる段階ではないのは分かっていた。小さくではあるが、頷く。 「……ああ、そうだ。君が……エルフィーナだよ」 告げた瞬間の彼女の表情は、抱きしめたままの体勢だった為、見れなかった。 だが、それでも、今迄強張っていた彼女の腕から力が抜けて行くのは肌で感じていた。抱かれた腕に馴染むかように、彼の肩に、そっと彼女の方から額を寄せてくる。 「エルフィーナ……っ」 頼りなさげに身を預けてくる彼女に、慟哭するように囁いて。 彼女の細い肩を夢中で抱きしめて―― 「…………!」 ぐっと―― ウィルは、彼女の肩を自分から遠ざけるように押し返していた。 「ごめん……ソフィア」 まともに彼女の顔を見る事もできずに、ウィルは下を向いた。 さっきから呪文のように唱えていた決意はあっさりと崩れかけていた。あまりの情けなさに自分自身に舌打ちして、ソフィアの肩から手を離す。 そのまま、座っていたベッドから立ち上がり、彼女の顔を視界に入れないまま、窓際まで歩く。 そろそろ祝宴も終わりという時間だろう。音楽は先程から鳴り止んでいた。窓を開けると、少し冷たい夜風が部屋に舞い込んでくる。頭を冷やすには丁度いい。 「じきに皆、部屋に戻ってくる。君も、自分の部屋に帰れ」 「何で?」 普段と全然変わらない口調で問い返してくるソフィアの方を、眉根を寄せたまま見る。 きょとんとしたその表情はやはり、普段と何ら変わりあるものではなかった。 「何でって……あー説明するのも面倒だ。さっさと行け」 しっしっと、犬を追い払うような仕草をするウィルを、ソフィアは半眼で睨めつける。 「あ。何かすっごく失礼な言い方じゃない? それって」 「失礼も何もあるか。人の気も知らないで無害そうな顔してくれて……第一なぁ!」 びっ、といきなり人差し指を突きつけてきたウィルにソフィアは少しびっくりしたようだった。だが、構いもせずに彼は叫ぶ。 「君が無理難題を吹っかけてきたんだろ! そうそう理性保ってられそうな男に見えんのかよ俺が! それだけの強靭な精神持ってたらそもそもディルト様にちょっと突っつかれたくらいで吐かねえっての!」 「え? な、何? 何の話してるの?」 本気で何がなんだか分からないらしく、微妙に逃げ腰になりながら言ってくるソフィアの姿を見て、ウィルは自分の頭をかきむしりたい衝動にかられたが、こぶが痛そうだったので何とか思いとどまった。 代わりに両手をわななかせながら何とか自制心を引き起こすよう努力する。 「あのね、ソフィア……」 「あ。そういえばさ」 唐突に話の腰を折られて顔が引き攣るが、指を数回、パキパキと鳴らして、微笑む。 「……何?」 「何か、怖いよウィル? って、それはいいんだけど……それで、エルフィーナの話は?」 「…………はい?」 問い返した彼の顔に何やら驚いたように、ソフィアはぱたぱたと手を横に振る。 「いや、ウィルの言ってることを聞いてなかったわけじゃないんで怒んないで欲しいな! だから、エルフィーナがあたしってのは分かったんだけどその、あた……エルフィーナって、何者なのか全然分かんなくて」 「そりゃ分かんないだろうね。言ってないし」 「だったら……」 呟くソフィアを無表情で見詰めて――ウィルはぷいとそっぽを向いた。 「もうやだ。教えない。ていうか最初から教えるなんて言ってない」 「そんなの殆ど詐欺じゃないっ!」 「どこがだよ」 「ここまで中途半端に教えておいて! それに自分自身の事だったら、知る権利あるんじゃない!?」 確かに、彼女の言う事は理にかなっているが、だからといって彼女の言い分を聞き入れるわけにはいかない。 「……別に意地悪で教えないって言ってる訳じゃないんだよ。カイルに聞いたんだろ?」 「平気だよ、あたし根性あるから何聞いたって傷ついたりなんて……」 「嘘つけ」 即座に返され、ソフィアは少しむっとした表情を作る。 