CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #40 |
敵の数は、自軍の数倍――下手をしたら数十倍以上。 敵軍の陣地内への潜入ゆえ、全軍を入れるわけにはいかず、魔術士だけを全て送り込むという作戦を取った。奇襲は成功した上、民衆に紛れ込んでいるので敵もなかなか思い切った攻撃には移れない様だったが、一旦たがが外れてしまったら甚大な被害は免れない。 出来るだけ迅速に、敵を殲滅させなければならない―― 「『氷の矢』よ!」 解放軍側としても魔術士のみの戦力で、市街戦というのは辛い。魔術士の本領である広範囲型の魔術が使用しにくいからだ。従って、比較的指向性の高い術で応戦する事になるが、これでは対個人用の攻撃しか出来なく、数の不利は覆せない。 (どうする気――ウィル!) 王女たちの枷を外してやりながらソフィアは胸中で呟いた。彼の事だから、何も考えていない訳ではないだろうが、考えが読めない以上どうする事も出来ない。 と―― 待ちかねていた声の登場は、唐突だった。 「ソフィア、無事か!? 王女は!?」 テラスからその最上部へと続く階段をこちらに向かって降りてきながら、ウィルは叫んできた。ディルトもいる。どうやらあちらこそ無事だったようである。 「無事よ! だけど――」 「分かってる、すぐに片付ける! やるのは俺じゃないけど!」 をい。 思わず突っ込みかけたソフィアから僅かに視線を外して、ウィルは彼女の傍らでうずくまっている王女リタに向かって声を上げる。 「リタ!」 ゆっくりと王女リタが、ウィルの方に顔を向ける。あからさまに驚いた表情を浮かべるソフィアはお構いなしに、ウィルは何か鬱陶しげにひらひらと手首を振る。 「やれ、思いっきりだ」 「……お父様に止められていたのだけれど」 「何十年後あの世に行ったらその時に謝るさ。ていうかこっちはそれを当てにしてきてんだから何とかしろ」 「オッケー」 あっさりと指先で円を作るジェスチャーを返して、リタは立ち上がった。ふわふわとした足取りで、テラスの端の方へ行き、あまつさえ質素なものとはいえドレスのまま、その手すりの上によじ登る。 「リ、リタ様!?」 ぎょっとして叫ぶソフィアやディルトの方には振り返りもせずに、リタは深呼吸でもするように軽く天を仰いだ。そして、 「バハムートちゃーん! おーいでー!」 青空へ向かってリタが叫んだ数秒後―― 暗闇が、辺りに落ちた。 一瞬だけ、ざわめきは大きくなったが、すぐに沈黙に取って代わられた。 帝国軍も、解放軍も、一般市民も。皆一様に口を開いたまま暗くなった天を仰ぐ。 否。巨大な影が落ちたのだった。城ほどとは言わないが、家の数軒で済む大きさでもない。そしてその理由――それを皆が見上げている。 真紅の、蝙蝠のような皮膜の翼。乾いた鱗がびっしりと張り付いた皮膚。鋭く燃える瞳。牙。爪。そして、大地をも揺るがすような咆哮。 「――り――」 その声は誰のものか。 「竜――だぁっ!?」 誰が上げたとも知れない悲鳴は、一瞬にして街中をパニックに陥れた。 テラスの手すりから、リタはまるでこの世に何の未練もない自殺者のような軽さで外に向かって飛び降りた。 その少女の身体を、待ち受けたように紅の竜が背で受け止める。 「さぁ、責任はウィルが全部とってくれるらしいから、派手にやるわよ」 「いや、そういう言い方は怖いんだけど」 竜に向かって語り掛けるリタに、冷や汗を垂らしつつ呟くウィル。だが、王女は竜の背に乗ったまま蒼穹の空へと舞い上がって行く。 城の天守と同じ高さまで上り詰めたところで、彼女は白い指先を地上に向ける―― 「あの辺り、やっちゃって!」 きしゃああぁっ!! リタの大雑把な指示に従い、竜は吠え声をひとつ上げ、それと同時にその口から渦巻く炎を吐き出した。絶大なる火力。だがしかし、このままでは確実に敵味方もろとも炎の海に投げ込んでしまう事になる。それ程巨大な火焔が地表に届くその寸前。 炎は標的を選別するように分離、四散した。 「竜魔術……まさか……竜使い……!?」 