CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 6 #32 |
ファビュラスと大陸西部を隔てる海峡を、今、一隻の大型帆船が航海していた。 アウザール帝国と相対すべく大陸南端フレドリック王国へと向かう大陸解放軍を乗せたその船は、大砲等の武装も搭載していない民間の船舶であったが、そんなものを積んだところでたった一隻で帝国軍の海軍とやり合う事など出来る訳もないのだからどちらにしろ同じ事であった。また、帆船ゆえ航行が風任せになってしまうのは少々問題ではあったが、動くことの出来ない時間にもすべきことはあるので――例えば、今のような今後の方針についての会議など――それも些細な問題でしかなかった。 「まず第一の問題は上陸地点の選定ですが――」 淡々と一同に向かって言いながら、ウィルは皆に見えるようテーブルの上に広げた大きな地図を指差し説明を開始した。 「フレドリック王国領内において、協力関係にある反帝国組織との合流が予定されています。具体的な位置は王都より約五十キロの位置にある、この街の辺りです。ですので上陸は……」 地図を囲む十人近くの、部隊長以上の位階を持つ人々が殆ど一様に乗り出すようにしてそれを凝視する中、唯ひとりだけ、ゆったりと椅子に腰掛けてそれを眺めている者がいた。肩にかかった三つ編みの髪を指先で暇つぶしに弄びながら、一応視線だけはテーブルに向けている女性。 「……何かここまでで質問などありますか? ライラ・アクティ殿」 不意に話を振られて、彼女は髪を弄る手を止め、視線を地図から議長役を努めるウィルに向けた。小さく、肩を竦めて見せる。 「特に」 「そうですか」 嘆息こそしなかったものの、そうしてもおかしくない声音で言ってから、ウィルは両腕をテーブルにつきながら皆に対し呟いた。 「我が軍の軍勢が千と百。うち、百はファビュラス教会より借り受けた教会魔術士ですので、実質千五百と数えていいでしょう。そして今後合流する友軍と合わせると三千程になりますが」 と、一旦言葉を切る。何が言いたいのか、その場にいる全員が分かっているようなので、わざわざ告げなくてもいいかとウィルが思った矢先、ぽつりと横からカイルタークが口を挟んだ。 「帝国軍とは桁が一つ違うな」 しん……と室内の空気の温度さえも下げかねない沈黙がその場に満たされた。 どこか気まずそうにお互い目を合わせないように面々がしている中、ウィルはふるふると肩を震わせた。 「分かってんだよ、んなこと! わざわざ言うなよ!」 思わず素の口調で叫ぶウィルを、カイルタークは平然と見返す。 「最初っから分かってた事だろ、ていうか、お前が素直にもーちょっと魔術士貸してくれればまだよかったのに! 常時千人はいる教会魔術士の半分くらい笑顔で貸せよケチ!」 「勝ちの薄い戦いに、私の一存でそんな重大な決定が下せるか」 「嘘つけ、できるだろ!? 教会の最高権力者だろうが、お前は!」 「最高責任者ではあるが、最高権力者ではない」 「あああっ! あー言えばこう言うっ!」 「……ウィル……」 頭を抱えて声を上げるウィルを、ちょんちょんとディルトがつついて、ようやく彼は周りの人間の注目を一身に浴びている事に気付き、こほんと咳払いした。 「……と、言う事でですね……正直、我々の状況は芳しくはないというのが実状です。その上、大陸西部……帝国の本当の勢力圏に今後足を踏み入れて行くにあたり、重要視しなければならないのが、帝国の主力部隊です」 声の調子を元に戻しながら、ウィルはテーブルの脇においてあった紙の山からびっしりと文字で埋まった十枚程度の紙の束を取り出す。 「その名は皆さんの耳にも届いているかもしれませんが……アウザール帝国軍、皇帝直属部隊『赤騎士団』『白騎士団』『黒魔術士団』……この三部隊との衝突は、避けられません」 彼がその名を口にした瞬間、小波のように広がった微かなどよめきは、その名が知れ渡っている事の証左だった。 