「何で嘘なんて言えるのよ」 「君の事は知ってるって言っただろ」 「そんなの……子供の頃とかの話でしょ?」 「今だって、さほど変わっちゃいないさ」 真っ正面から言われて、ソフィアは言葉を詰まらせた。だが、視線を逸らしたのは、言ったウィルの方が先だった。 「やめやめ。また馬鹿なこと口走る」 彼女に背を向けて窓枠に手をついたウィルの髪が、夜の風になぶられる。絡めるようにして、もっと部屋の奥にいたソフィアの髪までも。 風に遊ばれて顔の前に出てきた髪を耳にかけ直して、ソフィアは睨むようにウィルの背中を見詰めた。 「もう、これじゃ埒が明かないよ。ねえ、『これをしたら教える』って条件つけない? 難しくても構わないから」 苦肉の策のようなソフィアの言葉に、ウィルは皮肉げに笑みを浮かべる。 「そうだな、じゃあ、キスしてくれたら言ってもいいよ?」 「分かったわ」 「……え」 殆ど即答の形で返ってきたソフィアの声に、逆にウィルが間抜けな呟きを漏らす。 慌てて振り返ると、ソフィアは彼のすぐ後ろまで来ていた。どこから見ても真剣な瞳で、じっと、ウィルの目を見つめている。 「ちょ、ちょっとおい、冗だ……」 うろたえるウィルの腕を、ソフィアは強く掴んだ。力いっぱい引き寄せられて、思わず体勢を崩す。そこへソフィアはすっと、顔を近づけてきて―― 「なっ……な……!?」 柔らかく、彼女の唇が触れた部分に、ウィルは手を触れた。 自分の頬に。 「何よ、キスはキスでしょ。文句あるっての?」 耳まで真っ赤に染めながら、しかし強気な口調で言い放つソフィアを、ウィルは、意味もなく同じ音を連発しながら見開いた目でただ見つめていた。 やがて、しゃっくりが収まるように何時の間にかその意味のない声は収まったが、一度固まった表情はすぐには元に戻らない。さすがに不思議そうに、ソフィアは彼の顔を覗き込んだ。 「どしたの?」 「……どしたの、って……そんな本気で訳分かりませんみたいに言われても……」 珍しく、これでもかという程うろたえるウィルを見て、彼女の方は逆に落ち着きを取り戻してしまったようだ。小さく肩を竦める。 「ま、何でもいいけど。……っていうか、『な』って何?」 「とりあえず『何で』までは頭に浮かんでたんだけど……」 「何でって、変な事聞くのね」 確かに、自分でも変だと思ったから言うのをやめたのだ。まさか、目的の為にはここまで手段を選ばないとは思ってもみなかったが。 「ウィルにキスしたかったからに決まってるでしょ。……じゃ、約束守ってもらうわよ」 「ちょっと待ったっ!」 ソフィアの一言に慌てて叫び声を上げるウィルに、ソフィアが、何? と首を傾げる。 「キ……キス『したかった』って……」 「わざわざリピートしないでよっ! 話先に進めてるのに!」 「聞き返さずにいられるかよ!」 きっぱりと叫ばれて、ソフィアは口を閉じた。視線をほんの少し外しながら、所在無さげに指を絡み合わせる。 しばし考えて、彼女はぽつりと言葉を口にした。 「今までの……お詫び、みたいなものよ。あたしのわがままで、ウィルを困らせたから……」 目を合せようとせずにそううそぶくソフィアにウィルは半歩だけ、近づいた。それに対する彼女の反応は、叱られた子供のように身を固くすることだった。許しを乞うように俯いたまま、彼女は動こうにも動けないでいる。抵抗の間もなく殴ることも、両腕で折れるほど抱くことも自由な位置に立ち、しかしそのどちらもしてこないウィルに、余計に緊張を感じているのだ。 す、と頬に触れてきた冷たいウィルの指先に、ソフィアは身体を小さく跳ねさせた。 「……それだけなの?」 「それだけ……って」 「さっきのは、お詫びってだけなのか?」 囁き声で問うと、ソフィアが下唇を噛むのが見て取れた。何かを言おうとして、唇が震えるように動く。が、再度それは固く閉ざすように噛み締められた。