CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 6 #34

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 突如目の前に現れた敵――彼女自身の事だが――に目を剥いて、帝国軍の騎士の標準装備を身につけた男は慌てて剣を構えた。
 だがその構えが完全な戦闘態勢に移行するよりも先に、彼女の槍はその男の眼窩に突き刺さっていた。悲鳴すら上げるいとまもなく、男は一瞬で絶命する。
 自分でやっておきながら、一瞬そのえぐい光景に彼女――ソフィアは少々たじろいだ。
(人殺すの、やなんだけどなー。ユメに出そう)
 実際のところはそんな悪夢を見るほど繊細な神経を持ち合わせていないらしく、夢枕に幽霊に立たれたためしはなかったのだが、生理的に受けつけない行為であるというのには違いなかった。戦う事は確かに好きだが、殺すのが好きな訳ではないのだ。だが今回は、敵を捕縛する為の余裕は人員的にも時間的にもないという事で、敵が戦意を失わない限りは全て殺害するように厳命されている。
 ちなみに、戦意を失った敵はどうするかというと、絶対に解けないようにきつくそこいらの木々に拘束し、約一日後同じ進軍経路でここに来る本隊へと引き渡す事になる。どちらにしろえぐい事この上ない。
 男の眼窩から槍を抜き出す時に何となく感じた、濡れたような気配に嫌そうに眉をしかめて、ソフィアはあたりに意識を向けた。
 しかし彼女が心配するまでもなく、他の仲間たちは、実に定評通りの実力を発揮していた。主要な街からも遠く離れた森の中という場所で唐突に出くわすような隊に、一対一でこの遊撃部隊のうちの誰かとやりあって勝負できるような能力を持つものはいないようだった。
 まがりなりにも騎士の国として定評のあったレムルス王国の精鋭と、それに比肩する職業剣士たちが相手なのだから、当然だろう。
(しかし、周りに気を配んないで戦えるっていうのはいいわね)
 羽根が生えたような身の軽さで、ソフィアは槍を振るった。



 翌日。
「随分と飛ばしてらっしゃること」
 血の海の中に倒れ伏す死体と、一日近く木々に吊るされるように括り付けられて、もう涙を流す気力も残ってないであろう敵兵に目をやって、ウィルは呆れたように呟いた。
 さほど時間的な余裕はないが、それでも遺体は簡単に埋葬してやって、存命の兵は木から下ろし必要があれば治療を行うように命じる。
「二組目だな。先発隊と衝突した敵部隊は」
「今頃またやりあってるんじゃないでしょうかね」
 案外平然とその凄惨な殺戮現場を見詰めながら囁いてくるディルトに、ウィルはどうにでもなれとでも言いたげに呟いた。呟きながら辺りを見回す。戦闘の痕跡の中には、魔術の跡らしきものはなかった。ということは、あの大神官が行動を起こすような非常事態にはまだ陥っていないということになる。そのことに多少は安堵してウィルは息を吐いた。
「ともあれ、先へ進もう。あんまり先発隊との差を広げると、吊るされた人が干からびちゃうからな」
「ウィル」
 唐突にひどく神妙な面持ちになって呼びかけてきたディルトの顔を、ウィルは首を傾げて見詰めた。ディルトはやや躊躇うように目を戦場跡にやり、彼の方へ戻す。
「ソフィアは……大丈夫だろうか」
「大丈夫ですよ」
 根拠も言わず、だがきっぱりと言い切るウィルに一瞬不可解な視線をディルトは投げかけたが、やがて何か合点を得たように頷いた。



 くしゅんっ!
 くしゃみをして、彼女は小さく鼻をすすりながら、
(やーね。誰か噂してるのかしら)
 ぽつりとソフィアは口の中で呟いた。
 昨日の戦闘以降は敵との遭遇もなく、順調に王都へと向かっている。そろそろ丸一日経つから、本隊が昨日のその戦闘の跡地まで到着しているかもしれない。
 行程はおよそ半分のところまで来ている。このまま、何事もなければ後五日で王都に到着する。それから約一日、その近辺に潜伏し、総攻撃をかけるのだ。
(この国に入ってから敵は一人たりとも逃がしてないから、解放軍のフレドリック入り自体はともかく、位置までは伝わってないわよね。でも、それも後一日……二日って所かな……)
 今後の作戦など、彼女が考えるべきことではないが、ただ何事もなく歩いているだけというのは暇なものである。もう一度小さく鼻をすすり上げながら、ソフィアは視線だけで上を見上げた。鬱蒼とした木の葉の隙間から青空が垣間見える。
「あれ? そう言えば」
 不意に声を発した彼女を近くにいた数人が振り返った。ここ数日で大分親しくなった彼らの中の誰に言うでもなく、マイペースでソフィアは続ける。
「フレドリック王国を制圧したら、どうするんだろ。あたし達の中にフレドリック王国の関係者がいる訳でもないんだから、それってただの征服者じゃない?」
 その言葉に数人がそういえば? と眉を寄せる。と――
「その点については心配ない」
 今迄読んでいた紙をくるくると巻いて懐にしまい込みながら、カイルタークが顔を上げた。
「フレドリック王家の直系は現在二名存命している。どちらもまだ成人前の姫君だが、正当な第一、第二王女だ。姉姫を女王に据えるのに反対する者もいないだろう」
「へえ、そうなんですか? で、そのお二人はどちらに?」
「フレドリック城だ」
「え? フレドリック城って、帝国軍が占領してるんじゃ……」
「軟禁されているらしい。六年前の大戦の折からな。確か姉姫が今年で十五、妹姫は十二だったか。可哀相なことだ」
 例によってカイルタークの話し方はどうということもないようなことを告げるかのような平坦なものだが、ソフィアも含めた周りの者は一様に驚いた表情を作っていた。前を歩くサージェンでさえ、歩みを止めて彼の方を振り返ってきたくらいである。
 皆に注目されたからというわけではないだろうが、ふと、カイルタークは何か考えるように自分の顎に手をかけ、独り言のように呟く。
「万一の場合、人質に使われるおそれもあるが……ウィルは知ってるのか?」
 あっさりと口にした今後の戦略に関わる重大事項に、さっと数人が顔を青ざめさせるが、当人はさしたる表情の変化も見せずに、首を傾げる。
「いや、言った憶えはないな。どこかから耳に入れておいてくれればいいが」
「そういう大切なことはきちんと言っといてくださいっ!」
 その場にいた大部分の人数の声が見事に唱和した。

