CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #39

←BACK

NEXT→



「来たか」
 ウィルは、フレドリック城から来た帝国軍の使者が持ってきた通達を、慌てた様子もなく――いやむしろ、待ち構えていた表情で受け取った。
「要求は、反乱軍の全面降伏の宣言、レムルス王国王太子ディルトの身柄の引き渡し……なされない場合はフレドリック王国王女リタ、及びアリス両姫の処刑を行う、と」
 ざっと目を通した書面を巻き上げながら、ウィルは傍らのディルトに視線を転じた。
「さて、どうしますか?」
「決まっているだろう」
 何の澱みもなく言って、ディルトは真っ直ぐウィルの目を見詰め返した。
「お二人の王女は必ずお助けする。そして……我らも帝国軍の前などには屈せぬ」
「難しい事を簡単に言ってくれちゃいますね」
 困ったような口調で――だが、その瞳は笑いながら、呟く。
「これは好機ですよ。わざわざ攻め入るまでもなく、あちらからどうぞと言わんばかりに迎え入れてくれるというんだから」
「問題は、孤立無援となる事のみか」
「ええ、大問題ですね」
 ふう、と大きく嘆息して見せたウィルを、ディルトはじっと見詰めた。
「……そろそろ白状したらどうだ?」
「何をです?」
 空々しい口調のウィルに、ディルトはやや厳しい視線を送る。
「王女お二人の命をチップにし、安全に王都進入を図る……お前の描いたシナリオ通りなんだろう?」
「やだなー、人聞きの悪い」
 軽薄な笑みを浮かべてウィルは答えたが、険しい表情のままのディルトの迫力に負けたように、やがて降参のポーズをとる。
「そりゃあ、それが楽そうだなーとは思ってましたよ。だけど、絶対に負けないと分かってる賭けだからこそ――」
「絶対に負けないという保証がどこにある? 四方八方敵に囲まれた中、力なき姫君をどう護るというのだ!?」
「力なき……ねぇ」
 ディルトという人間は、大概このような事態に対してはいつでも相手をする方が疲れるほどに真剣になるが、今回もやはり我が事のような勢いで突っかかってくる。それをウィルは、彼の言いたい事とはまるっきり違った部分で相槌を打って、頭をぽりぽりと掻いた。
「王女らの傍にはソフィアも送り込んでいるし、全くの孤立無援という訳ではないですよ。もちろん他にも人員を潜入させます。俺も含めてね。敵にしてみても、興味は王女らより俺達解放軍の方にある訳だから、直接的な矢面に立つのはむしろ、ディルト様、貴方の方になるんですよ?」
「私が――彼奴等の目の前に出ているうちは、王女らの身は安全であると言えるのだな?」
「そういう事ですね。万全を期しますが、危険は無論あります。……ご覚悟はよろしいですか?」
 ウィルの確認に、ディルトは迷うことなく頷いた。

「似てきたな」
 城に向かう為の準備にディルトが席を外したのを見計らったようなタイミングで現れたカイルタークは、一瞬誰に向かって言ったのだか分からないくらい唐突にそう言った。
 と言ってもその場にいたのは彼自身の他にはウィルだけだったのだから、考えるまでもなかったが。
「似てきたって、誰に」
「リュート」
「……一応聞いとくけど、誰が」
「お前」
 しばし瞑目してこめかみを押さえてから、ウィルは再び問いを発した。
「…………どういう意味?」
「どうもこうも、そのままだが」
「全然分からん」
「性格が悪くなったな、という意味だ」
「カイル……お前に言われちゃおしまいだよ、リュートも」
 疲れきった声でそう吐いて、ウィルも部屋――と言っても例によって仮設のテントだが――を後にしようとする。だが。
「そうかな?」
 背後から浴びせ掛けられた声に、ウィルは思わず振り向いた。それは普段通りの、抑揚の少ない声だったが――
「憶えておけ。あいつは、お前が思っているよりもずっと、性悪だぞ」
「……え?」
 思わずウィルが唇から漏らしたその呟きが聞こえなかったかのように、カイルタークは先に部屋を出ようとした彼を追い越して出ていった。