その代わり、彼女の白い手が、ウィルの胸元に伸ばされて、服を強く掴んで来る。 迷子の子供が、ようやく見つけた両親に、泣きながらしがみついてくるように。 「自分で分かってるって言ったんじゃない。意地悪言わないでよ」 「分かってるつもりだった。……けどそれは本当に、つもり……だけだったんだって、思い知ったから」 ――君が気になっていたのはそれだけなんだろ、と。 彼女が素直になりきれなくても、想いは通じ合えている。そう思って、そう言った。 最初は、多分本当にそうだったのだろうとは思う。 けれどその大切な彼女を自分は深く傷つけて―― 素直でない想いすら、みすみす手放す真似をして。 「見放されたと思った。君の傍にいる資格を失ったと、思った。……こんなにも君のことを好きなのに、君を……裏切ってしまった」 不意に、ソフィアは顔を上げて彼を見た。彼女の瞳を潤ませる涙に、目を細める。情けないことに、それだけで自分の目からも雫が落ちてきそうな気さえした。 何とか、それだけは踏みとどまったが。 「ねえ、ソフィア」 ファビュラスの取水塔での時と同じくらいに瞳の距離を近づけて、囁きかける。この間近でも、ただひたすらに真っ直ぐに、自分を見つめる愛しい少女だけを目に映して。 「俺はちゃんと言ったよ。今度は君の番だよな」 瞬間、彼女の眉間にしわが寄る。翳る、というふうではなく、単純に、困ったように。真っ直ぐだった瞳が、へそを曲げたように逸らされる。 「ウィルが思ってる通りで合ってるわよ」 「なるほど。好き好き大好きウィル、もーあたしあんな事でもこんな事でもオッケーよ?でいいわけね」 「……どんな事よ……って別に聞きたくもないけど……」 疲れたような溜息を混ぜた声を洩らす彼女に、ウィルは微笑んで見せた。彼女はそれに答える笑顔は見せてくれなかったが、その代わりに、おずおずと彼の首に腕を回し、頬を胸に寄せて来た。 その熱が――凍り付いたものを、氷解させてゆく。 「嬉しかった……わよ。ディルト様に好きって言われたのもドキドキしたけど……多分、それよりも、なんだろう……もっと近い、感じで」 「近い?」 「ん……多分、一番、近いの。ウィルがそう言ってくれるのが。ウィルが、あたしの身体の中で……一番傍にいる人なの。だから」 彼女は、彼女だけの言い回しをよく使う。自分の感じた事を、そのまま殆ど考えず言葉にするので、解釈が難しい事が多い――が、その分直感的で、時に、痛い程に、重い。 「だから、すごく嬉しかった……んだけど、でも、ウィルの中にはもっと近い人がいるかもしれないのを思い出して。あたしだけが近いと思ってるのは、怖かった。怖くなくする為には、あたしの中の距離も、離さなきゃいけないと思ったの。……そうしないと、もっと遠くなりそうな気がしたから。それは嫌だったから」 そっと、彼女の淡い色の髪を撫でる。震える身体は驚くほどに細くて、小さくて。解放軍屈指の戦士ではない、かつての記憶と変わらない、儚い少女が今、腕の中にいる。 「馬鹿だな。いつだって、俺はここにいるのに」 ――もう二度と―― 「ずっと、君の傍にいるのに」 ――失いたくはないから―― 「……馬鹿とか言わないでよ」 「突っ込む所はそこかよ」 苦笑して、ソフィアの両肩に手を置く。ゆっくりと、彼女の身体を起こさせて、ウィルは彼女を見下ろした。涙でけぶる睫と、その滴の伝う目尻、頬に、ひとつひとつ丁寧に唇を寄せる。 そして最後に、彼女の薔薇の花弁に、くちづける。 「愛してる。後にも先にも、たった一人、君だけを」 そっと顎に手をかけて、しっかりと自分の方を向かせた彼女の唇に、もう一度ウィルは自分の唇を重ね合わせた。 「ウィルー! こっちこっちー!」 楽しくて仕方ない子供のように飛び跳ねながらこちらへ向かって手を振ってくるソフィアに、ウィルは小さく手を振り返した。 戦いから一夜開けたフレドリック王国王都。 