「これは俺が知りうる限りのその情報です。少々古いものですが、基本的な構成は最近の情報と照らし合わせてみても変わっていないようですので、目を通しておいて下さい」 「その情報は、どちらから?」 情報の信頼性を確認するには当然の問いを、重装歩兵隊隊長のツァイトが発したのを聞いて、カイルタークがちらりとウィルの方に視線を向けたが、彼はカイルタークほどには気にしなかったようだった。 「以前、某国軍事に関わっていた時、帝国内に斥候を送り調べさせた事がありまして。出所は保証します」 十分に他者を納得させるには多少怪しげな答えではあったが真実なのだから仕方ない。わざわざ嘘をつくほどの事でもないという考えも、ウィルの中にはあった。ともあれ軍師にして総指揮官でもある彼に保証すると言われてなお疑いの声を上げるものはさすがにいないようだった。 「さて、次は以降の進軍経路と軍編成についてですが……」 手際よく次の議題に取り掛かるウィルを見ながら、ライラは、長くなりそうなこの会議にちょっとうんざりして、軽く背筋を伸ばした。 「ライラさーん」 会議へ出席した者全てに渡された分厚い資料をぱらぱらとめくってみながら歩いていたライラは、自分を呼んだ明るい声にその顔を上げた。 「ソフィアちゃん」 「会議、終わったんですか?」 駆け寄ってくる少女を微笑ましく見守りながら、ライラはその言葉に、ええ、と頷いた。 「配属の変更があるそうよ。後で正式発表されるけど、見る?」 言われて、渡された紙に目を通すソフィアを見ながら、ライラはふと気になって呟いた。 「あら? そう言えばソフィアちゃん、こんな所で何してたの?」 「特に何も……剣の稽古しようかと思ったんですけど、サージェンさんもユーリン達も会議に出てたから、何にもする事がなくてぶらぶらと。あっ」 自分の名前を見つけて、見出しを確認するために前のページをめくる。 「遊撃部隊、隊長サージェン・ランフォード……最先発?」 部隊名と、サージェンの名の横に赤字で書き入れてあったその文字を疑問形で読み上げる彼女に、ライラは頷いた。 「ああ、サージェンの部隊はまず一番最初に上陸して、そのまま本隊を待たずに進軍を開始するらしいわね。基本戦術だと戦力を分散するのはよくないかもしれないけど、これだけ戦力差があるとね。先発した遊撃部隊がまず敵を蹴散らすんだって。面白いわよ、そのメンバー」 言われて、名簿の続きを見る。 隊長からして大陸随一と囁かれる剣士、サージェンという豪華さのこの隊は約二十人で構成されていた。その殆どが聖騎士団――コルネリアス隊の主力の剣士で、他も義勇兵で参加している中でも元々傭兵をやっていたという軍内でも極めて能力の高い者たちだった。そしてソフィアと―― 「カイルターク・ラフイン?」 何故か混ざっている大神官の名前を読み上げると、ライラはくすりと笑った。 「面白いって言ったでしょ? ウィル君曰く、これで最強の蹴散らし隊の完成、なんだって」 「蹴散らし隊って」 ふに落ちない表情で呟きながら、ソフィアは一応他のページもめくった。とりあえず知った名前だけはチェックしておく。 コルネリアス率いる騎兵団の分隊長としてライラ、エルンスト、クリスの名がある。聖騎士という、レムルス王国の騎士として最高の称号を持つライラと新兵同然のエルンストたちを同位階にするのは失礼なような気はするが、ライラは全く気にしていないらしいので、ソフィアも特に何も言わなかった。他は、重装歩兵隊隊長にツァイト、ユーリンは隊長の座を譲り副官となっていた。これはまあ、妥当だろう。 そして軍師兼総指揮官にウィル・サードニクス。 「……あれ?」 思わず疑問の声を上げる。誰に聞いても総指揮官はウィルだと答えが返ってくるだろうが、実質はどうであれ、こういう資料に書かれる場合のみは総指揮官はディルトという事になっているはずだったのだが。ライラも最初は同じ疑問を持ったらしく、そのページで目を止めるソフィアに向かって言った。 