CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 7 #35 |
第7章 竜の王国 フレドリック王国王城、フレドリック城―― その薄暗い最奥の間で、二人の男が向き合っていた。一人は、アウザール帝国の将軍位の紋章のついた軍服を着る男。そしてもう一人は―― 「これは暗黒魔導士ラー殿。皇帝の側近ともあろうお方が、帝都より遠く離れたこの地までおいでとは一体どのようなことですかな?」 決して友好的とは聞こえない口調で問いかける軍服の男に、緩やかな漆黒のローブに身を包んだ、暗黒魔導士と呼ばれた男は苦笑と共に呟いた。 「ほう? 貴方の任地であるこのフレドリック国内に、レムルスを我らが手から奪取したかの反乱軍が侵入しているというのに、随分と余裕ですね、エブロス将軍。……聞くところによると、各所で将軍の配下が反乱軍に討たれているとか」 「ふん……」 将軍と呼ばれた男は、憎々しげに鼻を鳴らした。 「その間に戦力はこの城下に全て結集させた。現時点で反乱軍を迎え撃っているのは我が戦力のほんの一握り、いわば捨て駒に過ぎぬ。その捨て駒相手に辛勝を繰り返している反乱軍を怖れる道理がどこにあるという?」 「おっしゃる通りです。……ですが、その手段は反乱軍に破れたレムルスのカリム将軍に似通っていますね」 「何が言いたい」 明らかに機嫌を損ねた声音で男は呟くが、魔術士は全く動じずに、黒衣に包まれた腕を少し広げて見せた。 「皇帝陛下は慎重なお方でしてね。ご心配なされているのですよ。貴方がここを守り切れるかどうか」 高くも低くもない若い男の声で、暗黒魔導士は囁いた。しかしすぐに取ってつけたように、ああ、と呟きを漏らす。 「まあしかし、それだけの自信がおありなら杞憂というものでしたね。帝都にて朗報をお待ちすることに致しましょう」 くるり、と踵を返してその場から立ち去ろうとする暗黒魔導士に、 「待ちなさい、暗黒魔導士ラー!」 呼びかけてくる少女の声を耳にして、彼は再度、将軍の方へ――いや、将軍の背後へ目を向けた。 許可無き者は誰一人足を踏み入れることの出来ない、また許可なくしては一歩たりとも踏み出すことの出来ない城の天守――そこに二人の少女が軟禁されているというのは、少なくともこのフレドリック国内においては公然の秘密だった。 「……何です? フレドリック王女リタ姫?」 穏やかな口調で、暗黒魔導士は少女のうちの年かさの方に語り掛けた。年かさとは言ってもまだ十四、五の少女ではあったが、その少女は年齢には合わない威厳を纏ってそこに立っていた。竜王国と詠われた王国の第一王女のプライド、そして妹を護るべき姉の意地がそうさせているようだが、少なくとも貧相な面構えのエブロス将軍よりはこのフレドリックの玉座に相応しいように見える。 フレドリックの王族によく見られる特徴である、燃えるような赤い髪の少女は自分と対極に位置するような漆黒の魔術士を睨み据えた。だが、暗黒魔導士は気丈な彼女の瞳の中に僅かに揺らめく戸惑いの影を捕らえていた。 「……何故?」 王女の呟きに、将軍も、彼女の後ろで黙ったままでいる彼女の幼い妹も訝しげな顔を向けたが、問いかけられた暗黒魔導士――彼自身は、その意味を理解していたようだった。 答えはしなかったが。 再び、王女リタが口を開く。 「何故、貴方が暗黒魔導士なの……?」 顔半分を覆ったフードの下から唇だけを微笑ませて、暗黒魔導士ラーは王女に背を向けた。 このまま行けば、王都到達まで後二日の距離まで、サージェン・ランフォード率いる先発隊はやってきていた。 が―― 「やっぱり、そうそう予定通りには進ませてくれない訳ね」 森の中に隠れるようにして作られていた敵軍の野営地を崖の上から見下ろしながら、ソフィアはむしろ楽しげな口調で呟いた。 遊撃部隊。