CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #38

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 ばさりっ……
 純白の鷹が、空に舞う。
 それが、約束された合図だった。

「行くぞ」
 蒼穹の空に舞い上がる鷹を眩しげに見上げながら、ぽつりとサージェンは呟いた。

 時を同じくして。
「進撃を、開始する!」
 レムルス王子ディルトの号令で、大陸解放軍本隊は、進軍を開始した。
 目指すは、二人の姫の囚われる、竜王国フレドリック王城。

 そして――
 ここにも、空に舞い上がる鷹を目にした人物がいた。
「ねえ、姉様! 見て、白い鷹。何て珍しい」
 申し訳程度に開けられた小さな窓から四角い空を眺めて、自分と同じ色をした燃えるような紅の髪の少女がはしゃいだ声を上げるのを、フレドリック王国第一王女リタは首を傾げて見詰めた。
「白い鷹?」
 そんなものがいるの? そう問い返そうとして、彼女も幼い妹と同じように窓の外に目をやる。
 いた。
 確かに、鷹――のようだった。遠目だが、輝くような純白の。
 それはくるりと旋回して、森の木々の中へ消えた。そして、しばしして、その木々の間を抜け、こちらへ向かってやってくる轟音に気付く。数百もしくは数千もの、人馬が地を踏む音。駆けてくるというわけではないが、森を抜け、一斉に草原をこちらに迫ってくる。
 あれは――!
「ね、姉様!?」
 驚いた様子で振り向いてくる妹に、彼女は不敵な笑顔を見せた。
「大丈夫よ、アリス。あの方たちは味方。帝国の将軍を倒し、このフレドリックを救うために来て下さったのよ」
 自信を持ってそう言い切る姉に、アリスはきょとんとした眼差しを見せたが、すぐにこくりと小さく頷いた。
「騎士……さま……」
 手を祈るように組み合わせて、アリスは瞳を閉じた。その彼女の頭に、そっとリタは手を置く。優しく妹の頭を撫でてやりながら、しかし視線は鋭く窓の下に見える景色を見詰めていた。
「……ウィル。気をつけて」
 妹と同じように祈るような気持ちで、リタも小さく囁いた。



 閉ざされた城門を遠目に見やりながらウィルは小さく息をついていた。
 白亜のフレドリック王城。実際にここを目にするのは――
(何年ぶりくらいになるかな。昔はよく来てたっけ)
 ふと、懐かしさが込み上げてくる。ファビュラスに帰った時の懐かしさとは、また違う感じだった。ファビュラスでの記憶は最古のものでも六年以上前のものはない。つまりは自分が『ウィル・サードニクス』を名乗る以前の記憶はないということだ。
 だが、このフレドリックは。そして後に訪れる事になるであろうヴァレンディアは――
 小さく嘆息して、ウィルはかぶりを振った。感傷に浸っている場合ではない。顔を上げて、彼はしろとその城下町をぐるりと取り囲むように作られた城壁を見やった。
 城壁に囲まれた街、というのはさほど珍しくない。入口が限られるため普段でも街へ出入りする人間のチェックに便利であるし、もちろんこれが第一の目的であるのだが――戦争などの際、防御の大きな拠点に出来る。
「厄介だな」
 独り言のように呟いたディルトの方に、ウィルは視線だけ向けた。
「守備に入られるとつらいな。敵が街をこちらの攻撃の緩衝材として使うつもりがあるのなら、尚更だ」
「あ。ディルト様がまともな事言ってる」
「どういう意味だ」
 ウィルとしては能天気王子のスキルアップを賞賛したつもりだったのだが、王子自身にはお気に召さなかったらしい。半眼で睨めつけてくるディルトから視線を逸らして、ウィルは自分の顎に手をかけた。
「まあでも、こっちには教会魔術士っていう火力がありますからね。城壁はたいして意味を成さないと思うんですけど……確かに、街の方は全部焼き払う訳にはいきませんからねー」
「うむ。……その上、城に囚われる竜王国のお二人の姫君……人質として使われる事も考えられる」
「ああ、それならちょっと手を打っておきました」
「手?」
 こともなげに言うウィルの顔を驚いたように見詰めながら、ディルトは聞き返した。
「取り合えず俺達は、どうやって駒を王城に進めるかだけを考えましょう」
 まぁ、それもある意味もう考えてはいるんだけど――
 内心でこっそり舌を出しながら、ウィルはディルトにそう言った。



 僅かな音さえ立てずに。
 彼女は窓から、大理石に絨毯を敷き詰めた豪奢な廊下に降り立った。ゆっくりと、辺りを見回す。
「はー、ここがフレドリック王城……凄いわねぇ……」
 感嘆の吐息を漏らしながら、呟く。しばらくそうして観察もかねて周辺を見まわしていたが、ふと人の気配に気づいて、亜麻色の長い髪を白いフードの中にしまい込み、手に聖職者が持つ杖を携えて、静々と廊下を歩き出した。
 程なくして廊下の向こう側から慌てた風に走ってきた騎士は、どこから見ても普通の修道女にしか見えない少女の姿に何の疑問も抱かずにそのまますれ違っていく。
 何気なく振り返ってその姿を目で追いながら、彼女――ソフィアは一人、微笑した。