「うん、何かディルト様……戦場出るつもりらしいわよ。ほら」 ライラの指先に、確かに小さくディルトの名前。どのあたりに配属されている云々には目を通してはいないが―― 「何考えてるのよ、ウィルってば!」 資料を押し付けるようにライラに返して、ソフィアは走り出した。 「ちょっと、本気なの? ディルト様戦場に出すって……」 叫びながら、ウィルの船室にノックもせずに飛び込んで。 こちらを振り向いてきた先客に、ソフィアは慌てて口をつぐんだ。先客はウィルを除いて二名いた。一人は大神官カイルターク。そしてもう一人は…… 「ディルト様……」 しまった、と言う表情で呟くソフィアに、ディルトはくすっと笑う。 「本気だよ、なぁウィル?」 「この人はね」 仰け反るようにソファの背に身体を預けながら、諦めきった口調で呟くウィル。ソフィアが眉根を寄せると、カイルタークが解説を入れてくれた。 「ファビュラスでの勝負で勝利した対価らしい」 「……はい?」 聞き返してはみたが、全然理解不能だった、というわけでもなかった。とにかく勝負の事を盾に、ディルトが強引に戦場に出る事を要求してきたんだろうな、という程度の想像はつく。 「あんまり危険な事をしないっていうのと、俺の半径十メートル以内からは離れないって事で何とか妥協してもらったのさ。はっはっは」 一種の精神的ダメージからなのか、どことなくウィルの口調が変なような気がしたが、とりあえず突っ込まずに聞き流しておく。ディルトもある程度の腕を持っているし、最低それだけの条件を飲んでもらえば最悪の事態にはならないだろうという判断らしい。概ね正当な判断であるだろうが―― 「なんだったら、あたしが護衛についたのに」 「それは駄目」 あっさりと返ってきたウィルの返答に、ソフィアは目をぱちくりした。 「どうしてよ。ウィル、片手間にディルト様に注意払えるの?」 「何とかする。とにかくそれだけは駄目。どの道、ソフィアには先発隊に入ってもらうつもりだったし」 何より――と呟いたところでウィルは苦笑した。隠しおおせるものではなかったが、覆うように口許に手を当てる。 「……まあ、つまりは単に俺が嫌なだけなんだけどな。ソフィアの傍にディルト様置いとくのは」 「そんなに信用ないか? 私は」 「そういう訳じゃないですけどね」 「……止めてよ」 軽口を叩き合う口調のウィルとディルトの会話に、ソフィアはぽつり、と小さな声を挟んだ。自分の方を振り向いてきたウィルの視線から逃れるように、彼女は顔を伏せた。 「とにかく、ウィルがそう決めたんなら文句は言わないけど、気をつけてよね。ウィルも、ディルト様も。予想外の出来事はいつだって起こりうるんだから」 「分かってる」 ウィルが呟くと、ソフィアは一瞬だけ顔を上げた。ディルトとカイルタークに一礼して、そのまま部屋を出る。 「……ウィル」 ディルトに言われるまでもなく、ウィルはソファから立ち上がっていた。 彼がソフィアの姿を見つけたのは、甲板の上だった。 日も落ちかけ、茜色に染まった潮風に亜麻色の髪をなぶらせて、彼女は立ったまま海をぼんやりと眺めていた。 髪を前髪のあたりから漉くように掻き上げながら、ふと、彼女は気配を感じたのか、船室の扉から今出てきたばかりのウィルの方へ顔を向けた。柔らかく微笑む。 「やっぱり、ディルト様のお守役、あたしに回す気になった?」 冗談っぽく言う彼女の口調に幾ばくか安心しながらも、ウィルは表情を緩めなかった。彼のその様子に不安になったらしく、彼女は眉を寄せる。 「やだ、どうしたのよ。怖い顔して……っ」 近づいてきたウィルに、唐突に腕を掴まれて、ソフィアは思わず目をぎゅっと瞑った。叱られて耳を伏せる小犬のようなその反応に、ウィルは何かを耐えるように深く息を吐く。吐息の気配と共に少々腕を掴む力が緩くなった事もあって、ソフィアはそっと瞼を開けた。 横を向いた彼の頬に、苛立たしげな表情が浮かんでいるのが、ソフィアには分かった。