特定の目標を定めず、臨機応変な戦闘を行うべくして結成されたこの部隊がこの状況で取る戦術といえば。 (……奇襲) 彼女は、至極冷静な呟きを胸中で発していた。沸き上がる歓喜を押え込むために。 おそらく戦術次第では街一つを完全に制圧できるだけの能力はあるであろう彼女らの部隊に、敵の接近にすら気付かず目の前で完全に気を抜いた状態でいる敵の一団をどうにか出来ないとは、ソフィアには思えなかった。 しかし、その彼女の思考に意見するような声が響く。 「ここは下手に手をつけるべきではないな」 初めて聞いたカイルタークの弱腰の発言に少々驚いてソフィアは顔を上げた。 「何とかなる数だと思うんですけど」 「罠のような気がする。……根拠はないが」 無根拠の勘としても、どこか彼の言葉には他者を納得させうる強さがあるようにソフィアには思えて、彼女は少々残念そうに唇を尖らせながらも自分の意見を引っ込めた。 だが、今度はサージェンがカイルタークに視線を向ける。 「私も何かしらの罠はあるように思います……が、ここは奇襲をかけるべきでしょう、大神官殿」 「どの道、本隊が来れば接触は避けられない。我々の人数では万一の事態に対処しきれぬかもしれん。当初の予定が狂うが、少し戻って本隊との合流を考えた方がいい」 「それだと罠かもしれない未知の敵前に本隊をさらす事になります。我々の役目は本隊に降りかからんとする火の粉を先行して払い、行軍の安全性を高める事にあると思っていたのですが?」 サージェンが返したその台詞は、ソフィアは最初皮肉なのかと思ったがどうやらそれは違うようだった。 皮肉ではない。それは冷静な問いだった。 貴方は、隊長たる私も知らない、この作戦の真意を知っているのか――? と。 だが、カイルタークはあえてそれに答えようとはしなかった。 「作戦上は貴方の言葉の方が正しい、隊長殿。もとより判断するのは貴方だ」 あっさりと折れられて、気抜けしたような表情をサージェンは作ったが、それも一瞬の事だった。次の瞬間には、彼は隊員たちの顔を見回して言った。 「敵より上手の位置に散開。きっかり十分後、一斉に奇襲を開始する」 (結局奇襲か。……でも罠って?) もちろんソフィアとしては奇襲作戦自体には賛成なのだが、ああも罠だ罠だと言われるとさすがに、多少は不安になる。罠があると分かっていても、その実体はかかってみないと分からない。かからずにネタが割れるようなものは罠とは言えない。 「罠と言っても、数ヶ所に別働隊を潜ませておいて、そのうちのどれかが敵――つまり私達に接触したら何らかの手段で即座に連絡を取り合い戦力を集めるようになっている……その程度だろう」 何の気配も感じなかった背後からの唐突な呟きにぎょっとして、ソフィアは後ろを振り返った。声自体には聞き覚えがあったが、驚いた事には変わりはない。 「だ、大神官様」 「このような森の中での戦闘ならば敵は集団戦闘はしにくい。そこを個別に叩いていけばいいだけだ」 「いや、それよりあたし、大神官様の方が気になるんですけど……」 言いながらソフィアはまじまじとカイルタークの全身を眺める。 「何でそこまで極端に運動に適さない格好で、草を踏む音すら立てずに歩けるんですか? ぜんっぜん気配感じなかったんですけど」 「敵前ゆえ少々注意を払ったからな」 「いやもう、そういうレベルじゃないような」 そういえば、ファビュラスの取水塔での一件の時も彼の気配を察知する事は出来なかったが、直に真後ろに立たれても分からないのだから、壁一枚挟んでいたあの状況で気取る事など出来るはずもなかったと、何となく納得する。大神官たる彼が、そんな裏稼業で大活躍しそうな特技をどこで身につけたのかは大いに疑問だったが、作戦開始の時刻が迫っていたのでソフィアは、視線を崖の下――敵の野営地に向けた。 始まりは、恐ろしく静謐だった。 