(やあね……日焼けしちゃうじゃないの、もう)
 フレドリック王城。
 かつては、国民の前で行う様々な式典や参賀に応える時などに使われていたそのテラスで、吊るされるように縄で縛り付けられながら、王女リタはそんな事を思っていた。
 今の日差しは、このフレドリック地方にしては激しいものではないが、それでも長時間にわたって肌に突き刺さる紫外線の美容への影響は気にならなくはない。
(これは、私の若さを妬んでの所業としか考えられないわね。この根性悪将軍、後で見てなさい)
 視線を横に動かす。と、彼女と同じような格好で吊るされる妹の姿が視界に入る。まだ十二歳と幼い妹だが、決して泣きはしない。この六年間、国に殉じて命を散らせた父母の代わりにフレドリック王族としての誇りを教え込んできたのだから。だが、このような状態でかなりの時間放置されている為か、少々顔色が青ざめてきている。
(見ていなさいよ、私のアリスをこんな目に合わせて。許さないから)
 自分の背後で愚かしくもこの国の支配者気取りでいい気になっているであろう帝国の将軍は視界に入れるつもりもなく、リタは顔を、テラスの下に集まった国民の方へと向けた。

 フレドリック城前に集まった、おそらくこの街の殆どすべての市民の中を晒されるようにして、ディルトは歩かされていた。
「ああ、リタ姫様、アリス姫様……おいたわしや……」
 むせび泣く声が微かに耳に入って、彼はその声が聞こえた方を向いた。すぐさま視界に飛び込んできた顔を覆う老女の小さな肩に枷のはめられた手でそっと触れると、老女ははっと顔をあげた。皺の深く刻まれたその顔に、穏やかに微笑みかける。
「大丈夫。王女らは、必ず……」
「さっさと歩けっ!」
 武装した帝国兵に肩を強く突き飛ばされてディルトは数歩よろめいたが、恨みの視線をそちらに向けることなく、あくまでも穏やかな表情のままで真っ直ぐと前を向いた。
 二人の王女だけを見詰めて。