そして、彼女の方を向いていない瞳にも。 「な……に?」 「君が……」 ソフィアの問いかけに答えたには早すぎるタイミングで、彼は呟いた。 「俺の事を信用できないって言うのは俺だって分かるさ。でも君は、俺が君の事を想う事さえ許さないって言うのか!?」 掴まれた腕にぐっと力を込められて、ソフィアは僅かに顔をしかめた。だが何を言い返していいのか分からず、無言で彼を見上げる。 「君が嫌なんだったら、君の事を独占したいだなんて絶対に言わない。だから、頼むから俺から君への想いを奪わないでくれ……」 掠れた声で叫ぶようにそう言いながら、ウィルは震える腕でソフィアの両肩を掴んだ。抱きしめるのではなく――それこそうなだれる、と言った表現の方が適切だろう――彼女の肩に、額を寄せる。 ずきん、と罪悪感に似た胸の痛み。 決してプライドが高い訳ではないが、こうやって人に弱みを見せてくる事も一回もなかった彼の今の姿に、しかしソフィアは喉元まで出てきたものを無理矢理飲み下して小さく首を横に振った。 「ウィルが先にあたしを突き離したんじゃない」 「違うんだ、俺はっ……」 「ストップ。止めて」 彼の言葉を遮って、ソフィアは再び首を振った。彼の肩に、そっと手を触れて、ゆっくりと自分から引き離しながら、穏やかに言う。 「結局、言えないんでしょ。堂々巡りになるのが分かってるのに、それ以上聞きたいなんて思わない」 包み込むように、彼女は自分の肩を掴むウィルの手を握って、離させる。そうされても彼の手は抵抗すらしてこなかった。完全に弛緩しきった形で、だらりと下ろされる。悲しく苦笑して、ソフィアはウィルを見上げた。 「だから、止めようよ。ね? 一回さ、元に戻ろうよ。好きだとか嫌いだとか言わなかったちょっと前の状態まで。多分……」 言いながら、ソフィアはウィルから視線を外して、あたりの風景をその目に映した。夕陽を受けて橙色に輝く穏やかな海面。同色に染まった空。人気のない甲板。彼。 「きっと、あれだよ。とにかくあっという間だったからさ、ウィル、ディルト様に触発されて自分の思い以上にあたしが好きみたいに錯覚しちゃったんじゃないのかな」 「絶対ない。錯覚なんかじゃ……」 「ウィルが本当に好きなのは」 我知らず呟きかけた時、ソフィアは目に入ってきた彼の表情に苦笑した。 例えるなら。死刑宣告を受けたような表情というべきか。 「……そんな顔しないでよ。とにかく一度落ち着いてみようって思っただけ。これから、戦いも厳しくなるんだし、ウィルと気まずくなりたくないの。フレドリックに着いたらしばらくお別れしなきゃならないんだし、ね」 もしかしたら、それが永遠の別れになるという可能性もなくはないが、あくまでそれは可能性である。分が悪かろうと、自分が戦争で死ぬなんて、ソフィアには想像つかなかった。ましてや彼が死ぬ事なんて。 「君は」 ぽつりと呟いた彼の口許が、微かに歪んでいる。それが苦笑だということに、ソフィアはしばらく気がつかなかった。 「たまに、真綿で人の首を絞めるような真似をする。残酷だな」 返答のしようがなかった。 彼女自身の中ではこれが最良の手段だった。だが、彼にしてみれば―― もう戻れないところまで来ているのに。 だが、彼は小さく頷いた。胸のうちで渦巻く葛藤をもう微塵も表に出さずに。 「分かった。ただの友達。それでいいんだな?」 「ありがとう」 ごめんなさい、は彼女は言えなかった。きっと、彼を余計苦しめる。 ウィルは微笑んで、ソフィアの頭をぽんぽんと撫でた。小さい子供にそうするように。 「もう、だからって子供扱いしないでってば」 ぷうっと頬を膨らまして彼の手を跳ね除けるソフィアに、ウィルは、あはは、と声を立てて笑った。普段通りの彼の笑顔。彼の優しさは彼女には何よりも有難かった。 有難くて、嬉しくて。何よりも悲しかった。 ごめんなさい……ごめんなさい…… 百万回言っても足りないその言葉を、ソフィアは胸中でずっと繰り返していた。 |