 ウィルからの書簡が届けられたのは、昨日の昼頃の事だった。
 もうすぐ傍まで追いついてきている本隊からわざわざ連絡が来るなど、何かとんでもない事態が起きたのかと最初ソフィアは思ったが、何のことはない、ただの命令書が一通届いたのみだった。
 だが安心したのも束の間、その命令自体がかなりとんでもない代物だった。
『ソフィア・アリエス。単独でフレドリック王城に潜入し、王女二人を救出せよ』
 …………どーやって?
 言うまでもなく、その時彼女の頭の中にはその文字が浮かんだのだが、残念ながら手紙の本文はそこまでで、方法その他の指示は出してくれないようだった。彼女自身の能力を信頼する、という事なのだろうが――
(か弱い女の子をこき使うなんて、いけないよね。後で何かおごってもらおっと)
 そんな事を考えながら、ソフィアは情報収集を始めていた。

 何だかんだ言っても数刻後には、ソフィアは自分にとって十分な情報を仕入れていた。
 竜王国首都は、街全体を高い城壁に囲まれている作りになってはいたが、その街に潜入すること自体はさほど苦ではなかった。敵の接近を警戒して、街への人間の出入りを制限してはいたが、それをすり抜ける程度の事はソフィアには朝飯前である。
 ともあれ潜入した先の街で様々な方法で情報を探った結果思い付いた作戦が、題して『修道女の格好で城に潜入しちゃおう作戦』だった。
 というのも、竜王国の王女は代々、礼儀作法や学問を修道女に教わるという習わしがあり、それは帝国軍の手中にその身を預けている今でも変わっていないらしいという話を耳にしたからだった。そうでなくてもフレドリックの民はひどく信心深く、城の中にさえ教会があるくらいなので、城内を修道女が歩いていたところで誰も気に留めないという話も聞いた。
 これならばかえって単独行動は有利に働くだろう。潜入さえ果たしてしまえば、中で動き回るのは難しくない。
 いや、おそらくは彼は知っていたのだろう。知っていた上で彼女を試したのではないか――そんな疑念さえよぎる。
 どちらにしろ――
 ソフィアにはこの作戦はたまらなく面白そうに感じられていたので、それはどうでもよい事だった。

 かくて、ソフィアの『修道女の(以下略)』作戦は決行されたのだった。

 潜入したはいいものの、二人の姫の監禁場所に心当たりはなく、取り合えずソフィアは適当に広い廊下を歩き回っていた。これとて、もう少し時間をかけて情報を探れば掴める自信はあったが、時間的な余裕がなかったのだ。とりあえずなるべく城の中枢と思われる方角に向かって歩くことにする。
 さすがにあまり深く立ち入れば修道女の姿でも怪しまれずには済まないだろうが、そうなりそうなら普段通りこっそりと嗅ぎまわればいいだけの話である。昼間、という時間帯が少々きついが、やってやれない事はないだろう。
 と――
 ぱりぃん!
 唐突に響いてきたガラスか何かが割れる音に一瞬顔をしかめて、ソフィアは耳を澄ませた。だが、そうせずとも後に続いてきた叫び声は辺り一帯に響くほどのものだった。

「一体、何をしていたのだ貴様らは!?」
 怒りに任せて男が振り抜いた鞘に入ったままの剣は、テーブルの上のブランデーの瓶を叩き落とし、琥珀色のその中身を絨毯の上にぶちまけた。だが、怒りの声は更に続く。
「森に待機させておいた部隊もむざむざと全滅させおって、皇帝陛下にどう釈明せよというのだ、この失態を!」
「しかしエブロス将軍、あれは――」
 貴方の作戦ミス……失態ではないか。喉元まで出掛かった言葉を、しかし一介の騎士である報告者は呑み込んだ。口に出してしまえば自分の首はこの酒瓶と同じ末路を辿る事は想像に難くない。
「ええい、もういいわ! まだこちらには、手札が残っている! 王女どもを奴等の前に引きずり出してやれ!」
 焦燥の浮かんだ表情で将軍は騎士に命じた。

