CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #37

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「怒れる神の忠実なる下僕、火の精霊、灼熱の杖を携えし老獪なる火蜥蜴よ……」
 戦場の真っ只中で、厳かとも思える声音で呟きながらウィルは両の腕を高らかに振り上げた。
「我は神の威を借る者、我が呼び声に応え、集え力の籠の中へ」
 その声に本当に火の精霊が従っているかのように、彼の手元には熱を帯びた膨大な力が徐々に収束されて行く。
 実のところはこの地上に精霊というものはなく、己の魔力と呪文の魔力により、太古の昔より空気と同じように辺りに常に漂っている『自然界の魔力』をかき集めているに過ぎない。自分の発する小さな魔力を餌に、自然界のより大きな魔力を得、その力を精神力によって制御し、術を実現させる。それが例外なく人間の魔術士の使う魔術の発動理論だった。
 呪文を唱えずに魔術を使う術者とてその例外には当てはまらない。ただ呪文の助けを借りずに『自然界の魔力』を制御する精神力を生み出すすべを心得ているだけの話である。
 彼の場合、もちろん呪文無しでもこの術を行使する事はできたが、今のように微妙な力加減を要求される場合や、逆に絶大な威力を求めたい場合には呪文を唱えないと多少心もとなかった。
 だが――
「……熱の潮、赤き風、撒き散らしたる憤怒……」
 あと数センテンス、唱えなくてはならない詩が残っているが、ふとウィルは口を閉じた。腕を頭上に掲げたまま、指先を軽く組み合わせる。
 面倒臭くなったのだ。呪文を唱えるのが。
「火霊乱舞」
 無言で術を発動する事も出来なくはなかったが、ここまで呪文を唱えた手前それもしまらないなと思い直して、一応最後の一単語だけ唱えると。
 瞬時脈動するように大地が蠢く。次の瞬間には大木ほどの太さ高さの火柱が、地面を突き破り、何本も生まれ出でていた。
 天を焦がすような炎に、十人近くの敵が巻かれる。
 火炎の出現も、消滅も、瞬く間の出来事だった。魔術の炎の特性で、他の可燃物に延焼さえしなければすぐに炎は収まる。とはいえその炎に直撃された人間を動けない程度に焦がすだけの時間はあったが。
 魔術を完了させ辺りに視線をやると、標的たちは全身火傷によって地面に倒れ伏し、苦しげにもがいていた。助からないような怪我ではないがそうそう放っておいていいものでもない。
「よし、まずまずだな」
 満点に程近い力の押さえ具合に自分自身で納得の頷きをしてみる。
 かえって残酷なようだが、この状況の戦術としては最良なのである。助ければ助かる程度の怪我を負えば仲間も助けない訳には行かない。そうすればその瞬間における相手の戦力を、怪我した人数プラス救助係の分だけ減らす事ができる。自分で動けるような軽傷では無論の事、即死や明らかに助からない怪我を負わせては意味がないのだ。
 ともあれここは片付いたと、目の前のその集団からは視線を外すと、奇妙な表情を浮かべた顔と遭遇した。
「何だよ、ナーディ」
 その表情の意味を探るようにウィルは目を細め、目の前の魔術士を見た。彼は、どこか口惜しげに唇を引き締めている。
「……同期なのに」
「は?」
 聞き返すウィルの声を聞いてか聞かずか、ナーディは肩をふるふると震わせた。
「何でそんな手抜きな呪文詠唱でそんな高等魔術を発動させられるんですかっ!? 僕なんかこの五年間一回たりとも講義もサボらず一生懸命勉学に励んできたというのに! 出席は代返以外で取られた事ないような人間的落第者に何で僕が使えないような術をいとも簡単あっさりと使いこなすんです!? 何かが間違っている! 絶対に!!」
「人間的落第者って」
 最後には頭すら抱えて叫んだナーディに、ウィルは呆然と呟いた。
「つーか、んなこと言ったらカイルの奴だって似たようなものじゃないか」
「カイルターク様はいいんです。だってカイルターク様なんですから」
「あーそう」
 夢見がちに呟くナーディの顔をうんざりと見ながら呻く。そう言えばかなり前から彼はカイルターク専属の代返係だった。
 それはそれとして――
(この程度の術、それこそ子供の頃から使えてたさ)
 世の魔術士たちが耳にしたら顎を外しそうなその台詞を、その自覚があった訳ではないがウィルは声に出さず呟いた。
 火霊乱舞と呼ばれる術――魔術の名称はその呪文に含まれる、その術を象徴する一文句を取ってつけられるのだが――これは、数多ある攻撃用に組み上げられた魔術の中でも最高の威力を誇る術と言われているものだが、それには現代において広く知られている物の中では、という限定条件が加えられる。