「良くぞ来たな、歓迎しよう。レムルス王国王太子ディルト殿」
 テラスに上がったディルトをまた更に見下ろす高みから、嘲笑を含んだ声を吐きつけてきたのは、このフレドリックの城の主におよそ相応しからぬ小物面をした男だった。
「我は偉大なるアウザール帝国皇帝より将軍位を賜るエブロス。このフレドリック地方を治める者である」
 将軍とやらの台詞はまだ少し続きそうな気配だったが、ディルトは構わずに男から視線を外した。奥歯を噛み締め、真っ直ぐと前を――縄で吊るされる二人の幼い王女を見詰めていると、男は苦笑するような息を漏らす。
「なに、貴殿が己の立場をわきまえぬ行動を取ったりしなければ、このような小娘どもにわざわざ手出しはせぬ。安心されるがよい」
 再び顔を上げたディルトに、男は満足げに頷いて見せる。
「さあ、王子よ。我が前に跪くがよい。さもなくば、御自らがこの場で命を絶つか……」
「私は」
 一陣の清浄な風がその場を抜けるように。
 ディルトの声は、響いた。何をも怖れぬ強い眼差しで、帝国将軍を睨み上げる。
「貴様ら帝国の軍門に下るくらいならば、自らの死を選ぶ。――だが」
 すっと、ディルトは戒めを掛けられた手首を高々と掲げる。と。
 ひゅんっ!
 その瞬間、風を切って飛来した不可視の――魔術の刃が、彼の戒めを断ち切っていた。
「私は決めたのだ! 王女らをお救いする事、そして貴様ら帝国を討ち滅ぼす事!」
 辺りの帝国兵達の、ざわり、とした動揺のどよめきと、城下の人々の息を呑むような音が同時に空気を震わせ――
「な――」
「『氷の矢』よ!!」
 引きつるように上げられた将軍の声を掻き消して、人込の中から上げられた、百人分の呪文の一文句が唱和した。
 その声にしたがって、テラスを取り囲むように出現した、数百もの矢のように鋭利な氷塊は、一直線にそのテラス一面に降り注ぐ。
「うわあぁぁぁっ!?」
 上がる幾人もの帝国兵の絶叫。攻撃魔術としてはかなりポピュラーである、氷の矢を放つ術。その名前と見た目通りの効果の術であるが、当たれば本物の矢のように人間の身体を射抜くほどの威力を備えている。更に、教会魔術士ほどの熟練者が使えば一度に十本近くの矢を生み出すことも可能になる。
 だがディルトはそんな危険な氷柱の雨の中を抜けるように、テラスの中央へと走っていた。
「王女!」
 戒められたままの王女の姿を視界の先に認めて、彼は叫んだ。が、王女たちのすぐ傍で、魔術による攻撃からたまたま逃れた帝国兵のうち一人が、気づいたように刃を少女たちへと向かって振り上げる。間違って王女たちに術を当ててしまうのを避ける為、その辺りだけ狙いを外していたのだ。
 ざんっ!
 しかし肉を切る音に続いて床に顔をつけたのは、王女たちではなく剣を振り上げていた男の方だった。
「ディルト様!」
 倒れた男の後ろから姿を現した、剣を握った修道女が、自分のフードを剥ぎ取りながらその剣を彼に向かって放り投げてくる。
「ソフィア!」
「王女様は任せて下さい! ディルト様は……!」
「分かっている!」
 即座に踵を返し、ディルトはテラスから更に上へと続く階段を登った。その上に待つ――何と言ったか、名前までは記憶していないが、将軍と名乗った男を目指して。
 途中、進路に立ちふさがるように立っていた二、三人の兵を、ディルトは駆け上るままの勢いで切り捨ててゆく。そして――
「……くっ……」
 数人の剣を構えた兵士の後ろで、将軍は呻き声を上げていた。額に脂汗を滲ませたまま、痙攣するような笑みを頬に浮かべる。
「こっ、こんな所にまで一人で切り込んでくるとはなっ! 無謀にも程があるというもの……」
「一人?」
 皆まで言わせず、ディルトはからかい半分のような軽い口調で呟いた。しかしそれ以上言ってやるつもりはない。彼は剣を正眼に構えた。
「や、やれ! 相手は軟弱なガキ一人だ――」
「ディルト様が聞き返してくれてんのに」
 声がして、一斉にディルトに向かって駆け出したことごとくが、彼に切っ先を届かせるよりも遥か遠くで、何かに弾き飛ばされるように後方へと吹き飛ぶ。
 ひょい、と今し方ディルトが駆け上がってきた階段から、顔を覗かせたのは――ウィル。反対側の壁に叩き付けられ気を失っている兵士たちと、わざと魔術の攻撃の範囲から外した将軍とやら、そして王子ディルトを順に見てから、ウィルは小さく笑った。
「この階段一気に登るのは大変辛かったです。あとお願いします」
 自分に見せ場を譲る為の方便かとディルトは思ったが、ウィルの額に本気で汗が浮かんでいるところを見て、まあ、半々だなという結論を下した。どちらにしろ、この低劣な男の処断を他に譲る気はさらさらなかったが。
「まだ貴様に神を信ずる心があるのならば、祈るがいい……」
 静かに呟きながら、ディルトは男との間を詰めた。男は這いずるように後方に下がったが、やがて背中を壁につける。無言で剣を振り上げるディルトの姿に、男は息を呑んだ。
「ゆ……許してくれぇ! わ、私は……!」
 頭を抱えるようにしながら哀れな震え声で叫ぶ男に、ディルトの手は振り上げた形のままぴたりと止まる。
「私は、皇帝に、命令されていただけなのだっ! だ、だからっ……! 頼む、命だけはっ!」
 あとは、声にならないようだった。震えでがちがちと歯を鳴らす男に剣を振り下ろすのを諦め、ディルトは腕を下ろし、男に背を向ける。上ってきた階段の方へ一歩踏み出した瞬間、そこにいたウィルの表情が硬くなるのが見えた――
「馬鹿めっ!」
 背後から、狂乱したような男の喚く声。
 半ば振り向いた視界に、迫り来る刃が映る。
 ……ずっ……
 人の命の灯が消える深い深い音。
「決めたと言っただろう」
 貫かれた剣から男の身体は離れ、力なく崩れ落ちる。男の凶刃より、振り向きざまにディルトが放った一閃の方が、速かったのだ。
「だから、私はまだ死ねない。全てを終わらせるまでは」
 静かに告げてディルトは剣を一降りして、血の滴を振り払う。
「さあ――まだ戦いは残っている。下へ行くぞ、ウィル!」
「御意に、ディルト様」
 ウィルの応えに、ディルトもまた頷いて、二人は階段を駆け降りた。


←BACK

NEXT→


→ INDEX