 好都合もいいところだった。
 こうもあっさりと、王女の居場所が分かるなんて。
(これも日頃の行いの賜物よね)
 本心からそう思って、ソフィアはこっそりと部屋を出た騎士の後をつけた。
 どうやら行き先は、城の最上部、天守閣のようだった。確かにそんな場所に押し込められてはそうそう逃げ出せはしないだろう。王女などでもなくても、だ。
 がちゃり、と扉の鍵を騎士が開けたところで、彼の役目は終わりだった。すとん、と軽く打ち下ろされた手刀に男はあっさりと倒れ伏す。
 鍵の開いた扉を兵士の代わりに開けたソフィアを待ち受けていたのは、二対の赤い瞳だった。
 炎の色の髪と瞳。
 赤毛、というのはたいして珍しくもないが、ここまで見事な紅の髪をした人間というのは極めて珍しい。だがフレドリック王国の王家に連なる者には、高貴なる血の証とばかりにその特色が現れるのだという。
 捜し求めていた二人の王女に間違いないであろう少女らの前に、ソフィアは膝を折った。
「フレドリック王国第一王女リタ様、そして第二王女アリス様であらせられますね?」
 それでも一応確認の意味で言ったソフィアの言葉に、少女のうちの年かさの方――第一王女リタが、ええ、と頷く。
「貴女は?」
 妹姫の方は驚いたように傍らの姉にぴったりと張り付いているが、その姉の方は至極平静な声音でソフィアに問い返してきた。
「私は、大陸解放軍兵士、ソフィア・アリエスと申します。総指揮官の命により貴女がたをお救いすべく馳せ参じました」
 ソフィアの台詞に、リタは再び小さく頷いた。そうしてから視線を、部屋の入口の方へと移す。
「あの騎士は死んでいるの?」
「いいえ、気絶させただけですが」
「部屋へ入れてくれるかしら。そうね……そのクロゼットの中に隠そっか」
 唐突に何を言うのだろう、とソフィアは訝ったが、言われた通りにするしかなかった。王女自らが、男の身体を掴んで引きずろうとしたのだ。さすがにそれは慌てて止めて、ソフィアがその仕事を受け継ぐ。いくら戦士としての能力が高いと言っても腕力自体は普通の女の子とそう変わらないソフィアには大変な仕事だったが、何とかクロゼットの中に男を押し込んで扉を閉める。
「な、何でこんなことを……?」
 いくら動いたところで滅多に切らせない息をこんな思いもよらないところで切らせて、ソフィアはリタに問いかけた。王女は悪戯っぽく微笑む。
「しばらくしたら分かるわよ。辛抱の出来ない人だから、あの将軍」
「しばらくって……」
「来ましたわ、姉様」
 要領を得ないソフィアの声を中断させたのは、ドアからその外を見ていたアリスの囁く声だった。

 ソフィアが入ってから再び鍵をかけたドアを乱暴に開いて入ってきたのは、憤怒の形相を顔に貼り付けたさっきの男だった。先程の発言や将軍という呼称から、彼が帝国軍の、この場での最高責任者であろうことは疑う余地もないが、それがなければただの貧相な男にしか、ソフィアには見えなかった。
「何です? エブロス将軍?」
 呟いた王女リタの顔を少なからず驚きながらソフィアは見詰めた。
 先程の歳相応の少女の顔とは打って変わった、ぞっとするほど鋭く冷たい表情。たかだか十代半ばの少女だとはとても思えない威圧感を持った『竜王国の王女』がそこにはいた。
 この表情で――四方を敵に囲まれた中、自分と妹を守り抜いてきたのだろう。
「シスターを呼んでの勉学の時間は、私達に貴方が与えた唯一の自由だと思っていたのですが。それすらも奪おうというのですか? 帝国将軍の名に恥じぬ蛮行ですわね」
「く、口の減らぬ小娘が。己の立場も分からぬか!?」
 彼女のような少女ごときに怯まされた事を認めたくなかったのだろう。男は噛み付くように言い返してきた。が、その言葉に、リタは冷笑を浮かべる。
「分かっているつもりですわ。解放軍の脅威に怯え、私たちを人質にでも使おうと貴方は慌ててここへやってきたのでしょう?」
「…………っ!」
 顔全体が歪むほどに、男は激昂した。声も出せないまま、ただ脊椎反射のように振り上げた手を、王女の顔面目掛けて振り下ろす――
 ぱしんっ!
 人を殴り付けるには少々軽い音を残して、その腕は止まった。
 リタの眼前で、ソフィアに手のひらで受け止められて。
「お止めなさい」
「!?」
 まさか修道女に止められるとは思ってもみなかったのだろう。驚愕に目を見開く将軍を、ソフィアは見上げた。
「弱き者に手を上げるような愚かな所業をなさるほど、帝国の騎士は堕落しているのですか?」
 ――ばれても、構わないか。
 剣の柄に手をかけるような心持ちで言い放ったソフィアの手を、しかし、帝国将軍は何かしらの危険を本能的に悟ったかのように、ただ舌打ちをして振り払うのみだった。
「ふん……まあよいわ、分かっているのなら話は早い、王女リタよ。貴様は最大限に利用させてもらうぞ!」
 ソフィアから慌てて目を逸らして喚いた男は、王女の腕を掴み半ば強引に部屋から引きずり出した。


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