 専門の研究者が密かに解明した古代魔術や、今では失伝してしまった禁呪と呼ばれる術さえ含めれば、これを超える破壊力を持つものはまだいくらでもある。
(そーゆうのを笑顔で使いこなすような人間に周りにいられてみれば、この程度の力に驚きもしないんだろうけど)
 自分にはそんな術は使えない。ウィルは素直にその事実を認めた。興味を持って学ばなかったというのも理由に入るが、たとえ学んだところで、師のように使いこなせるようにはならなかっただろうというのが悔しかったからかもしれない。
 ふと、ウィルは未だ何やらぶつぶつと呟いているナーディから視線を外し、辺りの風景に目をやった。
 前日に先発隊が戦闘を行ったらしいこの辺り一帯は、一面の焼け野原とは言わないが、かなりの広範囲にわたって焼失していた。
 この場所に到達した瞬間は、何が起こったのか正直見当もつかなかったが、そこを進んで行く中で唐突に敵の一隊に襲撃され(つまり今だ)、早くも捕縛した敵の数人を締め上げて聞き出したところ、なんとなく分かってきた。
 どうやら、帝国軍の目論見としては、今日この場所を通るであろう解放軍を待ち伏せするために、いくつかの隊に分かれこの近辺に陣取っていたらしいのだが、何故か一日早く敵軍に奇襲をかけられ、主力の部隊を殲滅されてしまったらしい。それで仕方なしに残った戦力で解放軍を迎え撃とうとしたらしいのだが、この辺りはその作戦指揮者の力量不足だとウィルには思えた。自分なら迷わず、戦わずに退却している。もしくは、端からこの戦力は捨てる気であったかのどちらかだ。
 ともあれ確かに先発隊は戦闘を行ったらしいが、勝利した、というのは間違いないらしい。
 確かにそれはウィルを安心させる材料になり得たのだが――
 睨み付けるような視線でウィルは木の一本を見詰めた。
 他と同様、半ば焦げている太い幹に、小さな穴が一つ穿たれている。気にも留めないほど小さくて、恐ろしく深い穴。一抱えある幹の裏側にまで貫通している。
 間違いなく、魔術によるものだった。
 最初はカイルタークが魔術を使ったのかと思ったが、彼の癖とは違う。カイルタークは攻撃魔術の使用を好まないらしく滅多な事では使わないのだが、一旦使い出すとかなり大味な使い方をする。この痕跡のようなちまちました術は使わないはずなのだ。
(でも、だったらこれは?)
 胸中で独りごちながら、ウィルは痕跡を間近で見るために木に近づいた。
 一瞬で焼き切られている。それも、かなり集約されたエネルギーで。これだけのエネルギーなら少々拡散すればこの大木ごと瞬時に消滅させる事も可能だろう。その上、そんな痕跡が辺りの木々にいくつも残っている。
 自分にこれだけの精度を持った術を、それも連発で放てるかと問われたら、出来ないとしか言いようがない。どう考えてもこれは――
(かなりの術者の技だ。まず間違いなく、俺よりは上だな)
 無論術の威力や精度だけが魔術士の能力を測るものさしのすべてではないが、大きなウエイトを占める一要素ではある。少なくともその点においては、負けているのは疑うべくもない。
(暗黒魔導士……ラーか? いや、あれがまともに戦ったのなら、この程度じゃ済まないはずだ)
 しばらく前、レムルス王国の魔の山と呼ばれるあたりで一度だけ顔を合わせた暗黒魔導士。
 実際に対戦したわけでもないし、力のごく片鱗しか見せなかったが、それがかなりの力を持つ魔術士であるという事だけは分かっていた。
 その場にいるだけで、息が詰まるような重圧感。
 敵意をあらわにしなかったあの時でさえ、痛いくらいそれを感じたのだから、敵として相対した時の恐ろしさは想像出来るものではない。
 いつかあいまみえねばならない時は、必ず来るが――
 取り合えずその事は頭の隅に追いやって、目の前の状況について考察した。
 暗黒魔導士ほどではないにしろ、それに近しい実力を持つものがいる、という事だろう。考えられるのは、帝国内の魔術士の精鋭部隊『黒魔術士団』。
「分かってはいたが、厄介だな……」
 舌打ちとともに、ウィルは言葉を吐き捨てた。



「申し訳……ありません」
 深々と黒髪の頭を垂れながら、彼女は呟いた。その口調に滲む悔しさに、彼女の目の前の漆黒のフードとローブに身を包んだ男は僅かに苦笑する。
「気に病む事はありませんよ。ファビュラスの大神官でしょう? 貴女には少々荷が勝ちすぎた相手です、ノワール」
「はっ……」
 そう言われても彼女の気が収まることはないと、彼は知っていたが。冷静沈着な気性の中に隠された負けん気の強さは、彼女の面倒を見始めてからのこの数年でよく知っている。それが、人並みより少し上程度の潜在能力しか持たなかった彼女が、この自分の教えを受けたとはいえ帝国内で彼に次ぐ魔術士と位置づけられる事になった要因である。