その単語は、魔術に造詣のないはずのディルトですら知っていたのか、驚愕の声を上げる。 竜魔術。人間とは体内に在る魔力の絶対量が桁違いである竜族のみが使いうる、強大な魔術。 人間の魔術士の場合、己の魔力を餌に『自然界の魔力』を召喚し、それにより物理力を引き起こすという手順を踏む以外に魔術を行使するすべはない。なぜならそれは、どんな強力な魔術士であろうとも、人間には物理力を引き出すほどの魔力を持ち得ないからである。 しかし竜族にはその手順が必要ない。体内に内包する魔力総量が違いすぎるからだ。竜の絶対的な魔力量をもってすれば己が力で直接、物理現象に作用する事ができる。そして――持ちうる魔力の違いはそのまま術の破壊力の違いになる。 だが竜という生物は通常その余りある力を振るおうとはしないものであると言われていた。竜がおとなしい生物であるというわけではない。魔術を使わずとも元々竜は炎を吐息のように吐く事も出来るし、巨躯から繰り出される攻撃力は計り知れない。そのために、魔術を使う必要性がさほどないためである。 唯一の例外が――竜使いに命じられた場合である。 地上の生物の王とも崇められる竜族を意のままに操ることの出来る素質、とでも言うべきか。その血は、竜王国王家の血統に受け継がれていた。むしろそれが、フレドリック王国をして竜王国と言わしめる所以であると言えたが。しかしながらその素質は全ての王族に現れるものではなく、竜使いの存在も伝承の中だけのもののように言われていたのだが―― 「うああぁぁ……!」 確実に、帝国兵だけを狙って炸裂した怒れる竜の炎は、大きな火柱を上げて敵を焼き尽くす。今の一撃で、十数人の兵が一気に消滅していた。数的には確かに焼け石に水だが――突然戦場に現れた竜の存在とその恐るべき攻撃力は、敵の戦意を喪失させるには十分だった。 「聞きなさい、帝国に与する心無き騎士たちよ!」 竜の背中に仁王立ちして言い放つリタを乗せたまま、そのまま竜は徐々にその高度を下げて行った。弓矢などがあれば、下からの攻撃の間合いに入る程まで下がっても、矢を番えようなどとする者はいないようだった。 「貴方達の将、エブロスは討たれました。すぐさま剣を捨て投降するならよし、なおも刃を向けるというのであれば――」 きっ、と、帝国兵達を睨み付ける。竜の鱗と同じ紅の瞳で。 「大陸解放軍と、私……竜王女リタが容赦しません!」 人々を見下ろしそびえる竜と、辺りを包囲した魔術士たちを前に、剣を捨てるのを躊躇う者は、誰一人としていなかった。 「よくぞこの竜王国フレドリックをアウザール帝国の魔の手から救ってくださいました。亡き王に代わり、第一王女リタがお礼を言わせていただきます」 玉座に着いた王女リタは厳かに、しかし女性の優しさを湛えた声で、謁見の間に集まったディルトをはじめとする大陸解放軍の兵士たちに言った。その労いの言葉へ頭を深く垂れたディルトが恭しく返礼する。 「貴女がたお二人がご無事であった事が何よりです、リタ姫、アリス姫。しかし、父上、母上をお救いする事が出来なかった事が……」 「いいえ、ディルト様」 ディルトの言葉を遮って、リタは首を横に振る。玉座から立ち上がり、ディルトの傍まで降り立って彼の視線に合わせるように膝すらつく。 「お気になさりませんよう。父も母も国を護るべき者として役目を果たし、その命を散らせました。その遺志を継ぎ、この国を……いえ、この大陸全てを平和に導く事が最高の弔いになると私は思うのです」 まさに慈愛を絵に描いたようなその瞳でリタはディルトの手を取った。顔を上げたディルトに穏やかに微笑みかけ、彼女はすっと立ち上がる。 「さあ、今宵は宴を開きましょう。勇敢なる戦士達の勝利を祝して」 手を打って王女がそう言うと、歓声に場内は沸き上がった。 華やかな音楽と数々の料理は、待っていたかのようにすぐに用意された。 つい数刻前まで帝国軍の城だったお陰で食材などに困ることはなかったし、この間、城で働いていた者も元は皆、フレドリック王家に使えていた者なので、この宴の為に腕を奮わない者はいなかったのだ。 