 ――ちなみに、王都直前で合流した時にウィルに一応告げるという事で話は落ち着いた。
「でも、実際結構痛いですね。人質なんて。こっちとしても派手なことは出来ないってことでしょう? 王城突入の時なんか、絶対神経使いますよ。作戦も練り直さなきゃならないだろうし」
「とりあえず大変なのはウィルだから私は別に構わんが」
「何気に根に持ってます? ファビュラスでのこと」
 唖然とカイルタークの顔を見詰めながら呻くソフィアにカイルタークは小さく笑った。笑ったと言っても、そんな息が漏れたというだけで、表情には変化なかったが。
「大神官たる者が、か?」
「やっぱり根に持ってるんじゃないですか」
 カイルタークの回答は彼女に確証を与えてしまったらしく、笑いを堪えてソフィアは言った。
「あれ以降少なくとも十日間は、睡眠時間が一日二時間だった私の気持ちも汲んでほしいと、同時期、睡眠時間十五時間だった誰かに告げておいてくれるとありがたい」
「あはは。それは頭に来ますね」
「君とて、同じようなものだったのではないか?」
 言われて、ソフィアは一瞬口許から笑みを引っ込めた。が、すぐに微笑を戻す。
「睡眠時間のことですか? 最初の数日は、確かに寝られませんでしたけど、すぐに状態が安定しちゃいましたから。大神官様よりは眠ってました」
「君は頭に来なかったのか?」
「……そりゃあそんな事、思いませんよ。あたしが悪いんだから」
「何故君は、君自身に非があると考える?」
「何故って」
 困ったように呟いて、彼女はカイルタークを見上げた。彼の切れ長な双眸はただ平然と前に向けられている――
「だって……あたし……」
「あれは二人の男が勝手に君に恋慕を抱き勝手に自爆した結果のように私には見えたが」
「でも、あの……」
「それとも何か? 君は、自分のことを人が愛してしまうことを自分の罪として考えるのか?」
「…………大神官様って、意地悪だって言われたことありません?」
「希にあるな。日に一度ほど」
 もし会話の相手がウィルなら、後頭部に一撃くれて突っ込んでやりたいところだが、ソフィアはその衝動をどうにか押さえてカイルタークの顔を横目で睨めつけた。そうしたところでいたって平然とした彼の表情を崩してやることは出来なかったが。
 すっと、表情と同じく落ち着いた色の瞳を彼女の方へ向けてくる。
「……だから、何を言っても奴には無駄だぞ。どう答えたのかまでは知らんが、間違いなく君への想いを捨て切るような真似は、奴には出来ない」
 言われて、ソフィアはぱっと彼の方を振り仰いだ。睨むのではなく、まともに驚愕の瞳で。
「何で、それ……!」
「見ていれば大体どういう状況なのかは想像がつく。……ウィルは君に対し後ろ暗いこともあると知っていれば尚更だ」
「!?」
 カイルタークのその一言を聞きとがめ、ソフィアは思わず彼の法衣の袖を掴んだ。
「それって、エルフィーナって人の……?」
「正確に言えばそれも含めた奴の過去全部と言ったところだ。私としては……言っても構わんと思うのだが、どうやらウィルは君を見くびっているらしいな」
「……? どういうことですか?」
「言ったら最後、君がその事実にショックを受けて心を閉ざしてしまうとでも思っているんだろう」
 彼女にはカイルタークの言うことは何一つ、理解出来なかった。
 ウィルの過去を聞くことが、あたしに心を閉ざす程のショックを、って――?
「……何で……?」
 何をどう聞き返せばいいのかすら分からなくて、漠然とした呟きをソフィアは漏らす。だがカイルタークは視線を彼女から逸らし、また元のように前方へと向けた。
「当人が言おうとしない以上、私がでしゃばる訳には行くまい。まあ、どうしても聞きたければ、奴を締め上げてでも吐かせるのだな。こと、君に関してはかなり強情だろうが」
 呟きながら、彼は小さく、揺らす程度に肩を竦めて見せる。
「奴を庇護してやる義理はないのだが、一つだけ教えておこう。ウィルの心の中心に在るのは、他の誰でもない、君唯ひとりだ」
「…………」
「馬鹿だからな、あいつは……昔も今も、少しも変わらずに」
 やはり――
 カイルタークの言葉の意味はよく分からなかったが。
 自分の瞳から溢れてきた涙が頬を伝って地に落ちるのに、ソフィアはしばらく気がつかなかった。


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