 そういえば、かつて自分が教えたどこかの誰かは、師である彼をも軽く凌駕するほどの潜在的な魔力を持ちながら、負けん気もさほどなく、その力を磨く努力もそれほどしなかったために、このノワールほどの実力も持つ事は出来なかった。
 表面的には、の話だが。
 ――再び、苦笑を漏らす。
「さて、待機させておいた軍もあっさりと全滅させられてしまった事ですし、私達もそろそろ帝都へ帰還する事にしましょうか」
 口の端から零した苦笑を覆い隠すようにローブをばさりと翻して言った彼に、ノワールは頷いた。
「はい、ラー様」
 ノワールを傍に寄せ、暗黒魔導士ラーはローブの輪郭を水に溶くように虚空に滲ませる。空間転移の魔術。彼以外では最早知る者も殆どない、失われた、古代の魔術の一つ。
「帝都にてお待ち申し上げていますよ。大陸解放軍の皆さん……」
 森の奥へと呟いて、彼らは姿を掻き消した。
 ――待っています。貴方が私の前に再び現れる、その日を――



 概ね、予定通りに事は進んでいた。
 同盟軍である他組織との合流も問題無く果たし、この竜王国フレドリック国内に入ってから、王城へ約一日と迫ったここまでさほどの犠牲もなく進んでくる事ができた。
 このフレドリック奪還作戦も、先発の遊撃隊との合流と同時に、アウザール帝国の将軍の居座るフレドリック城に突撃をかけるという最後の局面を残すまでとなった。最後にして一番の大仕事であるというのは、言うまでもないが。
 大きな戦闘を明日に控え、早めにキャンプを張り、既に皆寝静まってはいたが、彼は一人、野営地から少し離れた場所にいた。
「ウィル」
 呼びかけられて、ウィルは視線を、目を落としていたフレドリック城の間取り図から上げた。こちらを見上げている青年を見て、腰掛けていた岩の上から飛び降りる。
「どうしました、ディルト様。眠れませんか?」
「まあ、な」
 曖昧に頷くディルトに、ウィルは苦笑の気配を見せた。読み物をするためにランプが用意してあったが、光源から離れると闇は光を容易に呑み込んで、表情はよく見えない。
「だから、戦場に出てもいい事ないって言ったのに。明日も戦う気ですか? やっぱり」
「無論だ。私だって、少しはものの役に立って見せる」
「まー、何言ったって聞かないって知ってるんで、もう言いませんけどね」
 軽く伸びをしながらウィルは言った。折り畳んで、間取り図をしまう。そんな事を言っているウィル自身、ただ単に眠れなかっただけなんじゃないか? そんな事をディルトは思ったがそれは口にせず、別の言葉を呟いた。
「ソフィアの護衛隊だったのだろう? 先発隊は」
 唐突にそんなことを言われて、ウィルは驚きに目を見開いた。それから少し照れたように、苦笑する。
「おかしいと思ってたんだ。あまりにも、先発隊ばかりに戦力を集中させすぎているからな」
「ソフィアに言っちゃ駄目ですよ。怒るから」
 悪戯っぽく笑うウィルに、ディルトも微笑みを返す。
「正確には、カイルだけなんですけどね。彼女を護ってやってくれって言ったのは。他には誰にも何も言ってませんよ。それに、あれだけのメンツの中に入れたって、彼女を護る、なんてことが出来るのは数人だ」
「私が護ってやろうというのはおこがましいにも程があったというわけか」
「そんな事言ったら俺だって似たようなものですよ」
 あっさりとそう言って、ウィルは少し首を傾げた。何かを悩んでいるふうではなく、たいして意味のない動作ではあろうが。
「本当は俺が護ってやりたかった。でも無理だから」
「職務の所為か?」
 尋ねるディルトに、ウィルは首を軽く横に振った。
「……俺は彼女の傍にいられない」
「彼女は、お前が傍に寄ることさえも拒絶した訳ではないのだろう?」
 即座に問い返されて、再び、ウィルは首を横に振る。今度は、強く。
「そうですよ。友人として見てくれって。そうやって、彼女の望む通りに接する事はもちろん出来る……出来るけど……」
 僅かにランプの光に照らされる彼の顔が、明らかに炎の所為ではない赤さに染まっていた。両手で、額から前髪を漉き上げながらウィルは唇を小さく開く。
「……何て言うか、そうそう理性が欲求を押さえつけてられる保証はないって事です」
「成る程。確かに切実ではあるな」
 本心とは裏腹に、わざと他人事の口調でディルトは呟いてやった。多少は苦しんでもらわないと、あっさりと失恋した自分は割に合わない。
 肩を竦めてディルトは野営地の方へ身体を向けた。
「明日には再会する事になるが、そこで理性の糸を切らないように眠っておけよ、ウィル」
「きっ……切りませんよっ!」
 慌てた口調で返ってくるウィルの声に、ほんの少しだけ勝利感を得ながら、ディルトは彼に背を向けたままひらひらと手を振った。


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