「ディルト様」 先刻までの質素なものとは打って変わった煌びやかなドレスに身を包んだ王女二人が、彼の傍へと歩み寄ってきた。 貴婦人への礼として即座に膝をつこうとするディルトを慌ててリタが制止する。 「お止め下さいませ。これからは同士なのですから」 「は?」 「いえ、こちらの事ですわ。……それよりも、お楽しみいただけておりますかしら」 「ええ、もちろんです。お心遣い痛み入ります」 応えたディルトに微笑みを返してから、リタは探し物をするように少しばかりあたりに視線を巡らせた。 「……ときに、ウィルの姿が見えないようですけど……」 「え? ああ、彼でしたら……こういう席は苦手と言っておりましたから、自室で休んでいるのではないかと」 「そうでしたか」 やや納得しきっていない表情でそう呟くリタに、ディルトはちょっと考えてから尋ねた。 「リタ王女、失礼ですが、ウィルとはどのようなご関係で?」 問われて、リタが一瞬驚いたような表情を見せたのは、ディルトの見間違いではなかっただろう。すぐにその表情は顔から消去されたが。 「幼なじみ、の様なものですわ。兄のように慕っておりました。……アリスはまだ小さかったから、覚えていないかもしれませんけど」 と、すぐ傍の妹に視線を向けると、少女は小さくこくりと頷く。 少女から視線をディルトの方に戻し、リタは柔らかく微笑んだ。 「ディルト様には本当に感謝しております。絶望の淵にあった私たち姉妹を再び太陽と風の下に連れ出して下さったのですから」 その王女の台詞に、言葉ほどの悲哀が込められていたというわけではなかった。だがしかし、ディルトはようやく、この王女がまだ十五歳の少女であった事を思い出していた―― 「私どもの力など。リタ様のお力があればこそ可能となった作戦です」 「戦う能力など、重要ではないのですわ。貴方がたが来て下さらなければ私達は動けなかった。それが事実なのですから」 ほのかに悲しみを込めた瞳。表情のよく変わる彼女の紅玉の瞳にディルトは思わず見とれていたことに気付く。 くるりと、またすぐにその表情を消してこちらを振り向いてきた王女から、ディルトは思わず、しかし不自然ではないように意識して視線を外す。 「さっ、ディルト様。お酒をお召し上がり下さいませ」 言って王女自らが差し出してきたシャンパンのグラスを、ディルトは慌てて受け取った。 解放軍の兵士の為にフレドリック城内で割り当てられた個室は、まあ、悪くはないものだった。大陸有数の大国家、フレドリック王国の王城なのだから、当然といえば当然の事だったが。 祝宴が繰り広げられている大広間よりかなり離れたこの部屋にも、夜気に乗って音楽が微かに流れてくる。宴席から部屋に運ばせた料理を平らげて、ウィルはベッドに横たわっていた。 ああいった席は、面倒ではあったが、本当はさほど苦手という訳ではない。普段粗食である分、出される食事や酒には結構魅力を感じる。 だが、ここまでの疲れか(まさか今日の階段上りの疲れだとは思いたくないが)眠くて仕方なかったのだ。 そんな訳で、枕に顔を伏せてうつらうつらとしていたのだが―― 瞬時に覚醒してウィルは即座に顔を上げた。 物音がした訳でも、人の気配を感じた訳でもない。ただ、この感覚は知っていた。上半身を起こして、窓の方を見る―― 窓の外の僅かな星の灯りに、気配もなく佇む人影がシルエットとなって映っていた。 「ソフィア?」 試しに、いつもこういう事をするソフィアの名を呼んでみたが、影からの返答はなかった。答えが返ってこないであろう事くらい、もとよりウィルは気付いていたが。 (……ソフィアじゃない) 確認するように胸中で呟いて、ウィルはゆっくりと身を起こす。もちろん影からは一瞬たりとも目を離さずに。背格好はソフィアと同じ程度のものだが――確実に、彼女とは違う一点がある。 知り尽くした感覚。こちらの背筋を凍らせるような――鋭い殺気―― 刹那。 さしたる音もなく床を蹴ったその影に、ウィルはベッドから後ろ向きに飛び降りた。 |