ソフィアの、見た目にはごく軽い手刀に打たれて、見張り役だったのだろう、槍を持って立っていた兵士は声もなく地面に倒れ伏す。警備の薄くなったその場所を突入口の一つとして、彼女ら遊撃部隊の奇襲は開始された。 「なっ……一体、何なんだっ!?」 泡を食った様子で、テントで眠っていたのをたたき起こされた帝国軍中隊長は叫んだ。慌てて外に這い出てみると、既に方々で火の手が上がっている。 非常事態を伝えてきた部下の兵士には、敵軍の奇襲と聞いた。だが、その敵の所属も――まず間違いなく大陸解放軍だろうが――、規模も何も分からない。ただ、敵は異常な程隠密かつ迅速にこの野営地内に潜入し、気がついた時には手に負えない騒ぎになっていたというのだ。 「どういうことだっ!? 見張りの兵は一体何をしていたんだっ!」 今更癇癪を起こしたように叫んだところで、どうなるものでもない事くらい彼としても分からないではなかったが、収まりがつかず声を上げる。行く当てのない怒りで思わず、宥めるように傍に寄ってきた部下の顔を殴り飛ばす程に我を失っていた彼が―― 急激に、寒気のするような感覚を憶え、即座に横合いの、紅葉した木々のように赤く燃え上がる森の奥に視線をやった。 そして、爆ぜる炎の間から出てきた黒い人影を見て息を呑む。 「――ノ――」 それは、一人の少女の面影を残す女性だった。年の頃、二十歳そこそこと言った感じの、長い黒髪と、それと同じ色のローブを纏う華奢な女。 だがその姿、その名はアウザール帝国内に暗黒魔導士ラーに次ぎ広く知れ渡る、帝国軍屈指の魔術士であった。 「ノワール様……!」 心底からの畏怖の念を込め、男は彼女の名を口にした。 「何をしていたのか、などとは問わぬ……」 徐に喋り出した女の声に、いかつい体躯の中隊長は明らかにびくりと身を震わせた。肺から、痙攣するように息が漏れる。伏せる犬のように地に額をこすり付けたまま顔を上げる事は男には出来なかったが、それでも女魔術士――ノワールの視線が自分の射抜いている事が感じられていた。 「分かっているな。我が主、暗黒魔導士ラー様の作戦の中で晒した失態を贖うすべを」 言って、その細い腕が、白い手のひらが男たちの方へと向けられる。魔術士の攻撃態勢―― しかし、しばらく経ってもその腕の先から熱波や光線が放たれる事はなかった。がちがちと歯を鳴らしながらも怖いもの見たさか、伏せていた男は顔を上げる。 この時にはもうノワールは彼の方など見てはいなかった。貫くような視線の先に射止められているのは、彼女と同じような戦闘の場には一見相応しからぬ女。――いや、こちらはまだ少女か。男の記憶にある顔ではなかった。 ノワールが、一旦腕を下ろし少女の方へ身体を向ける。 「ソフィア・アリエス……解放軍所属……職業はトレジャーハンター」 「あたしってもしかして結構有名人?」 ノワールの呟きに素直に驚いた表情を見せて、彼女は、魔術士から視線を離さないようにしながら下草を踏み分け進み出てきた。戦いを始めるにあたり、交戦に適した場所を捜すように。手には、長大な槍を軽々と持っている。 「でもあたし、貴女の名前、知らないんだけど」 「ノワール」 たまたま出くわした友人に語り掛けるような何気ない口調で――但しその彼女の瞳に宿る好戦的な光はその穏やかさをものの見事に裏切ってはいたが――言ってくる少女に、ノワールは気勢をそがれた様子もなく、応じる。 「ノワール・シャルード……アウザール帝国軍、黒魔術士団長……」 「えー、貴女があの!」 歓喜に満ちた表情で声を上げる少女。その眼差しのまま、彼女は槍の穂先を敵と認識した魔術士の方へ向け、ひたりと構える。 「こんな所で一級品の娯楽に巡り合えるなんて思ってもみなかったわ。ウィルに感謝しなきゃね」 地を蹴るのと同時に彼女が呟いたのは、そんな一言だった。 |