生活水準自体は、占領前から比べても大差なかったようだったが、街を闊歩していた帝国兵の姿が消えた所為か、活気は一晩にして見違えるものになっていた。 建ち並ぶ露店を輝いた瞳で眺めてまわりながら、ソフィアは一軒のアクセサリー屋の前で足を止めた。 「ウィル、これも欲しいなぁ」 「高っ」 ソフィアが取り上げた指輪の値段に思わず呻き声を上げると、彼女はにっこりと告げてくる。 「乙女の胸を……」 「分かりましたすみません」 泣く泣く代金を支払って、ふと気付いてみると彼女は斜向かいのドーナツ屋の前に…… 「乙女の唇を……」 「せめて要求を出してから脅してくれ……ってか、それまで脅迫材料?」 「みなさーん。ここの男は人の乳揉んだ挙げ句唇まで奪っておいて約束した事は何一つ喋らない極悪非道人類の敵ですから気をつけて……」 「分かった分かった、口答えしないから!」 手を拡声器の形にして何やらとんでもないことを叫ぶソフィアの口を、慌てて塞ぎながらウィルは溜息を吐いた。 昨日の晩―― ――でもやっぱり、言えないから。 耳元にそう呟いたウィルへと向けられたソフィアの視線は、当然険悪なものだった。しばし、じーっと睨み付けて、やおらその瞳から力を抜く。 「……弄ぶだけ弄んで気が済んだらポイってわけね」 「そういう聞こえのよろしくない事を……」 窓の外へ、つまりは彼から目を背けて、拗ねたように呟くソフィアに、ウィルは呆れた声を出す。弄ぶも何も、キス以外――まあ、例の乳揉み事故は別として――まだ何もしていないというのにそんな事を言われるのは非常に心外である。 ふう、と息をひとつついて、ウィルは前髪を片手で掻き上げた。 「話すのに勇気がいるんだよ。俺だって……思い出したくないのには変わりない」 ただ違うのは、彼には単なる『嫌な思い出』だが、彼女にとっては単に思い出では済まない事態だという事である。 現実にまだ、彼女を巡る策動は生き続けているはずなのだから―― 「何だかずるいなぁ、ウィル」 「ずるいって……」 「あたしには背負わせてくれないんだ」 彼の腕の中で呟くソフィアに、ウィルは疑問の視線を向ける。 「ウィルが護ってくれるのは嬉しいけど、護られてばっか、って言うのは性に合わないのよね」 彼の肩に耳を寄せるようにして、彼女はウィルの顔を見上げた。穏やかな微笑みを湛えた瞳で彼を見つめる。 「あたしもウィルを護りたい。……ウィルの過去や悲しみを、あたしも背負いたいな……」 穏やかだけれど、強い彼女の視線。 ――そういえば、カイルタークは言っても大丈夫だろうと言っていた。 大丈夫――なのかもしれない。彼女は強いけど――弱くて。でもやっぱり強いから。 「分かったよ。但し、もう少し先な。俺の決心がついたら、話す」 そう言ったウィルの言葉に、ソフィアはやや不満気な表情をする。 「いつになったら決心つく? 具体的に言わないと約束になんないよ」 「そうだな……」 考えるそぶりを見せたが、答えはもう決まっていた。彼の全ての始まりと終りの地。 「ヴァレンディアに着いたら……全部話すよ。多分それが一番相応しい」 「分かった。ヴァレンディアね」 納得したように繰り返して、ソフィアは彼の肩から身体を離した。飄々と部屋のドアの方へ歩きながら、あ、と呟く。 「明日、買い物に付き合ってね」 「へ? いいけど……何で」 「フレドリック奪還の作戦が始まった時から絶対ウィルにおごってもらわなきゃって決めてたの。あー。その上今日は色々凄い事やらかしてくれたしねー。明日は下僕決定よね」 「え゛」 「それじゃね、おやすみっ」 嫌な予感に顔を引き攣らせるウィルを残し、ソフィアは満面の笑みを浮かべ、彼の部屋を後にした。 両手に持ち切れないほどの荷物を抱えさせられ――もちろん全額彼の自腹だ――ふらふらしているウィルの前を、ソフィアは手ぶらでぴょこぴょこと歩いていた。 (この女……絶対そのうち……) 重い荷物による腕の痛みと見事なダイエットを果たした財布の軽さのショックのあまりか、普段考えもしない、口に出したらちょっといけない発想が頭の中に浮かんでは消えるのを自制しようともせずに、ウィルは恨みがましい目で彼女の背中を見詰めていた。 と、彼女の視線が一点で釘付けになっているのに気付く。 訝って彼女の目が指し示す方を見てみると、その先にいたのは白ずくめでフードまで被った小さな人影二つだった。 但し――フードの中からはみ出る燃えるような赤い髪は、どう遠目に見てもその人物を特定する材料になっていた。 「リタ王女様……!?」 ソフィアの驚愕の声に、その白ずくめの肩がぎくり、と揺れ――くるりとこちらを振り向いた。 「あら、デート?」 自ら近寄ってきた彼女――王女リタは、ひらひらと片手を振った。 「こういう状況はたかられていると普通は言う……」 「何か虚ろねー、ウィル。知らないの? 男は女の子にたかられて成長するものなのよ」 「言ってろ。それはいいけど、王女が揃って何やってるんだよ、こんな所で」 「やーね。六年間も城の中で閉じ込められてたんだから、このくらいの息抜きはさせてくれたっていいものでしょ? ウィルだって……」 まるっきりからかう口調で言ったリタに、それが狙いだと分かっていつつもウィルは視線を厳しくすると、彼女は小さく舌を出した。 「揃ってって……アリス様は……?」 「あらやだ」 ソフィアの思い出したような呟きに、リタは口許に手を当てて、辺りをきょときょとと見回した。と、人込みに流されている、彼女と同じ白ずくめの格好をした少女が視界に入る。 「あ、あたし、行ってきます」 慌てて駆け出すソフィアを見送りながら、リタはくすくすと笑った。 「エルフィーナね? 全然変わってないの。最初に見たときびっくりしちゃった」 「彼女に変な事言うなよ。ディルト様にさえ言っただろ。幼なじみだって」 リタを睨めつけながらぼやくように呟く。が、彼女は全く気にしていない様子で肩を竦める。 「それに関しては、言わない理由なんてどうせ、面倒くさいってだけでしょう。前からそうだったけど、ねえ? ウィルザード・アルシディアス・ラス・ヴァレンディ陛下?」 かなり久々に、本名で呼ばれて―― あからさまに不機嫌そうな顔つきをするウィルに、リタは人を食ったような笑顔を向ける。 「怒んないでよ。その代わり、いい事教えてあげるからさ」 「いい事?」 胡散臭げに聞き返すウィルに、一瞬考え込む様子を見せてからリタは視線を彼に戻す。 「よく考えたらあんまりよくないかもしれないけど……おまけにもう知ってるかもしれないけど」 「回りくどい事言わないでいいから、言えよ」 「暗黒魔導士ラー、見た事ある?」 「そりゃあ、な。知ってんだろ。ヴァレンディアの決戦の時、俺らが散々やられたのを」 唐突に聞かれてよく分からないながらも答えたが、リタは小さく首を横に振る。 「そっちじゃなくて……そうね、ここ数年以内では?」 「? ……ああ、あるな。何ヶ月か前に、レムルスのシュワヴィテ山で、一度……」 「その時に、気付かなかったの?」 「何に?」 純粋に、何が言いたいのか理解していない瞳で問い返してくるウィルに、リタは真紅の瞳を真っ直ぐに向けた。 「彼が、リュートだって事に」 「…………は……い?」 呆けた答えを返すウィルにリタは噛んで含めるように告げる。 「あれはリュートよ。ルーンナイト、リュート・サードニクス。声も口調も背格好もどこから見ても彼じゃない。何で分かんないかしら……あ、暗示でもかけられてたのね? 魔術士なのに情けないわねー」 リタの声は、もう耳には入っていなかった。ただ、リュートという名前だけが…… 「……なん……で……?」 大通りの向こうの方からアリスの手を引いて歩いてくるソフィアの姿が、やけにぼんやりとして見えた―― |